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 2020/05/25 ホームページタイトルを「里山写真館」から「里山とアゲハチョウの写真館」に変更しました。

これに伴い、サイトの内容も大幅にリニューアルをしました。写真多数入れ替えています。

これからも当写真館を引き続きよろしくお願いします。





数あるホームページの中から「里山写真館」にお立ち寄りいただきまして誠にありがとうございます。

簡単な自己紹介と若き日のカメラへの想いを語ってみました。
 
名 前(HN) acorn
 
生れた年 1941年(昭和16年)
 
生まれた所 東京本所
 
住んでいる所 埼玉県入間市
 
趣味  : クラシックカメラ店を回り掘り出し物を探す
     
フイルムカメラ Nikon F2、FM (レンズ24、35、105、300、Micro200)

最初のカメラは「アルペンフレックス」でした
 
デジタルカメラ OLYMPUS E-30、E-5 (レンズ40-150、14-54、150、Macro50)

Nikon D800E (レンズ24-70、300、Micro105)
 
通信環境 Bフレッツ100Mbps(光) 2005/01/07 開通 ISDN 64KbpsからUP
 
HP編集ソフト IBM ホームページビルダー V13 (2009/10/24 V6.5からUP)
 
ホームページ開設 2002/05/10 
インターネットの理解不足と転送設定の知識不足が重なり開設までは悪戦苦闘の日々でした
 
サイトリニューアル  : 2020/05/25







Nikon F2
Nikon F2 + Nikkor 35mm/F2

ボディもレンズも完全マニュアル 1972年(昭和47年)購入 今も現役



Nikon F
発売当初の「Nikon F」 1959年5月(昭和34年)


~ ニコンF への想い ~

最初の一眼レフは1962年(昭和37年)に購入した「ニコンF」でした。

その後1964年(昭和39年)に2台目の「F」を購入しました。東京オリンピックの年です。

当時山岳写真に夢中で、かなり過酷な使い方でしたがトラブルは全く無く耐久性は抜群で

した。

ただ使い勝手は少々良くありませんでした。特にフイルム交換では裏蓋を取り外す為に風雨

や吹雪のときは注意が必要でした。

それでもニッコールレンズの最高の描写に惚れ込み、「F」との長い付き合いが始まりました。

100 % のファインダー視野率、ファインダースクリーンの交換、チタン幕のシャッター等、

当時は全てが新鮮なものでした。

数々の神話を生んだ世界の名機 「ニコンF」・・・忘れられない青春のカメラです。

1972年(昭和47年)2台の「F」を売り「F2」を買いました。







ALPENFLEX-Z    ALPENFLEX-Z
ALPENFLEX-Z
 
1955年(昭和30年)3月発売のアルペンフレックスZ型です。製造は八陽光学で、このZ型が最後となりました。

6×6判の12枚撮りでシャッターはコパルに変更され、かなりハードに使いましたが故障は皆無で快適に撮影したのを覚えています。

全紙に引き伸ばししても画質の崩れはほとんどありませんでした。発売価格は13,000円で当時の大卒初任給が9,000円位でした。

泣所は持ち運び。肩に掛けても、首から提げても安定感がなく携帯には不向きだった。

携帯性の良いものを探していたところ、アメ横で偶然「マミヤシックス・オートマット」を触り一目惚れ。中古品でしたが即購入。


八陽光学 → 日本光学工業(現ニコン)の疎開工場であった長野県の塩尻工場を引き継いで設立されたメーカーで、ヤシカの低価格

二眼に対抗出来ずに昭和30年に廃業。


 

Mamiya-6

マミヤシックス・オートマット
レンズ:Olympus Zuiko 75mm/F3.5

写真はアサヒカメラ1956年(昭和31年)11月号に掲載されたものです。発売価格は29,500円。

ピントはフイルム面を移動して合わせる画期的なもので、その発想が高く評価されました。

開放からシャープな写りで周辺減光も少なく、コントラストの高いレンズで、「Zuiko」の味が

良く出ていました。
 
スプリング式で折りたたむとヤッケのポケットにスッポリ入り登山には大活躍。

「Nikon F」 の購入資金のため売却しました。よいカメラでした。