ここ最近一人になったことがなかったせいだろうか?
家で一人になったことを意識した途端、心にポッカリと穴が空いたような気分に襲われた。
秋子さんはかなり珍しいことに仕事で遅くなり、今日は帰って来れないらしい。
真琴は天野の家に遊びに行っている。
あゆは美坂家、というか栞のところへ遊びに行っている。
名雪は・・・・・・家を出て行ってしまった。
俺は、水瀬家に一人で居た。
月光に照らされるこの世界で
俺はさっきからボーっと居間で突っ立っていた。
名雪が出て行った瞬間から、俺は何もせずただ立っているだけ。
名雪のことを追いかけもせず、何が悪かったのか、ただそれだけをボーっと考えていた。
一体何がいけなかったのだろうか?
二人で一緒に百花屋に行くのを断ったからだろうか?
明日一日中デートをするのを断ったからだろうか?
二人で居るのに、他の奴の話をしたからだろうか?
答えは一向に出ず、さっきから同じことを何度も考えていた。
いや、本当は答えなど分かっていた。
ただ、どうすればいいのか分からなかっただけ。
二人で一緒に百花屋に行くのを断ったから?
そう、それが原因だ。
しかし、それは原因ではない。
明日一日中デートをするのを断ったから?
そう、それも原因だ。
しかし、それも原因ではない。
二人で居るのに、他の奴の話をしたから
そう、それもまた原因。
しかし、それもまた原因ではない。
簡単なことだ。
全てが原因であり、全てが原因ではない。
一つ一つが問題なのではなく、その全てが原因なのだ。
名雪は、何時出て行っても不思議ではなかった。
今日出て行ったのは、たまたま限界を迎えたのが今日だっただけ。
別に何時限界を迎えても不思議ではなかった。
俺が限界を迎えるその時まで、今日まで気付かなかったから、名雪は出て行ってしまったのだ。
・・・・・・いや、それは違う。
気付かなかったのではない。
気付かなかった振りをしていただけだ。
本当は気付いていたのだ。
ただ、どうしたらいいのか分からなかった。
二人で一緒に百花屋に行くのを断ったのは、二人で行こう、と言われたから。
二人で行くのは無理・・・・・・他にもみんなが一緒に行くことになるだろうから。
具体的に言えば最初にあゆや栞などが一緒に行きたいと言うだろう。
あゆや栞が一緒に行くとなると、真琴や香里も一緒に行く。
真琴が行くとなると天野も結局行くことになる。
そうなると、佐祐理さんや舞も呼ぶことになり、北川も付いてくる。
そんな感じでみんなで行くことになってしまうから、二人で行くのは無理なのだ。
でも、別にみんなが無理やり付いてくるわけではない。
佐祐理さんや舞に至っては俺が呼ぶし、みんなも邪魔なら遠慮すると言ってくれる。
あゆや栞が最初に言うといっても、邪魔にならないのなら、と始めに付け加えてから言う。
つまり、別に二人で行こうと思えば行けないことはないのだ。
しかし、俺が二人だけでは行きたくないのだ。
いや、その言い方は語弊があるか。
当然名雪と二人が嫌なのではない。
二人だけで行くのとみんなで行くのならば、みんなで行く方が良いだけだ。
二人で居るのも楽しいのだが、みんなで居るのも楽しいのだ。
名雪とは家に帰ればいつでも一緒に居られる。
しかし、みんなとはそうではない。
あゆや真琴は違うが、栞や香里や天野、北川は学校でしか一緒に居ることは出来ない。
まあ、北川とはたまに遊ぶが、それもたまにだ。
佐祐理さんや舞に至っては、そういう時でも無いと会う機会自体殆ど無い。
それに何より、みんなで一緒に居るのは居心地が良い。
楽しいのだ。
だから、俺はみんなで居れるのならばそっちを選ぶのだ。
名雪とは好きな時に会えるのだから・・・・・・。
明日一日中デートが出来ないのは、久しぶりに北川と遊ぶから。
北川と遊ぶのは楽しい。
名雪と一緒に居ても楽しいのだが、それとはまた違う楽しさが北川と遊ぶ時にはある。
しかも、久しぶりともなると楽しさは格別だ。
北川が突飛なことをやりだし、俺がそれに応える。
俺が突飛なことをやれば、北川がそれに応えてくれる。
そんな楽しさが。
だから、俺は明日は名雪よりも北川を選ぶのだ。
名雪とはいつでも一緒に居られるのだから・・・・・・。
二人で居るのに他の奴の話をするのは、俺が感じたことを名雪にも分かって欲しいから。
二人で一緒のことを共有したかったから。
あいつらも俺の大切な人だから、あいつらが何をしていたのかを名雪にも知って欲しかったから。
名雪のことは、俺は何でも知っているから。
しかし、名雪はそれが気に入らなかったのだろう。
一番大切な人(名雪)と大切な人(友人)達との境が曖昧な俺が気に入らなかったのだろう。
それに気付いていながら、俺は何も出来なかった。
名雪も、他のみんなも大切な人だから、どちらかを優先するなんて出来なかった。
結果的には他の人たちを優先することになってしまっているが、それは名雪とは同じ家に居るから。
その時じゃなくても、他の機会があるから。
・・・・・・いや、要するに。
俺は名雪に甘えていただけなのだ。
名雪ならば分かってくれると、ただ甘えていただけなのだ。
・・・・・・同じ家に住んでいなければ違っていたのだろうか?
