金井沢の碑

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   国指定特別史跡、金井沢の碑は高崎市山名町字金井沢にあります。 ただし、この碑はもともとここに建てられたのではありません。沢沿いの農家で洗濯石または藁打ち石として使われていたものをこの家に不幸が続いたため今の場所に納まったと伝えられていますので、元の位置は不明です。高さ110cm幅60cmの輝石安山岩の自然石に九行百十一文字が刻まれていて大変難解な文で書かれています。漢字だけで書かれていますが、漢文ではなく、てにおは(助詞)を欠いた日本文で書かれています。

上野国群馬の郡下賛の郷高田里の三家の子孫、七世の父母。現在の父母の為に、現在侍る家刀自、池田の君目頬刀児、又児、加那刀自、孫の物部の君午足、次にめづら刀自、次に乙めづら刀自、合わせて六口、又知識に結べる人三家の毛人、次に知万呂、鍛師は磯部の君身麻呂合わせて三口、かく知識に結びて、天地に誓み願い仕え奉る石文。神亀三年丙寅二月二九日。

かみつけぬのくにくるまのこおりしもさぬのごうたかだのりのみやけのしそん、ななせいのふぼ、げんざいのふぼのために、げんざいはべるいえとじ、いけだのきみめづらとじ、またこかなとじ、まごもののべのきみうまたり、つぎにひづめとじ、つぎにおとひづめとじあわせてむたり、またほとけにむすべるひとみやけのえみし、つぎにちまろ、かぬちいそべのきみみまろあわせてみたり、かくほとけにむすびて、あめつちにのみこいたてまつるいしぶみ しんきさんねんひのえとら

 佐野の屯倉の子孫が祖先の菩提を弔うために仏に供養したことを刻んでいます。これは古くからこの地に民間の仏教信仰が根付いていたことを示しています。 神亀三年は西暦726年です。