天体の位置を表わし十二黄

 一年を月で隔てて十と二月

 天・地・日・月 八方を守護する神を十二天

 釈尊を護りし神が十二神将

 基督(キリスト)に選ばれた弟子十二使徒




 そして、今、円状に座する勇姿は十二の男女



 ザ・ノーフェイス 相沢祐一

 受信大帝 北川潤

 ザ・ノーシージー 久瀬忍

 愛せども抱けず 水瀬名雪

 アンチゴースト・ゴースト 月宮あゆ

 戦慄の破壊獣 沢渡真琴

 ドラマチック・ペインター 美坂栞

 銃刀法違反 川澄舞

 アンノウンクラブ所属 美坂香里

 晴天令嬢 倉田佐祐理

 大和撫子 天野美汐

 アルティメットシィング 水瀬秋子




 居並ぶは一騎当千の猛者達。

 囲むは三つの煮立つ聖杯。

 円形のコタツという絶対領域に身を委ねる十二の勇者達の瞳には、ただ一つの輝きが宿って鎮火する事なく燃え上がる。


 即ち『食欲』


 この生死を握る欲望が渦巻く水瀬家居間にて、年長の美麗な声音が響いた。


「皆さん、お鍋ですよ」


 そして宴が始る。











 紅蓮の祝福

       白亜の深淵

            そして石は灼熱の想い秘めて





















 冬。


 「神様仏様」とか言う日本人は掌を返したようにモミの木を飾りつけ、

 会ったことも無い外国のメシアの誕生日を祝ったり、

 新たな年を迎えるにあたって飲んで騒いで、

 それから少しして新学期の課題宿題という現実に直面。



 ルートを辿るとまるで関係ない風習へとメタモルフォーゼしてるバレンタインデーとかがあったり、

 畑の肉たる大豆を、投げたかと思えば歳の数だけ食ったり、

 メインヒロイン六人(え? 美汐ってメインヒロインじゃないの?)とかが冬生まれだったりで、

 てんやわんやの嬉し恥かしビビデバビデブゥ。





 さて、その冬も冬たる、十二月。

 寒さの最高潮とは言えないが、行事多いこの月に人々は様々な楽しみに心を躍らせるだろう。

 そんな中で、鍋というものがあってもいいはずだ。

 いいや、あってください。


 クリスマスとか大掃除とか美汐や名雪の誕生日とか普通に考えて魅力的な題材があったが、

 しかし筆者のとろける脳味噌雪印は鍋を自動的に選択した。


 だからテーマ『十二月』で『鍋』を中核にさせてください。

 テーマが『鍋』じゃ『十二月』じゃなくて『冬』だろう、という不満は重々承知しています。

 痛いほど解ってますけどそこを何とか許してください。


 ラインギリギリだと思って。






 十二月某日。

 水瀬家で一堂に会したのは祐一と、彼に人生を盛大に狂わされた女子陣とその周囲の人物達である。

 目的はただ一つ、鍋をつつくためだ。



 鍋をするという告知が秋子から名雪と祐一、そして居ついた魑魅魍魎AとBであるあゆと真琴へ下されたのは数日前。

 なれば大人数の方が楽しかろうと、知り合い達を手繰り寄せれば集まったのは七人の侍である。

 ここで、オールエンドでしかも久瀬が名前を持って仲良しこよしに登場しているのは生暖かい微笑のまま容認して欲しい。





 用意された鍋は三つ。


 赤と白と味噌の色。








 赤はチゲ。

 キムチチゲ。

 韓国の鍋料理だ。


 白身魚も豆腐も、その白い姿にトウガラシの赤を纏って浮かんでいる。

 独特の匂い漂わせ、キムチ、タマネギ、しいたけ、えのき、あさり、

 豚バラ、青ネギ、生がき、春雨……等等が所狭しと詰め込まれていた。



