誰かが言っていた。
よく、ドラマや小説で、ホワイトクリスマスって話が出てくるけど
普段、雪の降らない地方で
聖夜に雪の降る確率はほぼ0%なんだよ、って。
だから、イヴの夜に、本当に雪が降ってきたら
それはきっと、どこかで奇跡が起こっているからなんだよ、って。
そんな事を、思い出してみる。
そう、今日は聖夜と呼ばれる日。
クリスマス・イヴ――――
俺にとっても、特別な日。
ゆえに、今日だけは、思い出の中にいる。
Dear my―――――
「はぁ・・・やっぱし外はさみぃなぁ・・・・」
「あたりめぇだ。冬に、しかも夜に暑かったら逆にこえぇだろうが。」
何気ない一言に、微妙に辛めのツッコミを入れてきたのは、俺の友人、安井 葵である。
読み方は、「やすい あおい」ではない。
「あい あおい」である。
非常に分かりにくい。
読みやすい苗字だけに非常に分かりにくい。
初めて会った時にそう言うと、俺もだ。と言ってうんざりしていた。
出席番号が常に1番のくせに、最後まで先生に「やすい」と間違えられていた。
本人もいちいち指摘せず、普通に返事をしていたが。
卒業式の後の、最後のHRでも言われていた時は、さすがに可哀想に思えた。
性格は、いつも怒った感じであるが、これが普通。
なのに、マジギレすることは滅多に無い。
外見は、怒った顔してなけりゃかっこいい部類に入る。
いつもしかめっつらしてるから、気心知れた仲じゃないと誰も近寄らないのが現状だ。
「まぁそんなにカリカリすんなって。アイツらも好きで遅れてるんじゃないんだしさ」
「まぁそうなんだけどな・・・でも、この・・・なんだ・・・分かるだろ?それでもなんかいらつくって言うかなんて言うか・・・」
「分からないわけじゃないけどな」
そう言って苦笑い。
俺、宵神 渡(よがみ わたる)は、「第3回 チキチキどうせ彼女もいないし、男のみで騒いでやろうじゃねぇか大会 やおいは勘弁 in何故か冷暖房完備の廃ビル」を計画した。
もちろん、俺の友人に裏切るヤツはなく、全員参加となった。
と、言っても俺を含めて4人だが。
もう2人の友人は、葉山 修治(はやま しゅうじ)と、松山 亮(まつやま りょう)である。
なにやら、人身事故があったとかで、電車が動かないらしいのだ。
イヴに自殺なんかするか?普通。
ふられたショックか?それとも心中か?
どっちにしても、俺に迷惑がかかっているから止めて欲しい。
まぁ、今更言ってももう遅いが。
それで、このクソ寒い中、荷物を足元に置いて駅の前で待ちぼうけである。
荷物の中身は、お決まりの酒セットだ。
ただ、今回は日本酒やビールだけじゃなく、何気にワインやらシャンパンやらウォッカまで入ってたりする。
ふむ、クリスマス仕様か?
ふと、見回してみると、あたりはバカップルであふれている。
なんでこんな駅前で抱き合ったり、キスしたり、あまつさえいじったりしてるんだ?
