1 恵那峡
2 伊良湖岬:渥美半島
3 愛:地球博
4 大垣周辺(たらい舟と城下町ほか)
5 郡上八幡〜飛騨の里〜高山陣屋〜御母衣ダム〜白川郷
6 岐阜:孫とリス村で遊ぶ
岩は千状態 天下の奇勝 水の紺碧 みずうみと湛え ー北原白秋ー
木曾川の 水やせたれや 聳えたは 岩の山辺の つつじ真盛り ー若山牧水ー
岐阜県立自然公園:恵那峡案内図 恵那峡大橋
獅子岩 航跡を残して
恵那峡
1人旅を楽しむ。最新鋭モーターボートで、往復20kmの水上ドライブでした。
JR大垣駅→JR豊橋駅・・・伊良湖へ 伊良湖フラワーセンター
ハウス内の花 花の庭園
あじさい ベコニア
半島をサイクリングで周遊することが、観光の目玉とのことですが、時間の都合で中止する。
知多半島:師崎行き&伊勢行き
(自然の叡智)
愛:地球博は、平成17年(2005年)3月25日〜185日間 開催されました。
125の国:国際機関が参加、約2205万人が入場したとのことです。
5月5日、岐阜在住の子供と見学する。最高のコミュニケーションの場となりました。
しかし、 会場のほとんどが、撮影禁止には参りました。
したがって、このページは、博覧会場の雰囲気のみの記録写真となりました。
方向指板 入場まで、約2時間待ち
少し休憩 入場待ち
入場待ちの人々が並んでいる。 JR東海:超電導 3Dシアター 時速561キロ
日立館 日立館:人工の瀧
電力館 乗り物で会場を案内
観覧車 各会場への渡り道路
グローバル・ドラム??電気タクシー?? 各会場へのアクセス道路
日本館:見学を終えて
街頭:芸人 ロシア連邦館
スイス館
モリゾー・ゴンドラ 早朝 大垣から会場へ お疲れ様?
モリゾー・ゴンドラ ゴンドラから撮影
美人ロボット嬢:お疲れ様でした。等々簡単な会話ができます。
たらい舟に乗って、戦火を逃れた・・・「おあむ物語」・・・
関ヶ原合戦の折には、大垣城でも大きな激しい戦いがありました。石田三成
に仕えた山田去暦の娘「おあむ」は、家族と共に大垣城に立て篭もっていました。
やがて、明日にも落城というある日、東軍から「去暦は、家康様御手習師匠であ
ったので逃す」との矢文が届きました。
そこで、おあむの家族らは、たらい舟に乗って、お堀を渡って城から抜け出しました。
やがて、年老いた「おあむ」がその時のことを語った話が「おあむ物語」として残っ
ており、女性による関ヶ原合戦記として珍重されています。
芭蕉祭り:期間限定:3月下旬から4月上旬の運航です。
たらい舟 出発地
舟頭さん決まる。
今日は、平日に加え、寒気が入っていたため、私と前の母娘のたらい舟の2艘だけでした。
道中:大垣音頭などのテープとベテラン舟頭の説明が魅力でした。
終点:舟着場付近です。約30分のコースでした。
終点地は、松尾芭蕉:奥の細道むすびの地です。
大垣城は、古く応仁年間には、東大寺城と呼び、当時の城主は大井荘のうち、
石包名という地域の代官職をしていた大垣氏であったようです。
そこで、この城を大垣城というようになりました。
その後、天文4年 宮川安定が城郭を築き、永禄2年 大垣城主 氏家ト全が
城郭の建築工事を施しました。
天正13年(1585年)9月 豊臣秀吉は、一柳直末を大垣城主として、天守閣の
造営を命じました。
この工事は、天正16年7月になって完成し、その後改修を経て以来、この天守閣
は四層四階建て総塗りごめ様式で、大変優美な城として、歴史の上からも貴重な
ものでした。
昭和11年 国宝に指定され、郷土の博物館として親しまれてきましたが、昭和20
年の戦災で、惜しくも焼失しました。
その後、お城再建の気運が高まり、昭和33年5月に着工し、昭和 年 月竣工
したものである。
銅像は、城主 戸田氏鉄公である。
内堀:外堀に囲まれた堅固な、お城です。
郡上八幡〜飛騨の里〜高山陣屋〜御母衣ダム〜白川郷(OB会〜一泊旅行)
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飛騨の里 郡上踊り 白川郷合掌造り 白川郷明善寺
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