クリスマス。
 それは恋人達の憩いとなる聖なる日。
 そして恋人のいない若者には怨嵯の日。


 彼、折原浩平は勝ち組だった。
 何故ならば彼には恋人がいるのだ。
 上月澪。一つ下の後輩でリボンがよく似合う可愛い女の子である。
 そんな彼のクリスマス前日の行動は当然――――


 「なあ七瀬、明日俺ん家で澪たちとクリスマスパーティーやるんだが、来るか? どうせお前予定ないんだろ?」

 「くぉの、馬鹿たれがぁぁぁぁっ!!」


 乙女を目指すツインテールの少女に蹴られることだった。















 らばーずはーと















 「本当、信じられないわアイツ! デリカシーって言葉を母親のお腹の中に置いてきたんじゃないかしら!」

 「浩平ですから」

 「折原君だもんねー」

 ―――ぺこぺこ


 浩平がぶっとばされ飛距離の新記録を達成してから数時間後。
 ある喫茶店の一角で女子高生と思わしき四人組がテーブルで談笑していた。
 メンバーは上から七瀬留美、里村茜、柚木詩子、上月澪。
 茜・詩子・澪の三人は元々仲良しだったのだが、どうやら波長があったらしく最近は留美がこれに加わっていた。
 たまにこの面子に長森瑞佳も加わるのだが。


 「普通恋人がいるのに他の女の子をクリスマスに誘う!? しかもあたしが予定ないのって確定扱いしてるしっ!」

 「七瀬さんは長森さんたちとパーティーですよね?」

 「ええ、なのにアイツときたら……」

 ―――ぺこぺこ

 「あはは、ごめんね七瀬さん。元々こっちのを企画したのはあたしだったし……」

 「いいのよ柚木さん、悪いのは全部折原なんだから」

 ―――ぺこぺこ

 「……ところで澪ちゃん、なんでさっきから頭下げてるの?」


 そこでようやく詩子が澪の行動に気がついた。
 澪は何故か一人でずっと先程から留美に頭を下げつづけているのだ。


 『ごめんなさい』


 スケッチブックが掲げられる。
 が、謝られる覚えのない留美は困惑するばかりだった。


 「上月さんは何を謝ってるの?」

 「あ、もしかして」

 「柚木さん、わかるの?」

 「うん、多分澪ちゃんは折原君のことを謝ってるんだと思うよ?」

 「はぁ?」

 ―――うんうんっ


 頷く澪。
 どうやら詩子の答えで正解らしい。


 「なんで上月さんが折原のことで謝るの? 瑞佳じゃあるまいし」

 「そこはほら、澪ちゃんって折原君の彼女っ♪ だしね」


 彼女、の部分を強調する詩子。
 澪はそれが恥ずかしかったのか「はぅぅ〜」と頬を真っ赤にそめて縮こまってしまう。
 キラン、と二人の小動物ハンターの瞳が光った。


 「きゃーっ、澪ちゃん可愛いっ」

 「本当、折原にはもったいないわっ」

 ―――あうあう


 二人から抱きつかれてあわあわになってしまう澪。
 助けを求めて対面の茜に視線を送るが茜の反応は「諦めてください」とばかりの首の横振りだった。


 そしてしばしの間二人に弄られ続ける澪。
 髪はくしゃくしゃになり、服もよれよれになってしまう。
 だが、留美の放った一言によってそんな空気は一変する。


 「ねえねえ上月さん。今からでも遅くないわ、あたしの妹にならない?」

 ―――ぴくっ

 「あ、ずるいよ七瀬さん」

 「だって上月さん可愛いんだもの」

 「確かに……ってあれ、澪ちゃん。どうしたの?」


 澪の様子が変わったことに気がついた二人は澪から離れて様子を窺う。
 澪はスケッチブックに物凄いスピードで何事かを書き込んでいく。


 「ど、どうしたの澪ちゃん? え、えっとなになに……」

 「『妹じゃないの』?」

 ―――こくこくっ


 必死に首を縦に振る澪。


 「……あ、ああ! そうだね、澪ちゃんは妹じゃないもんね」

 「柚木さん、どういうこと?」

 「いや、そのね。澪ちゃんって最近折原君と恋人同士に見られないことを気にしてるらしいの」

 「ああ、確かに二人は恋人っていうか兄妹に見え―――むぐっ」

 「わわっ、七瀬さんそれをいっちゃ駄目なんだってば!」

 「え? あ、ご、ごめんね上月さんっ」


 慌てて謝罪する留美。
 澪は気にしていないとばかりに首を横に振るが、明らかに落ち込んだ様子になってしまう。
 場に気まずい空気が流れる。
 だが、ここで当の本人である澪から発言が出た。


