道を右に曲がってすぐ、昌浩の目に飛び込んできたのは、電柱に貼られた一枚のポスターだった。
 電柱の前で思わず立ち止まった昌浩に、彼の肩に乗った物の怪が言った。

「花火大会か。そういえば、もうそんな季節なのな」

 赤い文字で大きく、花火大会と書いてある。
 日時は8月の3日、一週間後だ。

「…そっか、今年もあるんだ」
「去年もあっただろう」
「うん、まぁそうだけど」

 昌浩も毎年見に行っている、恒例の花火大会だ。

「今年も行くのか? 彰子と」
「うん。多分、道長おじさんとじい様から、一緒に行ってやれって言われると思う」
「言われたから一緒に行くのか、お前は」

 顔のすぐ横にある、夕焼け色の大きな丸い瞳が、昌浩を見てにやりと笑う。
 ぎょっとして目を見開いた昌浩に、あ〜彰子が聞いたらどう思うだろ、とあらぬ方向を見ながら物の怪が言う。

「まさか、そんなわけないだろ! い、言うなよ、彰子にはっ!」
「うそうそ。お前ってからかいやすいよなぁ、昌浩や」
「悪かったなっ!」

 額に青筋を浮かばせた昌浩ががおうと吼えて、物の怪は笑いながら昌浩の肩を降りる。
 昌浩から数歩離れたところに降り立った物の怪は、昌浩を振り返り少し真剣な瞳で言った。

「…とまぁ、それはさておき。今年は、お前から誘ってやったらどうなんだ?」











夜空に咲く花










 安倍昌浩と藤原彰子の関係は、簡単に言ってしまえば幼馴染というやつだ。
 彰子の父親の藤原道長は、藤原グループのトップの藤原兼家の息子で、昌浩の祖父の安倍晴明はその藤原兼家の顧問のようなことをしている。
 そんな大人たちの関係のおかげで、昌浩と彰子はお互いが物心のつく前からの知り合いであり、友人だった。
 昌浩は今中学二年生、彰子は一年生の一つ年下だ。
 昌浩の通う中学校は、彰子の家が理事をしている中高一貫校で、彰子も同じく入学してくるのではないかと昌浩は思っていたのだが、彰子は今年別の中学校に入学した。



 …今から数年ほど前、二人が小学生だった時のことだ。

 道長が安倍家に来る時は、必ずと言っていいほどに彰子も付いてきていた。
 彰子は余程のことがない限り毎回だったが、彰子の弟妹達はそうではなく、ごくたまに一緒に来て、昌浩と遊んでいた。

 その日は珍しく、彰子と彰子の弟妹達が全員来ていた。

 晴明と道長は何やら仕事の話とかで、子供達と露樹は庭に面した縁側でお菓子を食べていた。


「彰子が、突然言ったんだ」

 花火大会に行きたい、と。

 安倍家に来る途中、電信柱に貼られたポスターを見たのだという。ちょうど、今の昌浩のように。
 昌浩はポスターの中の花火の写真を見つめながら、数年前を思い出していた。

 花火大会に行きたい、と言った、思わず彰子を見た昌浩に、彼女はこう続けた。

『昌浩、一緒に行ってくれる?』


「…あの時は、何だかすごくびっくりしたよ、俺」

 彰子の話が、あまりにも突然で、その話の矛先が自分に向けられた。
 しかもその時の彰子の顔が、とてもとても可愛らしくて、縋るような眼をしていたから、昌浩に断れるはずも無く。
 話はとんとん拍子に進んで、花火大会に彰子と一緒に行くことになったのだ。

 しかしさすがに、あの当時はまだ二人は小学生だったので、物の怪と六合が同伴だったが。


「今年で彰子も中学生なんだし、保護者同伴じゃなくても大丈夫だろうさ」
「……そうかな」

 あの年からずっと、花火大会のときは物の怪と六合が同伴していたので、いまいち実感が湧かない。
 物の怪は彰子を誘え、という。
 しかし。

「…でもさぁ、もっくん」
「なんだ」
「誘えっていったって、毎年行ってるのにどうやって誘えって言うのさ」
「あー…」

 物の怪は暫し逡巡して、やおら後ろ二本足で突っ立つと、

「そこはそれ、自分で考えるもんだ」

 と飄飄とのたまった。
 さては具体的には何も考えてなかったな、と思ったが、物の怪の言うことは一応当たってはいるので、じろりと睨むだけにする。

「花火大会、かぁ……」

 色々と思い出のある行事だ。あの年からずっと、毎年欠かさず行っていたから、なおさらだ。
 脳裏に可愛らしく微笑む彰子の姿が浮かんで、消えた。









 我が家の玄関の前に辿り着いた時には、もう台所のあたりから、夕飯のいい匂いが漂ってきていた。

「焼き魚かな」

 くんくんと鼻を利かせて独特の匂いを嗅ぎ取った昌浩は、本日の夕飯のおかずを推測してみた。
 塩っぽい匂いがするから、鮭の塩焼きだろうか。
 母の露樹が作る料理は勿論美味しいが、六合が作る料理も結構美味しい。
 夕飯の匂いに気づいた昌浩の腹が、ぐぅと音をたてる。

