たった一つの年の差が、ずるいと思う。
 同じ年だったなら、きっとこんな想いはしないのだろう。

 修学旅行。
 学生生活の大イベント。と同時に、恋のイベントでもある修学旅行。

 同じ年だったなら昌浩と一緒に行けただろうに、実際の彰子は学校の教室で、大人しく授業を受けている。
 彰子は知っている。昌浩は結構、同学年の女子にも、後輩の女子にも人気がある。部活に入っていないので後輩にはそれほどでもないのだが。
 一つの年の差で何をいちばん気にしているのかといえば、彰子がこうして学校で授業を受けている今も、昌浩の側に――多少の距離はあるにしろ――女の子がいるだろう、ということだった。
 もちろん昌浩は昌浩で、彼の友人達が周りにいるのだろうし、もし仮に同じ年で、一緒に旅行に行ったとしても、彰子は彰子で、彰子は友人達といるのだろうけれども、それとこれとは話が別なのだった。
 ほんとうに、どうして同じ年に生まれなかったのだろうか。年の差だけは、どう頑張ってもどうにかなるものではないと、判ってはいるのが。

 昌浩は今、どこでどうしているのだろう。






 たった一つの年の差が、つまらないと思う。
 同じ年だったなら、きっとこんな想いはしないのだろう。

 昌浩は、京都は清水寺に続く、坂の両側に並ぶ土産物店をひやかしながら、ひとつため息をついた。
 彰子がここにいればいいのに。
 清水寺の舞台を見ても、見事な景色を見ても、凄いとか綺麗だとか思った次には、彰子ならどう思うかなとかどう言うかなとか、そういったことに思考が流れていく。
 彰子がここにいればいいのに。
 しかしそうは思っても、歴然と横たわる一つの年の差は、埋まるものではない。昌浩が留年したとか彰子が飛び級したとかいうならあり得ない話でもないが、今のところ留年する予定はないし、日本に飛び級制度はない。
 なら、昌浩に出来るのは彰子にお土産を買って帰ることだけだ。

 土産物屋の一角で、昌浩は足を止めた。視界を横切り昌浩の興味をそそったものを見やる。
 鮮やかな色合いと模様の、匂い袋。
 昌浩はそのうちの一つを、手に取った。



 


修学旅行で京都に行きました記念?(笑)


2005.9.12