 実に辛そうな外見に、12人それぞれをチゲ鍋と直線で結んだとき、栞が一番遠くの位置に座ったのは自然の摂理といえよう。






 白はミルク鍋。


 西洋の色合い強く、チーズの香りがほのかに昇る。

 濃厚な白の中には鮭、ニンジン、ブロッコリー、ヤングコーン、マッシュルーム、

 ジャガイモ、マッシュルーム、ベーコン、ほうれん草、鳥もも……等等が鮮やかに咲き誇っていた。


 ニンジンやベーコンが花や星、動物に細工されていて見た目も楽しげだ。









 味噌は石焼鍋。


 鍋の中ではスケトウダラ、ほっけ、ぶり、海老、ホタテ、ハマグリ、

 にんじん、長ネギ、タマネギ、豆腐、しいたけ、大根……等等がグラグラと踊っている。


 漁師達がするように、本当に焼き石を放り込んで煮立たせたらしく、熱量がハンパじゃない。

 未だに過熱に用いた石は鍋の中だ。














 三つをテーブルの上に配置。

 それを囲む12人。


 わくわくしながら品定めする真琴、舞、あゆ、名雪、栞。

 ぎらつく眼光で鍋を射抜く祐一、北川。

 そつなく構えるが、しかし内心、並んだ鍋に舌鼓打つ佐祐理、香里、久瀬、美汐。


「さ、手をあわせましょう」


 おもむろに、秋子が開戦の儀式を始めようと手と手を合わせた。

 それに倣う11人の戦士たち。


「いただきます」

『いただきます!』


 声をそろえて笑顔満開。


 各人、どの食材から手をつけようかと目移りしている最中、嬉しそうにあゆが石焼鍋のホタテに箸を伸ばし、


「あ!」


 掠め取られてしまう。


「ふっふっふっ、遅い、遅い」


 犯人は勿論祐一だ。

 悠々と立派なホタテに歯を入れる。


 発達した貝柱は、弾力に富んだ旨みの塊。

 一本一本ほぐれていく過程で、口の中に貝の美味を浸透させていった。

 しかも石の高温によって生まれた匂いは実に香ばしい。


 
「うぐぅ、ボクのホタテとるなんてひどいよ!」


「甘いぞあゆあゆ! お前が箸をつけるまで、それはお前のものではない! 即ち、遅かったお前が悪いのだ!」



 争いの非情さを豪語し、熱く語る祐一に舞は深く頷き、北川は涙した。

 そして香里、美汐に白い目で見られる事になる。



「ほらほら、あゆちゃん、まだまだいっぱいあるから」


「うぐぅ……佐祐理さんありがとう……あれ? このお鍋、石が入ってる」


 佐祐理に撫でられ、再度石狩鍋に挑んだあゆだが、箸が食材ではない物を捉えた。


「あゆちゃん、石焼鍋っていうのは熱した石で煮るお鍋なんですよ」


「へぇ〜。でも何で石なの?」


「漁師さんたちが獲った魚を浜で食べちゃうためなんですよ。

 本来は桶にお魚さんたちを入れて、そこに焼いた石を入れちゃうんです」


「じゃあこの石は食べられないんだね」


 感心したように箸に挟んだ石をあゆは眺めた。

 オレンジ色の球体で、内部には赤い星が二つ。


「うぐぅ?」


 あゆはどこかで見たことがあると思ったが、食べられないんじゃ仕方ないと鍋に戻す。


「このお鍋はインド洋に出張した時、地元の船乗りさんたちに振舞ったら喜んでもらえたのよ」


 あゆの横で、懐かしそうに石焼鍋をつつく秋子。

 
「インド? お仕事か何かですか?」


 そんな微笑む妙齢の美女へ質問をしてみたのは久瀬だ。

 興味を引かれた名雪と祐一も、秋子の回答に耳を傾ける。


 が、


「うふふ、企業秘密です」


 結局いなされてしまう。

 名雪も祐一も「やっぱり」という顔で、残念そうにチゲ鍋の野菜を摘んだ。



