SISTER STRAWBERRY




 「……どう、今回のは?」
 大きな目が、ごくりとつばを飲むような緊迫感で、俺を見上げてくる。

「……」
 俺は、手の中の物体を、半眼でしばらく見つめてから、口を開いた。
「3点」
 正確に言えば、2+といった位だが、まぁ、繰り上げておいてやろう。
 この愛に感謝するがいい。

 「ええー!! なんでよぉ!?」
 こら。ぐーはやめなさい。ぐーは。
 立ち上がった拍子にぶつかった机の上の紙袋がはねて、中の物体……すなわち、今この手の中にもある物体が、がさっと音を立てた。
 小麦粉やらバターやら砂糖やらを混ぜてこねて小分けして焼いた物体……恐らく平均的な技能の持ち主に同じ材料を渡したのであれば、クッキーと一般的に呼ばれていたであろう物体だ。

「甘すぎ。第一、中がまだ生」
 ちなみに周りは黒かった。ある意味、これも技か。
 じとんとした視線を投げると、大きな目がする〜りと、泳ぐように焦点を逃がす。
 二人の間を流れる、落書きの小動物がとてとてとするような間。
 「あ、やっぱり? そんな気はしてたんだ〜♪」
 ……おい。

 てへっと、肩より少しだけ下まで伸ばした髪を掻き揚げる。
 指先のあたりに、耳のすぐ上に留められたとんぼのヘアピンがのぞいて、教室に差し込む夕日を反射した。
 眩しいじゃないか。……いろいろと。

「やっぱり、おにーちゃんに食べてもらう前に、試食係に食べさせて正解ねv」
 両手を可愛らしく顔の前で合わせる。
 試食じゃなくて毒見っていわないか、これは。
 奴に食べて欲しいんだったら、とっとと持ってきゃいいだろうに。
「おにーちゃんに何かあったら大変だものv」
 俺はいいんかい。俺は。

 知っているけど放ってあるダークな気分を放り投げるように、手の中に残ってるソレを口に放り込む。
 指先に残った粉は、ココアの類は混入させていないはずなのに黒かった。
 それでも、少しも残さずに、その指先も、かるく舐める。
 けなげだね、まったく。

 と、そんなことは見ていない様子で、大きな瞳の色が変わり、
「……はぁ〜……」
 盛大に息を吐くのが聞こえた。
 「なんで、うまくいかないかなー……」
 合わせていた手を前に押し出すように広げながら、深いため息と共に机につっぷす。
 それを追うように視線を下向きにしかけて……あ、じゃりじゃり言う。
 いや、別にいいけどね。嫌いな食べ物なわけではないし。
 いや、ある意味、一番腹の立つ食い物なのか?
 ……って、そのあたりは考えちゃ駄目だって。
 わかってるんだから、それで十分。

「肝心のおにーちゃんには会えないし」
 わざわざ高校の教室に保証もないのに忍び込んで、たまたま俺がいたからって、口の中にクッキー押し込むだけのエネルギーがあれば、探せないこともないと思うが。
 ま、奴の前に出たこいつには、そんな強引さはないか。

 「……」
 はっと我に返ると、大きな目がうつぶせの姿勢のままで、こっちを見ていた。

「……おいしい?」
 あ、声に元気がない。

「おいしくない」
 あ、沈んだ。

「……くすん、いぢわる」
 ま、このくらいしか能動的に幸せになれないからね。
 俺も大概、甘いよなぁ。

 「それより他にすることがあるだろうが。春になったら、学校でも会えるようにするんだろ?」
「ちゃんと合格安全圏入ったもん」
「偉い。そいつは、教えた甲斐もあるってもんだ」
「うん、ありがとね」
 お、素直。微妙に投げやりではあるけど。
 まぁ、あんまり感謝されても痛いだけだけどさ。
 嫌がらせも兼ねた役得だったし。

 ぎしっと、体勢を変える拍子に、椅子の背中あたりが鳴った。
 なんか、今の気分みたいな音じゃないか。椅子の分際で、厭味か。

 「おにーちゃんのクラスメイト兼幼馴染の汝に問〜うっ」
 つっぷしたままの小さな頭が、わざとらしく低くした声を投げてくる。
 なんじゃい、そのえらい基準の修飾文句は。
 俺だって一応、お前の横に十数年いるんだが。
「おにーちゃんの気に入るような味ってどんなんですかー?」
 いや、もっと根本的な問題……。

 まぁ、奴なら、この物体だって、おいしいって言うだろうけど。
「そりゃあ、おにーちゃんは誰かさんと違って、すっごおっく優しいから、きっとおいしいって言ってくれるだろぉけどー」
 じゃりじゃりと生のハーモニーで頑張ってる俺の優しさは……?