そんな無意味と分かっていることを考えてみる。
しかし、今そんなことを考えても意味は無いし、そもそもこの家を出るつもりもない。
その可能性を考えてみたとしても、それには何の意味も無い。
それは、まさしく無意味なこと。
ただの現実逃避にすぎないと、俺自身も分かっている。
しかし。
一人ポツンと立ち尽くし。
俺の鼓動以外何も聞こえない静寂の中で。
俺は、そんなことしか出来なかった。
とうとう家を飛び出してしまった。
・・・・・・祐一、心配してるかな?
駅前のベンチに座りながら、空を仰ぐ。
空には、満点の星空と真ん丸のお月様が私のことを見下ろしていた。
いつもは優しく感じるはずの月の光も、今日ばかりは違っていた。
月は冷たく、私を責めるような光で、私のことを照らしていた。
やっぱり、お月様も怒ってるのかな?
そう思わずにはいられなかった。
そもそも、家を出る原因を作ったのは私。
勝手に色々考えてそれを自分だけで抱え込んで不安になって怒って嫉妬して、挙句の果てに家も飛び出す始末。
お月様が怒るのも当然だよね。
祐一が悪かったところなんて一つも無かった。
祐一は今日あった楽しかったことを話していただけ。
私と一緒に楽しかったことを共有しようとしてくれただけ。
それに私が勝手に怒った。
せっかく二人きりなのに、他の人の話をする祐一に勝手に怒った。
祐一が楽しそうに話す相手に、勝手に嫉妬した。
祐一は私と一緒に居るのに、私のことを見てないような気がして悲しくなった。
ただそれだけの、私が勝手に思ったこと。
祐一は悪くない。
みんなも悪くない。
私だけが悪いの。
勝手にそんなことを思って、それを祐一に伝えようとしなかった私が悪いの。
みんなはいつも通りに祐一に接しているだけなのに、それに勝手に嫉妬した私が悪いの。
私が悪いから、お月様も怒ってるんだよね。
私が、悪い子だから。
約束のことだって、分かってる。
百花屋のことだって、祐一がみんなと居たいからだって分かってる。
私と二人きりで居たくないって訳じゃない。
みんなとの方が楽しいって訳じゃない。
ただ、みんなよりも私の方が一緒に居れる時間が多いから。
だから、みんなと一緒に居れる時はそっちを優先するだけだって、分かってるのに・・・・・・。
頭では納得できるのに、感情で納得できない。
祐一とは居ようと思えばいつでも一緒に居られるのに。
明日のことだって、分かってる。
最近は北川君とまったく遊べてなかったものね。
ようやく明日は予定が合って、一緒に遊べるんだもんね。
祐一が北川君と一緒に居る時は、本当に楽しそう。
それは私と比べてとかじゃなくて、きっと私と一緒に居る楽しさとは違う楽しさがあるんだと思う。
私は男の子じゃないから分からないけど、香里と一緒に居ると楽しいから少しは分かるよ。
あゆちゃんたちと一緒にお喋りしたりするのも楽しいし。
それは、祐一と一緒にお喋りしてたりする時の楽しさとは違うって。
比べられるようなものじゃないって。
ちゃんと分かってるのに。
それに、明日だって一日中北川君と遊ぶわけじゃないのに。
ちゃんと夜は私のために空けてくれてるのに。
それなのに、私は満足出来ない。
これはただの私の我侭だってのは分かってる。
私は、ただ祐一に甘えているだけなんだって。
でも、幾ら納得しようとしても、私の感情は、心は、納得してくれようとはしなかった。
お月様はいつまでも冷たい光で、そんな私のことを照らしていた。
駅前という場所なのに、こんな時間のせいか誰も通らず何の音も聞こえない。
そんな静寂の中、私はお月様の光に照らされていることしか出来なかった。
あれから十分は経っただろうか?