 その姿を指すのは美汐である。


「真琴、相沢さんや水瀬さんを見習いなさい。お肉ばっかり食べてちゃ駄目ですよ」


「え〜、いやよぉ。真琴はお肉が食べたいの。栞だってミルクのお鍋しか食べて無いじゃない」


「それとこれとは別です。栞さんはミルク鍋でしっかり野菜も食べてます」


 ぴしゃりと言ってのける美汐に、しかし香里が口を挟む。


「真琴ちゃん」


「あぅ?」


 愉快そうな香里の顔は、悪戯めいて口角が釣りあがっている。

 久瀬、祐一、佐祐理、秋子はその顔で香里の思惑を悟ったか、苦笑だ。


「栞が別のお鍋………例えばキムチチゲの野菜を食べれば、真琴ちゃんも野菜を食べるのね?」


「な!?」


 ミルク鍋のまろやかなスープを噴出しかけて、どうにかこうにか栞はそれを呑み込みながら驚愕。

 そしてむせ込んだ。

 その背中をさすりながら、香里は真琴へ微笑みかける。


「どぅ? 栞がキムチチゲを食べたら、真琴ちゃんも野菜食べるわね?」


「あぅ〜……………うん」


 香里の問いかけに潜む迫力に押された真琴は小さく頷いた。

 栞は不治の病を宣告されたように愕然として首を振る。


「や、やですよ辛いのなんて! わたしはミルク鍋がいいです」


「栞、まだまだ成長期の真琴ちゃんは野菜が必要なの。

 その真琴ちゃんが野菜を食べてくれるというのなら、ほんの少し辛いの、我慢しましょう。ね?」


 香里の眼差しは怖いほど真剣だ。

 それを受けた栞がたじろぐほど。


 しかし祐一も美汐も、その瞳の奥で笑いを堪えている香里を見た。

 が、美汐は真琴のため、祐一は面白そうだから黙ってる。

 結局、真っ向から姉に見据えられた妹は折れてしまった。


「わ、わかりましたよぅ。わたしももう大人ですし……そ、そのかわり真琴ちゃんも野菜食べなきゃ駄目ですよ?」


 そっと、赤く煮えるチゲへと栞が箸を伸ばす。

 摘んだのは白い部分が多いキムチだ。

 見た目辛さが少ないのを選んだのだろう。


「………やぁ!」


 気合とともに口へ放り込み、一噛み、二噛み。

 サクサクと繊維の断たれる小気味良い音が微かに聞こえた。



 そしてフリーズ。




「ややややややややっぱり駄目です!?」




 涙目で、お茶を求めて咆哮。

 秋子が差し出すお茶で、凶悪に味付けされた白菜を流し込んでもまだ喘ぐ。


「さ、真琴も野菜を食べましょうね」


「あぅ〜……」


 真琴が観念したのに、美汐は満足げだ。




「鍋が三つってのはなかなか面白いな」


「あぁ、僕はこのミルク鍋が気に入ったよ。チーズが効いてて美味しい」


 真琴が野菜をつつくのを、微笑ましく見守る久瀬と北川もそれぞれミルク鍋の具を拾う。

 星型に切り取られたニンジンを眺めて久瀬も北川も感心げだった。


「俺もミルク鍋だが、やっぱりお鍋といえば大根……ん」


 かちゃりと、石焼鍋上空で箸と箸がぶつかった。

 眉根を寄せて、自分の箸の妨害した箸の持ち主を辿れば、祐一である。


「……俺の大根だ」

「箸をつけるまで誰のものでもないんじゃなかったのかよ」


 箸で箸を塞き止めたまま、祐一と北川のどちらも引かない。

 宙で静止した箸と箸は、よく見ればかすかに震えている。


 拮抗した力と力はまさに互角。


「キムチチゲの白身魚美味いぞ。そっちにしとけって」

「ミルク鍋のジャガイモなんかホックホクだぞ。そっちのがいいって」


 ギリギリと、引かない二人に久瀬は呆れ顔だ。


「二人とも、不毛だよ」


