邸の奥、東三条邸のそのまた奥の、東北の対屋で。
遠い空の下を、思っていた。
06.空
チチチ、と二羽の小鳥が可愛らしく鳴いて、庭の木々の間を戯れている。
飛はね、体すり寄せ、離れて、飛びかかって、そしてついには飛び去っていく。
(……いいな。)
あんな風に、飛べたら。
――自由だったなら。
簀子に座り込み高欄に寄りかかり、彰子は飛び去る小鳥を目で追った。けれども小鳥はすぐに彰子の視界から消えてしまって、ため息が漏れた。
小鳥を追った視線を、そのまま背後へすべらせる。
今彰子の側には誰もいない。呼べば誰かしら来るだろうが、行儀が悪いとしかられるに決まっているので呼びはしない。
視線を庭に戻す。また別の小鳥がやって来る。
枝を渡り、飛び去っていく。
(……鳥だったら、よかったのに)
鳥だったなら、あの小鳥のように飛び回っていただろうに。
彰子は自分が、普通の『姫』の、周囲の人々が期待する『姫』の範疇から外れていることを自覚していた。
見鬼であることもそうだが、これは生まれつきなので仕方がない。彰子にはどうしようもないことだ。
邸の外に焦がれ、人目を隠そうとは思わず、人には見えないモノが視える。
女性は慎み深く、邸の奥におり、人前には出ない。
それが常識で当然のことだけれど、そんなのはつまらない、と常々思う。
邸の外には彰子の知らないことや人や景色や、色んなものがあるだろうに、彰子にはそれを知る機会はなく、また、知ることを許される立場ではない。
もしも鳥だったなら、どんな所へだって行けただろうに。
ふと、先日偶然出逢った少年のことを思い出す。昌浩と名乗っていた。
父の道長からそれとなく聞いてみた話によれば、年は十三、彰子の一つ上。やっとの元服だという。
彼はこれから大内裏に出仕して、やがては祖父の晴明のような陰陽師になるのだろう。そういえば、人の言葉を話す白い生き物と一緒にいた。あれは妖の一種だろうか。彰子には判らない。
彼は色んな所へ行けて、色んな事を知るのだろう。
少し、羨ましいと思った。
(……また、会えると良いのに。)
話をしてみたいと思った。
初めて会う同年代の男の子だった。彼はどんなことを知っているのだろう。
けれど、それはきっと叶わない望み。だから胸の奥に仕舞っておく。
見上げた空のどこかの下に彼はいて、けれど彰子には彼が今何をしているのかなど、彼と彰子の生活はあまりにもかけ離れていて想像も付かない。
衣擦れの音、女房達の声がする。
彰子は慌てて立ち上がると、屋内へ戻った。
一度だけ振り返った庭の木から、一羽の小鳥が飛び去った。
「彰子、どうかした?」
昌浩の声に、我に返る。
大内裏から帰ってすぐ、直衣と烏帽子の姿のままの昌浩が、数歩先で彰子を振り返っていた。
「あ、ううん。なんでもないの」
「そう?」
立ち止まった彰子の隣にたった昌浩の肩から、ひょいと物の怪が下りる。先に行ってるぞーと言い残して姿が消える。
チチチと、小鳥が鳴いた。
「鳥、見てたの?」
「……うん」
築地塀の上、庭の木々の枝、転がるように戯れる小鳥が、二羽。
「彰子は、鳥になってみたいって思ったこと、ない?」
「え?」
「俺、昔よく思ってたよ。最近もたまに思うけど」
「…私も。いつも、思ってた」
安倍邸に来てからは毎日が目まぐるしくて、そんな風に思う暇もなかったけれど。
「鳥って凄いよね。太陰や白虎も空を飛べるけど、でも鳥は自分の体を使って飛んでるんだからさ」
太陰や白虎が凄くないって言ってるわけじゃないけどね、と笑って続ける。
戯れていた小鳥は転がるように築地塀から落ちて、しかししっかりとした動きで上昇する。
「…昌浩は、鳥になったらどこに行くの?」
「俺? うーんそうだなあ、どこがいいかな。都の北とか見てみたいなあ。あ、鳥だったら内裏に入っても怒られないかな。入りたい訳じゃないけど」
「もっくんは? 一緒?」
「もっくん? どうだろ、そしたらもっくんも鳥になるのかな」
「じゃあ、白くて紅い瞳の鳥?」
「そうだね。あと、彰子も一緒」
「私も?」
「うん、彰子も」
「………………」
昌浩と、物の怪と、そして彰子で。
「彰子?」
「……うん。一緒ね?」
「うん、一緒だ」
空が、すこしだけ近くなる。
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