俺は未だに居間で立ち尽くして無意味なことを考えていた。
答えは、未だ出ず。
しかし、俺は名雪を探しに外に出ることにした。
答えが出ていないのだから、また同じことが起こってしまうかもしれない。
いや、それ以前に名雪は戻ってきてくれないかもしれない。
でも、俺は名雪を探しに行こうと思った。
思ってしまったから、もうここで現実逃避をしていることは出来ない。
探しながらも考え続けるだろうが、それでも答えは出ないだろう。
だが、俺は名雪に会いたかった。
結局自分のためでしかない。
でも、その気持ちは本当だから。
コートを部屋に取りに行き、鍵を掛けて家を出る。
外には漆黒の闇が広がっていた。
まるで、今の俺の心境を表しているかのように。
周りを見渡せば少ないながらも街灯はちゃんとあり、その周辺の闇を明るく照らし出している。
しかし、俺には真っ暗に見えた。
そして、静かだった。
虫の声もまったく聞こえない。
すでに時期が時期だから当然なのかもしれないが、風もまったく吹いておらず、木々を揺らす音すら聞こえなかった。
耳が痛いぐらいの静寂。
人一人見かけない、静まり返った町並み。
不意に、俺はこの世界に一人で残されてしまったのではないかと思った。
人も虫も全ての生物に限らず、風すらも俺を置いて何処かに行ってしまったのではないか。
そんな錯覚に陥った。
もちろんそんなことは有り得ないことは分かっていたが、そんな考えが頭を離れなかった。
その考えを頭から振り払うために俺は走り出した。
走って走って走って。
もう走れなくなるまで、何も考えられなくなるまで走りまくって。
気が付いた時には公園に居た。
完全に息が上がって、まともに歩くのも辛くなってしまった。
何とか噴水の前まで歩き、その場に倒れこむようにして座る。
暫くはそのまま前を向きながら休憩をしていたのだが、またさっきの考えが浮かびそうになり慌てて空を見上げた。
そこは、まるで俺の悩みなど知ったことではないとでも言いたげに、雲一つ無い空が広がっていた。
そして、一つだけ他とは明らかに違うもの。
真ん丸の月。
一欠けらの欠如も見れない、まさに真円の月がそこにあった。
そういえば、名雪が今日は満月だって言ってたな。
そんなことをふと思い出した。
月は、こんなどうしようもない俺にも等しく、冷たくしかし優しいその光で照らしてくれていた。
月の周りには満月のため普段よりは少ないが、それでも沢山の星が。
俺の背後からは噴水から水が噴出す音心地良く響いていた。
吐く息は白く、この辺りの12月に相応しくコートを着ていても寒い。
天気が天気ならば雪でも降り出すだろう。
しかし、全力で走り回った俺にはそれも心地良い寒さであった。
とても心地良い状況だったのだが、それでも何かが足りなかった。
「・・・・・・名雪」
口に出してみて、改めて何が足りなのかを思い知らされた。
優しく照らしてくれる月があっても。
沢山の星が望めても。
心地良い音が響いても。
心地良い寒さがあっても。
それでも、名雪が隣にいなければ、俺の心は満たされない。
心の底から安心することは出来ないのだと。
そう思い知らされた。
夜空を眺め、前の町とは違い沢山の星が瞬いていると改めて知った。
そのことは、前に星を眺めその多さに驚いたから知っていた。
しかし、こうして眺めてみるとその多さを改めて思い知らされる。
普段は意識していないから分からないが、こうして眺めることでよく分かる。
それは名雪のことを表しているようだった。
名雪が大事な人だってことは分かっていた。
一番大事な人だってことも。
いつも側に居ていて欲しい人だってことも。
でもそれは、今この状況になってみて改めて思い知らされた。
大切なものは無くなってみないとそれがどれだけ大切だったかは分からない、とはよく言うがこの状況はまさにそれだった。
もっとも、俺はまだ名雪をなくしたわけではないし、なくす気も無い。
しかしこの状況は、俺にとって名雪がどれだけ大切だったかを思い知らせてくれた。
「やっぱり、俺は名雪が居ないと駄目みたいだ」
口に出すことで、今の気持ちを強く再確認した。
やれやれ、こんなことがないと確認出来ないなんて、やっぱり俺は駄目な奴だな。
でも、駄目な奴だからこそ、俺には名雪が必要なんだ。
自分の気持ちを再確認した俺は名雪のことを迎えに行くべく疲れきった足に鞭うって無理やり立ち上がった。
さすがに走るのは無理っぽいが、歩くのに問題は無さそうだ。
こりゃ明日は筋肉痛かな?
そんなことを考えながら苦笑し、歩き出した。
名雪が待っていてくれてるであろう、あそこへと。
空を見上げると、月の光がどことなく暖かくなったような気がした。
・・・・・・何で喧嘩になったんだろうな。
俺はその原因を考え・・・・・・ようとしてやめた。
そんなのは、考えなくても明白だったな。
一人、誰も居ない路地を歩きながら思い出す。
辺りは静寂が支配し、自分の心臓が鼓動する音すらも聞こえてきそうなほどだ。
空を見上げれば、そこには丸い月。
月の光は辺りを明るく染め上げていたが、俺の心までは明るくしてくれなかった。
いや、むしろその光は、俺の暗い部分を明るみに出してしまいそうだった。
何故、美坂は分かってくれない!?
俺はお前のことをちゃんと考えている!
お前こそ俺のことを考えてくれてないんじゃないのか!?