 そして、舌を変えようとチゲのキムチを掴もうとした時、

 ガッチリ

 と久瀬の箸がホールドされる。


「か、川澄さん?」

「………わたしのキムチ」


 栞がキムチを頬張って以降、

 占領するように汗だくになりながら一心不乱にチゲをぱくついていた舞にとって、久瀬はまさに侵入者。


 久瀬の箸を弾き飛ばし、颯爽とキムチを掻っ攫って食べてしまう。


「………」


 それが久瀬の闘争心に火を灯す。

 余裕の表情でチゲをつつく舞の隙をうかがい、白身魚を掴まんと箸を伸ばし、

 ガッチリ

 とまたホールド。

 再び箸を弾かれた久瀬は、舞が白身魚をゆったりと口にする姿を見送るしかなかった。


「上等じゃないですか! どうやってでもチゲを食べさせてもらいますからね!!」


 いきり立った久瀬は、しかし冷静沈着な箸さばきでチゲを狙う。

 波のようにしなやかな手つきは、ある種変態のレベルに達していないでもないが、見事なものだった。


 上下左右、針に糸通す集中力で隙を探る久瀬だが、やはり舞の眼光は鋭い。

 久瀬の攻撃がぬるければ容赦なく弾き、いなし、返し、叩き、箸を阻止。



 その隣でも死闘が止んでいない。



「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!」


「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!!」



 大根を射抜かんと高速で乱舞する北川の箸は、そのことごとくが祐一の箸に防がれて目的を果たせずにいる。



「おのれぇ?! これでどうだ!」


 烈火の如き赫怒で叫び、北川のアンテナが神々しい煌きを放つ。

 何事か、と思われたその時、アンテナを中心に膨大なエネルギーの奔流が渦巻き、そして収束されていくではないか。

 風の精霊の力を集める北川は津波のような鬼気を放つ。



 アンテナの発光が止めば、台風の気配を身に纏う北川の箸が彗星よりも滑らかに宙を流れた。


 その軌道に割り込む祐一の箸。


 しかし北川の箸の道筋は、まるで雲水のように祐一の箸をすり抜けた。


「な、なにぃ?!」


「残念だったな、相沢……ッッ!?」


 大根にあと少し、あと少しという所だった。

 北川の箸が止まる。

 祐一の箸、二組目の箸が、止めた。


「クックックッ、北川よ、箸が一組と思ったお前の負けだ」


 両手に箸を構え、不敵に嗤う祐一に北川は歯噛みする。


「さて、次はこっちの番だな!」



 北川の箸を掴まぬ手が、一枚の呪符を取り出す。

 人間の扱うような記号ではない文字の数々が羅列するそれは、不思議な霊気を漂わせていた。



「アブラ・ラ・プエルタ・デ・ラ・アグア!

 神話の古より生ける巨いなる存在よ!

 汝、すべての誇り高ぶる者の王!

 創世の合戦に敗れ、現世の海洋に魂を安らげる、とぐろを巻く者!

 汝が真の名を唱える我が呼び声に耳塞ぐこと能わず!

 疾く来たりて我に従え!!」



 合間合間に、本当に人体が発声したのかという言語を縫い、呪符を空へと放った。

 ほのかな発光を伴い、呪符は燃えて消えていく。


 代わりに現れたのは、二つの三角を組み合わせた六芒星。



 神気の輝きで組まれた六芒星は、三つの鍋の上で静止。

 中央の六角形の向こうから感じられる、膨大な存在力が場を軋ませる。



 まるで薄皮一枚隔てて、海そのものが敵意を持って鎮座しているような雰囲気が肌を刺す。


 秋子を除く誰もが、脊髄が寒気に貫かれて動けない。


「ふはははは!