「……そんなんじゃヤだもん……」
 そこ、無視して、めちゃめちゃ可愛いことになってないでくれ。

 ぎしっと、もう一度嫌味みたいな音を出しかけた時、
「あれっ? どうしたのこんなところで?」
 「おにーちゃんっ!!」
 戸口の方からした驚いたような声に、机に全体重を預けていた体が、跳ね上がるように起きた。

 「どっどうしたのっ。こんな時間にっ」
 ちなみにまだ、放課後とか言ってられる時間だが。
「それはこっちの台詞だって。また、兄貴のとこに遊びに来てたのかい? ホントに仲がいいよなぁ。昔から」
 くすくすと柔らかい笑い方をしながら、自分の机を探って、数学の教科書を取り出す。ああ、忘れ物を取りに来てたわけね。
 そういや、課題出てたっけ。忘れてたよ……って、俺、確か当たる。
 ……ナイスタイミングだ、サンキュウおにーちゃん。

 「そんなんじゃないよぅっ。兄貴が、部活の道具忘れたから届けに来たのっ」
 わたわたと手を振って、焦ったような言葉を必死で並べる。
 バスケで、ひしゃげた黒いクッキーは使わないと思うが。

「あれ? お前、今日は部活休みって言ってなかったっけ?」
「自主練したくなったんだよ」
 ごそごそと自分も教科書を鞄に入れながら、返す。
「相変わらず熱心だな。俺はこれからCD見て帰るよ」
「あっ、じゃあ……っ」

 「ねー、早くーっ!」
 勢いこんで上ずった声を遮るように、廊下から、さばさばとした声が飛んでくる。
 こっちも十何年と聞き慣れた声。案外、ひどいことに。

 何か言いかけてた声が、瞬時に留まる。どうやら、その正体をすぐに思い当たったらしい。
「っと、いけない。あいつを待たせてたんだっけ。怒らすと恐いんだよねー」
 同意を求めるような苦笑いに、とんぼのヘアピンをちらりとのぞかせながら、あははっと肯定の笑いが返る。

 「じゃあ。気をつけて帰りなね」
 スポーツはしないゴツくない手が、ぽんっととんぼピンをさした頭に置かれる。
「はぁ〜いっ」

 明るく元気なお返事。

 大好きな近所のおにーさんと、結構好きな近所のおねーさんが仲良しさんなのは、下手な他のケースよりも、タチが悪かったりする。

 えへへーって笑いながら見送る照れ笑いと、机の下でぎゅうっと学ランの裾を握りしめる小刻みに震えてる指。

 その学ランの主でいられるのは、兄貴の特権。
 例え、今のウチだけでも。

 奴の姿が見えなくなってから、一瞬だけ過ぎらせた表情。

 見なかったことにして知っているのも、兄貴の特権。
 例え、今のウチだけでも。

 おにーちゃんにはわかるまい。

 廊下の方から、今教室でさー、などど話している声が聞こえてくる。

 勉強くらい、教えてあげるから。

 がんばりましょうね、サクラサクまで。



Ysiumどんに捧げた
 
 リクエストは時事ネタで「受験」。
 upするころには、葉桜じゃ済まされないほど時間が経過するのは自明。
 リクエスト者にはそのあたりのタイムラグを考慮して、季節感を出して頂きたい。
 
 自分の子供が有名私立幼稚園でも受けないかぎり、「お受験」にドラマなどなかろうよ。
 もちろん私は、志望校決定事由に色恋を混入する人物など、御目もじ仕ったことはない。
 
 そう思っていた製作当時から10年弱。
 女のために転職する男友達にはたくさん御目もじ仕った。
 そしてその逆は皆無というこの現実。
 
 今回の兄は、本物の「ニセモノおにーちゃん」と推測されるリクエスト者を逆手にとって、「兄貴」。
 特権満載。愛情過多。ゴールはないのに、時間制限つき、エリア限定。
 「大好きなおにーちゃん」ではなく「兄貴」。
 
 ちなみに私の近隣には、15歳年下の妹のためにポケモンを全部言える兄と、19歳年下の妹に父親と混同されている兄と、胸板の足りない兄がいる。