「やべぇな……」
コートの奥深くにしまいこんでいた携帯を取り出し、そこに表示されている、数字の羅列を確認して俺はそう呟いた。
街中に流れる、今年のクリスマスソングや、定番の曲を風と共に走り抜けながら、白い吐息を吐きながら、走っていた。
―――付き合い始めて2年目―――
その期間に俺があいつを待たせたのは1度や2度ではなかった。勿論それらを毎回悪いな、とは思いつつも、自分が登場したときに見せる彼女の呆れたような表情と、ホッとした様な仕草。
その彼女の仕草が嬉しくて、結局いつも待たせてしまう。
いつも待ち合わせに使っている駅前のベンチまで、あと少し。『いつもの場所』までもう少し……
クリスマスという今日ですら、すでに携帯の時刻表示は待ち合わせを10分も過ぎていた。
「まぁ……」
今回はこれで許してもらえるだろう。俺の片方の手に握り締められている、包装紙とリボンでドレスアップされた箱のような物をに、一瞬目をやり、口元が緩む。
これをプレゼントしたときの彼女の仕草に思いを馳せながらも、足は確実に目的地の駅前に進めた。
「 ん?」
不意に空の方から白い粒たちが目の前を彩りはじめた。
「ホワイト、クリスマスか……」
今まで動いていた足を、一瞬だけ止めて、上空を見上げそんなことを呟いた。
そしてふと思い立ち、手に持っていた携帯から彼女の番号を出して、電波を発信する。
「……………出ない」
いつもならすぐに出る彼女の呆れ返った声が、今日に限って無言を貫いていた。
やっぱり怒っているのかな。
ただ、この雪が降り始めたこの時に『メリークリスマス』を言いたかっただけなんだけど、無言の向こう側にあるあいつの鬼のような形相が容易に想像できてしまった。
「はぁ……まぁ、俺が遅刻していなければよかったんだけどな」
ため息をつきながら、電話を片手に粉雪が舞い落ちてくる空を見上げた。
その見上げた瞬間、俺は駅前のベンチで1人佇む彼女の、泣いている姿が見えた様な、そんな気がした。
平年より寒冷前線の降下が早いと雪の訪れを誘うニュースが街角に流れていた12月。
その年のクリスマスは、わたしたちにとって2回目のクリスマスだった。
「もぅっ! あいつはこんな日にも遅刻してくるの!」
わたしは駅前のベンチに1人で座りながら、まだ来ぬ自分の彼氏に毒づいていた。
周りには、喜びに満ち溢れたカップルたちが、それぞれ手をとったり腕を組みながら、それぞれの目的地に消えていっていた。
「もう10分よ、10分! 今日は全部、あいつのおごりにしてもらうからっ!」
カップルだらけの中で、わたしを1人にしたまま来ない遅刻常習犯のあいつに、さらに毒づく。
今日という日を祝うために、あいつにプレゼントする努力の結晶であるマフラーが、何の彩も飾り気もない手提げ袋に入れてある。
その手提げ袋をブンブンと振り子のように動かしながら、まだ来ない彼氏に抗議する。
「 あっ」
そんなわたしを慰めるかのように、上空から白い粉雪が、わたしの周りに舞い落ちてきた。
「ホワイト……クリスマス」
さっきまで怒っていたことも忘れ、わたしはそう呟いていた。
ピリリリリッ……ピリリリリリッ……
その半ば成りかけていたロマンチックな雰囲気を、電子的な音が現実に引き戻した。
コートのポケットに入れていた携帯からするその音の主は、見ずとも誰からの電話かわかる。
取り出した携帯に表示された名前は、わたしの予想通りあいつからだった。
ピリリリリッ……ピリリリリリッ……ピリリリリリッ……
携帯を手に持ったまま、しばらくその音を聞き続ける。わたしを待たせている罰だ。もう少し困らせてやる。
ピリリリリッ……ピリリ………………
そんなことを思っていると、少しもせずにその音は鳴り止んだ。
「もうっ! あの、コンジョなし……」
電話の向こう側で諦めて電話を切ったあいつの顔が脳裏に浮かぶ。いつもわたしを待たせてるくせにどういう了見よ!
