私のパソコン歴 | ふとしたきっかけでパソコンを自作してみました。 そうしたら、思ったより簡単にできてしまいました。 PC-DOS/6.2が動き、ウインドウズ3.1のロゴマークが映し出されたとき、子供のころプラモデルを作ったり、ゲルマニュウムラジオを作ってクリスタルイヤホンから小さなラジオの音が聞こえたときのようなのようなワクワクするような感動を覚えしました。それからはパソコン自作が病み付きになってしまいました。 |
1994年 ウインドウズ3.1 時代 CPU:インテル486(66MH) メモリー:8MG ハードディスク:210MG OS:PCDOS6+ウインドウズ3.1 IBMのPSVを4台に IBMのPCサーバーを2台 JBCのドットプリンターを2台 |
IBM/PSV 最初に購入したのは、IBM製のPSV4台と同PCサーバー2台でした。 PSVはディスプレー内臓の一体型パソコンで、CPUがインテル486(66MHz)でメモリーが8MG、ハードディスクの容量が210MGでした。値段は当時1台で48万円もしました。 OSはPCDOSー6.2にWindows3.1が乗っかったものでした。その当時は最新鋭の「おお!これがコンピューターか」と思わせるものでした。PCサーバーは図体がでかくどっしりとしていて、CPUは同じく486でメモリーが16Mで、ハードディスクは700MGあり,OSはその当時は最新鋭のネットウエアーでした。マイクロソフトのアクセスというソフトで販売管理と伝票発行、請求書発行を行いました。しかし、データーの更新をかけると1時間強もかかり、とにかく遅かった。それでも値段は確か100万円近くしたと思います。 プリンターはJBSS製のドットプリンターを2台(やはり1台45万円ぐらいした)という組み合わせで、津の本社と四日市の支店に分けて使っていました。 ハード ディスク交換 ある日1台のPSVのハードディスクがクラッシュしてしまい、IBM販売会社に問い合わせたところ、ハードディスク1個が10万円するとの事・・210MGでですよ、今のようなギガじゃなくてメガでですよ。 高いなと思っていたところ、たまたま四日市にグッドウイルというパソコンショップができたのでのぞいてみると、300MGののハードディスクが3万円でありました。いろいろと考えた挙句、自分で修理しようと思い購入しました。これが私のパソコン自作の第一歩のはじまりだったわけです。 PCDOS しかし、やはり思ったよりも最初は難しく、なんとかPCDOS(IBM製なので同じDOSでもPCDOSとなりマイクロソフトのMSDOSといくつか異なっており、やっかいだった)をインストールし続けてWindows3.1をインストールできましたが、アクセスのセッテングとサーバーとのネットワークのLAN構築がまったくできない。最終的にはやまりIBM販売会社にお願いして、セットアップしてもらいました。 |
1995年 ペインティアム時代 IBMのディスクトップPC330を2台を通販で購入。 こちらでハードディスクとメモリーとLANカードとCDROMを後付けCPU:ペインティアム100MH、メモリー32MG、ハードディスク:1.2G |
パソコンの出会い(その2) 1995年にかのウインドウズ95が発売されたのですが、私にはまだまだ高嶺の花でした。 と言うのも、会社のシステムはウインドウズ3.1で動いており、ウインドウズ95にアップする必要もなかったし、その金もありませんでした。 しかし、このころからパソコン雑誌がいくつか発売されるようになってきました。1996年3月に初めて買ったパソコン雑誌は「ウインドウズ・ファン」付録のCDROMにかんたんなフリーのゲームが付いていました。 IBM/PC330 1997年7月に中古パソコン情報誌「電脳市場」を買って、それに載っていたパソコンショップからIBMのベアボーンの「PC330」を2台購入しました。 CPUはペインティアム100MHがセットされていてグラフィックはオンボード(内臓)なのですがハードディスクとメモリーとCDROMドライブは別途購入です。全ての部品が1万円以上しました。10ベースTのメルコのISAのLANカードもやはり1万円以上でした。 PCDOSはMSDOSと兄弟のようなものですが、いくつか異なる所があWindows3.1をインストールするとマウスが使えなくなってしまいます。いろいろと調べた結果PCDOSでDOSMOUSE(DOS上でのマウス)を使用可能にすると、Windows上でマウスが使えなくなってしまうことが分かりました。