扉を開けて、中に入る。 生まれてから二十数年、ずっと慣れ親しんできた、彰子の部屋だ。 ――明日からは過去のものになる、部屋だ。 ほとんどがこの部屋から去った中で、これだけは移さなかったベッドに腰掛ける。 そうしてもう一度、室内を見渡した。 この二十数年の部屋での記憶は、彰子一人のものが多い。 けれどそれでも、例えば友達が遊びに来たとか、あまりなかったけれど昌浩が遊びに来たとか(彰子が安倍の家に出入りすることの方が多かった)、ここですぐ下の妹と盛大に喧嘩したとか(あれは今ではとても大人げなかったと思うが)、風邪で寝込んだときに母が忙しいはずなのに一晩中看病してくれたとか、昌浩が見舞いに来てくれたとか――、色々あったなと思う。 たくさんの思い出に彩られた、部屋だ。 今までこの部屋のものだった、モノたちの行く先に思いを馳せる。 安倍の家はこの藤原の家とは違い、その殆どが和室だ。 だから、このベッドは持って行かない。 安倍の家での彰子の部屋は、いつもお泊まりするときに使っていた空き部屋をそのまま使うことになっている。 幼い頃から何度も泊まりに行った家だから、実はあまり今後の不安とか、そういったモノはない。 安倍の家は、家族たちは、昔から彰子にとって“第二の家“であり“第二の家族”だった。それほどに近しいひとたちだった。それが、明日からは名実共に本物の家族になる。それだけだ。 彼の――昌浩の家族たちは、昔から彰子を実の孫のように、娘のように、妹のように、護るべき者ののように可愛がってくれた。 だから、不安材料は一つだってない。 ぽふん、と彰子は仰向けに寝転がった。このベッドで眠るのはおそらく今夜が最後だ。 枕元に、風邪で寝込んだときに見舞いに来てくれた、今よりも一段と幼い昌浩の姿が見えそうな気がした。あれはいつ頃のことだったろうか。小学校はもう卒業していたように思う。それに、あの時はまだ昌浩の髪は長かった。安倍家の、というか今は亡き彼の祖父晴明の方針により、十五歳になるまで彼は髪を長く伸ばしていた。十五歳になって初めて普通の男の子のように短く切った時、とてもさっぱりした顔をしていたのを憶えている。よほど鬱陶しかったのだろう。彰子も髪は昔から長いけれど、女の自分でも時々鬱陶しく感じるのだから、男の昌浩はなおさら。 今はもう慣れてしまったけれど、昌浩が髪を切ってしまった当初は、物凄く違和感を感じてしまったものだった。 ……本当に、これまでずっと、彰子は昌浩と共に過ごしてきた。ひとつの年の違いゆえに、学校ではあまりそうではなかったけれど、そんなものは本当に微々たるもので。 そして、これからもずっと、昌浩の傍に在り続ける。死が二人を別つ時まで、ずっと。 投げ出した指先に何かが当たる感触に、首を動かして見やると、そこにはMDプレイヤーがあった。 中に入っているのは、昼間学生時代からの友人たちに会った時に、前祝いと称して貰ったMDディスクだ。彼女ら曰く、早々に納まる彰子への愛ある嫌がらせ、らしい。 身を起こして、MDプレイヤーを引き寄せる。イヤホンを耳に付け、再生ボタンを押す。小さな、機械が動く音が響いた。 大事に思うならば ちゃんと聞いてほしい 飲みすぎて帰っても 3日酔いまでは許すけど 4日目 つぶれた夜 恐れて実家に帰らないで 部屋とYシャツと私、という曲らしい。 彰子は知らなかったけれど、よく結婚式で歌われる、らしい。実際に明日結婚式で歌ってくれる歌はとある合唱曲らしいのだが。 ………今日初めて聞いた時、無邪気なようでいて怖い歌詞の内容に、彰子は苦笑してしまった。 なるほど、確かにこれは『愛ある嫌がらせ』に違いない。 毎日磨いていたいから 時々服を買ってね 愛するあなたのため きれいでいさせて この歌が出た当初に聞いた人にはいろいろな感想や思い入れがあるのだろうけれど、確かに佳い歌で、耳に残る歌声でメロディーなのだろうけれど。 この曲を結婚式で実際に歌われるとなると、と思うと、うーんと唸ってしまう。 それは友人たちも同じ思いだったようで、それでいて、それでもこの曲を彰子に聴かせたかったらしい。 佳い歌なのだけれども。 コンコン、という音に、彰子は閉じていた瞼を開いた。 「お姉ちゃん」 妹だ。すぐ下の。 彰子はイヤホンをはずして、ベッドをおりた。 「――どうしたの?」 毎日磨いていたいから 人生の記念日には 君は綺麗といって その気でいさせて 停止し忘れたMDプレイヤーは、イヤホンを外された後も音楽を紡いだ。 |
前夜 |
えーと、ごめんなさい(爆)
テスト勉強中に降って湧いて出た現代版昌彰結婚ネタでしたー。わー。
なのに昌浩が出てこないという不思議。うわー
ちなみになんで未森がこの曲を知っているのかというと、
父上が前にCDを聞いていたからです……
最初聞いた時は『怖ッ!』と思いましたあはは。
ちなみに合唱曲というのは「夢見たものは」という曲。
いいですよーこれ。
2006.3.21