夜寝
眠るという事は、死に似ている。
体温があって、呼吸をしていて、確かに生きているのに。
思わず、その生を疑ってしまう。
このまま二度と、目を覚まさないのではないか、と。
死は、眠るという事に似ているのかもしれない。
夢さえも見ない、混沌とした、ふかい眠り。
意識も思考も世界の有り様も、ただ何もなくて、自分がそこに在るという認識さえも無い。
眠るという事は、死に似ている。
月明かりに仄かに照らされた室内に、静かな寝息が響いている。
瞬きをして、暗い天井を見る。そして深くため息をついた。
――酷く嫌な夢を見た。
彼が、……ガウリイが、眠るように逝ってしまう夢だ。
何度、彼が死ぬ夢を見ただろう。
魔族に、デーモンに、人間に、あるいは不慮の事故で。自分を顧みず、庇って、自分を犠牲にして。
そして、最後に満足げに微笑むのだ。
「リナが無事でよかった」と。
――けれども、眠るように逝く夢を見たのは初めてだった。
起き上がって、膝を抱える。
膝の間に顔を埋めて、胸の内に凝った何かを追い出すように息をついた。
そして、隣のベッドを見やる。
今日は宿屋の都合で、ダブルのこの部屋しか取ることが出来なかった。
ままあることだから、仕方ないと諦めてこの部屋を取ったのだが、今ではそれを後悔している。
シングルがないのなら、別の宿屋にしても良かったのだ。
あのような夢を見た後で、眠る彼のすがたなど、正直見たくなかった。
静かな寝息が聞こえる。
こちらに背を向けた彼の体が、ゆったりと呼吸を繰り返している。
――いきている。
知らず、安堵感に包まれる。
再び膝の間に顔を埋めた。目を閉じる。
安堵を感じたそのすぐあとには、寂寥感が襲う。
彼は生きている。
けれども、こうしている間に、彼の息がなくならない保証がどこにあるだろう?
人の息絶える瞬間を知っている。
眠るように目を閉じて、逝ってしまう瞬間を知っている。
本当に、眠るように逝ってしまった。
そうして、もう二度と目を開けることはなかった。
ガウリイがそうならない保証は、どこにもない。
そっとベッドを抜け出し、素足のまま立ち上がる。冷たい床に膝をついて、ベッドに頭を預けた。
月明かりに光る金の髪を手にとる。
金糸はさらさらと、手の中から滑り落ちた。
飽きもせず、長い髪をすくっては滑り落ち、を繰り返す。さらさらとした感触が気持ち良かった。
人は死ぬ。
この世には滅びがないものなど何もなくて、それは神にも魔族にも人にも、等しく襲ってくる。
神が滅びたらどうなるのかは知らないけれど、魔族は滅びると文字通り消える。
魔族には肉体はなく精神だけの存在なので、実際のところ、精神世界面でどう滅びていくのかは判らない。
けれど、物質世界で見える滅びの様は、物質世界への干渉力が滅びとともに消えるからなのだろう。
人は死ぬと腐る。腐って土に還る。
魔族のように虚空に消えるという事はなく、ただ冷たく体温が消え、呼吸が止まり、もう二度と話さない。精神が消えた抜け殻だけが残る。
今ガウリイが、あの夢のように逝ってしまえば、ガウリイはそのうち腐ってしまうだろう。
人は死ねば、生前の姿を保つ事を赦されない。
死ねば、もう彼の姿は見られなくなる。
死者は埋葬しなければならない。
蒼い眼も金の髪も、優しい手もぬくもりも、土に還ってそばからいなくなる。
まぶたをとじた。
規則正しいその寝息に、耳を澄ます。
今夜はもう、眠れるとは思わなかった。
だから、こうして、彼の寝息に耳を澄ます。
それが途切れることのないように。
2004.10.3 |
『眠るという事は、死に似ている。』 このセンテンスを書きたいがために考えた話です(笑) 腐るうんぬんはきっと屍鬼の影響に違いない…… 未森の母も眠るように死にました。そのときは母が死んだという事がわかりませんでした。本当に眠っているように見えたのを覚えています。 |