わたしはすぐさま、着信履歴から、あいつの携帯に電波を飛ばした。絶対に一言文句を言ってやる、そんな感情をむき出しにしながら。
『お客様がおかけになった電話番号は、現在電波の届かない場所にあるか……』
しかし、そんな憤りを肩透かしにするかのように、携帯から流れてきた声は何の情緒も、何の懺悔もない、無機質の音の塊だった。
「あいつっ!」
そう言いながら携帯を乱暴にコートの中に入れる。
「絶対におごらせてやるから! しかもフルコース!」
出費が嵩めば懲らしめになるとも思っていないけど、この位はしないとわたしの気が収まらない。ちなみにわたしの中では『フルコース』はものすごく高級なイメージだ。
そんな風に頭に血が上っていたものだから、少し遠くで鳴っていたサイレンの音にも気付きもしなかった……
雪が降っていた。
その年初めてこの地方に舞い降りた雪はちょうどクリスマスの日だったことを、今も鮮明に思い浮かべることが出来てしまう。
そして……
わたしたちが【わたし】になって、2回目のクリスマスがやってきていた。
「…………」
わたしは駅前のベンチに1人で座りながら、まだ姿を見せない自分の彼氏を待っていた。
周りには、喜びに満ち溢れたカップルたちが、それぞれ手をとったり腕を組みながら、それぞれの目的地に消えていっていく……。もう見慣れてしまった風景がそこにはあった。
「3時間……か。ほんとに、いつになったら来るのよ……」
すでに人もまばらになった駅前で、わたしはわたしを1人にしたまま来ない遅刻常習犯のあいつに、疑問を投げ掛ける。
わたしの手には、もう使うことは絶対に出来ないと見れば分かるぐらいボロボロに壊れた携帯が握られている。
2年前にわたしがあいつから貰った唯一のもの。あいつ以外の手から渡された【あいつのもの】だったもの。
二年前のクリスマス、私があいつと対面したのは駅前のベンチで遅刻してきたあいつではなく、クリスマスが後数分で終わろうかという病院の一室だった。
「ちぇ、今年も待ちぼうけで終わるのか……」
すでにほとんど人もいなくなりつつあるこの場所から、逃げるための言葉を自分に言い聞かせる。
「ふぅっ、疲れた」
隣からそんな声がした。
「えっ……」
いきなりの近いところからの声に驚き、そんな声を漏らしてしまう。見ると隣のベンチに男が座っていた。
「ん? なんだあんた、こんなところで……さては、待ちぼうけでも食らったのかい?」
その男はわたしに気付き、わたしを横目で一通り見てから、開口一発そんな失礼なことを言ってきた。そんな失礼な男は、どう見ても……
「あなたなんですか? 初対面の人にいきなりそんなことを言うなんて、格好と同じく非常識なんですね!」
売り言葉に買い言葉なのか、わたしも初対面であるこの変な格好をした男に毒づく。
「非常識? 今日はクリスマスだぜ? 別にサンタの格好をしているからっておかしい事はないだろ。ちょっと歩けばそこらじゅうにいるぜ?」
「はぁそうなんですか。で、そのクリスマスにお忙しいサンタさんがこんなところでサボりですか? 早くお仕事に戻った方が良いと思いますけど」
「結構痛いところつくね…あんた。まぁ、休むことも仕事の1つということだ。で、あんたはこんな時間まで1人なのかい?」
「あなたには関係ありません!」
1人……という言葉にカチンと来たわたしは声を少し荒げる。
「まぁそうつれないことを言わないでくれよ。お互い1人者同士でこんなところで会ったのも何かの縁だろ。よく言うだろ? 袖摺りあうも多少の縁って」
サンタのおじさんというより、サンタの格好をした若者がニカッと、微笑みながらそう言う。
「発音が違いますよ。多少ではなく他生です。それとナンパは他所でやってください。わたしは彼氏を待っているんです!」
このサンタの軽い雰囲気やなんでもないやり取りが、いちいち何か癪に障って仕方がない。
「……そっか、来ると良いな、その彼氏……」
と、さっきまでの飄々とした雰囲気とは一変して、何かしら感傷に浸るようにサンタが口を開いた。
「? どうかしたんですか?」
「ん、まぁ、なんと言うか俺はすっぽかされたからな、やっぱクリスマスに1人ってのは面白くないだろ?」
その仕草がやけに気になり、親身に訊いた瞬間、わたしの神妙な言葉も無駄なように、サンタは笑いながらそういった。