 『どうすれば恋人らしく見られるか教えて欲しいの』


 真剣な瞳でスケッチブックをテーブルに置く澪。
 しかし、問われた二人は固まってしまった。
 何故ならば、自分たちにはそんな経験(恋人がいた)がないのだから。
 と、そこで沈黙を守っていた茜が口を開いた。


 「まずは問題点から挙げていったほうがいいと思います」

 「問題点?」

 「なぜ澪が浩平の妹に見られやすいのか。そこを解決していけば自然に恋人らしく見えてくると思います」

 「なるほど、流石茜っ」

 「ふむふむ……問題点ねぇ……背の差?」

 ―――ぐさっ

 「スタイル?」

 ―――ぐささっ


 留美と詩子の容赦ない言葉に胸を貫かれてグロッキーに陥る澪。
 茜はそんな三人を見つめると、「はぁ」と溜息をつくのだった。


 「まあ、それもないとは言えませんが……やはり普段の二人のやりとりかと」

 「やりとり?」

 「はい、浩平はいつもああですし、澪も子犬のように懐いてますし……どう見ても恋人には見えません」

 「あー、確かに」

 「ラブが足りないわね。でも折原にそれを期待するのは酷だと思うんだけど」

 「じゃあ澪ちゃんが頑張ればいいんじゃないのかな」

 「ラブを?」


 じっ

 三人の視線が澪に集まる。
 澪は解決策に希望を見出したのかグロッキーから立ち直り「頑張るの!」とばかりにガッツポーズをとっているのだが……


 (……無理ね)

 (無理だね)

 (無理ですね)


 澪に悪いとは思いつつも重なる三人の意見。
 だが、今更無理だと正直に言えるはずもなく


 「じゃあ何か良い案でも考えましょう!」


 こういうことになるのだった。















 「こういうのはどうかしら?」

 「いや、こっちのほうが……」

 ―――うんうんっ


 しかし、始まってみれば意外にそれは楽しい会議。
 あーでもないこーでもないと意見を交し合う三人。
 元々留美はこういう話が大好きであるし、詩子はとにかく面白いことが大好きである。
 かくして、明日のクリスマスへ向けて様々な策が練られることになるのだった。


 「このワッフル、甘味が足りません……」


 三つ編みの少女だけはそれに加わらず甘味批評をしていたが。















 そして翌日。


 「よ、澪。待ったか?」

 ―――ううん

 「そっか。じゃあ行こうぜ。六時には柚木たちが家に来るからな、時間が惜しい」

 ―――うんっ


 あの後慌ててデートの約束を取り付けた澪。
 浩平は突然の申し出を不思議に思っていたようだが、まあ別に暇だからいいかと二つ返事でOKを出した。
 もちろん夕方からのパーティーは変更できないので昼間のみのデートなのだが。


 (がんばるの!)


 心の中で熱く誓いを立てる澪。
 ポケットの中では昨日の話し合いで練られた「ラブラブ恋人大作戦!」と題されたメモが握り締められているのだった。


 今、上月澪の挑戦が始まる。















 大作戦その@ 〜間接キッスでドキドキだねっ〜



 「んー、小腹も空いてるし、クレープでも食べるか?」

 ―――! うんっ!


 力強く頷く澪。
 早くもチャンスが巡ってきたので気合十分である。
 浩平は「そんなに腹減ってたのか…?」と誤解しているのだが。


 「ほれ、買ってきたぞ。バナナクレープでいいんだよな?」

 ―――うんっ


 喜んでクレープを受け取る澪。
 いつもならばふざけて変なトッピングを頼む浩平なのだが、今日は流石にそういうおふざけはする気がないようだ。
 ますますチャンスだ、と澪は思った。


 ―――じっ

 「ん? どうした」

 ―――じじぃっ

 「……ひょっとして、俺のクレープが欲しいのか?」

 ―――うんっ

 「いいぞ、ほら」


 あっさりと自分のかじっていたクレープを差し出す浩平。
 澪はパクリ、とそれにかじりつく。
 甘いチョコの味が口に広がり、幸せそうな表情を見せる。


 「くくっ、澪は食いしん坊だな」


 そんな澪の様子が微笑ましかったのか浩平は笑いを押さえきれない様子。
 澪はその瞬間にハッとなり本来の目的を思い出す。
 ……明らかに失敗している。


 ―――ぐいっ

 「ん、どうした? まだ欲しいのか?」

 ―――違うの

 「じゃあなに……え、俺もお前のを食べろって?」

 ―――うんっ

 「そうか、じゃあ遠慮なく」


 澪の差し出したクレープを躊躇することなくかじる浩平。
 が、彼に照れるような様子は一切見られなかった。
 おかしい、本来ならばテレテレしながらこのやり取りが行なわれるはずだったのに。
 行動そのものはうまくいっているはずなのに釈然としないものを感じる澪。