 ヤハウェの軍勢に敗れ、インド洋で眠りにつくリヴァイアサンの顎、貴様に耐えられ……………………………インド洋?」


 嫉妬を司る悪魔を召喚する手順を全て踏まえ、祐一は高らかに笑った。

 そして不穏な表情に取って代わる。


 六芒星から現れるはずのリヴァイアサンも、一向に姿を見せない。


 それどころか、六芒星も次第に輝きを失い、消滅してしまったではないか。

 全員を硬直させた邪悪な残留思念も、キレイサッパリ拭い去ったように消失している。



「秋子さん」

「はい?」


 結局、召喚が成功される事無く終わってしまった魔法は、光の粒と化して12名にゆったりと降り注ぐ。

 そんな幻想的な煌きの雪を背景に、祐一は呆然と秋子に問いかけた。


「インド洋に行った理由って、もしかして何か退治しに行ったりしませんでした?」

「あらあら、祐一さんったら凄いですね。正解です」

「……………退治したのってもしかすると大きかったりしません?」

「あらあら、祐一さんったら凄いですね。正解です」

「……………退治したのってもしかすると………」



 そこで質問を止める。

 真実は胸の中に秘めておくだけで十分だよね。


「そこだ!」


 召喚失敗の過程で、身をすくませていた全員の内で、久瀬が一番に我に返る。

 そして舞が擁するチゲ鍋に再度、アタック。


 閃いた箸は、舞の死角を完璧に捉え、鉄壁を崩してしまった。

 久瀬の襲撃にハッとなった舞は、咄嗟に箸の防御に移るが一歩届かない。




 久瀬の瞳は勝利を確信した者のそれだ。



 そして舞の瞳は、敗北目前なのにも関わらず、諦観など一欠けらも無かった。




「うわ!?!」



 鈍い音が水瀬家居間に響く。


 音源は、久瀬の後頭部だ。


「??」


 明らかな殴打による音で、当の久瀬もダメージを受けた様子だった。

 頭をさすりながら何に殴られたのかとキョロキョロしている。


 勿論チゲ鍋をつつきそこねたが、唐突すぎる攻撃に困惑するばかりだ。


「みまみま」


 川澄さんはそんな久瀬を尻目に、美味しそうにお豆腐噛み締めてた。

 しっとりとした舌触りと、大豆の微かな甘みがチゲの辛味の果てから優しく覗く。


「……川澄さん」

「なに?」

「今の、まさか川澄さんが……」


 不可視の打撃の正体が舞だと睨んだ久瀬は訝しそうだ。


「言いがかり?」

「い、いや、そういうわけじゃないけど………タイミングを考えれば川澄さん以外……」

「証拠は?」

「む………」


 これには久瀬も黙るしかない。

 偶然と言うには出来すぎている衝撃であったが、確かに舞がやったという物的な根拠は何一つ無い。


 夜の学校で久瀬を殴った何かとの戦いを経験した祐一と、

 真琴の変幻を見破った美汐ぐらいが、久瀬を打った何かに勘付いてるだけだった。


「えぇい! 面妖な! しかし、挫けん! 生徒会長の肩書きに賭けて!!!」


 猛攻!


 防守!


