「ああ、奇麗だねぇ……その色。罪の色だね? わらわには判る。その色は、血の色。罪の色ぞ―――」

 そう言って、鬼女きじょはにたりとわらった。












08.瞳











―――都の外れに、恐ろしい鬼女がいる。


「……妾の愉しみの邪魔をするとは、なんとも不粋なこどもよ」

 その鬼女は人を攫い目玉を刳り貫き、その目玉で酒を造り飲むという。

「お前、陰陽師かえ? まだ年端もいかぬのだろうに、妾の可愛いしもべたちの牙に擦りもせぬとは、たいしたものよの。褒めてつかわそう」


――そのくだんの鬼女が今、二人の目前にいた。



 その鬼女は美しかった。
 闇色の長い髪はたっぷりと豊かで艶があり、肌は白く唇は紅い。
 切れ長の瞳は長い時を生きた強かさと落ち着き、知性を持ち、見たものを妖しく惹きつける。
 けれどもそれは闇に属する妖艶なる美しさで、それと相反する美しさを身近に見知っている昌浩には、到底心惹かれるものではなかった。
 狐とも、犬ともつかない鋭い爪と牙を持った黒い獣――恐らくは鬼女の配下なのであろう妖怪のこうべを撫でている。

 鬼女の元へ行こうとするのを阻もうと襲い掛かってきた黒い獣を蹴散らして行くと、鬼女は巨木のうろに座り、恐らくは目玉を漬けたという酒を飲んでいた。
 なおも二人を襲おうとする獣を手で制し、鬼女はゆったりとした動作で二人を見る。


 獣の頭を撫でる手とは反対の手で盃を玩びながら、鬼女は不機嫌そうに言った。

「こどもよ、今宵は妾になんの用かえ? まさか妾を退治に来たとは申すまいな」
「……その、まさかだ」

 昌浩の足元にいた物の怪が低く答えて、昌浩は黙って剣印をかかげる。ただそこにいるだけなのに、この鬼女には隙が見えない。
 鬼女は立ち上がると手にしていた盃を掻き消し、昌浩から視線を物の怪に移して、面白そうな表情をした。

「お前、あやかしじゃないね。陰陽師と共におるのだから式かと思えば、ただの式でもない。……だが、力は持っておるようだ」

 鬼女が一歩踏み出し、左の腕を掲げる。すると、鬼女に頭を撫でられていた獣が一歩二歩前に出、二人に向かい唸り始めた。
 しかし身構えた物の怪の白いからだから、神気が立ち上るのを見て、鬼女はその細い首を傾けた。

「……お前、もしや式神かえ? そういえば風の噂に聞いた気がするねえ。安倍晴明の末孫が、異形に姿を変えた晴明の式神をつれていると。
 こども、晴明の孫というのはお前のことかえ?」
「――孫、言うな!」
「…どうやら噂は本当のようだ。それにしても、式神よ、お前の目玉は奇麗だねえ。
 神の眷属の目玉を使った事はないが、どんな味がするのだろうねえ。こども、お前の目玉を刳り貫いたら、晴明はどんな顔をするだろうねえ」

 鬼女の顔に凄絶な笑みが浮かぶ。

「妾の邪魔をしようというのならば、こどもよ、妾がお前を喰ろうてやろう。
 ――目玉のみなどと勿体無い事はせぬ、肉も臓腑ぞうふも、妾と我が僕たちがしかと喰ろうてやるゆえ、安心して冥府へ行くがよい!」

 掲げた腕が二人を示し、高らかに叫んだ次の瞬間、獣が一斉に襲い掛かった。
 物の怪が唸り、額の模様が闇夜に輝く。
 黒曜石を思わせる瞳が煌めき、昌浩は剣印を結び五芒星を素早く宙に記した。

「―――禁っっ!」

 横一文字を描く動作と共に、いまだ幼さの残る声で呪を紡ぐ。
 目に見えぬ霊気の壁が獣を阻み、昌浩は更に叫ぶ。

「ナウマクサンマンダ、バザラダンカン!」

 獣が風刃を受けて傷つく様を、鬼女はうっとりと嗤いながら見つめ、物の怪を――物の怪の紅い瞳を見てにたりと嗤う。

「ああ、奇麗だねぇ……その色。罪の色だね? 妾には判る。その色は、血の色。罪の色ぞ―――」
「オン、ソンバニソンバウン、バザラウンハッタ!」

 ぴっと、掲げた鬼女の手に亀裂が走った。鬼女の表情がさっと変わる。

「傷をつけたね、こども。妾に――この、妾に!」

 滲み出る血を舌で掬い、鬼女は昌浩を睨めつける。傷ついた手を再びかかげると、虚空から獣達が二人を取り囲んだ。

「許さぬぞ、許さぬぞ――式神共々、我らの糧となるがよい!」

 真言を唱える間もなく即座に襲い掛かる獣を走って避け、昌浩は近くの木に身を寄せた。
 ここは都の外れ、東山の麓で木々が多いところである。獣達は素早く、どこから襲い掛かってくるか判らない。昌浩の方が地理的に不利だ。