「お腹すいたなぁ…」

 夕飯を催促している己の腹をおさえて、昌浩は玄関の引き戸に手をかけた。

「……ただいまー!」
「おかえりなさい、昌浩」
「あ、ただいま………――って」

 何故かその手にお玉を持って、可愛らしい花柄のエプロンをかけて、長い髪を一つに縛り、にこやかに微笑みながら昌浩を出迎えた、少女は。

「あ、ああああ彰子っ!?」
「? なぁに?」

 何で彰子がここに。
 しかも何なんだろうその格好は。

 呆然とした昌浩を見かねてか、物の怪はひらりと昌浩の肩から地面に降り立つと、

「よう、彰子。どうしたその格好」
「あ、もっくんもおかえりなさい。あのね、露樹おば様のお夕飯のお手伝いをしているのよ」

 似合う? と、彰子はくるりとその場を一回転して見せた。

「おう、似合うぞ。ところで今晩のおかずは何だ」
「鮭の塩焼きよ。今おば様が焼いているわ」
「だってさ、当たったな昌浩。――いつまで固まってるんだ、晴明の孫」
「……孫、言うな」

 ようやく我に返ったのか、よろよろとした口調で言い返すと、昌浩は靴を脱いで家に上がった。

「彰子。…なんで家に?」
「遊びに来たの。お父様も一緒だったの。でもなかなか昌浩が帰ってこないから、露樹おば様のお手伝いしてたの」

 あの藤原グループの藤原兼家の孫娘が、家事の手伝い。
 彰子のそういうところが彼女たる所以なのだが、いやしかし。
 ……何だか頭が痛い気がする。

「昌浩、どうしたの?」
「あ、ううん、何でも」

 不意に顔を覗かれて、昌浩は慌ててぱたぱたと手を振った。
 ……こ、心なしか、顔が、近いような。
 顔周辺の体温が一気に上がった気がして、昌浩はやー暑いなーと呟きながら、パタパタと顔を手で仰いだ。
 そんな昌浩を、彰子は小首を傾げてみている。



「…若いっていいねぇ」

 ぽつりと呟かれた物の怪の言葉が、二人の耳に入ることはなかった。









 さて、困ったことになった。

 彰子は今夜、この家に泊まっていくらしい。
 いや、それはいい。それは、まだ。
 問題なのは、花火大会だ。

 今年は自分から、彰子を誘う。

 そう思ったのは物の怪に言われたからだが、決心したのは昌浩の意思だ。
 意思、なのだが。

 …こうも早くそのチャンスが訪れてしまうとは、予想だにしなかった。

「……どうしよう」

 通学鞄の中から宿題の問題集を取り出しながら、昌浩はぼやいた。
 問題集を机の上に置き、机の上のペン立てからシャープペンを抜き取る。
 畳の上に置いた座布団に座ると、昌浩は問題集を広げた。どこまでやったのだったか。
 パラパラと問題集をめくる。
 夏休みになってから約一週間経ったが、宿題は余り進んでいない。
 一応、毎日最低1ページを目標に、この問題集をやっているのだが終わるだろうか。この他にも宿題はある。

「………………どうしよう」

 問題集を閉じて、机に突っ伏す。
 組んだ腕に顎を乗せて壁を睨みつけてみるが、壁には何の解決法も書かれてはいない。

「……決めたんだけど、さ」

 彰子を誘おう、と。
 決めた、のだが。

「〜〜〜〜、心の準備が……」

 花火大会は一週間後。
 彰子を誘うなら、チャンスは今夜か明日の朝か。
 このチャンスを逃したら、次は何時だろうか。花火大会は一週間後。それまでに、あるだろうか。

 あるとは、限らない。

「…女々しいぞ、俺」

 自分で呟いて、昌浩は頭を抱えた。自分の言葉に落ち込んでしまう。
 別に、毎年行っているのだから、心の準備がどうのこうのではなく、さらっと誘ってしまえばいいのだ。

 今年も一緒に行こうよ、と。

 だのにたったそれだけしか必要のない言葉に、心の準備が要る。
 いや心の準備をする期間があったとしても、すんなり言えただろうか。
 答えは否、だ。

 玄関先で会った時に、言えばよかったのだ。夕食の時でも良かった。
 ただ一言、一緒に行こうと、言えばよかったのだ。

 それなのに何故言えないのだろう。言うまでに及べないのだろうか。

 その答えは、まだ自分が気づいていないだけで、ちゃんと自分の中にあるのだろうということは、それだけは判っていた。

「…よし」

 とりあえず、問題集を1ページ。そしたらその後は、夜間稽古だ。
 両の頬をぺちんと叩いて、昌浩は再び問題集を開いた。











 白の胴着に紺の袴。
 木の床を踏みしめる素足に風があたり、心なしか涼しい。

 きゅっと蛇口を捻ると、水が流れ落ちてくる。その水に手を触れる。温い。けれど火照った体には十分冷たい。
 流れる水を両手で掬い取って、顔に押し付ける。それを幾度か繰り返して、終いには頭ごと蛇口の下に移動させた。
 温い、けれど冷たい水が頭皮を伝う。汗と水が混じりあい細い水の道を作る。