したいならホテル行け。
即、行け。
うらやましい云々は置いておいて、とりあえず邪魔だ。
にらみつけてやろうかとも思ったが、それも面倒なのでやめておいた。
ふと隣を見ると、普通ににらみつけていた。
「おい・・・めんどくさい事起すなよ?ただでさえこれから不法侵入するんだから。」
「あぁ?何が関係あるんだよ。別にいいじゃねぇか。」
「あるんだよ・・・そうやってそこらじゅうをケンカ売って歩くとか勘違いされたら、そこのポリ公に尾行されるんだよ・・・」
そう、最近は若者が物騒になったとかで、こういうイベントの日は特に厳戒態勢がとられる。
忘年会シーズンも重なって、酔っ払った勢いとかでの事件がしょっちゅうなのだ。
俺たちがそんな連中だと勘違いされたらたまったものじゃない。
尾行された後、不法侵入現行犯逮捕間違いなしだ。
さすがにブタ箱で年を明けたくは、ない。
「・・・チッ」
「はぁ・・・もちっと落ち着け。何か話してやろうか?」
「いや、いい。何か飲む物買ってくる。おまえは?」
「ん・・・あったら、ミルクティー。なかったら別にいい。」
「分かった。ヤツらが来たら2発くらいは殴っとけ。」
「へいへい。」
また、苦笑い。
最近苦笑いが多くなった。
想像していたほどここの大学が面白くなかったっていうのもあるが、加えて、他のヤツはみんな夢が固まってきてるのに、俺には夢がない。
一切、ない。
いや、正確に言うと、昔はあった、しかし今は無い。
更に、他のヤツらに教えてはいないが、俺はこれが2度目の大学生活だ。
1度他の大学を卒業したが、3流大学で、全く就職できなかった。
だけど、家庭教師のバイトをしただけあって、受験の知識は以前よりあったので、もう1度受験したら合格した。
それが旧帝大だったから、喜んで行ったのだが、全くもって面白くない。
今死んだとしても、ある意味、なんら未練はない。
もう26になったのに、それでもまだ何も興味が無い。
憂鬱にもなるってもんだ。
俺の苗字である、「宵神」は、非常に珍しい。
それもその筈、宵神はいわゆる名家なのである。
しかも、ちょっとした場所に行けば、常に一目置かれるほどの存在である。
子供の頃、何かのパーティーに行った時、マジでびびった覚えがある。
まだ5歳の時に18の娘を差し出してくるってどうよ?
なぜ、そんなにも優遇してくれるのか。
その問いには、表向きには財力という答えなのだが、実際の所は、純粋な”力”である。
武力、とも言えるが、宵神家の人間は、総じて戦闘能力が高い。
剣術、柔術、銃器類、爆発物取り扱い、なんでも来い、である。
なぜだか知らないが、そういった類のモノが異常に早く習得できる。
このご時勢に、と言うかもしれないが、名家にとって、暗殺ほど衰退への近道はないのだ。
更に加えて、情報力も、戦略も、後始末もハンパじゃなく完璧だ。
武力と知力が合わさった、ある意味最強を誇る一族なのだ。
故に、誰もがうっとうしいと思う一方、誰もが身内になりたいと望んでいるのである。
ただ、宵神の一族は、信念もなしにただ利益の為に殺しまくる集団でないだけが救いなのである。
俺は、かつてそんな家の当主の3男坊だった。
♪〜♪♪〜〜♪〜
「ん・・・?」
ふと着信音が聞こえた。
誰のだ?とか思ったけど、そういえば俺のがこんな曲だったと思い出し、取り出した。
あ、やっぱ俺のか。
ん・・・登録してない番号・・・誰だ・・・?
「はい。」
「コード名ユキ。ターゲット確認しました。予定通り、19:27をもって作戦実行します。」
「・・・・・・・・・」
「あれ?何か違いましたか?コードネームも、予定時刻も、待機場所も間違ってませんよね?」
何のことやらさっぱりぱりぱり、である。
全く分からないが、とりあえずノリで返しておこう。
「うむ、了解。残り20分か。気を抜くんじゃないぞ。お前は肝心な所でドジなんだからな。」
「わ、わかってます!!ですから今回はきちんと下調べもしましたし、誰もいないのを確認しましたし、定時にだって連絡入れてるじゃないですか!!」
ノリがいいなぁ・・・この人。
いや、この娘、か?声がまだ若い。
っていうかコレ間違い電話だよねぇ・・・その時点でドジなんじゃ・・・
何となくドジなんだから、とか言ったけど、やっぱ正解だったなぁ・・・
つーかターゲットって何よ。
暗殺じゃあるまいし・・・サバイバルゲームか?
こんな日に?
むぅ・・・ヒマだし、もう少し付き合おうかな。
「ふむ。まぁいいだろう。これが成功したら、お前の願いを1つだけ聞いてやってもいいぞ?」
「ホ、ホントですかっ!!マジですかっ!!よし!よし!よおぉぉぉぉぉ〜し!!あ、あたしっ!頑張りますっ!!」
「そんなにはしゃぐな。手元がブレるぞ?」
「あ、あたしっ、は、はしゃいでなんかづおっ!!」
「ほれみろ。あらかた、角に足の小指ぶつけたんだろ?」
「な、なんでわかるんですかっ!!もしかして、見てますか!?」
「見てないっての。そんなに慌ててたら、成功するものもしなくなるぞ?」
「うぅ・・・すいません・・・」
なんて言うか、感情の起伏が激しい娘だなぁ・・・
子犬っぽいって言うほうが似合ってるかな?
