山の上の碑

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  国指定特別史跡、山の上の碑は日本でまだ、年号を用いなかった西暦681年、三碑の中ではもっとも古くたてられました。高さ112cm、幅52cm輝石安山岩で作られています。 建てられた場所は高崎市山名町山神谷で、上信線西山名の駅から北へ10分ほどで山の上の集落に至りますが、さらに百数十段の石段を上り詰めたところにあります。

  碑文には漢字五三文字を四行におさめて書かれています。文体は漢文 のようですが「三」を「み」読ませるなど借訓を用いた史部流で書かれています。

辛巳の歳集月三日記す。佐野の三家と定め賜える健守命の孫の黒売刀自、此れ新川臣の児の斯多々彌の足尼の孫の大児の臣に娶いて生める児、長利の僧母の為に記し定むる文也。放光寺僧

かのとみのとしじゅうがつみっかきす。さののみやけとさだめたまえるたけもりのみこのまごのくろとじ、これにいかわのおみのこのしたたみのすくねのまごのおおごのおみにめあいてうめるこ、ちょうりのそう(ほうし)ははのためにきしさだむるふみなり。ほうこうじそう(ほうし)

 ここに出てくる人物の関係は次のようになります。

 健守命---------○-------------黒売刀自
                         |-------長利僧(放光寺僧)
  新川臣---斯多々彌足尼---○----大児の臣

 佐野の三家とは高崎市佐野を中心にあった佐野の屯倉のことで、放光寺は前橋市総社町にある山王廃寺から「放光寺」または「方光寺」とヘラ書された瓦が複数出ており、ここが放光寺と考えられています。

 そばに 七世紀後半に編年される古墳があり、その脇に建てられていることから墓碑であると考えられます。 またこの碑によって被葬者とその年代が分かるわが国唯一の古墳です。