ConfigsysでDOSMOUSEをOFFにしてようやくウインドウズが使えるようになりましたが、これがわかるまで1ヶ月以上かかってしまいました。 性能は、PSVなどの486(66MH)に比べるとペインティアム100(MH)は驚異的な速さで動きました。1時間強もかかっていたデーターの更新が、なんと10分程で完了してしまったのです。 大阪日本橋 また、このころから大阪出張の時にの日本橋の電気街でパソコンショップを見て回るようになりました。 そこて最初に買ったのが、DOSVパラダイスのISAのサウンドカードでした。確か7000円程したと思います。 もともと日本橋には高校生の時から、アマチュア無線をやっていたので、電気部品をよく買いにいきました。 |
NEC の PC9821 Ce2 です。フロピーディスクが二台、CD-ROMが一台付いています。サウンドも付いています。ハードディスクは210MG (恐ろしや、これでもWIN95が動いていました!)。 |
1997年 アプティバ時代 インターネット天国 |
IBMアプティバ この年に四日市のグッドウイルでIBMのAPTIVA(アプティバ)H5Fを18万円とEPSONプリンターのカラリオ830を購入しました。本格的なパソコンライフ?の始まりです。 アプティバはOSがウインドウズ95でCPUがペインティアム150MHz、メモリー32MG、ハードディスク2ギガ、モデムが付いておりインターネットができるようになりました。 インターネット天国 このころのインターネットは、まさに天国で、全てのページが善意のかたまりのような世界でした。 お金を取るようなページは皆無。もちろんCDや物品などの販売はありましたが、趣味のページは全て無料でした。 セクシーなお宝?画像は全て無料でゲットできました。この目的のためにパソコンを買ったという男性はかなりいたのではないでしょうか。このようなページのおかげでインターネットが国際的に普及したと言っても過言ではない様に思えました。とにかく「おれの画像はすごいんだぞ!」と言わんばかりに他人に見せて自慢しているようなページが山とありました。「皆さん見てください!」といったような、まさに同好会のような世界でした。もちろん全て無料で、今のようにさわりだけ見せて後は代金を払えといたことはありませんでした。たまにモザイクがかけてある画像もありましたがモザイクを消すフリーソフトがちゃんと出回っていて、何の規制も無く、いまから思えばインターネットはおおらかなまさに天国の時代でした。 ペインイティアムMMX200 グッドウイルでペインティアムの最新のCPUで画像処理に優れたMMX処理のできる「MMX200」が17000円で売られていて、思わず衝動買いしてしまいました。 CPUアクセレター(ゲタ)をつけてアプティバに取り付けてみると、最初の起動画面で止まってしまい、F1キーを押せというメッセージが出るようになりました。F1キーを押せばちゃんと起動するのですが、毎回その作業をしないと前に進めません。しかし処理速度はかなり良くなったようでした。このころまだベンチマークソフトが手に入らなかったので、視覚的にした分かりませんでした。何とかこのF1キー操作のわずらわしさを無くしたい、それで大いに役に立ったのが無料のIBM電話サポートセンターでした。 IBM電話サポートセンター 無料だったので本当に便利なサポートでした。OSのことや付属ソフトの操作の仕方や、インターネットのことなど、私は毎日のように電話をしていろいろな事をたずねました。1つ1つに親切にこたえてくれました。本当に役に立ちました。 このF1キーのことでBIOSについてかなり詳しく分かるようになりました。従来のアプティバはCPUクロックが60MHzでCPUを動かしているのをMMXでは66MHzX3で動かさないと適正ではないために(そのころは100などという設定は無かった)BIOSが止まるのでした。詳しくは保障外なので教えてもらえませんでしたが、このアプティバには設定変更ができるジャンパピンがあるらしいことが分かりました。それでマザーボードのジャンパピンを1つ1つ調べてようやくそのピンを探し当て、無事設定変更ができました。 リカバリーCDROM また、このアプティバに付いていたリカバリーCDROMは本当に役に立ちました。自分で組み立てたパソコンにこのCDROMでアプティバと同じOSとソフトがインストールできたからです(本当は違法行為なんだろうけど、売買を目的としない個人で使う場合は黙認のようでした)。 |