そんな、考えたくも無いようなことが、明るみに出てしまいそうになる。
必死でそれを抑える。
違う、美坂は悪くない。
悪いのは俺なんだ。
俺が全て悪いんだ。
気を抜いたらすぐにでも自分のことを正当化しようとする自分を抑えながら、何故こうなったのかを思い出す。
考えてみれば、前からそんな兆候は見えてたんだよな。
俺は、それに気付いていながら何もしないでいた。
今はこんなんだけど、いつか何とかなる。
時間が経てば、もっとちゃんと出来るようになるさ。
そんな風に楽観視していた。
いや、本当は違ったのかもしれない。
本当は時間が経てば悪化するだけだって、気付いていたのかもしれない。
ただ、どうすればいいのか分からずに、問題を先送りにしていただけだったのかもしれない。
俺は美坂のことを考えてるなんて口では言いながら、心の底では自分のことしか考えいなかったのかもしれない。
そんな自分に気付き自己嫌悪する。
そして、思う。
美坂と俺って、やっぱり釣り合ってないんだよな。
・・・・・・ま、こんな奴だし当然か。
何で美坂が俺のことを好きになってくれたのかも未だに疑問だもんな。
・・・・・・本当に何でなんだろうな。
俺より相応しい奴なんか、幾らでもいるだろうに。
思考がネガティブになっていくのに気付いていながらも、俺はそれを止めることは出来なかった。
「なあ、あんたなら分かるか?」
上空から俺のことを見下ろしている月に向かって呟いてみる。
答えはもちろん返ってこない。
しかし、その冷たい光が答えのような気がした。
と、その時。
前方から人の気配が。
誰かと思って目を凝らして見ると、そこには。
「相沢?」
「北川?」
親友の相沢がいた。
「よう、北川。
こんな時間にどうした?」
北川がこんな時間にこんなところにいることに多少は驚いたが、いつものように祐一は挨拶をした。
そのことに北川は幾分か安堵し、挨拶を返す。
「よう、相沢。
まあ、ちょっと私用でな」
さすがに香里と喧嘩した、とは言いづらく適当に誤魔化そうとする。
「私用、ねぇ」
(さすがにこんな時間に私用なんておかしかったか?)
しかし、祐一は私用という言葉からではなく、北川の表情から大体のことを察していた。
何故なら、北川の顔はさっきまで祐一がしていたのと同じような顔をしていたのだから。
祐一は鏡を見ていなかったため分からなかったが、おそらくさっきまで自分はこんな顔をしていたんだろうな、と思っていた。
(香里と喧嘩して、尚且つそんな自分に自己嫌悪しているってとこか?)
それに加え、二人はただの友達ではなく親友といっていいほどの間柄だ。
いや、実際に親友なのだが。
だから、祐一には北川の考えが何となく分かる。
その二つの要素から、祐一は北川が大体どんな状況なのかは察することが出来た。
しかし、祐一は迷っていた。
このことを口にするべきか否か。
(口に出せば北川は肯定するだろうし、自分も相談に乗ることが出来る。
だが、それはお節介というものなのではないか?
北川が自分の口から言うまでは、俺は黙っているべきなんじゃないのか?
しかし、おそらく北川と香里が喧嘩した原因は自分にもあるだろう。
直接的な原因ではないしにろ、一要因としてなら絡んでるはずだ。
明日俺は北川と遊ぶ。
名雪や香里を放っておいて。
そのことに名雪は怒っただろうし、香里も怒っただろう。
恋人を放っておいて友達と遊ぶんだからな。
だから、自分にも原因はあるはず。
だが、これは二人の問題であって、本来は他人が口出しして良い問題じゃないはずだ。
でも・・・・・・)
言った方が良いという考えに至った瞬間、言わない方が良いという考えが侵食してくる。
言わない方が良いという結論に達しかけた瞬間、本当にそれでいいのかと逆の思考が割り込んでくる。
二つの異なる思考はグルグルと螺旋のように回り、祐一は結論を出せないでいた。
一方の北川は、こっちもまた悩んでいた。
自分の悩みを打ち明けるか否か。
香里と喧嘩して自分が自己嫌悪に陥っているということを言うべきか否か。
どうすればいいのか分からないと、祐一に相談を持ちかけるか否か。
北川は、悩んでいた。
祐一が北川のことで悩んでいるのに対し、北川は自分のことで悩んでいる。
この違いは、二人の状況の違いによるものだろう。
祐一はすでに自分の中で結論を出し、相手のことを考える余裕がある。
しかし、北川は結論などまったく出ず、相手のことを考えている余裕などない。
もっとも、もしも状況が逆だったのなら、今の関係もまったく逆になっていただろうが。
二人がその場に留まり悩みだしてから、五分は経っただろうか。
その間、人の通りはまったくなく、その場には祐一と北川、そして二人を見守っている月しかいなかった。
そんな中、北川はとうとう悩みを打ち明ける決心をした。
(一人で悩んでいても泥沼に嵌るだけだ。
なら、相沢には悪いが、俺の悩みを聞いてもらうことにしよう)
「・・・・・・なあ、相沢」
「ん?」
自分の考えに没頭していた祐一だったが、その言葉により北川に意識を向ける。
「ちょっと話を聞いてもらってもいいか?」
それで北川が何を言いたいのかを瞬時に悟った祐一は、思考を切り替えるために一つ深呼吸をし、
「ああ、いいぞ」
北川の目を見ながら頷いた。
それに安堵した北川は、祐一に聞いてもらうために語りだす。
自分の胸の内を。
「今日さ、美坂と喧嘩しちまってさ。
原因は色々あるんだが、いちいち言ってくのは面倒だしあんまりそれは関係ないから省くな。
原因は分かってるんだ。
だが、どうしたらいいのかが分からない。
美坂が怒ってる理由が分からない。
・・・・・・いや、本当は分かってるんだ。
全て俺が悪いんだって。
美坂が怒ってる原因は全部俺のせいなんだって。
だけど、そんな自分を認めたくない俺がいる。
俺は悪くない、悪いのは美坂だって叫んでる俺がいる。
そんな自分に気付いて、自己嫌悪に陥る。
結局、幾ら考えても結論なんか出やしない。
分かったのは、俺は最低な奴だってことだけだ。
・・・・・・俺は、美坂と一緒に居ない方がいいのかもしれないな」
祐一は、ただ黙って北川のことを見ていた。
途中で口出しをせずに、ただ黙って聞いていた。
最後まで聞き終えた祐一は、そこでようやく口を開く。
「北川、自分に酔ってて楽しいか?」
予想外のことを言われ北川は一瞬呆然とし、次に怒った。
「俺は自分に酔ってなんか「酔ってるよ」
北川の言葉を遮って祐一が言葉を紡ぐ。
それは、相手に有無を言わせない口調だった。
それを感じ取り、北川は黙る。
「自分が悪い?
