こみせの再建
藤崎町周辺でアパート探しをしているとき、藤崎町の不動産屋が不在で、たまたま、やってきたのが黒石市。
そのときに、こみせ通りに一目惚れ。藤崎町まで自転車通勤できるので、黒石市の西部に住むことにしました。
あのとき、こみせ通りを見ていなかったら、藤崎町の不動産屋がいたら、黒石市に住んでいなかったでしょう。
それぐらい、こみせ通りの街並みは、よそ者には魅力的です。JRの高級観光列車「四季島」の乗客が、わざわざバスで黒石を訪れるのも、このこみせがあるからこそ、です。
青森だけでなく、日本を代表する豪雪地帯の珍しい構造物です。新潟の糸魚川市の街が、大火で焼失してしまいました。他の町では、金属製のアーケードに代わってしまっています。
黒石は糸魚川と同じで、「発展から取り残された」からこそ、こみせが残った。それが今となっては、かけがえのない街の景観遺産になっています。運命の皮肉ですけれど、奇跡的です。
かつては、境松のほうまで連なっていたというこみせ。車社会になってしまって、寸断状態。修復が難しそうな老朽家屋も少なくなく、危機的な状態です。
東海道の関や中山道の妻籠・馬込などの宿場町も、近くに鉄道や道路が通り、急激に寂れたから、古い街並みが残りました。
いつまでも、今のように油が安く自由に使えるわけではありません。もう一度、歩く生活に戻る事態を想定して、平時から、こみせを再建しなくてはいけません。
それだけではなく、家屋も「黒壁に赤い屋根」で少しずつ統一していくべきでしょう。
一軒一軒の家屋が個性を殺すことによって、町全体の個性が際立ちます。京都や高山などの街並みが魅力的なのは、有名建築を、民家が支えているからです。
黒石では、消防署の古い建物も残っています。
「発展から取り残された」から古い街並みが残り、「発展から取り残された」ために、今、その建築群が末期症状を迎えています。
黒石が守らなければ、青森県内の、日本国内の貴重な街並みが消えてしまいます。
黒石駅や大型バスの駐車場から、ずっと歩いてこみせ通りにまで達するようなこみせの再建は、黒石再建にとっても鍵になります。
街並み造りには何十年、何百年かかります。「完成」というものはありませんけれど、今、始めないと、その分だけ時計が止まります。