富士通のノートパソコン「FMV-BIBURO/NU13D」です。 97年製でOSはウインドウズ95、CPUはペインティアム130MHz、メモリーは32MG。 今のTFT液晶とちがい、液晶画面が暗かったです。 |
1998年 自作時代 |
初めての自作PC パソコン雑誌「日経WinPC」の1998年6月号で自作の特集記事があり、それを見てマザーボード「ASUSのSP67−XV」チップセットはSiS5598でVGAグラフィック内蔵とCPUが「CyrixPR200」で初めて自作しました。ケースやキーボード、マウスなども全て購入して組み立て、それが無事?動いたときは感動でした。「パソコンは買うものではなく作るもの」という世界にどっぷりとハマってしまったのでした。 それからは、安いジャンク品が出るたびにそれを使ってパソコンを組み立てていきました。ソケット7のCPUはインテルのMMX166とMMX200、WinChipの225、AMDのK6-2,300、CyrixMU、300などを買いました。 自作マシンの一例 ソケット7シリーズ Tekram「P5MUP-A4」、CPUは「AMDK6-2、300」で使いました。 GIGABYTE「GA586SG」はSiS5591チップでグラフィックにAGPスロットを備えたボードでした。CPUはCyrix MU300を使いました。 EPoX社「MVP3E」もAGPを備えておりチップセットVIAApollonMVP3、CPUはペインティアムMMX200で使いました。 スロット1シリーズ その後、CPUはスロット1のペインティアムU時代になりました。 ASUS「P2L97」はじめてのAGPを搭載した名機でした。グラフィックカード「トライデントAGPー4MG」CPUはSlot1で「ペインティアムU266GHz」 同じく2台目ASUS「P2L97」、グラフィックカード「インテル740ー8MG」はベンチマークソフトのファイナルリアリティーが完動したのには感動した。 Tekram 「P6B40-A4X」CPUはSlot1のセレロン333MHz その後ペインティアムV450MHzに変えました。 スロット1タイプのCPUマザーボードの最後は SUPERMICRのPVSCAでSlot1。当時最新のATA100対応Intel820チップでしたが、しょっ中フリーズしました。発売後しばらくして820チップに不具合が発見され、鳴り物入りで発売された820チップは製造中止となりました。そしてこのマザーボードも使用不可になりました。 |
会社で動きの遅いPSVに変わって7台自作パソコンを作りました。 作るたびに機能がUPしていき、性能がバラバラでLAN環境の中で時々不具合がおきました。 |
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1999年 |
やがてCPUはペインティアムUからペインティアムVの時代になりました。そしてペインティアムVでもスロット1ではなく小型のソケット370タイプにかわってゆきました。 |
マザーボード「MSIのMS6309」 VIA694チップとPentiumV533EB/133MHzとメモリーPC100-256MB IBMのAPTIVAに替わり自宅のメインパソコンになりました。 |
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息子が使っているNEC バリュースター OSはウインドウズ98 CPUはペインティアムV450MHz |
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2000年 | ベアボーンキットの「Bki810」を19000円で会社で8台購入。CPUはセレロン700MHz。15インチ液晶を使用。 OSはウインドウズME。 このBki810は価格が安い割りにまあまあの性能で、サイズが小さいので会社で活躍していました。8台もあると時々どれかが故障しますが、インターネットで調べたおかげで、電源などのほとんどのことが直せるようになりました。 |
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システム管理者よりサーバーだけはメーカー製にしてくれとのことで、会社のサーバーはCompaProsigniaServer720(16万円)を2台で購入。 |