香里が悪い?
そんなことはどっちでもいい。
自己嫌悪なんて余計なことしてる暇があったら考えろ。
自分が何をしたいのかを。
香里と一緒に居ない方が良い?
それは本気で思ってるのか?
本気で思ってるんなら、すぐに別れやがれ。
思ってないんなら、そんなこと口にするんじゃねえよ。
分からないんなら、香里に直接聞け。
それが結果で香里を怒らすかもしれない。
余計状況が悪化するかもしれない。
だけど、自分一人でウダウダ考えてるよりはマシだろ?
香里がさらに怒るんなら、状況が悪化するんなら、またそん時に考えればいいだろ?
そん時には全て分かってるんだから、考えるのも容易だろ?
その結果、自分が悪いと思ったんなら、その部分を直せばいい。
香里が悪いと思うんなら、そう香里に伝えればいい。
香里はその程度のことでお前を嫌いになるような女か?
違うだろ?
お前だって、悲劇の主人公を気取るような奴じゃないだろ?
お前は何時だって、自分の思った通りに相手にぶつかってく。
そういう奴だろ?
違うか、北川!」
祐一は自分の思ったことを率直に北川に伝えた。
そこには誤魔化しや欺瞞はない。
相手が北川だからこそ、遠慮などせずに全て伝えた。
それが、親友としての自分の務めだと思ったから。
対する北川は、目を瞑っており今祐一に言われたことを判読している。
数度の深呼吸の後目を開いた北川は、もういつもの北川潤だった。
「・・・・・・そうだったな。
悪い、俺らしくなかったな」
「気付くのが遅えんだよ」
二人は互いの顔を見やった後、顔に笑みを浮かべた。
「ま、もっとも俺もお前のことを言える立場じゃないんだけどな」
「ん?
どういう意味だ?」
「ああ、俺も名雪と喧嘩してな。
さっきまでお前と同じようなことを考えてたってわけさ」
「考えて、た、か」
「ああ、考えてた、だ。
今ではそんなことは考えてないさ。
俺は名雪と一緒に居たい。
その気持ちを再確認したからな」
「・・・・・・相沢」
「ん、なんだ?」
「さっきから思ってたことなんだが、お前さっきから台詞がクサイぞ?」
「やかましい!」
そして二人は笑い合い、今まで止めていた足を動かしだす。
「さて、じゃあお姫様を迎えに行かないとな」
「だな。
だが、何処に居るのか分かってるのか?」
「ああ、俺はな。
おそらく名雪が居るのはあそこだろうな」
「ち、羨ましい奴。
・・・・・・美坂は何処に居るんだか」
やれやれ、といった感じで北川は呟く。
そこには悲壮や自虐的なものは含まれておらず、いつもに北川の口調だった。
「俺とは逆方向に行ったってのは分かってるから、こっちの方向だってのは分かってるんだが・・・・・・。
ま、とりあえず行ってみるか」
「もしかしたら、名雪と一緒に居るかもな」
「否定しきれないところが、どうにもな」
二人はそこでまた笑みを浮かべ、歩を進める。
「・・・・・・そういえば北川」
「ん、どうした?」
ふとあることを思い出し、良い機会なので聞いてみようと思い、祐一は口を開いた。
「何時になったら美坂じゃなくて香里って呼ぶんだ?」
「な!」
あまりにも予想外のことを聞かれ、一瞬言葉に詰まる北川。
暫くするとその言葉の意味することを理解し、顔を真っ赤に染めた。
「おいおい、顔が真っ赤だぞ?」
ニヤニヤと笑いながら言う祐一。
「や、やかましい!」
真っ赤な顔で怒鳴るが、まったく効果はなく逆に祐一の笑いを促進させる効果しか生まなかった。
「あっはっはっは。
しかし、冗談は抜きにしても、本当に何時になったら呼ぶんだ?」
「・・・・・・さあな。
今までずっと美坂って呼んできたからな。
今更呼び方を変えるってのもな。
変える機会は付き合った最初の頃にあったんだろうが、それも今となっては、な」
「そんなことないさ。
何時だって変えようと思えば変えられるし、機会なんて幾らでも転がってるさ。
例えば、今日とかな。
喧嘩をして仲直りした時に呼び方を変える。
ほら、別におかしくないだろ?」
「・・・・・・まあ、確かにな」
「それに、いきなり香里って呼ばれた時の反応に興味はないか?」
その場面を想像し、頬が緩む。
「なるほど、それは楽しそうだな」
「だろ?」
「ま、チャンスがあったら呼んでみるさ」
「その時の反応は後で教えろよ?」
「やなこった」
「んだと!?