こんな娘彼女にしたら面白そうだよなぁ・・・
―――――ドジっ娘で子犬な彼女、か。
そういえば、そろそろ間違いだって教えてあげないとな・・・予定が27分って言ってたから・・・あと15分か。
本当の上司?に怒られるだろうし。
「あぁ、それでだ。」
「分かっています!最低でも15分前から精神を集中させておけ、ですよね?それじゃ、失礼します!!」
「待て、違うってって・・・切れてるし・・・」
かけ直して伝えるべきだろうか。
いや、でも精神集中するって言ってたしな・・・まぁ、なんだか分からないが成功すりゃいいんだし・・・
そもそも向こうには彼女からの連絡が無かったって事なんだから、今頃彼女の方に連絡が行っているだろう。
うん、それならまぁ放っとけばいいか。
それにしても・・・間違いなくあの娘、ドジだな。
今時ドジっ娘っているんだなぁ・・・修治が来たら教えてやろう。
あいつ、ドジっ娘萌え〜とか言ってたからな・・・絶対うらやましがるぞ。
「なにニヤニヤしてんだ?気持ちわりぃ・・・ほれ、ミルクティー、あったぞ。」
「あ、お帰り。ありがと。いや、さっきちょっと面白い電話が掛かってきてさ。」
「面白い?ほぅ。」
興味津々で聞いている葵。
しかしそこに
「お〜わりぃわりぃ。やっとついたぜ。」
「ったく・・・たかが10分のはずが40分もかかった・・・愚民の分際で俺様に迷惑かけるなよな。」
二人がやっと到着した。
この明るい感じなのが葉山 修治。
性格は、マジで明るい。
悩み事がないんじゃないかってくらいのん気で明るい。
外見は、いかにも遊び人って感じの茶髪日焼け肌だが、両方とも生まれつきらしい。
おかげで真面目な恋ができないとか言っていた。
うむ、不憫だ。
次に、俺様No.1みたいな話し方をしているのが松山 亮である。
性格は・・・とにかく皮肉が多い。
しかし、言ってる事は正しいし、物事を常に超・客観的に捉えている。
亮を嫌う人は多いのだが、俺たちから言わせると、そういう意見がないと物事はうまくいかない。
だから、亮の意見は何かを決めるときに非常に役に立つ。
外見も、ガリ勉を絵に描いたような感じである。
いわゆる嫌われ役が非常に似合っているヤツだ。
「お、来た来た。じゃ、これは行きながら話すよ。」
「え、なになに?」
「いやさ、俺が何か飲む物買いに行ってたら、渡に面白ぇ電話が来たって言うからさ。」
「ほぉ・・・どんなのだ?」
「いや、実はさ・・・」
俺の足元にあった荷物を各々が持ち、歩き出した。
葵は、二人を殴るだの言ってた事も忘れ、俺の話を聞きだした。
まぁ、初めから殴る気はなかったのだろうが。
普通に学校に通っていたある日、俺はマジで恋をした。
まだ俺は小学生で、彼女は中学生だったが、マジで好きだと感じた娘がいた。
ガキのくせに、本気で、一生、愛していきたいと思った。
ただ、それだけだった。
それだけの、はずだった。
問題は、俺が異常な家の出身で、
彼女も、普通の家の出身ではない、という事だった。
もう1つ。
俺と彼女は、イヴの日、結ばれ、
そして、バレンタインの日に、一つになった。
その結果、子供が、出来てしまった。
宵神にとっては忌むべき、彼女の家にとっては待望の、
悪魔の血を持つ、子供が。
そして、俺は
本当に、本当に愛した彼女を
この手で、殺した
その日は、そう、ちょうど―――――
「って言おうとしたら切れたんだよ。」
「うっは〜!ドジっ娘だ!!な?な?いただろ?ドジっ娘!」
そう言って亮をばしばし叩いてる修治。
痛そうだぞ・・・。
「つーかさ、それマジで暗殺のための電話だったりしてな。」
「このご時勢にそんなはずないだろう。それに、定時連絡をしてるって事は、リダイヤルでかけているんだろうからな。間違い電話はありえない。」
「でもさでもさ、ドジっ娘だぜ?突発的に記憶にある番号でかけてやろうと思って、やってみたらミスった。とかかもしれねーじゃん!」
