〔難しい、いろいろの理屈は一切私は存じませぬ。しかし、ただ我々は、どこでも手を引きおうて仲良く暮らして行きたい。
そして、そうするために我々は、あくまでも努力したいというのが、私のただ一つの、そして最も重大な念願なのです。
たがいに許しあい助け合って、仲良く天地の大神業に参加したい。宇宙空間の森羅万象、一として絶対不要だとか有害とかいうものはないのであります。
どんなものでもみな、それぞれの時と場所とさえ得たならば、善であり美であり真であるのです。生存は事実であり、理論は遊戯であります]
〔現界人に霊界の因縁がチャンとわかってしまえば、とうてい阿呆らしくて、親を親とし兄弟を兄弟として、親睦する気がなくなったり、 また最初から自分は偉い素姓とうぬぼれていっこうに努力がなくなったり、あるいは自分は非常な罪人かと悲観をして、捲土重来の意気がなくなったりしてしまうのである。
実際、今の世は仇同士が兄弟になっていたり、霊統の下位のものが、肉体の母親となっていたり、みたまの夫婦が兄妹となっていたり、その他イロイロとこの類が多いのであって、こういうことが、現界人に肉体的に知悉されては、とても堪えられぬものである。
大分変わってきたけれども、やはり、わが国は古来よりの封建的家族制度のふうが残っていて、個人的自由を束縛していることは甚だしい。
なるほど、霊統のそろった一大家族ならば互いに意気が合うので、一団体として活動するの方が、より大なる便宜と愉快とがあるけれども、 今も世のように、霊統の紛糾混雑の極に陥っている時に、依然として、封建的家族制度を維持せんとするなどは、非常な無理といわねばならぬ。 それはちょうど、水と油を強いて融和せしめんと努力するようなものである。
もつれにもつれている霊統を整理せんとせば、どうしても、一度はバラバラにそれを解いてしまってからの上にせなくてはならぬ。
頭を足にし、足を頭にしたままで、いかに努力したところで、完全な人間の任務が営まれるはずはない。 極端な個人主義は無論良くないことではあるが、家族制度の弊風をいったん破壊してしまう方便としては、是非もない。 しかして後に、真の家族制度が樹立されるのである。人間は相寄り相睦ぶのが本性であるから〕
〔同じ神様の御子として生まれさせていただいて、めぐりの有無によるとはいえ、こんなにまで世の中は幸不幸の差がひどいのかと思うと、腸がよじれるほど悲しい。
ああ世界の人間が、一様に、それぞれの幸せを得て、面白く、嬉しく暮らしていく日は、いったい、いつ来るのだろう。
もつれにもつれた糸を、それぞれに元へもどすということは、さても大望なことであるわい〕