ズリィぞ!」
そんな会話をしつつも二人は歩を進めていく。
自分にとって一番大切な人を迎えに行くため。
自分の半身を迎えに行くために。
何故喧嘩になったんだろう。
自分で切っ掛けを作っておきながら、あたしはそのことが分からないでいた。
喧嘩になった理由が分からないのか。
それとも、他の何かが分からないのか。
それすらもあたしは分からず、何処かへ向かって歩いていた。
この道は何処に続いているんだっけ?
何処をどう歩いたかなんて覚えていない。
ただ、北川君が歩いていった方向と逆の方向へと歩いていっただけ。
フラフラと脇道に入ってみたり、たまに立ち止まって空を仰いでみたり。
あたしは自分が何をしたいのかも分からず、ただ歩いていた。
また立ち止まる。
何故か急に月が見たくなった。
空を仰げば、そこには真円の月。
煌々と輝く月が、美しく存在していた。
いつもは月を見ても綺麗だな、ぐらいにしか思わなかった。
いや、今でも月は綺麗だと思っている。
ただ、それだけではなく、どこか突き放すような。
そんな冷たさも、今日の月は併せ持っていた。
月を暫く眺めていたら、ある事を思い出した。
何時の事だったかは思い出せないけど、確かに何時の日にかあったこと。
あの日のこうして月を眺めていた。
ただし、あの時は隣に北川君が居たけれど。
あの時北川君は月を見上げ、
「綺麗だな」
ポツリと呟いた。
それに何故か腹が立ったあたしは、
「じゃあ、あたしとどっちが綺麗?」
ついそんなことを言ってしまった。
うろたえるかと思ったのに、北川君は急に真面目な顔になって、
「そりゃ、美坂に決まってるだろ」
なんて臆面もなく答えた。
それが恥ずかしくて顔を背けながら、
「バカ」
とあたしは返してしまったっけ。
あの時は嬉しくて、本当はありがとうって返したかったのに、口に出てきたのはそんな言葉。
・・・・・・本当にあたしって可愛くない女ね。
何で北川君はこんなあたしを好きになってくれたんだろう。
そこまで考えて気付いた。
さっき喧嘩したばかりの相手のことを何であたしは考えてるのかしらね。
その時のあたしは、多分自嘲的な笑みを浮かべてたと思う。
でも、そんな笑みでさえ見ている人いなくて。
ただ、月だけがあたしのことを見ていた。
月の光があたしを照らす。
その光が、何故かあたしのことを責めている様な気がした。
それに耐えられなくなり、空を見上げるのを止めまた歩き出す。
暫く歩いていると、それが見覚えのある道だということに気付く。
あれ、これって?
さらに歩くと、見覚えのあるシルエットが見えてきた。
ああ、やっぱり。
「いつの間にか、駅の方まで来ちゃってたのね」
ポツリと呟く。
駅前という場所なのにも関わらず、人は一人も見当たらなかった。
何故か虚しさが込み上げてきた。
・・・・・・それが何に対してのものかは分からなかったけど。
これ以上ここに居ても虚しさが募るだけのような気がして、駅前を後にしようとした。
しかしその時、視界の端に何かが引っかかった。
何気なくそこへと視線を向ける。
そこは、ベンチだった。
人を待ってでもいるのか、ベンチには人が座っていた。
何となく気になったあたしは、そこへと足を向けていた。
その音に気が付いたのか、座ってる人は顔を上げる。
そこで初めて、それが誰であるのかが分かった。
それは、
「名雪?」
「香里?」
あたしの親友の名雪だった。
「名雪、こんなところでどうしたの?」
香里は人影が名雪であることに気付くと、一先ずさっきまで考えていたことは置いといて挨拶をした。
「・・・・・・うん、ちょっと」
名雪もいつも通りに返そうとしたが、ぎこちない笑みを作ることしか出来なかった。
「香里こそ、どうしたの?」
「あたしもちょっとね・・・・・・。
隣、座っても良い?」
「あ、うん、良いけど・・・・・・多分、冷たいよ?」
「大丈夫よ」
名雪はちょっと横にずれ、香里はその名雪の隣に座る。
座った瞬間、香里はちょっと顔を顰めた。
「冷たいわね」
「だから言ったでしょ?」
「本当ね」
二人は互いに微笑を交わす。
それきり、二人の間には静寂が降りる。
名雪は地面を、香里は空を見上げている。
名雪は祐一との事を、香里は北川との事をそれぞれ考えている。
しかし、幾ら考えても答えは出ない。
まあ、さっきまでずっと考えていても答えなど出なかったのだから当然といえば当然かもしれないが。
そんな静寂を先に破ったのは名雪だった。
「ねぇ、香里」
「ん?どうしたの?」
「ちょっと独り言を言っても良いかな?」
「・・・・・・独り言なんでしょ?