「ふっ・・・現実にそんなバカはいない。どうせ、イヴだけどヒマなヤツが適当にかけたら、たまたま渡にかかったってだけだろうよ。」
「バカじゃねぇよ。ドジなんだよ。」
「どっちでもいいから・・・いい加減叩くのやめろ!ったく・・・」
そうこうしているうちに、例の廃ビルについた。
たまたま屋上のカギが開いているのを俺が見つけ、その後カギを社内でゲットして俺が持ち歩いている。
廃ビルと言っても、先のバブル崩壊で犠牲になった小さな会社で、何かにつけ来ているが、それほど汚れては無い。
ほこりくらいはあるはずなのだが、空気清浄機が自動で働いている為か、それすらほとんどない。
電力は、自家発電からのようで、電気代はかかってないようだ。
セキュリティは、あるにはあるのだが、会社との契約が切れているらしく、反応するだけで何も起こらない。
防犯カメラは、主電源が落ちていた。
それにしても、核シェルターまであるのはびびった。
この会社、確かお中元とかの商品を仲介する会社だったはずなんだが・・・
ちなみに、金目のモノは一切無かった。
俺たちからしてみりゃ、椅子と机があって、冷暖房完備してりゃ文句はない。
それどころか、ここに住みたいくらいだ。
ただ、あまりしょっちゅう来て、誰かに見られて通報される可能性があるから、なにか企画がないと来ないようにしてるし、俺たち4人以外の人にも教えてない。
侵入する方法は、隣のマンションの非常階段から廃ビルの屋上に飛び移るのだ。
1メートルくらいしか離れていないから、少し勢いをつければ、またぐこともできる。
だけど、荷物を持ってあがるのは重くて面倒だから、いつも裏口の横に隠して置いておき、内側から取りに行くのだ。
「よっと・・・」
「ほいっと」
「ひょいっと」
「・・・・・・」
今更だが、こんなところでビビるヤツはいない。
「渡、ここまできてカギ忘れたとか言うんじゃねぇぞ?」
「大丈夫だって。ほい、空い・・・た・・・?」
「ん?どしたの?」
「いや、この前俺らが来た時に、カギ閉め忘れたっけか?」
「はぁ?んな事知らねぇよ。カギの管理はお前がやってんだろ?忘れたかどうかは渡しか分からねぇだろ。」
「まぁ・・・そうなんだけど・・・」
どう・・・だったかな・・・思い出せない・・・
確か前は1ヶ月ほど前・・・だったよな・・・
えっと・・・
「まぁいいじゃんか。誰かいたらその時はその時、だろ?」
「修治は考え方が楽観的すぎんだよ。もちっと亮みたいにヤベェ時とかの事を考えてだな。」
「ふむ、まぁそれもそうなんだが、この場合、何にしても入ってみなければ分からない。
それに、そういう時の為に、脱出ルートまで決めたじゃないか。まぁ、ベストなのは、渡がカギを掛け忘れたが、誰にも気付かれなかった、という事だがな。」
う〜む・・・思い出せない・・・
まぁ、確かに脱出ルートはあるんだし、入ってみるか。
「思い出せないけど・・・亮の言う通り、脱出ルートもあるんだから、何とかなるだろ。ま、その時は駅前集合って事で。」
「ったく・・・わ〜ったよ。じゃ、さっさと入ろうぜ。」
仕方ない、といった感じで葵が入っていく。
その後を、亮と修治が入っていき、最後に俺が入ろうとした時、
何気なく、本当に何気なくだが、つい、と時刻を確認した。
―――――19:26、定刻まであと1分を切った。あと、20秒――――――
ふと、そう思う自分がいた。
未だ会ったことの無いはずの、あの娘の言った時刻。
何故か、ドキドキし始めた。
恋?いや違う。
コレは恋なんかじゃない。
だったら、このドキドキは何なのだろうか。
確かにああいうドジな娘は、修治じゃないけど、彼女にしたら楽しいだろうなとは思った。
だが、声を聞いただけだ。
容姿、容貌、本当の性格、名前、どこの人なのかといった、彼女についての情報は全く分からない。
分かるのは、声と、電話番号と、そして、そして―――――
―――――カウントダウンを開始します―――――
ふと、声が聞こえた。
―――――10秒前
「おい、どうした?今更ビビったとかほざくなよ?」