トホホの失敗談 あ!と思った時はすでに遅し。 あと少し注意していれば、何の問題も無かったのに。なけなしの大金を払って買った高い大事なパーツがパーになってしまった。泣きたくなるよな失敗てありますよね。 組み立てたパソコンにOSをインストールする時に、ハードディスクをネジ止めせずについケースの上に置いて作業をしていて、終了してCDROMを抜こうとした時、ハートディスクに腕が当たってしまい、ケースから落下!ハードディスクはギューンというい異音を放ち二度と立ち上がりませんでした。 教訓@ハードディスクは上に置かない。 パソコンを組み立て中にマザーボードを下に置いて、電源を入れて動作を確認中ドライバー(ネジまわし)がポトリとマザーボードの上に落としてしまいました。落ちたところが運悪く、バチと火花が飛び、プリント基板の配線が火を噴き、二度と立ち上がりませんでした。 教訓Aマザーボードは下に置かない。 マザーボードのUSBのピンに、たまたま余っていた他社のUSBコネクターを差して電源を入れたところ、そのコネクターから真っ赤な炎が上がり、あわてて電源を切りましたが、そのマザーボードは二度と立ち上がりませんでした。 教訓Bメーカーが異なると配線も異なる。 最近買ったCPUでAMDのアスロン2500バートンコアを、たまたま安く手に入れたマザーボードにセットしてみたところ、電源を入れて、BIOSが上がり、ウインドウズのロゴマークが出て「よし、大丈夫だ、うまくいきそうだ」と思った瞬間パチッといやな音が・・・!画面が真っ黒になり、高かったアスロンがイってしまいました。 教訓CCPUのクロックの設定は、電源を入れる前に必ずパンフレットを読むこと。 不注意でハードディスクをクラッシュさせたのが1回。マザーボードげ火を噴いたのが4回。CPUを焼いたのが2回。その他に、電源をショートさせてしまい、電源が逝ってしまったのが3回。などなど、パソコンを組み立てる回数だけ、失敗も増えます。おとなしく普通に使っていれば何の問題も起こらないのに、ついもくもくと湧き上がる訳の分からない衝動的実験の実行のために、何度泣いたことでしょう。 ハードディスクがなんらかのミスでクラッシュまたは認識しなくなったてなことは、日常的な自然災害みたいなもので、すでに8台ほどダメにしています。特に2000年ごろのIBMやHITACHI、Seagateの10GH〜20GHクラスのハードディスクはICチップに使われていた絶縁物質が不良品で,劣化して1年で使用できなくなりました。これで4台ほどダメにしました。このシリーズのハードディスクで泣いた人は多かったと思います。また同時期のグラフィックカードでnVIDIのTNT2が同じ絶縁物質を使っていたため2枚使用できなくなりました。 しかしながら、「1円でも安く組み立てて、少しでも性能の良いマシンを」 この夢は捨てられそうにありません。 |
2001年 アスロン時代 |
EPoX社の「EP-8K7A」は半年ほど使っていましたが、マザーボードの上で作業中にショートさせてしまいプリント基板が火を噴いて燃えてしまい使用不可になりました。 |
ASUS社の「A7M266」のマザーボードのCPUクロック倍率変更のための2mmに満たないRN19とRN20の4連抵抗(右の拡大写真中央上に2つ並んでいる黒いチップ)を細いハンダごてとピンセットではずして、値の低い抵抗にハンダ付けし直して倍率変更を可能にしてアスロン1.33MHzを1.46MHzにオバークロックさせて使っていました。 ただ、発熱量が非常に多くなるので結局元の抵抗に戻して今でもアスロンXP2200で現在も会社で使用しています。 |
2002年 | ESCの「K7S5A」はアスロンXP2000サラブレッドコアで1年ほど使用していましたが、USBコネクターに他社製を接続したため火を噴いて燃えました。使用不可になりました。 |
2003年 ペインティアム4 |
← AOpenの「AX4PER-N」はIntel845PEチップでペインティアム4/2.4GHzは自宅で今もメインマシンとして使用中。DVD−RでDVDを焼いています。 → SONYのVAIOノート 14.1インチ液晶画面 モバイルアスロン1.2GHz OSはXPホームエディション 16万円で正規に購入。自宅で予備機として使用中。 |
2004年 | GIGABYTEの「GA7VRXP]は アスロンXP2000で会社のサーバーとして使用中です。 GIGABYTEの「7VM400AM」はアスロンXP2500バートンコアで使用していましたが、ばかなことをして焼き鳥にしたので、現在アスロンXP2700で使用しています。 |