それなら、名雪が勝手に喋って良いんじゃない?」
「・・・・・・ありがとう」
「お礼を言うのはおかしいわよ?
名雪は独り言を喋るだけなんだから」
「・・・・・・そうだね。
今日ね・・・・・・」
そして、名雪は語りだした。
自分が思ったこと、考えたことを。
香里は、自分の事は一先ず置いて名雪の独り言に耳を傾けた。
聞きながら考える。
名雪が何を言いたいのかを。
名雪が何を悩んでいるのかを。
それを香里が大体把握した頃、名雪も語り終えた。
静寂。
しかし、今度の静寂が破られるのは早かった。
今度は香里。
自分が感じたことを率直に伝えようと思い、口を開く。
ただし、
「あたしもこれから言うのは独り言だから気にしないでいいわよ」
と先に言っておくのを忘れずに。
「恋愛って難しいわよね」
そうして香里は独り言を始める。
名雪は、香里がさっきそうしていたように耳を傾ける。
「恋愛に限らないと思うけど、互いの気持ちを通い合わせるのはとても難しいと思うわ。
でも、難しいからこそ、やることは簡単で良いんじゃないかと思うの。
だって、幾ら考えたって相手の気持ちなんて分かることじゃないでしょ?
相手の気持ちは、相手しか知らないんだから。
だから、やることは簡単。
自分の気持ちを伝えること。
相手の気持ちを確かめること。
・・・・・・自分が本当にやりたいことを、やること。
幾ら悩んでも分からないんだから、自分の」
そこで香里はあることに気付く。
(今の言葉は一体誰に対しての言葉?
名雪に対して?
・・・・・・うん、多分それは本当。
ちゃんと名雪のことを考えて言ったのも本当。
でもそれだけかというと、多分違う。
そう、多分それは・・・・・・)
それに気付き、香里の顔には自然と笑みが浮かんできた。
簡単なことだったんだと。
すでに気付いていたんだということに気付いて。
(でも、素直じゃないあたしは、それを認めることが出来ていなかった)
それだけだったんだということに気付いて。
香里の隣には、親友の突然の笑みを不思議に思っている名雪の姿が。
そんな名雪に向かって。
大切なことを思い出させてくれる切っ掛けをくれた親友に向かって、
「名雪、ありがとう」
香里はお礼の言葉を一言だけ呟いた。
「え?
私お礼言われるようなことしてないよ?」
「良いのよ。
独り言だから気にしないで」
香里は今までのように独り言を言うのではなく、きちんと名雪に語り掛ける為に名雪と向かい合う。
そして、一瞬だけ笑みを消して真剣な顔で。
「名雪、一番大切なのは自分の気持ちよ。
自分が何をしたいのかをはっきりと認識して、それを実行する。
そうすれば・・・・・・多分何とかなるわよ」
最後はまた笑顔に戻ってそう言った。
その言葉は、名雪の中にゆっくりと浸透していく。
「・・・・・・私のやりたいようにやっても、良いのかな?」
名雪は自信なさげに呟く。
「あなたは自分が思ってるよりも遥かに魅力的よ?
もっと自信を持ちなさい」
「・・・・・・うん、ありがと、香里」
「どういたしまして」
笑顔で名雪はお礼を言い、香里も笑顔で返す。
そして、
「それに、お礼が言いたいのはこっちの方よ」
本当にポツリとそう呟いた。
「え、何か言った?」
「気のせいよ。
それより」
香里はさっきから近づいてきている足音を捉えていた。
おそらく自分の考えに間違いはないだろうと思い、それを名雪に伝えた。
「前を向いてみなさい」
名雪は香里の言葉に従い前を向き、
「祐一!?」
そこに、自分の一番大切な人の姿を見つけた。
「よ」
祐一はいつもと同じ、名雪の大好きなあの笑顔を顔に浮かべ、本当にいつもと同じように名雪に挨拶をした。
「それに、北川君?」
「え!?」
それは香里にとっては予想外だった。
驚き、急いで自分も前を向く。
そこには、やはりいつもと同じ笑顔を顔に浮かべた、北川が立っていた。
「よ」
北川も祐一と同じように、いつもと同じような挨拶をする。
しかし、それに対して名雪と香里は何も出来ずにいた。
まあ、祐一と北川はここに来るまでに心の準備が出来たのに対し、名雪と香里はいきなりだったことを考えると当然かもしれないが。
「さて、じゃ帰ろうぜ。
いつまでもこんなところに居たら風邪引くしな」
「え?
