母智丘神社と私
~昔からの習わしと私~

 数年前、母智丘神社の祭典委員に、その後令和元年(2019年)に総代を拝命いたしました。
 それまでは神社関係とは全く縁がなく、見るもの聞くもの新鮮に感じました。

簡単に言えば「何もわからなかった!知らなかった!」。

そんな時、ふと思い出したのが学生時代酒屋のアルバイトです。
 ビールのお届けを受け、のし紙をつけ出ようとした時、酒屋の社長から待ったがかかった。

 のし紙につけ方が間違っているというのだ。

 私はケースに合わせ、浮いたかたちでのし紙を置いたのだ。

 のし紙は、略式であっても水引がケースに掛かった状態で付けなければいけないということであった。

 要するにケースを紐で縛ったように見える状態にしなさいということであった。「ああそういうことか?」

 調べたところ、古く飛鳥時代小野妹子が遣隋使として持ち帰った品に紅白の紐があったということのようだ。ちなみに水引は未開封、魔よけ、紐で人を結びつけるという意味があるそうだ。
母智丘神社にお世話になっても同じようなことが多々ありました。
 母智丘神社長老から鳥居をくぐる時は一礼をして参道は端を歩くように言われた。

 真ん中は神様が歩く道であるそうだ。 二礼二拍手一礼 参拝の前には手水舎で清めてから参拝。やはり意味のある事だろう。

親父は、身内に不幸があった場合、1年間は鳥居をくぐってはいけないし、祭りなどの参加もいけないと言っていたことを思い出した。

  平成28年に伊勢神宮正式参拝が母智丘神社主催で行われた。
  内宮では、階段を上がったところが一般参拝。その奥、石が敷き詰められている所を進み参拝する。

 私たちも正式参拝ということでそこを参拝させていただいた。

 またその奥は、天皇陛下の参拝するところ、そのまた奥は天皇陛下さえ入れない神の領域だそうです。

 神社を含め古来からの行事、行いにはそれぞれ意味があり、約束事、風習、習慣が重んじられてきました。まだまだ学ぶべきことが多いようです。 

 第104(2022年)夏の高校野球は仙台育英高校が下関国際高校を81で破り、初優勝をした。
 東北勢では初となり、「白河の関」を優勝旗が初めて超えた。

 毎回だが高校生の一生懸命立ち向かう姿勢に心を打たれる。

 また、仙台育英高校の須江監督は、試合後のインタビューで『青春って凄い密。そういうものが全てなくなった。活動していてもどこかでストップがかかる』と若者の苦しさを訴えた。
 中学の卒業式、高校の
3年間なにも出来なかったことであろう。
 言うまでもなく「コロナ」である。

たちの日常生活でも、行事、仕事、孫たちとの家族団らん、友人との集いなどあらゆるものにストップをかけ、人々を遠避けてきた。病院の見舞いも家族も出来ないそうだ。

 母智丘神社でも、春の例大祭、6月と12月の大祓い、どんど焼きなど全てが中止となり神職と総代のみの式典で済まされた。総代会すら出来ていない。

 例年春の例大祭では、露店、奉納演芸、子供曳太鼓が賑やかに催される。

 大祓いでは、多くの崇拝者が集まり茅の輪くぐりを行う。特製肉うどんもふるまわれて話の輪が広がる。どんど焼きでは、お焚き上げをし、団子を焼き、けんちん汁をいただく。

 ここにも崇拝者、近所の人たちが集う。
 町田天満宮の池田宮司は、このような状況では地域と神社がどんどん離れてしまうと嘆く。
母智丘神社の宮司も同じような心持ではないでしょうか。
 地域の人たちの心の拠り所、ご近所が集まる重要な神社。

 早く人々が集まれる時が来ることを願うばかりである。


   
 2021年6月夏越しの大祓い  2022年4月春の例大祭式典

 
 母智丘神社では、コロナ下にありマスクを手作りして地域の皆様に差し上げています。
初期にはマスク不足もあり大変でした。

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