 久瀬の秀逸な箸の技に、舞の卓越した箸の拒止が白熱していく。


 もはやこの攻防は運命でさえ止められない。


 あゆ、真琴、名雪、栞は鍋を肴に目を見張った。




 そしてもう一つの血闘も終焉へのカウントダウンを開始していたのだった。


 二組の箸を手足のように操る祐一に、北川はどんどん苦しくなっているのである。

 北川も二組で対抗しようと考えたが、いかんせん慣れぬ故、呆気なく散らされるのは火を見るより明らかだ。


「どうした、もはやここまでか?」


 カチカチと箸を開閉して威嚇の音鳴らす祐一に、北川は心を決めた。


「いいだろう、相沢。俺も右手を捨てる覚悟を作らねばならんようだ……」


 北川の目が据わる。

 そしてアンテナが再び網膜に痛い光華を咲かせていく。


 先程かき集めた風の力がちっぽけに思えた。

 怒濤のように北川へと収斂するエネルギーは、秋子が感心するほどだ。

 北川の気は神々に劣らぬほど溢れかえり、それを帯びた今、フルアーマーで武装したのと同等以上。


 阿修羅を相手にしても2秒で腕六本へし折って三つの顔面叩き潰せる気迫で、北川が動く。



「必殺!! ミラージュチョップスティック!!!」



 雷鳴の咆哮を伴った北川の箸がかすむ。

 とんでもないスピードで動く北川の箸は、なんと三組に錯覚させられるではないか。


 しかもそれぞれがキムチチゲ、ミルク鍋、石焼鍋を強襲。

 人智を超えた速度に、北川の指先が破れて血が飛沫く。


 血が鍋に一滴も落下しなかったのは全部偶然です。



 
 反射的に石焼鍋とミルク鍋を死守した祐一だが、しかしチゲ鍋へ伸びた箸は止まらない。


 もはやただの妨害合戦となっていた祐一と北川の間では、何らかの具をとった方の勝ちだ


 つまり、これで北川の勝利。



 そう、思われた瞬間、

 ガッチリ

 と、ホールドされる北川の箸。



 舞である。

 自分の領域を荒らす北川へ、殺意を帯びた視線を叩きつける。

 ビクリと北川が慄いた。



 そんな二人の耳に、二人の笑い声。

 久瀬と、祐一だ。

 それぞれキムチと大根を手に、高々に笑う。


        ね、川澄さん!」
「「残念だった
        な、北川!」



 そして、絶望に打ちひしがれる舞と北川を横目に、二人は勝利とともにキムチと大根を味わった。


「……くすん」

「あ、あ、舞泣かないで……ほら、ちくわぶも美味しいよ」


 汗とともに涙を流す舞に、佐祐理は優しくちくわぶを差し出してやる。

 柔らかな微笑みたたえる佐祐理に、しかし舞はしょんぼりだ。


「ほら、舞、あーん」

「………あーん」


 どこか母ような優しさを醸し出し、佐祐理が舞の口にちくわぶを運ぶ。

 少し間を作った舞だが、結局は口を開けた。

 そして舌にのっけられたちくわぶをも〜ぐもぐ。


「美味しい?」

 
「はちみつくまさん」


 いつものように感情が強く出ていない表情だが、しかしその場全員、舞が至福を感じているのを悟る。

 顎が上下するたびに頬が緩んでいくのが見て取れた。


「……次はわたしの番。佐祐理、あーん」


「あーん」


 佐祐理よりもたどたどしいが、親愛の情溢れる手つきで今度は舞が佐祐理の口へハンペンを運ぶ。


「佐祐理、美味しい?」

「うん、美味しいよ、舞」


 勝利したのに敗北した気分にしか陥れない久瀬をよそに、一連の流れを見て動き出したのは、二人。


「名雪」

「栞」


「「あーん」」


 秋子と香里だ。


「「え!?」」


 当の名雪と栞はびっくり。

 そして照れたように首を横に振る。


「い、いいよぉ。一人で食べられるよ、お母さん」

「お姉ちゃん、恥かしいですよ」


 その反応に、顔を見合わせた秋子と香里。