あ、う、うん」
名雪はまだ多少混乱していたが、何とか立ち上がり祐一と一緒に歩いていった。
「さて、じゃ俺たちも帰ろうぜ。
家まで送るよ」
「う、うん」
名雪たちを見送った後、北川たちもそこを離れる。
二組の恋人達はこの後各々話を繰り出すのだが・・・・・・敢えてその内容を言う必要はないだろう。
彼らの頭の上では、月が満足そうに輝いていた。
ごたごたした話はとっくに終わり、現在北川と香里は楽しく談笑していた。
しかし、会話が一瞬途切れる。
その時、北川はふとさっき祐一と交わしていた会話を思い出した。
チラッと香里の顔を盗み見、反応を予想して頬を緩めた。
そして、北川はその言葉を紡ぐ。
「なあ、香里」
「何?きたが」
途中まで言いかけ、違和感を感じる。
そして、固まった。
それに、北川は意地悪い顔で、もう一度同じ呼び方をした。
「どうした?
香里」
それでもまだ、香里は固まったままだった。
「お〜い、香里さ〜ん」
香里の名を呼びながら、顔の前で手を振る。
「あ、な、何?北川君?」
それで正気に戻った香里は、慌てて答える。
が、それは北川が求めていたものではなかった。
もっとも、最初から求めているものが返ってくるとは思っていなかったが、
「おいおい、俺が香里って呼んでるのに、香里は俺のことを名前で呼んでくれないのか?」
そう言い、嘆く。
慣れていないことを言われているからか、いつもと違い慌てる香里。
「え?い、いえ、名前って言われても」
「おいおい、まさか俺の名前を忘れちまったとか言うんじゃないだろうな?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、呼んでみてくれよ」
今や完全に主導権は北川が掴んでいた。
北川はニヤニヤと意地の悪い表情を浮かべ、香里はからかわれているのが分かっているが、何も出来ないでいた。
俯き、顔は心なしか赤くなっているように見えた。
そのまま暫く黙っていたが、北川はその間ずっとニヤニヤと香里のことを見ていた。
それを横目で見て、誤魔化すことは出来ないと観念した香里は、意を決して呼ぶことにした。
「じゅ、潤、君」
チラッと、横目で北川のことを見、呟くように言う。
「おう、何だ、香里!?」
それは本当に微かな呟きに過ぎなかったが、隣に居て耳を澄ましていた北川にははっきりと聞こえた。
瞬間、香里の顔が今度ははっきりと分かるほど真っ赤に染まった。
そしてまた、俯いてしまう。
それは、恥ずかしいのと顔が赤いのを隠すためだったのだが、両方とも隠せてはいなかった。
前者などは、俯いている時点で恥ずかしがっていることを教えているようなものだし、後者に至っては隠せてすらいない。
何せ、耳まで真っ赤になっているのだから。
それを見て、北川は微笑む。
いつも冷静な香里がこんな姿を自分に見せてくれるのが嬉しかったし、何より可愛かった。
香里はそんな北川を横目で眺め、不満を口にした。
「な、何笑ってるのよ」
聞かれたので、北川は今思っていることを素直に口に出した。
「いや、あまりに香里が可愛かったんでな」
それを聞いた瞬間、ボッ、っという音でも聞こえてきそうな程に勢いよく、さらに香里の顔は真っ赤になった。
「な、何言ってるのよ、バカ」
顔を真っ赤に染めながらも言い返すが、最後の方の台詞はほとんど呟きに近いものになっていた。
「ああ、バカで結構。
何せ、バカなおかげで香里に好きになってもらえたんだからな」
それを聞いた香里は、これ以上ないという程顔を真っ赤にし、
「・・・・・・本当に、バカ」
顔を背けながら、呟いた。
それに、北川は微笑で返した。
こちらもまた、ごたごたした話はとっくに終わり、楽しく談笑していた祐一と名雪。
しかし、祐一はふとある事を思い出し口を噤む。
それに気付いた名雪は訝しげな顔をして首を傾げながら祐一の顔を眺める。
祐一は一つ深呼吸をし、名雪の顔を真正面から見つめ、全ての想いを込めてその言葉を紡ぎだす。
「名雪、誕生日おめでとう」
プレゼントを渡す時と一緒に言おうと思っていたのだが、色々合って結局言えていなかった言葉を。
今プレゼントは持っていないが、このままでは日にちが変わってしまうだろう。
どうせならプレゼントと一緒に言いたかったが、この際仕方が無い。
そのせいで日にちが変わってしまったら元も子も無いからな。
そう思い、紡ぎだした。
最愛の人へ、最高の笑顔でもって、祝福の言葉を。
「色々あって遅れたけど、まだ言ってなかったからな。
ちゃんと言っておかないとな」
そして、それに対する名雪もまた、
「うん、ありがとう、祐一」
最愛の人の想いを受け、最高の笑顔でもって、最愛の人へ、全ての想いを込めて、感謝の言葉を紡いだ。
二組の恋人達のこれからを祝福するかのように、風は息を潜め、闇はその存在を薄くしていた。
最初は冷たく照られしていたはずの月も、いつの間にか暖かい光に変わっていた。
自らの姿が見えなくなるまで、月は4人のことをいつまでも暖かく優しい光で照らし続けていた。
まるで彼らのこれからを祝うかのように煌々と満足げに。
そして、彼らは歩いていく。
明るい未来を夢見て。
時に不安を、絶望を感じながらも。
隣を一緒に歩いてくれる人がいることを知っているから。
不安を安心に変えて前へと進んでいく。
絶望の中に希望を見出し生きていく。
月光に照らされるこの世界で。