華-クロイハナ-




埃っぽい教室。
薄開きのカーテンから、赤みを帯び始めた光が入る。

規則的に並ぶ棚達。
木製の古びた木の板で構成される棚達。
その総てが胸一杯に本を抱いている。

薄っぺらい壁と、扉だけで隔てられた別世界。
喧騒を和らげる、守護者たる扉。
放課後の予定を囀り合う子供の声も、漏れる程度に抑えられる。

守護者から最も遠い棚の一番上の段で、私は佇む。
今では古い言い回しの多くなった、漢字の多い文章を腹に収めて。
変色した赤銅色の身体で。

晒され続けて消滅しそうな、背表紙の金文字。
届くのはただ、少し離れた同僚たちが、暖かな手に抱かれていく音。
その気配。

受動するものすら僅かな……静寂の世界。
ひたすらの無垢。

「……」

もう余命のない金文字に、そのかつての姿への疑問を含んだ視線を浴びた。
暗黙の約束のように、声すら掛けることなく唐突に
私の身体に白い指が触れた。
ややあって、全身が空気に晒される。
逆端が棚の天井にぶつけられる、快感にも近い衝撃的な痛みで。

─────────────……パリッ……─────────────

十数年ぶりの行為に、引き裂かれるような音を立てて、身体が開かれる。
埃の混じった、眩しい空気。
ジジッと、低い音を立てる白熱灯。
目前の……知ろうとする気持ちに満ちた瞳。

─────────────……パラリ……─────────────

なんと美しい黒い花弁のような瞳。
良かった。

─────────────……パラリ……─────────────

その指に、身体を繰られる毎に、確かに記憶される。
良かった。良かった。良かった。

─────────────……パラリ……─────────────

やさしく、ただやさしく、この身体を這う、白く暖かい指。

─────────────……パラリ……─────────────

綻ぶように目の前に咲く花への、今までにない恍惚とした喜び。


────────────────────────────……喜び?


突然に、守護者を打ち破って、少年が舞い込む。
少年は、誰かの名を叫んだ。
この身の静寂とは比べようもない、躍動的な歓喜で。

ぐらりと、身体が揺れた。
往路よりも乱雑な衝撃で復路を辿る。

黒い花は行ってしまった。
白く暖かい指は行ってしまった。

まだ黒い花香を嗅いでいない左半身が疼く。
未練に満ちた悲しみに疼く。


───────────────────────────……悲しみ?


喜びと悲しみがあるなんて。
幸せと不幸せがあるなんて。
正と負があるなんて。

何もない世界は静寂な充足感に満ちていた。
欲しないのだから飢えなかった。

だから……知らなかったのだ。

思い通りに行かないことなどなかった。
思い、などなかったのだから。

世界が、牙を剥いた。


どうぞもう一度。どうぞもう一度。どうぞもう一度。


なんの能動すら持たない私が、佇む他の行為を覚えてしまった。

願ってしまった。

存在するのだ。

絶たれる、ということがあるのだ。

世界が、牙を剥いた。


君を見たあの瞬間に咲いた、黒い花の名は……

どうかもう一度。



Ysiumどんに捧げた
 
 リクエストは絶望。
 ストレートに書くと、「word junky」とネタが被る。
 やむ負えず暗い話を書く。
 
 ポルノグラフィティの「アゲハ蝶」をパクって参考にさせて頂いて描写。
 曰く、「あなたに逢えたそれだけでよかった」。
 曰く、「愛されたいと願ってしまった 世界が表情を変えた」。
 
 絶望するには「望み」が必要。
 「望み」のない世界は、十全で満ちている。
 
 国語的に真面目に書いたら、どう読んでも官能小説になった。
 エロスってすごいよな。