「それで、予定が開いたからわたしに声をかけたんですか? 軽蔑に値するんですが?」
「ん、いやわりぃな、そう言うことじゃないんだけどな……」
「ではどういう意味なんでしょうか?」
知らず怒気を含ませた言葉でサンタを攻める。
「まぁ一言で言うと別れたんだ」
「それで?」
「未練がましいんだが、まだ好きなんだ」
「はぁ」
「そこに急遽この仕事の話が入ってきたんだ」
「……」
「だから俺はこの仕事を引き受けたんだ」
「あの……」
「なんだい?」
「答えになっていません。というか、意味が分かりませんが」
極めて的確に、そう言葉を放つ。
男はウ〜ン、と少し考えたような仕草をすると、しばらくして……
「よしっ、プレゼントをやるよ!」
と突然言い放った。
「…………は?」
あまりにも脈絡のない会話のつながり。
「だ・か・ら、プレゼント。いわゆるクリスマスプレゼントってやつだ」
「いりません」
「いや、即答しないでほしいんだが……」
さすがに凹んだのか、かなり困ったような表情をするサンタの男。
「あなたにプレゼントを貰う理由はありません」
「……なるほど。だけど理由ならあるぜ」
自信満々に言い切るサンタの男。
「どんな理由ですか?」
わたしはジト目で、応対する。そんなことも気にしない風に男は高らかにこう言い切った。
「俺はサンタだからな」
この人は、馬鹿だ。凄く馬鹿だ、とわたしは思った……
「なんでですか?」
それから執拗に男は【プレゼントを渡す、渡したい、渡せねば】を繰り返し、繰り返しするので、他人の振りをしていたのだけど(もっとも、他人なのだが)いつの間にかまた口を開き、あまつさえそんなことを訊いてしまった。
「なんでって、プレゼントをするために俺はこの仕事を引き受けたんだ」
ついさっき聞いたような台詞をまた口から吐くサンタ。その顔はさっきまでのイメージとはまるで違う、真剣そのものだ。
「……どういうことですか?」
さすがにただの酔狂ではなさそうだったので、そう返した。
「サンタの仕事って言うのはさ……1人につき1回しかチャンスはないんだよ」
「はぁ……なんででしょうか?」
「簡単に言うと顔が割れてしまうから、ということらしいんだがな」
「ふぅん、そうなんですか。それで?」
「で、やっぱり仕事だから、報酬ってあるんだよ。その報酬ってのが……」
「自分にもプレゼントが貰えるというわけ?」
「そういうわけだ」
ついさっきまで他人で、しかもどちらかと言うとあまり好ましく思っていなかったはずのこの男と、こんな短時間で、こうして普通の友達みたいに話している自分に驚いてしまう。
まるで…………
「サンタってのは難儀でね。たくさんの人たちに幸せというものをカタチにするのが仕事なんだけど、決して自分は報われないんだよ」
サンタの男はわたしの思惑を打ち切るかのように、唐突に話をし始めた。
「いや、報われても良いんだけど、その結果が他人に不幸を与えてしまったらいけないんだ」
まぁ、この世の法則上、それは不可能だそうなんだけどな……と、苦笑しながら続ける。
「それがわたしに関係あるの?」
「ああ」
「え?」
なんとなく聞いた質問に、予想もしないまっすぐな答えが返ってきた。
「……俺の好きな人には、新しい彼氏がいるんだ」
その答えを聞くことも話すこともなく、サンタは違う話をし始めた。
「で、その俺の好きな人と新しい彼氏はいつまでも幸せに暮らすんだ」
どこか遠くを見つめながら、自分に言い聞かせているように呟く。
「そしていつか、俺と付き合ってたことすら笑って話せるぐらいに、幸せになって……」
「だからサンタは報われないんですか?」
話の流れからいうとそう言うことだ。結局自分の幸せより相手の幸せを優先しないと行けないというなら、この男は自分のその状況をサンタに合わせて、それで感傷に浸りたいんだ、とわたしは思った。
「いや、それが俺の幸せなんだよ」
全くの逆説が、本人から飛んでくる。どういうことなんだろうか、と、そこまで考えてから、わたしは根本的な問題に気付いていなかったことに気付いた。
「というか、サンタってなに? よく考えなくてもそんな職種があるわけないじゃないですか」
そう。男の格好がサンタだったからスルーしていたが、そもそもそんな者は存在しているはずがない。