 だが、それは当たり前だろう。
 浩平は小さい頃からこういうこと(間接キス)に関しては免疫がある。
 なんせ幼馴染の長森瑞佳とはしょっちゅう今のようなやりとりをしているのだから。


 「お、うまいな」

 『おいしいの』


 行動だけ見れば十分バカップルしている二人はそれに気がつくことなく互いのクレープを食べさせあうのだった。















 大作戦そのA 〜腕を組んで歩こう〜



 ―――くいくい

 「ん、どうした?」

 ―――あのね


 あらかじめ用意しておいた『腕を組みたいの』と書いてあるページを開く澪。


 「……? そんなこといちいち断らなくてもいつもくっついてくるじゃないか」

 ―――違うの!

 「よくわからんが……ほれ」


 差し出された腕に自分の腕を巻きつける澪。
 が、何かが違う。
 想像していたのは肩を並べ腕を絡めて歩く恋人の図。
 なのに現実はお兄さんの腕にぶら下がる妹の図だった。
 下手すればお父さんに甘える娘だ。
 しかし諦めるわけにはいかない。
 澪はいっそう浩平に身を寄せて周囲に恋人らしさをアピールしようとする。
 だが……


 「あの兄妹、仲がいいわね」

 「うん、なんかほのぼのしちゃう」

 「あ〜あ、私もあんなお兄ちゃんがいたらなぁ」


 周囲の評判は(澪的に)芳しくないものだった。
 幸い(?)にも浩平には声は聞こえていないようだが、澪はもろに聞こえてしまっただけにダメージが大きい。


 ―――う〜っ


 ぴょこん

 このままでは駄目だと察した澪はくっつく場所を腕から腰に変更する。
 より密着感を高めて親密さをアピールしようというわけだ。
 だが、そんな可愛らしい目論見も空しく、澪は浩平にずるずると引きづられるような形になってしまう。
 まるでだだをこねて引っ張られる子供のようだった。


 「澪、歩きにくいんだが……疲れたのか?」

 ―――違うの!

 「遠慮するなって。そうだ、おんぶしてやろうか?」

 ―――結構なのっ!


 ぷんすかと歩き出す澪を苦笑しながら追いかける浩平。
 だが、それは恋人を怒らせてそれを追いかける情けない男の図にはまるで見えないのだった。















 大作戦そのB 〜嫉妬でふぁいやー!〜



 浩平の先を歩きながら澪は萌えて……もとい、燃えていた。
 前二つの作戦が失敗に終わった以上、これ以上の失敗は許されないからである。
 今度の作戦は浩平にヤキモチをやかせて恋人らしさを周囲に見せつけるという作戦。
 故にできるだけ浩平が嫉妬心を抱くようなかっこいい男を見つけなければいけないのだが……


 (かっこいい人がいないの……)


 困る澪。
 だが彼女はわかっていない。
 澪の中では浩平が一番大好き、つまり一番かっこいい人だと認識が出来ている。
 故にいくら周囲を見回そうと浩平よりかっこいいと思える男を見つけられるはずがないのだ。


 「〜〜♪」


 と、そこに歌声が鳴り響く。
 それはビルのスクリーンいっぱいに映し出された歌番組からのものだった。
 スクリーンの中ではサングラスをかけた男が歌っていた。
 雑誌の好感度ランキングでよく上位に来る男性シンガーだった。
 これだ、と澪は心で喝采をあげた。


 ―――じーっ


 早速スクリーンを凝視しはじめる澪。
 後は浩平が気がつけばしめたもの。
 ひたすら浩平に気がつかずに男性シンガーに見入ってるふりをすればいいのだから。


 ぽんぽん

 そんなことを考えていると肩を叩かれている感触がした。
 が、澪はわざと反応しない。

 ぽんぽん

 続けて肩が叩かれる。
 だが、やはり澪は反応せずにスクリーンを向いている。


 「あの……」


 ついに相手は痺れをきらしたのか声をかけてくる。
 しかし、その声は浩平のものではなかった。
 慌てて振り向いた先には一人の気のよさそうな老人が立っていたのである。


 「ああ、よかった……お嬢ちゃん、ハンカチ落としたよ」


 すっとハンカチを差し出してくる老人。
 澪は自分の勘違いで失礼を働いてしまったことに気がつき恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。
 何度も頭を下げてお礼の意を示し、「じゃあね」と立ち去る老人を見送る。