 秋子と香里の間に、アイコンタクトがあったように見えた美汐だが、やはり何も言わない。



「そうよね……もう名雪も一人で何でもできる年頃ですもんね。母親のわたしなんて、そろそろ必要ないものね」


「栞も大人になってきたもんね。わたしがしてあげる事なんて、もうないわよね。鬱陶しいだけよね……」



 二人とも目を伏せ、今にも泣きそうな程切なげに俯く。

 自分なんてもはや要らないんでしょう? とオーラで語る。


 良心に訴えかけるその姿は、名雪と栞を躊躇わせるには十分だ。



「女手ひとつで育ててきて、愛娘もここまで成長した、って喜ばなきゃならないのにね

 ……どうしてかしら、拒絶された悲しみばかりが裡に広がるわ……」



「妹に何一つしてあげられなかったから、だからこれからは、って思っただけですもの。

 そうよ、わたしの勝手な行動よ。それが届かないからって、落ち込むなんておかしいわよね」



「わ、わ、食べるよ、ごめんなさいお母さん」

「やめてください、お姉ちゃん、わたし食べます、あーんしますから」


 一変。

 華のような笑顔で秋子と香里は、こんにゃくとタコを愛する者へと構える。


「「はい、あーん」」




「負けるか! 久瀬、あーん」

「誰がするか」


 親子姉妹の愛溢れるワンシーンを目の当りにし、祐一が対抗するけど作戦失敗。


「北川君にでもしてあげれば……あれ?」


 呆れを含んだ久瀬が、急に不可解そうに首をかしげた。

 原因は箸に掴まれている、肉だ。


「これ……何の肉だ?」


 明らかにミルク鍋に入っている鶏肉ではない。

 肉質は、より密度が凝縮されているものである。


「あら、チゲにも入ってますよ」


 久瀬に負けて箸の結界を解いた舞の横で、美汐が久瀬の手にする肉と同種の肉を摘んで見せた。

 辛い汁にまみれているが、ミルク鍋に入っていたものとまったく同じだ。


「あぅ? 石焼鍋にも入ってるわよ」


 さらに真琴が石焼鍋から引き上げた箸に、やはり久瀬と美汐と同じ肉が挟まっている。

 三つの鍋で肉類は鶏のもも、豚バラくらいしか無いと思っていれば、新たな肉が現れた。


 三人が三人とも不思議そうにその肉を口にする。


 ミルク鍋の濃厚で丸みあるスープとも、

 チゲの辛いだけでは無い複雑にコクのある汁とも、

 石焼鍋の香ばしい味噌にもよくあった脂分で、歯ざわりも心地良い。



「あ、美味しいですね」

「ホントだ。すっごく美味しい、このお肉」

「狐の肉か?」


 茶化すように口を挟む祐一を、美汐が憤怒の形相で睨みつける。


 太陽さえ粉砕できそうな禍々しい視線に、触れても無いのにコップが震えた。

 ましてその凶暴な殺気をモロに受けた祐一は廃人寸前だ。


 美汐から漂う濃厚な死の匂いをはっきりと嗅ぎ取った祐一は、全身全霊で前言を後悔しながら頭を下げる。


「じょじょじょじょじょじょじょじょじょじょじょうだんだ」


 チビりそうになりながら謝罪して、なんとか美汐はおさまってくれた。


「っで、何の肉なんですか?」


 未だに歯の根が合わない祐一を尻目に、久瀬が切り出す。

 うとうとし始めた名雪を除く全員が秋子をうかがった。


「あらあら、何を入れたかしら

 ……えぇっと、とりあえずミルク鍋には……ニンジン…ブロッコリー、ヤングコーン、

 マッシュルーム、ジャガイモ、鮭、ベーコン、ほうれん草、鳥もも、そしてもけ……はっ!!」


「?」


「あ…ゴホン! ゲフン! え〜っと……………………肉」


「何の肉だそれー!!?」



 全員から目をそらし、どこか引きつった笑み浮かべながら、しかし頬に手を添えるポーズを崩さない。



「強いて言うなれば、ぴこぴこ……でしょうか……」


(何の肉だそれー!!?)