Biostarの「M7VKQ」はジャンクで800円で手に入れました。 サウンド、LAN、グラフィックがオンボード(マザーボードに付いている)でまあまあの性能なので値段も値段だし買ってみました。 膨らんでいる電源周りの2200μfの電解コンデンサーを3個新品と交換して、なんの設定もせずにアスロンXP2500バートンを付けて電源を入れたところパチン!と音がしてCPUが焼けました。CPUクロック設定が合っていなかったのです。設定のジャンパピン1箇所さえ付けなおしておけば良かったのに・・・800円のためにCPUの1万円がパーになりました!トホホです。 現在デュロン700(980円で買った)で使用中。けっこう便利です。 |
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SOTECのノート ペインティアム4/1.4GHz ジャンク品を8000円で購入後 修理して会社のディスクで使用中。 液晶のバックライトが少し暗くなってきている(通常に使っている分には気にならない程度だが)ので14.1インチ用のバックライトをYahooオークションで物色中。入手しだいバックカバーをはずして交換予定。 その後バックライトを2000円で購入(落札)して、無事交換しました。 今は会社の第一線で活躍中。 |
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深刻な不良クラスタができたため、起動できなくなったハードディスク再生法 | OSなどを何回か書き換えていると、WINDOWSのシステムあたり(最初の2ギガぐらい)で不要クラスタができてしまい、OS起動中にハードディスクがカチャカチャと音を立てて起動できなくなることがあります(起動が前に進めない状態)。そのハードディスクを使用可能にする方法です。 | 現在使用できるディスクトップのパソコン(ノートパソコンではちょっとむずかしい)のハードディスクのIDEケーブルに、起動できなくなったハードディスクをスレーブの設定で接続します。 起動後DOSよりFDISKを実行し、ドライブの変更を選択して、スレーブで接続したハードディスクを選びます。そして不良クラスタの発生している3ギガまでを拡張MS−DOS領域として作成して終了します。 次にマスターのハードディスクをはずします(いちいち本体からはずさなくても電源プラグを抜くだけでよい)。起動できなくなったハードディスクノセッテイをマスターにします。OSが98シリーズ(98〜ME)なら起動ディスクのフロッピーから起動してFDISKを実行します。XPならXPのCDROMから起動します。 最初の0バイトから3ギガまですでに拡張MS−DOS領域(Dドライブ)が作成されていますので、残りを基本MS−DOS領域(Cドライブ)として作成します。そしてアクティブにします。その後、最初に作った拡張MS-DOS領域(Dドライブ)を削除します。 再起動後、最初の不良クラスタのある3ギガまでが空白になっているため、ハードディスクはその部分の読み込みをせずに飛ばして、基本MS-DOSのある(Cドライブの)3ギガ目から読み込みを始めます。この領域(Cドライブ)をフォーマットします。 そしてそこにOSをインストールします。これで私は10ギガのハードディスクを7ギガで、20ギガを17ギガとして現在も使用中です。 ただしこの処置は、深刻な不良ラスタのために起動できないハードディスク有効ですが、回転軸や、処理チップの不良や、読み出しヘッドの故障のハードディスクには使えません。 しかし2008年の今では、ハードディスクの容量が160G、320G、500G、と大容量化して安くなっていますので、こんな作業も必要ではなくなってきました。 |
2005年 | 会社の私のメインマシンであったASUS社の「A7M266」が突然壊れたので、現在予備機だったBiostarの「M7VKQ」にアスロン2200CPUを載せて使用中。ケースはヤフーオークションで850円で落札したものを使いました。 | |
300円でAOpenのマザーボードAK77Plusがうられていたのでつい買ってしまいました。 故障した電解コンデンサー4個を交換して、ヤフーオークションで100円で落札したパソコンケースに入れて、現在サブマシンとして使用中。 |
