43周年にあたり





当店43周年に寄せて

ミントンハウスは昭和48年の夏、東京都小平市内でジャズ喫茶として開業しました。当初、店名は“ジャズパラダイス”とする筈でしたが、師事した某ジャズ評論家の先生から「君の店はミントンハウスにしなさい」といわれ、その言葉に従ったわけです。開店する以前に私は某放送局を退社し、その後あちらこちら、うろうろしたあと「よっしゃー!やったるぞ」と意気込んで始めた訳です。そのきっかけは、モダンジャズ一辺倒であった我国ジャズ界に「ジャズ原点にクラシックジャズあり(今で言うトラッドジャズ)。それを知らねばジャズを理解できぬ」と一石を投じるつもりだったのです。何せまだ私は生意気盛りの若造、鼻息だけは荒かったようで、今振り返れば汗顔の至りであります。

さて、開店したのはいいが、最初の月から営業はさっぱり振るわず、そこに私の家庭の事情も重なって、一旦店を閉じてしまいます。閉店ではなくシャッターを下ろして休業です。その閉めている間に家庭問題を片付け、単身にて短期決戦の荒稼ぎに出ます。つまり、他の労働に従事して金銭関係の処理に充てる。のちに何事もなかったかのように、涼しい顔をして店のシャッターを開けたのは半年後のことでした。不審がるお客様には「いやぁ、海外旅行が長引いて」などと、いけしゃぁしゃぁとほざいて煙に巻いたものでした。その後も3〜4年は、開店→休業(出稼ぎ)→再び開店を繰り返し、ようやく毎月、毎年、ずうっと営業できるようになったのは昭和52年ごろ、第一回改装をしてからのことでした。

書き出したら止まらない私の悪い筆の癖、長くなりそうなのでここはできるだけ簡単に。小平時代のミントンハウスは「黒の時代(黒色が主体の店の造り)」が15年位続きます。そのころからライヴもちょくちょくやるようになりました。やがて思い切って第二回目の改装に踏み切ります。私のもう一つの稼業、骨董、古美術の要素を取り入れ「茶の時代(茶色が主体)」へと移行します。ライヴも頻繁に行われるようになり、それが10年位続きます。そして或る時、店の移転を決意し、やり繰り算段の末に漸く現在の杉並区・西荻窪に移ってライヴハウスとして18年の月日が流れました。

思えば開店したのはつい昨日のことのようで、一言で言うとあっという間の43周年。それが私の感慨です。とにかくジャズ屋というものは、ジャズ喫茶であれ、ライヴハウスであれ、儲かる稼業ではありません。余程の資産家が道楽でやるのならともかく、一般人がやるのなら店は家賃要らずの自前の店、従業員は人件費が生じない家族、そういう条件でなければ持ちません。ましてや私のような根っからの貧乏人がやるには、昼夜厭わず別の仕事で荒稼ぎして、赤字続きの本業、つまりライヴハウスに毎月不足分を補填する、それ以外に持続はできません。大げさな言い方ですが、毎年、毎年、血と汗と涙でやってきた43年でありました。振り返る余裕がなかったので「え! もう43年経った?」それが本音であります。

この店が今日まで来られましたのは、ひとえにジャズファンとジャズミュージシャンの熱い厚い御支援の賜、それは全くその通りではございますが、それ以前に、この店が継続できましたのは、この身が大病せず、体力の続く限り別の稼業で働くことができたからであります。それが当店維持の真相だったのです。しかし、お間違いのないようにここに断言します。「私の本業はジャズ屋であり、これまでもこれからも生粋のジャズ狂なのであります」 愚痴交じりの43周年を迎えた感想となりました。乱文にて失礼します。


ミントンハウス 福元希高


黒の時代 1973〜







壁画 by 安達東彦



店主若かりし頃


茶の時代 1988〜








1998〜現在  photo by 飯窪 敏彦














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