叫ぶ。心の底から。
ついうっかり。
その言葉に意味なんてない。
ただ、言葉を声にして、思わず叫びたかったのだ。
「神様!」
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ぱぱらぱっぱらーっ。
光の洪水。
<さあ……何を願うのですか?>
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如何に切羽詰っているとは言え、突如人の居空間に現れた、未確認生命体に向かって、偉そうに願望を述べられる人間なんて、そうはいまい。
大体、天使だか何だか知らないが、神様も、本気で願望を叶える気があるのなら、使いには、もう少し動揺を誘わない格好をさせるべきだろう。不必要なまでの美形に、無闇に羽根など生やしたりせずに。異形具合でもって、願いを叶える能力という特異さ信憑性を示そうとでも言うのか。力のあるものは、誇示しないのではなかったのか。
相手が落ち着いて願望を言えるように、もっと見慣れた風体にすべきだろう。バーコード頭に、グレーのスーツ、合成皮のアタッシュケースに、くたびれた革靴で、玄関から。礼儀正しく、呼び鈴も鳴らして。勿論、容姿は凡庸に。そうすれば、こっちだって、茶の一つも出しながら、落ち着いて話も聴けようというものだ。
……だめだ。そんな男の口から、神だの天使様だの飛び出そうものなら、どうみても宗教の勧誘にしか見えない。
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問題は、そんな簡単に天使とやらが現れるか、ということだ。
趣味で、やたらとハイクオリティに自主制作した、そういった被服を纏う人間は、局地的にだが大量に存在する。それなりの確率で、「本物」が登場するというのでなければ、しかるべき建造物への交通手段のメモを握らせて、お引取願ってしまうのが、通常の反応だ。
そもそも、この広い世界、同時に神様に頼る人間は、決して単数でないだろう。思わず、叫んでしまう慣習の言葉で、呼ばれる存在。慣習は、多用されるが故に慣習なのだから。こうなると、言葉のあやと大差ない。
そして、全知全能などと言われる以上、神様だって、そんなことは百も承知のはずである。一々本気に取るのも馬鹿馬鹿しい。ペンパル募集じゃあるまいし、普通、ちょっと呼んだからって、そうひょいひょい使いをよこしたりするもんじゃないだろう。
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幾ら考えたって、うまく行けば現状を打破する方策は浮かぶかもしれないが、現状がそうであるという事実それ自体は変わらない。
目を逸らせば見ないで済むが、飽くまでそれだけだ。そりゃあ、そうしている間に状況が変わって、始めから本当になかったと思い込めるのなら、どれだけいいだろうと、期待しないでもないが。そんなことは、霊感がないと自分に言い聞かせて、墓地近くの小道を必死で走り抜けるようなものだ。
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意を決して、顔を上げる。
<神より遣わされて参りました……何を願うのですか?>
目の前には、先ほど出現してからそのままでいる、何だか光っている物体。
何だか光っているのはわかるけど、とりあえず、見えない。有翼体かと思い込んでいたが、そうかどうかすら、確認できそうになかった。これが、住む世界が違うってヤツか。
天使ってのは、歴史ある戦いをしている長生き美形か、ドジで一生懸命がウリの健気な美少女か、ひねた性悪説少年と相場は決まっている、というのが、如何に勝手な想像であるかがよくわかる。
そりゃ、勝手な先入観をもたれても、神様も、そいつは無理な注文だと言うだろう。そのくらいサービスでつけてくれてもいいかと思わなくもないが、あまりサービス精神旺盛だと、先ほど考えた”願いやすさ”云々に矛盾してしまう。かと言って、この光源体が願いやすい形態とは到底考えられないが。
<何を願うのですか?>
思いのほか、気は短いらしい。
いやまて落ち着け。誰も、ないなんて言ってない。
世の中、思い通りにいかないことは、いっぱいいっぱいだ。超人的な力で、ぱぱぱなら、そりゃあもう、こんなに便利なことはない。深夜のテレビショッピングの外人だって、ワーォって言ってくれるはずだ。
って、俗っぽく落として、安心しようとしている場合じゃなくて。
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そもそも、何だって”神様”だなどと、叫んだんだったか?
…………。
ああっ。そうだ!
立ち上がった拍子に机の角に小指を、あまりに勢いよくぶつけて、途方も無く痛かったもんで、つい叫んだんだった。
…………。
……びっくりしたせいで、もう痛くない。
…………。
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こう見えても、冷静な思考能力にはちょっとした自信がある。
まず忘れてはいけないのは、何か願ってそれが叶うということは、何らかの変化であり、変化させるということは、その結果に纏わる責任を負うということだ。だからこそ、通常、人間は、責任能力範囲内程度の実行能力しか持たないのだから。
ところが、今回は、叶えてくれるのは、神様、もしくは委託された天使様である。どう考えても、自分の責任能力は、いともあっさりと越えていることは疑いようもない。
これで相手が悪魔ならば、物理的でも気分的でも、とにかく、責任の一部を押し付けることも出来たかもしれない。さも、相手の解釈や叶え方が悪かったのだとばかりに。この辺りが、有料な所以だろう。そりゃ、寿命やら若さやら命やらも、請求しようってもんだ。
相手が神様・天使様では、こうはいかない。よもや、”わーん、みんな神様がやったんだあぁ!”などと言った日には、弟に罪をなすりつけようとする兄の言い分の方がまだ許されよう。
タダより高いものはないとは、正にこのことか。
尤も、何を願うのかについては、候補すら上がっていないが。
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冷静どころか、気が短いと思われる天使相手だというに、余計な思考に時間を割いてしまった。
ここは一つ、頭を冷やして、脳内を新地にした後に、直感で候補を上げ、予想効果と責任能力とを照らし合わせて、最良の選択をすべきであろう。
そうと決まったら、まずは冷たいものでも飲んで、すっきりしよう。いい加減、頭を使いつかれて、喉が渇いてきた。
やはりここは、麦茶。キーンと冷えた、一杯の麦茶が欲しい。
確か、下の冷蔵庫に……。
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眩い光から冷めてみれば、目の前には、涼しげな色のコップ一杯の麦茶。
光源体は、もうなくなっていた。
そうか、わざわざ口に出す手間を省いたのか。
なるほど。効率を重視している。
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