タイ三大王朝の旅 その3 クルンテープ(天使の都)・バンコク タイにおける最終日、ホテルの出発は7時である。今回の旅はとにかく一日を目一杯に使う旅行である。渋滞の町中をバスは船着き場へと向かう。バスは狭い路地を平気で入って行く。交通規則はあるのだろうがクラクションを先に鳴らした方が優先なのかやたらとクラクションを鳴らす車が多い。車は日本と同じ左側通行であり、右ハンドルである。船着き場に向かう道で珍しく雨が降ってきた。とにかくタイは雨期の真っ最中、これまで降られない方がおかしい。ズボンにはたっぷり防水スプレーをかけてきた。折り畳みの傘も持っている。と妙に張り切ってみたがついに傘は旅行中一度も開くことがなかった。 チャオプラヤー川は陸の混雑を避けた通勤客や観光客を乗せた船で賑わっていた。船はやがて運河にはいる。引き潮で水位の下がった運河の水はどす黒く濁っている。特有のにおいも鼻を突く。そこここに水上生活者の船も見える。水上マーケットに向かう途中、船は小さな手こぎボートの群に囲まれてしまった。果物や帽子、土産物など物売りの船である。手こぎの小さな船で、エンジン付きの走っている船に体当たりするように近づいてくる彼らの顔は真剣そのもののように見えた。水上マーケットは主に土産物など売っている。 買い物を終えた我々は再び船に乗り、ワット・アルン(暁の寺)に向かう。王宮とは川の対岸であるが、観光客でごった返している。ここはトンブリー王朝の遺跡である。トンブリー王朝はわずか1代で終わってしまった。しかしそれは現在のバンコク王朝(ラタナコーシン朝)に引き継がれている。この寺の完成はラーマ3世の時代である。その後、火災に遭いラーマ5世の時に再建された。 現地案内人のシャワリットさんが今回の旅は4大王朝の旅であるというのはこのトンブリー王朝を含むからである。高さ74mの大プラーンには一面に陶器が張り付けてある。空間を畏怖するバロックの様式である。明け方、朝日に輝いて見えるので暁の寺という。船着き場で船を待つ間、人いきれと湿気のせいか、タイに来て初めて蒸し暑さを覚えた。ドリアンを小さく割って売っている屋台がある。タイといえど果物の王様ドリアンは高価である。川の対岸に金色に輝く塔が見える。これから行くワット・プラケオである。 対岸の船着き場から少し歩くと王宮の入り口に着く。入るには服装のチェックを受けなければならない。特に女性はミニスカートやキュロットスカートなど足を出してはいけない。ひらひらのパンタロンも駄目なようだ。男性も半袖はよいが長袖をまくり上げたものは注意された。ワット・プラケオ(エメラルド寺院)は王宮内にあるタイでも、もっとも格式の高い寺なのである。1782年チャクリー王(ラーマ1世)以来、ラーマ8世までここに住んでいた。現在のラーマ9世(プミポン国王)は3kmほど離れたチットラダ宮殿にお住まいである。 本尊は66cmの翡翠でできた仏様である。エメラルドの様に美しく輝くのでエメラルド寺院という。タイの守護神のような仏像である。半跏趺坐で禅定印のお姿であった。暑期、雨期、乾期3つの衣をもち年3回国王自ら衣替えをなさると聞く。1434年チェンライで発見されたこの仏像はチェンマイのサムファカエン王により1436年ランバーンへ、さらに1468年ティロカ王によりチェンマイに移された。また1552年ラオスのチャイチェタ王によりラオスのルアンプラバンへ、1562年ヴィエンチャンへ移されている。そして再びタイに戻ったのは1778年、ラーマ一世によりトンブリへ、さらに1784年現在の地バンコクへと、その高貴なお姿ゆえに時の権力者とともに、長い旅を続けて来られたのである。 本堂の北側に金色のチェディ、タイ様式の尖塔・モンドップ、クメール様式のプラーンと3つの塔が建っている。タイは様々な文化の融合であることを感じる。日本の桂離宮や伊勢神宮の簡潔直截的な美しさはない。強いてあげれば日本の数少ないバロック様式である日光東照宮を思い出す。絢爛豪華な美であっても「わび」・「さび」は感じない。大学の卒業式があったらしく若く聡明なエリートたちが記念撮影に余念がない。彼らが明日のタイを背負っていくのであろう。 昼食はホテルに戻ってとり、午後はタイシルクの店、宝石店、デパート巡りとショッピングに費やす。ご婦人方の一番張り切る時間であった。 夕食は7時頃、海鮮しゃぶの店であった。タイしゃぶの海鮮版でエビ、カニ、タコなどが入っている。食後すっかり定番になったパイナップル、パパイア、スイカの三点セットが出る。この三点セットはどこでも出てきた。夕食後ゆっくり休憩し、近くを散策、バスで空港へ着いたのは午後9時15分であった。微笑の国タイの天使の都・喧噪の町バンコクともまもなくお別れである。小型三輪車のトゥクトゥクが走り、バイクに3人乗りは当たり前、世界一の渋滞という。町のいたる所で建設工事があり、道路の整備も進行中、電車のないタイだがMRTS(首都圏高速鉄道システム)の建設も始まった。 いつか再び訪れる機会があれば大きく変わったタイを見ることができるだろう。帰りのTG642便は予定より少し遅れて離陸は午後11時35分であった。
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