 浩平はどこに行ったのかと辺りを見回すと……すぐ隣にいた。
 澪がつい先程まで見ていたスクリーンを見ている。
 スクリーンでは歌い手が代わっており、今は女性シンガーが歌っていた。
 ……美人である。


 「いやあ、いい曲だなぁ……歌ってる娘も可愛いし。確かこの娘って緒方り―――いてっ」


 自分をそっちのけでスクリーンの女性シンガーに見入る浩平に怒りが芽生えた澪は浩平の腕をつねった。
 浩平はそんな澪を恨みがましい表情で見る。


 「澪、何するんだよ」

 ―――ぷいっ


 顔を背けて顔をあわせようとしない澪。
 浩平はそんな澪の様子に何か気がついたらしく、悪戯っ子な表情を作る。


 「…………ははぁん、ひょっとして」

 ―――?

 「お前、妬いたんだろ?」

 ―――っ!!

 「お、図星だな。顔が真っ赤だぞ?」


 ぽかぽかぽかぽかっ


 「くくっ、そう怒るなよ澪。安心しろって、俺はお前一筋だからさ?」

 『せんぱいのばかっ!』

 「字が歪んでるぞ澪。動揺してるな?」

 ―――し、してないのっ

 「本当に可愛いな、お前」

 ―――は、はぅ……


 頭を撫でられながらそんな言葉を言われてしまうと怒りもしぼんでしまう。
 悔しさと、それ以上の嬉しさを抱えながら澪はまたしても敗北を喫するのだった。


 何か段々方向性が変わってきているような気がするが。















 大作戦そのふぁいなる! 〜男の子と女の子〜



 「いい、澪ちゃん。澪ちゃんはは女の子だよね?」

 ―――? こくん

 「そして折原君は男の子」

 ―――こくん

 「このメモの最後のページにはだからこそ使える最後の手段が書き記されているの、どうしようもなくなったら開いて」


 前後の繋がりが読めない詩子の言葉。
 だが、純粋な澪に真剣な顔をした詩子の企みが読めるはずもなくただ素直にメモを受け取る。
 その後ろでは茜が呆れたような視線を向け、留美が何故か頬を染めていたのだが……
 不幸にも澪はそれに気がつくことは出来なかった。


 (……使うの!)


 昨日の詩子の言葉を思い出し、メモを開く澪。
 そのページには……


 『澪ちゃん、恋人にはね、避けては通れない場所があるの。
  澪ちゃんがどうしても折原君と恋人でありたいなら、次のページの地図の場所に行って!
  澪ちゃんと折原君なら問題……はあるかもしれないけど大丈夫!
  成功さえすればもうバッチリだからね〜

  追伸  成功したら詳細を教えてね♪』


 意味不明だった。
 文面から察するに用は地図の場所に行けということだろうが……


 「ん、澪。そこに行きたいのか?」

 ―――びくっ


 いきなりメモを覗き込んで来た浩平に体全体を震わせて澪は驚きを表現した。
 反応から察するに前のページまでは読んでいないらしい。
 とりあえずほっとする澪。


 ―――こくん

 「OK、んじゃ行くか……えーと、お、こっから近いじゃないか」


 地図が理解できたらしい浩平は澪がついてこれるほどのスピードで歩き出す。
 澪は慌ててその後を追うのだった。















 そして、数分後。


 「な、なあ澪……」


 微妙にひきつった浩平の声が澪の耳に響く。
 だが、澪に返事をする余裕はなかった。
 なぜなら彼らが立っている場所は


 「俺の認識が間違いじゃなければ、ここって……ラブホ―――むぐぐっ」


 その単語が出てくる前に浩平の口を塞ぐ澪。
 そう、彼らが今いるのはご休憩なホテルが多く建っている通り。
 そして地図に記されていた目的地はその中でも一際高級感のあるホテルだった。
 なぜ詩子がこんなところを知っているのかは謎だが、確かに効果バッチリだろう。
 現にチラチラ周囲のカップルらしき男女たちに注目を浴びまくっているし。


 ……無論、それが浩平に対するロリ〇ンを見る視線であっても。


 「み、澪。本当にここに来たかったのか……?」


 形容できないほどの複雑な表情で浩平が問う。
 いくら神経が常人より図太い彼でもこんなところに立っていれば恥ずかしい。
 しかし、それ以上にある種の期待感を持ってしまっているのだ。
 澪の容姿が実年齢より幼いものであっても澪が可愛い女の子であることはかわらない。
 当然、浩平も健全な男なのだからそっち方面への興味はある。
 だからこそ恥ずかしくてもこの場を離れられないのだが。


 ―――えっ……えっ……えっ……!?