「――昌浩!」

 物の怪の叫びにはっとする。すぐ近くに、獣の気配。
 雄叫びを上げて二匹が襲い掛かるのを、しかし銀の煌めきが阻んだ。
 鳶色の長い髪の、銀に輝く槍を携えた青年――十二神将・六合は音もなく顕現すると、槍を更に揮って獣に傷を負わせた。

「――ありがとう」

 六合は無言で頷く。
 昌浩は頷き返すと、木々の無い開けた場所に向かって走り出した。

「オン、キリキリバザラバジリ…」

 昌浩を追いかける獣を、炎蛇が襲う。
 苛烈な神気を迸らせて、異形のかたちを解いた真紅の青年の姿が出現する。
 炎蛇を腕に絡めさせ、紅蓮は無数の獣達を見据えた。

「……鬼女風情が、昌浩にかなうと本気で思っているのか」

 砂埃を上げて立ち止まった昌浩の近くに、二人の神将は駆け寄る。
 昌浩は印を結ぶと地に手をつけ、叫んだ。

「…ホラマンダマンダ、ウンハッタ!」

 地面から霊気が立ちのぼり、鬼女を拘束する。
 霊気に拘束された鬼女は逃れようとするが、それもかなわず顔が忌々しげに歪む。

「おのれ、おのれ、陰陽師…!」
「昌浩、雑魚は構うな、――行け!」

 紅蓮の声に圧され昌浩が駆け出す。昌浩を追う獣を炎蛇と銀の槍が阻む。
 その間にも、鬼女は必死に拘束から逃れようともがく。もはや鬼女の美しくも妖艶な姿はどこにもなく、憤怒に染まった頭に角がのぞく。

「ナウマクサンマンダバザラダン…」

 炎蛇が舞い、銀の槍が煌めく中を、真言を唱えながら鬼女に向かい走る。
 もがく鬼女の妖気が風刃と化し、拘束を振り切った。

「ええい、忌々しき陰陽師め、妾を侮るでないよ!」

 鬼女は叫んで、風刃を昌浩に向かい放つ。
 昌浩の頬に、腕に、脚に血がはしる。

「…センダマカロシャダソワタヤウン、タラタカンマン!」

 真言が再び、先程よりも強く鬼女を拘束する。

「――おのれぇ……!」

 昌浩は立ち止まり、息を大きく吸い込んだ。
 あと、もう少しで終わる。
 裂帛の気合を込めて、剣印を振り下ろす。

「臨める兵、闘う者、皆陣列れて前に在り!」
「―――――――――――――!」

 放たれた光の刃が、鬼女をずたずたに切り裂く。
 鬼女は声にならぬ断末魔の叫びをあげ、頽れるのと同時に、叫びをあげ、獣達が塵となって消えていく。

「……お…の……おんみょう……じめ……!」

 さらさら、さらさらと、呻く鬼女の身体が端から塵になって崩れていった。
 最後には、その塵さえも、虚空に消えた。


――それが、鬼女の最期だった。










 鬼女の最期を見届けて、昌浩は息をついた。

「昌浩」

 振り向くと、いつのまにか本性を隠した物の怪が歩いてきた。
 六合の姿はない。隠形しているのだろう。

「終わったねぇ、なんとか」
「ああ」

 今夜は、ちょうど八条大路の辺りで一日一潰れに遭ったときに、雑鬼たちからあの鬼女の話を聞いてやって来たのだった。
 あの鬼女は以前も都にいて、暫くの間どこかにいなくなったと思ったら、再びやって来たらしい。
 昌浩は、ふと肩に飛び乗ってきた物の怪の紅い瞳を見やった。

「…どうした?」
「んー…」

 頭を掻いて、鬼女の消えた地面を見る。
 鬼女は、物の怪の瞳を見て、血の色だと言った。
 けれど。

「もっくんの目の色は、血じゃなくて、夕焼け色なのになぁって、思って」
「…………」

 物の怪が瞠目する気配がする。
 わざわざその様子を見ようとするのも気が引けるので、顔をそむけたまま周囲を見渡す。
 妖気も瘴気も、ここにはもう残っていない。

「……まあ、解釈の仕方はひとそれぞれだからな。ところでもっくん言うな、晴明の孫」
「孫言うな、物の怪のもっくん!」

 叫び返して、昌浩は肩の上の物の怪を見た。

「……車之輔呼んで、家に帰ろうか。彰子が待ってる」
「…そうだな」


 そして、二人はその場を後にした。













バレバレですが、鬼女に愛情込めて書きました(爆)
つうかもう、戦闘シーンなんて二度と書くもんか……力尽きました。ばたり。
結城先生の偉大さが身に染みます。素晴らしいです先生…!







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