 誰もがそう思い、そして久瀬と美汐は不安に不安を塗り重ねたような表情である。



 しかし真琴は動じない。

 むしろもう一度ぴこぴこの肉とやらを口にしたいと生唾を飲む。


 正体不明の肉であれ、美味い物は美味い。


 野性と知性を併せ持つ大地の愛し子、真琴は欲に正直なのである。



 さて、どの鍋からぴこぴこ肉をサルベージしようかと、

 獅子も虎も平伏す獰猛な眼つきで石焼鍋、キムチチゲ、ミルク鍋、名雪に視線を巡らす。



 真琴の食べた石焼鍋は旨かった。

 全ての鍋で、かの肉は脂も程よく抜けているだろうが、味噌の濃い味が実によろしい。


 しかし豚や生がきで、深く仕上がった汁に絡めるのもいいかもしれない。


 しかしミルク鍋から引き上げて、まろやかな舌触りを堪能してもみたい。



(あぅ〜、でも名雪ったらミルク鍋の鮭にゲル状のタレなんかかけちゃって、

 あれって美味しいのかなぁ、パッと見なんかドロっとしててパンにつけるジャムみたいだけど、

 しかもあの色からして苺かな、あれれ、そういえば名雪ったら目が線になってるじゃないのよぉ)



「あぅ〜名雪ぃ!! 苺ジャムつけて食べちゃ駄目よぅ!」


「うにゅ」


 真琴の大声に、名雪は夢幻より帰還する。

 苺ジャムを乗っけたサーモンはギリギリで唇に触れてるだけだ。

 見ると、時計はもう8時を越えていた。


「……名雪、それ美味しいの?」


「川澄先輩、良い子ですから真似しないでください!」


「そうですよ、舞ちゃん、この甘くないジャムで食べたほうがいいですよ」


「あぅ!? ま、舞、それは禁断の…もがッ?!」


「あぁ、舞、そのオレンジ色のジャムすっごく美味しいんだ、是非試してくれ」


「相沢さん、真琴、白目むき始めましたよ」


「あはは〜、舞、そのジャム美味しい?」


「みどりのたぬきさん」


「うぐぅ?! どっち?!」


「だおー」


「きゃっ! 名雪さん、なんて大胆且つ破廉恥ながら、しかしどこかメルヘンを漂わせて切い気分にされる格好を!?」


「あぁ、栞! ちょっと久瀬君、アレ止めてよ!」


「無茶言わないでくれ! は、鼻血が……」 


「祐一! よくもやったわねぇ! 真琴ぱ〜んち!!」


「はっはっはっ軽い軽い。まだまだだな」


「あぅ〜美汐〜」


「む……わかりました。相沢さん、僭越ながら、攻撃させてもらいます」


「おいおい、天野と真琴じゃそんなに変わらないだろう」


「美汐ジェノサイド!」


「うぐぅ! 祐一君が5/13滅びた!!」


「おいおい、相沢無事か? 天野さん、やりすぎだろう」


「だお〜」


「いけない! 名雪を止めなきゃ! 栞!」


「えぇ、お姉ちゃん」



「「美坂エクスプレス!!」」



「だお〜」


「げぇ〜、美坂姉妹の溢れる家族への心が一つになった時、森羅万象を無に帰すあの技が今現実に!?」


「あはは〜、でも名雪ちゃん、片手で止めちゃいましたね」


「……蜂蜜猫熊さん」


――そりゃパンダじゃないか、舞


「あぁ、相沢君は霊魂となっても僕らを見守ってくれてるんだね……」


「あぁ! 相沢さんの呼吸が!!」


「んなんてこったぃ?!」


「うぐぅ! だ、誰か……!! 誰か!!」


「こういう時こそ、ショック療法! お姉ちゃん!」


「えぇ!」



「「美坂エクスプレス!!」」





 てんやわんやの、一夜。

 過去も未来も忘れて満腹と幸福に彩られたこの一時。


 きっとこの時間を思い返した時、彼等は微笑むだろう。

「馬鹿をやった」

「楽しかった」


 と。







 そして、このすぐ後に披露される水瀬秋子自慢の闇鍋が出てくるくだりになり、彼等は思い返すのをやめるだろう。



                                                    終