恋をすると人は詩人になる
次々に照れくさい言葉があふれてくる
胸が苦しくて夜も眠れない
|
それは俺にとっては、本当にただの日常。
部屋で彼女と二人きりで過ごす、特段予定のない休日の午後。
台所からは、かちゃかちゃとガラス器の音。
飲みものでも用意してくれているのだろうか。
「……あー……」
両腕を天井に向けて、硬直化しかけた背筋を伸ばす。
俺はこんな時間がとても好きで、思わずゆるんだ声が漏れた。
まだ暑いとは言えない時節。
窓からは心地よい風が入ってきて、彼女の強い要望で購入したUVカット効果のあるレースカーテンを揺らす。
俺は、軽く瞼を閉じて、『お願い』をしてきたときの彼女の顔を思い浮かべた。
髪は真っ黒なくせに、少しだけ色素の薄い眉。
グレーっぽい、意志の強い眼。
|
─────────────────────── 君は
|
その眼で、まっすぐに見られるととても弱い。
|
────────────── 君は俺を見ていて いつも
|
思い出すだけで、感情が伴うだなんて、大したのろけだとも思う。
なぜか、眼差しが、やけにリアルに脳裏に浮かんだ。
そうそう、こんなふうに。
「何をぼーっとしてるの?」
「……っ!」
びくっと、一瞬肩が揺れるのがわかる。
気がついたら目の前に彼女が立っていた。
先ほどまで、飲みものを淹れながら向こうで本を読んでいたのに、油断した。
一瞬、今考えていたことをそのまま口にしそうになって、唾ごと飲み込む。
こんなこと恥ずかしくて言えやしない。
こんな日に考えていることなんて、彼女のことと書きかけの書類のことくらい。
|
────────────────── 誰にも言えない
|
「……」
俺の反応を待つように、彼女は特に何も言わない。
付き合いもそれなりに長くなれば、こういうときの持久力だけはお互いに育つものだ。
まずい。
さっきまで考えていたことのせいで、口を開いたら余計なことしか言わない気がする。
|
─────────────────── 声にならない
|
「……?」
怪訝に眉を寄せて、こちらを覗きこんできているのが気配でわかった。
|
───────────────── 声にならなくても
|
顔を見たい、気もする。
少しだけ不機嫌な、俺のことを考えているときの顔。
プライドが高くて、人前では気分を出さないと決めているこの女が、二人のときにだけ見せる表情。
顔を上げずにじっと我慢して、俺は、思い描いたその表情に、名前をつける。
「かまってほしそうな」?
「機嫌をとれと要求している」?
「不安がないからこそできる顔」?
どうしよう。
会話のないこんな流れはとても心地よい。
彼女もそんなふうに思ってくれていたらいい。
なのになんで、言葉をあてはめたいんだろう。
|
──────────────── 言葉にならなくても
|
どうしても、ピンとくるものがなくて、その先をねだるように、俺は彼女の手を取った。
正面から、意外そうな空気が流れてくる。
悪い気はしない。
そのまま、ゆっくりと指を絡ませた。
相変わらず、細い指。
その細い指が似合わない仕草をすることを知っている。
俺はこの指がとても好きだ。
|
───────────────────── お願い
|
きゅっと、指を絡ませ返されて、ふと我に返る。
……なんの話をしたかったのだろう。
感情だけが、ただただ、駄々漏れになる感覚。
「……だよね」
ぼそりと、自分でも聞こえにくいような声を洩らす。
え、と耳をこちらに寄せるようにして彼女が近付いてきた。
|
─────────────── これで 君は俺のトナリ
|
それでも俺はまだ顔を上げない。
|
─────────────────── 目があったら
|
どうしよう。
|
────────────── 目があったら 好きだって
|
形にならない何かが、こずむような、せり上がるような、気分。
|
─────────────────── お祈りをした
|
何を?
|
───────────────────── お願い
|
何が?
|
───────────────────── お願い
|
どうしよう。
|
───────────────────── お願い
|
どうしたいんだろう。
少しずつ、顔を上げていく。
そうだ。
その眼に。
|
───────────── “俺が死んだら泣いてほしい”
|
「……それだ」
一瞬の光の明滅。
俺は、勢いよく立ち上がると、彼女と目も合わせずに、奥の部屋へと駆け込んだ。
そのまま力任せに、戸を閉める。
ドアノブを後ろ手に持ったまま、深呼吸。
俺は君が好きだ。
俺は君が好きだ。
味わうように、繰り返して、口内を満たす。
|
恋をすると人は詩人になる
次々に照れくさい言葉があふれてくる
|
俺は、スリープ状態にしておいたパソコンを起こして、焦れたように書きかけの書類を開いた。
もう一度、深呼吸。
君とすごした大切な日々。
二人だけの秘密の約束。
君にしか言ったことのない言葉。
俺だけの笑顔も 忘れられない涙も。
もうすぐ3,000円(税込)で買われていく。
充実確実な12曲入り。
とても大切なメシの種。
あの指を握りながら
別れ話を切り出すことだって何度も想像した。
こんなものは自慰行為の延長線上でも。
君を思うこの気持ちを。
したためて したためて したためて。
|
恋をすると人は詩人になる
次々に照れくさい言葉があふれてくる
忙しくて夜も眠れない
|
ちゃんと君の名前はふせるから
俺の名前もふせてるから
ごめんな こんな露出狂の彼氏で
|