「まぁ、そうだろうな」
と、男はあっさり肯定する。確かに肯定するのは当然なのだけど、なぜか私はそのことを残念に思ってしまった。何故だろうか……
「これが、俺が報酬として渡せるプレゼントなんだが……」
そうこう考えている間に男はどこから取り出したのか、包装紙とリボンで武装された箱みたいなものを手に持っていた。
どう見ても、人の手によって包まれた、メルヘンとは程遠いものを見て、シュールな現実を思いしらされてしまう。
「で、コレをあんたにやる」
と、いいながら男はその包装された箱をわたしの前に無造作に突き出す。
「いえ、いきなりそんなものを貰うことは出来ないです」
「いや、絶対に貰ってもらうぜ。捨てるなり壊すなりするのは、渡し終わってからにしてもらう」
と、わたしの言葉も聞かずに、強引にそのプレゼントというものを私の手にのせる。
「あの、かなり強引すぎるんですが」
「すまねぇな、もうちょっと気を遣いたかったんだけど、もうすぐクリスマスも終わってしまうしな」
「クリスマスが終わると何かあるんですか?」
「当たり前だろ。サンタって言うのはクリスマスだけにしかいないんだぜ?」
あくまでサンタという事にポリシーがあるのか、臆面もなくそう言い放つ。
「はぁ、では一応貰っておきます。開けて良いんですか?」
「ああ、もちろん」
真意はわからないが好意はありがたく受けておくことにしよう。そう思ってわたしは丁寧に結ばれたリボンを解いていく。
「でもわたしだけプレゼントを貰うというのは変だと思うんですけど」
「まぁ俺はサンタなんだからな、気にすることはないぞ」
「はぁ」
「それに、もうプレゼントは貰ってるからな」
「はぁ、そうなんですか?」
わたしは声だけで疑問を投げかける。すると男はその事はもういいんだと言うように無言で話を打ち切った。
「で、話を戻すけどやっぱり俺としてはそれが一番の幸せなんだよな」
そのくせいきなり喋りだしたかと思えば、男はわたしに言っているのではなく、どこか遠くに向かいながら、さっきの話の続きを好き勝手に話し始めた。
「だからさ、俺はその彼女には思い出としてだけでも残っていればそれで満足なんだよ」
リボンを解き終わる。
「だからいつまでも引きずってないで新しい恋に向かってほしいと思うんだよね」
「はぁ」
手は包装紙に集中して、声だけを相槌として返す。
「ふぅ……」
「どうしたんですか?」
ため息が聞こえたので、またもや声だけ返す。
「いや、サンタとしてこんな言葉を言わないといけないなんて、なんて因果かな、と思ってな」
包装紙が消えて中から木製の箱が出現する。
「あのクリスマスのときに言えなかった言葉……」
その箱を開けると……
「メリークリスマス」
チャンチャラチャチャチャ…チャンチャチャチャチャ……
箱から流れ、奏でられる寂しげなオルゴールのメロディと……サンタの男の声だけが、私以外いない駅前に響いていた。
「え?」
さっきまで傍にいたはずの存在感のあったサンタの男は、雪が解けるように消えていた。それに加えて何かしら体の辺りに違和感を感じる。
その違和感の正体は体の回りを触ったら、すぐに分かった。
「携帯が……ない?」
ついさっきまでコートに重みとしてあったはずの、あの携帯がいつの間にか存在が無いかのように無くなっていた。
わたしは慌てて、きょろきょろと周りを見回していると、わたしの視界の端にひらひらと地面に落ちる白いものが見えた。
「なに?これ……」
オルゴールの下にでもあったのだろう、メッセージカードらしきものを私は拾い上げ、一呼吸を置いてから、そっと開けてみた。
そこには――
【メリークリスマス! いつまでも一緒にいような!】
と、数年間ぐらい前に書かれたであろうぐらい色褪せた字が、2重傍線で消されていて、そのすぐ下には
【メリークリスマス…いつまでも幸せに……】
と、たった今書かれたような瑞々しさを保った文字が書かれていた……
わたしの部屋の一番奥。大切なものをしまっているその空間。
そこにあったはずの、あの日渡せなかったはずの、マフラーが無くなっていることに気がついたのは、家に帰ってきてしばらくしてからだった。
そして、そのマフラーの置いてあった筈の、今はポッカリ開いたその空間には、クリスマスに馬鹿なサンタの男から貰ったオルゴールが置かれている。