多胡の碑

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  毎年、3月の第1日曜日に住民が参加して、神主の神事の後、開帳されます。

  国指定特別史跡の多胡碑は多野郡吉井町池字御門にあります。建立は和銅四年、西暦711年です。材質は近くの山からとれる牛臥砂岩で高さ126cm、幅60cmに六行八〇文字が刻まれています。漢文体ですが、漢文では一部説明がつかない記述があります。

  弁官の符に上野国、片岡郡、緑野郡、甘良郡、并せて三郡の内、三百戸を郡と成し、羊に給して多胡郡と成すとあり。和銅四年三月九日甲寅の宣なり。左中弁は正五位下多治比真人、太政官は二品保積親王、左大臣は正二位石上尊、右大臣は正二位藤原尊なり。

 これは多胡郡の建郡の碑で続日本紀の元明天皇和銅四年三月六日の記載と符合するものです。多賀城碑(762)、那須国造碑(700)と並ぶ日本三古碑の一つで、力強い楷書体で書かれています。比較的もろいといわれる砂岩でありながら、ここまで原形をとどめているのは昔から地域の人にひつじ様とよばれ、大切に守られてきたからです。

 多胡郡は明治の初め緑野郡と合併して多野郡となるまで続きました。

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