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2006年 | ギガバイト社のマザーボードを中古で2枚ほど買いました。アスロン2700とペインティアム2.4Ghで使用中。その他ASUS社のマザーをジャン1600円で購入しPen1.6Ghで使用。 日立のB4サイズのノートパソコンを、オークションでジャンク品(電源が入らない)4000円で落札。 分解して電圧をチェックしたところ、ハードディスクに5Vの電気が来ていません。途中の部品が切断(多分抵抗か整流器の故障切断)しているようなので、直接ほかの場所より電線で接続しバイパス回路を作り、無事使用できるようになりました。 |
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2007年 |
デュアルコア(1個のCPUに2個の回路が入っている。作業する人が二人いるようなもの)のアスロン64X2の4000でパソコンを作りました。電源も高級品を中古1600円でゲット。マザーボードやDDR2メモリーもオークションで入手して2万円で作成しました。 デュアルコアは使ってみてやはり最高に調子が良い。作業をいくつも同時にすることの多い場合、今まではよくフリーズして止まってしまったのに、スムーズに動きます。満足。 次男が大阪に下宿したので、ソーテックのデュアルコア(ペインティアム・デュオ)パソコンを12万で買いました。 |
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2008年 | いよいよデュアルコア時代に突入。CPUもメモリーも以前の半額となり、メーカーから売り出される新型パソコンは全てデュアルコア採用のものになりました。 |
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2009年 | 我が家のパソコンもCPUをAMDフェノムクワッドコア(1個のCPUに4個のCPUが入っている)を購入し、メモリーも2ギガ、ハードディスクも2テラになりました。 | |
2010年 |
グラフィックカードもGF210でメモリーがDDR3の512Mになりました。 昔のデスクトップパソコンの内蔵グラフィックメモリーが4Mしかなかった時代と大違いです。2002年ごろのノートパソコンでも16Mか多くて32Mでした。 |
2011年 | エイデン四日市店の処分特売でInteleのi5-455kを1万円とH55のマザーボードを4980円で買いました。このi5-455kはオーバークロックができるCPUで、なんと4.3GHzで動作可能のようです。メモリーはDDR3の1Gを2本、計2G使いました。 その次に、i5-2500を14800円で買いました。それに合わせてH61のマザーボードを6780円で買いました。メモリーDDR3の2Gを2本、計4G使いました。 本当に必要かというと、今使っているスペックで十分な性能なのですが、つい特売という言葉に弱いです。 |
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2012年 | その後、4コア8スレッドのi7の2600Kを購入し自宅で使っています。エンコードはやはりずば抜けて速いですね。 | |
2013年 | 現在私の手元にあって仕事に使用しているパソコンは 会社でOSがWindowsサーバー NECのサーバー(CPUペインティアム4)が2台(予備がさらに2台) OSがXPーProの機種で IBMのデスクパソコン(CPUペインティアム4)が7台(予備1台) CMPACのデスクパソコン(CPUペインティアム4)が1台(予備2台) 自作のCPUアスロン64x2が1台 自作のCPUコア2デュオが1台(OSはVSTA) 自作のCPUi5-2500Kが1台 会社にはあるが仕事以外で 自作のCPUフェノム4が1台 自作のCPUアスロン64x2が1台(OSはVSTA) 自宅で 自作のCPUi5-2500が1台 自作のCPUi7-2600Kが1台(OSはWindows7) その他 息子のアパートに 自作のCPUi5-455Kが1台自(OSはWindows7) 会社に今は使用していないが 自作のCPUペインティアム4が1台 自作のCPUアスロン2700が1台 |
ノートパソコンは 自宅で (OSがXP) SONYのVAIOが1台 シャープのメビウスが1台 SOTECが2台 日立が1台 (OSがWindows7) 東芝ダイナブックが1台 息子のアパートに SONYのVAIOが1台 (OSはVSTA) |