ひびわれた鏡
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誰に会うのがこわい? 誰に顔を向けるのがコワイ? 鏡の前で自問を繰り返す。 自分の背よりも高い姿見、其処に映ったあたしは酷く醜い。 胸の前で固く握り締めた右のてのひらに、少し伸びた爪が食い込み肌を裂き血が流れるけれど、あたしは右の手に力を込めるのを辞めない。 代わりに左の掌を右の手の甲にそっと優しく添えて、あたしは鏡の前で立ち尽くす。 誰に会うのがこわい? ガウリイに。 誰に顔を向けるのがコワイ? ガウリイに。 どうしようもないとわかっているのにこみ上げてくるモノは何? 脳裏に浮かんだ赫いイメージは何? 頬を濡らす生暖かな水は何? 陽は当に落ちて、支配するのは暗闇。 陽の変わりに世界を照らすのは月明かり。 灯火の無い月明かりだけが頼りの一室に、あたしはただただ自問をくり返し、彼がこの部屋に入ってこないことをひたすら祈る。 どうか、あたしを見ないで。 醜いあたしをその瞳に映さないで。 …優しいことばを、かけないで。 やめて。 やめて。 やめて! 伏せていた眼をあげると、見えるのは見慣れた姿。 顔が、表情が酷く歪んで、頬には透明な月明かりに輝るモノが見える。 気温の下がった部屋の床が、素足には少し辛い。 けれどその冷たさがあたしを正気に保たせていて、あたしはそれに感謝する。 鏡に映る自分の姿が、あたしは決して強くなどなかったのだと思い知らせる。 強く在らなければならなかった、嫌な哀しい想いをしないためには強く在る必要があった、けれどあたしは強くなど無かった! ――あたしは強くなどなかった。 脳裏に浮かんだ赫いイメージ、混沌に消えた銀色。 辛くて哀しくて今の現状がたまらなく嫌で、そんな今を迎えたこの世界が切ない。 こうして鏡の前でひとり醜く血を流しながら涙を流す自分が、消えたくなるほど哀しい。 そしてどうすればそんな自分が安らげるのか、それを知っていて判っていて、それを望んでいる自分がたまらなく嫌だ。 判っている、彼は優しい、だから今この部屋を出て彼のいる部屋へ駆け込めば、彼はきっとあたしを優しい言葉で包んでくれる。 それをしないのはあたしのくだらない意地。 あたしは強く在らなければならない、一度でも彼の前で涙を許せばあたしは彼に依存してしまう、彼に頼ってしまう、それが嫌だ。 彼はきっとあたしの涙を望んでいる、判っている、けれどあたしは最後ともいえる砦を壊したくはない。 ひとりだったあたしの強さと弱さ、彼と二人の強さと弱さ、どちらが有利なのかは未だにわからない、けれど心の其処では彼と二人を望んでいる。 鏡に映った姿は酷く醜い。 闇にひかる赤い瞳がセピアの瞳に被って酷く哀しい。 強く在ろう。 強く在らなければ。 こんな今のあたしのままで、ガウリイに会うのがこわい。 こんな今のあたしのままで、ガウリイに顔を合わせるのがコワイ。 あたしは強くなどなかった、その事実を今まで以上に思い知らされるに決まっている。 だから会いたくない、顔など合わせられない! 彼は優しい、――だから、会えない。 けれどどこかでガウリイがこの部屋に入ってくることをあたしは望んでいて、それが酷く嫌だ。 ―――ぱりん! 右の手の微かな痛みが更に酷くなり、赫い液体が腕に床に流れ零れ落ちる。 再び伏せていた眼を上げると、鏡はあたしの手を中心にひび割れ歪んでいた。 ――醜い弱いあたしなど映さないで。 ついた膝が、足の裏のかわりに少し冷たい。 矛盾したあたしを、誰か、――救けて ギィ 、 と 、 扉が 、 開いた 。 |
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2003.4.21 |