―――――9―――――
―――――8―――――
「声、聞こえない?」
―――――7―――――
―――――6―――――
「はぁ?聞こえねぇなぁ・・・今度は怪談か?まぁ行こうぜ。」
―――――5秒前―――――
―――――4―――――
他の2人も聞こえないらしい。
気のせいだ、とか言っている。
だが、俺には聞こえる、いや、コレは聞こえるというよりむしろ・・・
―――――3―――――
むしろ、脳内に直接響いているような、そう、言うなれば、心が誰かとリンクしているような、そんな感覚。
自分の心が侵されていっているような感覚。
でも、不思議と心地いい。
ふと、見上げてみれば、満天の星空。
ここは少し都会で、田舎に比べればその壮観は天と地の差だけど、それでも、どの季節よりもはっきりとその存在を示している星たち。
少しあきれた声で、葵が先に行ってる、と言っているのが聞こえた。
―――――2―――――
すぅ、と、なぜか、自然に、そうなるべくしてなったように、目を閉じた。
目を、閉じたはずなのに、そこに何かが浮かんでくる。
暗くて、よく、見えない。
目を閉じているはずなのに、よく、見えない。
訳の分からないロジックが浮かんできたが、それでも目を閉じてよく見る。
なぜだか、そうしないといけないと思ったから。
―――――1―――――
うっすらと見えてきたのは・・・女の子。
そう、それは、まさに絵に描いたような女の子。
大人の女性ではない、だからといって子供でもない、不思議な、不思議な、女の子。
肩ほどまでの長さの、光り輝くほどの美しい黒髪。
それと対照的なほどの、真っ白な、雪のようとはこの事だと言えるほどの、真っ白な肌。
真剣な眼差しをしているその顔は美としか言いようの無いほど整った顔立ち。
そんな彼女に不釣合いな、黒い、真っ黒い、彼女には少し大きめの服。
――ゆったりした服を着ている人は、暗器をもっている――
どこかで聞いた言葉が浮かぶ。
そして、彼女が手にしているのは―――――
彼女が、見つめる先は―――――
あぁ、彼女は―――――
―――――ゼロ―――――
パアァン
そんな小さい音がしたな、と思う一瞬前、つい、と、少しだけ左に体が動いた。
かわすための動作ではない。
ただ、彼女の方を正面から見るためだけの動作。
直後、右の頬に何かがかすった感じがした。
痛みは、感じない。
左目だけを開くと、左目には自分の体がある場所が、閉じたままの右目には自分の心がある場所が映されていた。
不思議と、逃げたいとか、怖いとかいった感情はなかった。
ただ、右目に映る彼女が、すごく、すごく悲しそうな目をしているのが見えた。
そう、見えた時、
自然に、腕を広げ、そして、彼女に向かって、穏やかに微笑みながら、
ただ、一言、
「おいで。」
と、つぶやいた。
彼女は、一瞬だけ驚き、そして、悲痛な表情で、ごめんなさい、とだけつぶやくと、続けて、数回俺に弾を撃った。
彼女は知っているだろうか。
これが、初めての出会いではなかったことを。
彼女は知っているだろうか。
俺が、君の事を、今でも、本当に、愛しているって事を。
彼女は知っているだろうか。
俺が、君の―――――
残る力を振り絞るとか
限界を超えてとか
そういうのではなく
ただ、自然に
当たり前のように
語りかけるように
ただ、穏やかに
リンクした心に
呼びかけた
(メリークリスマス
そして、ハッピーバースデイ、ユキ
いや―――美雪
綺麗になったね
俺の
愛しくて
可愛い
娘よ―――――)
その言葉に、右目に映るユキが反応した。
顔は真っ青になり、涙を浮かべ、明らかに取り乱しているのが分かる。
あぁ、通じてしまった。
通じてしまった事に、喜びと、そして後悔を感じた。
初めて親らしい事・・・いや、初めて美雪というヒトに関われた事に果てしない喜びを感じた。
美雪に、お前は親殺しをしたんだと教えてしまった事に、果てしない後悔の念を感じた。
相反する気持ちを持ったまま、開けていた左目を閉じた。