 一方、進退窮まっているのは澪である。
 途中までは浩平に付いていっただけなので周りの建物なんてまるで見ていなかった。
 しかし気がつけば周囲はピンク一色。
 しかも周りはカップルだらけだ。
 更に問題なのは浩平が嫌がっていないというかここから立ち去ろうという気配が見えない。
 澪も見た目ほど精神はお子様ではないので目の前の建物がどういう用途で使われるのかは知っている。
 だが、知っているだけである。
 使ったことがあるはずもなし、使おうと思ったことすらない。


 ―――びくぅっ!?


 浩平の肘が当たった瞬間、澪は盛大に後ずさった。
 もはや緊張はピークに達している。
 だが、何故か嫌だと、ここから離れようとは言えなかった。


 二人が空気に流されてどちらともなく入り口へと近づいたその時。


 とさっ

 澪の手にしていたメモが落ちた。
 先にそれに気がついた浩平がメモを拾おうと手をのばす。
 次いで、慌てた様子で澪も手を伸ばす。
 二人の手が触れ合った。


 「あ、わ、わりい!」


 びくっと手を離す二人。
 普段ならこれくらいのことは平気どころか気にもしないのに今の二人にはドキドキものである。
 まさに空気のなせる技か。
 詩子が狙っていたのはこれなのか。
 間違いなく違うだろうが。


 ―――胸が、ぽかぽかするの……


 澪はそんな空気に酔いしれていた。
 これだ、これこそ自分が望んでいた空気なのだ。
 場所こそあれだがまさしく今の二人はラブな恋人同士。
 周囲の反応もバッチリ。
 もうこうなったらこのまま……


 そんなことを考え始めた澪だったが、対面の浩平の様子がおかしい。
 なんかぷるぷる震えている。


 「……澪」


 がばっ!

 澪が反応するが早いか、浩平は唐突に澪をお姫様抱っこの体勢に抱えあげる。
 そしてわき目も振らずにその場をダッシュで走り去る。
 澪はわけもわからずただ呆然と浩平の広い胸を感じることになるのだった。















 『ごめんなさい』

 「ったく……なんかおかしいと思ったら」


 離れた場所に移動した澪は浩平に詰問を受けていた。
 そう、浩平はメモの中身が見たのである。
 故に彼はすぐに冷静な思考に戻ることができ、その場を離れることができたのだ。
 まあ、メモをみることがなかったらいくところまでいっていただろうことは浩平の秘密だが。


 「とりあえず柚木の奴はお仕置き決定。止めなかった七瀬と茜にも後日なんかしてやる……」


 くっくっく……と邪悪な笑みを浮かべる浩平に澪はおののく。
 心の中で三人のへの冥福を祈ってみるが無駄だろう、というか死んでないし。
 さしあたっては自分も何かされそうである。
 さっきまでは本当の意味で何かされそうだったのだがもうそんな空気は消え去っていた。


 「けど、ま……悪かったな、澪。そんなにお前が悩んでいるとは思わんかった」


 ぽん、と澪の頭に手を乗せる浩平。
 過程はともかく目的が自分に関係している以上、彼としても強くは出れない。
 確かに思い返せば自分達は恋人らしくはない。
 自分が気にしていなかったので澪の想いに気がつかなかったのだ。
 だが、そんなことはいいわけにもならない。


 「ま、今度からはできるだけこういうことはあらかじめ言ってくれよ?」

 ―――うん

 「俺もまあお前が望むことならできるだけ叶えてやりたいしな。お前は妹じゃなくて……恋人だしな」

 ―――うんっ!


 ぽりぽりと照れた様子で頬をかく浩平に感極まったのか思い切りその胸に抱きつく澪。
 浩平は優しくそれを抱きとめて背中に両腕を回し、二人は抱きしめあうのだった。


 「……けど」

 ―――?

 「さっきはちょっとおしかったかもな」


 クス、意地悪そうに笑う浩平。
 澪はその言葉の意味に思い当たると頬を真っ赤にして顔を浩平の胸に埋めてしまう。
 思い出したら自分の行動がとんでもなく恥ずかしくなってしまったのだ。


 「まあまあ、照れるなよ。俺だって恥ずかしかったんだから」

 ―――む〜

 「はははっ……よし、じゃあそろそろ家に戻るか。詩子の奴もとっちめてやらんといけないしな!」

 ―――うんっ

 「手、つないで行こうぜ。恋人には見えないかもしれないけど……」

 ―――ううん、いいの、だって……

 「?」















 『手、あったかいの』