もう、どちらの眼にも、何も映っていない。
ただ、真っ暗な闇があるだけだった。
別に、わが娘に殺されたからって、特に、憎いだとか、悔しいだとか、そんな事は感じなかった。
ただ、愛しい愛しい娘に親殺しという、最悪の重荷を背負わせてしまう事だけは、何としても避けたいと思った。
何も親らしい事をしていないのに、できてないのに
ただ重荷だけを与えるのは嫌だった。
あの娘は優しいから
性格はよく知らないが
彼女に似て、あの娘はきっと優しい娘だから。
だから、絶対後悔するだろう。
一生残る傷跡を作ってしまうだろう。
ただでさえ、ヒトを殺す事をあんなにも悲しんでいるのに。
ただでさえ、せめて、恐怖や痛みを感じさせずに、と考えているのに。
忌まわしい悪魔の血を与えてしまった俺を、きっと恨む事なんかできない娘だから。
あの娘の愛すべき母親を殺した俺を、きっと憎む事なんてできない娘だから。
不器用なほどに、優しい娘だから。
せめて、それだけは。
親として、何もできなかったけど、それだけは。
何としても、それだけは―――――
ふわ、と、無くなったはずの感覚に、何かを感じた。
閉じていた瞳をもう1度開く。
そこには
真っ白な
美しい
雪が、降っていた
「――――ん!――――さん!!」
ん・・・なんだろう・・・体が・・・軽い・・・
と、言うより、暖かい・・・
誰か呼んでいるような気がするけど・・・
でも、もう少し、もう少しだけこうしていたい・・・
過ぎ去ったあの日が思い出せるから。
今日だけは、もう少しだけ思い出に浸っていたいから・・・
「――――さん!お―――さんってば!!おとーさん!!」
「うわっ!!」
「もぉ、何がうわっ、よ。クッキー焼けたよ?」
ここは・・・どこかで見た場所・・・
「田舎」って感じの風景に、日の当る縁側・・・
冬だというのに、心まで暖かくなるような日差し・・・
目の前にいるのは、見知らぬ女の子―――――
いや、彼女の事は俺が1番よく知っている。
よく知っている?
あれ?何かがおかし―――――
「あら、やっと起きたの?それじゃ、紅茶でも入れてこようかな。」
その声を聞いた時、心臓が跳ね上がった。
世界中の誰より
世界中のどんなものより
それこそ、世界を敵に回したとしても
愛し、大切に想い、そして護りたいと思った人が、そこに、いた。
「ゆ・・・きね・・・?」
「そうよ?どうしたの?そんな変な顔をして。」
クスクス、と彼女が笑う。
それだけで、何もかもがどうでもよくなってくる。
ただ、彼女が傍にいるだけで、こんなにも暖かくなる。
ただ、彼女が傍にいるだけで、こんなにも優しくなれる。
ただ、彼女が傍にいるだけで、たった、それだけで、こんなにも―――――
泣きたいほどに、幸せになれる。
「・・・いや、何でもない。それはそうと、お前が紅茶淹れ?ふざけるなよ?お金がもったいない。」
「な、なによ・・・そんな言い方はないんじゃない?」
「はいはい。飲める味に淹れて、ここまで運ぶ事ができる確率は?」
「うっ・・・で、でも!!法定歩合より高いもんねっ!!」
「おかーさん、公定歩合だよ。しかも今は限りなくゼロに近いんだよ?」
「くぅっ・・・いいも〜んだ。今日はもう渡の相手してあげないもん!」
「子供かよ・・・ま、俺には美雪がいるもんね〜」
「ね〜」
そう言って美雪を引き寄せて、膝の間に入れて抱きしめる。
美雪の足には、転んだ時の傷跡がまだ残っていた。
と、言うより、治ったと思えばすぐ傷を作るから、いつまでたっても消えないのだが。
さすが、雪音の子供だ。
そんな事を思いながら、その傷跡も癒すように、優しく抱きしめる。
あったかくて柔らかい・・・
頭をなでてやると、美雪はくすぐったそうに目を閉じた。
「あっ!み、美雪!?う、裏切ったぁ!!」
「裏切ってなんか無いよぉ〜。おかーさんが相手してあげないって言ったんじゃん。」
「それはその、言葉のサヤってヤツで・・・」
「あやだっての。」
「そんな事よりさ!ねぇねぇ、ほら見て!上手に焼けてるでしょ?」
「お〜キレイにできたなぁ・・・雪音とは大違いだ。」
「うぐっ・・・最近わたしのけ者・・・」
「ほら、おとーさん。あ〜ん。」
「あ〜ん・・・うわ、美味い。やば、俺、美雪欲しいかも。」
「え・・・えっ!そん、ちょ、まっ!」
「あはっ。あたしもおとーさんと一緒になりたいな〜。」
「えっ!えっ!まっ、まって!!わ、わたし、は?」
「すまん、雪音。俺たちはここまでだ。」
がーん。
まさに、がーん。である。
コロコロと変化する表情がとても面白い。
「そ・・・んな・・・」
ありゃ、マジで落ち込んでしまった。
いい加減フォローしないと後が大変だ。
そう思ってると、美雪がすい、と雪音と反対側の俺の横に移動した。
うむ、こいつ雪音よりしっかりしてるじゃないか。
「ほら、雪音、おいで。冗談だよ。」
「じょ・・・だん?」
「そう、ただの冗談だよ。俺はお前を1番愛しているんだから、別れたりなんかしないよ。」
「ほ、ほんと?」
「あぁ、こんな事で嘘は言わない。愛してるよ、雪音。」
「うん・・・うん!」
「む・・・なんかムカつくなぁ・・・」
美雪がなにやら不満顔だが、今は勘弁してもらおう。
今度は雪音を膝の間に入れて、ぎゅっと抱きしめる。
どこへも行かないように。
絶対、今度こそ、離れ離れにならないように。
「大好きだよ、渡君・・・絶対、離さないで・・・」
「あぁ、分かってるよ。」
泣きそうな顔だったのが、今は頬を染めて、上目遣いで微笑んでくる。
うん、やっぱり雪音は笑っている方がいい。
すごく、愛おしい。
雪音の目を見つめ返しながら、もう少しだけ抱きしめる腕に力を入れる。
「・・・ん?渡、君?」
「うっ」
「ん?どうしたの?美雪?」
「え、だってさ、おかーさんはいつもおとーさんの事を『渡』って呼んでたじゃん。なのにさっきは何で『君』がついてたのかなって。」
「あーこれマジで美味いなぁー。雪音、何か飲む物ないか?」
「おとーさん、自分でとってきなさい。おかーさんは、まだあたしと話をしてるんです。」
上手くごまかそうとか思ったけど、あっさり返された。
くそ、美雪のヤツ、雪音に似てドジだが、雪音と違って頭の回転がすごく早いから厄介だ。
まぁ、雪音も話したりはしないだろう。
アレは俺だけじゃなくて、雪音の恥ずかしい過去にも繋がってるからな。
だけど、何とか美雪をごまかさないとな・・・
「え?それはねぇ〜渡君と初めて会った時の事なんだけど〜」
って、語る気満々っすか!?
こいつ、その話が自分の恥ずかしい話にも繋がってるって分かってんのか?
・・・いや、絶対分かってない。
俺の恥ずかしい過去を暴露してる途中、自分の話に入る前に気付いて、止めようとするけど美雪の話術によって聞き出されるんだろうな。
ふっ、これだからドジっ娘は・・・
つーかどの道、俺の過去だけは暴露されるって事かよ・・・
「銀杏が紅葉してて、きれいな並木道の途中でね・・・」
「ばっ、バカ、お前なんでそんなに口が軽いんだ?恥ずかしいとか思わないのか?」
「むうぅ〜。バカってなによバカって。バカって言った人がバカなんだからね!」
「お前またそんなガキみたいな・・・だったら、お前バカって漢字、書けるか?」
「え?か・・・書ける、よ?」
「なんで疑問形なんだ・・・美雪は書けるよな?」
「当たり前だよ。馬に、鹿って書くんだよね?」
「う、うまに、しか・・・そ、そうだよ!ぶ、部首が馬で、その右側に鹿って書くんだよね!わたしだってそのくらい・・・」
「「違う。」」
「え?え?え?」
いつも笑顔で溢れている
誰も笑ってなくても、誰もが笑顔
あぁ、これが幸せって事なんだなぁ
これが夢ならば、絶対に覚めないで欲しい
ずっと、こんな夢を見ていたい
そう、それは、夢―――――
悲しくて、幸せで。
そんな、夢―――――
どこからが、夢?
どこからが、現実?
奇跡は、一体何を起こしたの?
真実は、神のみぞ知る
誰もが悲しくて
誰もが幸せで
そんな、雪の降った、ある聖夜のお話―――――