 息を吐き出す。暑い熱の篭った息だ。水の流れる感覚が、朦朧とした意識を引き締める。

 きゅっと再び蛇口を捻ると、水の流れが止まった。顔を上げると、重力にしたがって雫が零れ落ちる。
 少し、すっきりした。タオルか何か、髪を拭うものがあればいいのだが、今夜は持ってくるのを忘れてしまった。
 仕方なしに胴着の袖で拭っていると、背後から声がした。

「はい、タオル」

 驚いて、声のした背後を振り返る。

「……彰子」
「お疲れ様、昌浩」

 両手にタオルを持った彰子が、ふんわりと笑った。




 梢の間をすり抜けてきた風が、濡れた頬には涼しく感じて気持ちいい。
 何故肌が濡れていると温い風でも涼しくなるのだろうか。
 …と、いうような事を、彰子に渡されたタオルを肩にかけ、差し出された西瓜をもくもくと食べながら、昌浩はつらつらと考えていた。

 ちらりと横を見やる。
 隣にちょこんと座る彰子は、慣れない西瓜の種に悪戦苦闘しているようだった。
 西瓜を食べた事は勿論あるのだろうが、自分の口だけで食べる、ということはあまりしていないのかもしれない。なんてったって彼女はお嬢様だ。
 それに比べて昌浩は、いつも使うのは自分の口だけだ。生まれてこの方、ずっとそうしているので慣れてしまっている。

 不意に彰子の顔がこちらを向いて、彰子の横顔を見ていた昌浩は、思わず仰け反った。

「昌浩、もうそんなに食べたの?」

 しかし彰子は、そんな昌浩の様子には気づかない。
 彼の手にした西瓜を見て目を丸くして、自分の食べかけの西瓜と、もうすっかり赤い部分のなくなった昌浩の西瓜を見比べた。

「……やっぱり私って、食べるの遅いのかしら。前に頼道と二人で食べた時も私、負けちゃったのよ。どうしてかしら」
「………えぇっと」

 それはやっぱり食べなれていないからでは、と思ったが、慣れていないのは彼女の弟の頼道も同じだと思うのでいわないでおく。
 彰子はむぅ、と小さく唸って、西瓜を一齧りした。

「…俺、多分、思うんだけど」

 食べ終わった西瓜を、皿の上に置く。肩にかけたタオルで、ごしごしと頭を拭いた。

「彰子は女の子だけど、頼道は男の子だろう? だからじゃないかな」
「…どうして、だからなの?」
「うーん、何て言ったらいいのかな。彰子は女の子だから、こぼさないようにとか、服が汚れないようにとか、そういうことに気を使うだろう?」

 こくん、と彰子が頷く。
 後ろに両手をついて、昌浩は夜空を見上げた。晴れ渡った夜空に、月がぽっかりと浮かんでいる。

「でも頼道は男の子だから、そういうことってあんまり思わないんだよ。俺もそうだしね。
 彰子はそういうことに気を使っちゃうけど、頼道はそうじゃないから、彰子より早く食べれる。そういうことなんじゃないかな?」
「……そういえば、頼道、膝にいっぱい西瓜を落としていたわ。それでバレちゃったの、二人で競争してた事」
「誰に?」
「お母さん。何てはしたない、もうちょっと上手に食べられないの、って」

 でもちょっと楽しかった、と言って彰子は笑った。昌浩も、微笑み返す。

「そっか」

 首の後ろに手を回して、昌浩は男の子にしては長すぎる髪を一括りにしたゴムを外して、肩にかけたタオルをとり湿った髪を挟む。髪に残っていた水分が、毛先で水滴となって零れ落ちた。

 彰子はまた、西瓜を食べている。
 その仕草は昌浩のものとは全く違っていて、おしとやかで、丁寧だ。

――女の子の、仕草だ。

 物心ついた頃から、彰子は大人しい、女の子らしい女の子だった。
 会ったときはいつも二人で遊んで、男の子の少々危険な遊びに付き合ったりもしたが、それでも彼女は昌浩の後ろでにこにこと微笑んでいる、というイメージがあった。昌浩よりも突拍子ないことをすることはあったが、それでも彰子は昌浩とは違う、女の子だった。

 …何故、そんなことを今更考えてしまうのだろう。

 ずっと、そうだったのに。それが、当たり前だったのに。何故か、気になる。考えてしまう。

 再び長い髪を、首の後ろで一つに括って、昌浩は空を見上げた。
 明るかった。それは昼間のような明るさではないけれど、イルミネーションのような華やかさはないけれど、自然の明るさ。
 こんな空に、花が咲いたら綺麗だろうと、思った。
 夜空に咲く花。

「……花火が」

 思うより先に、言葉が出た。
 突然の言葉に驚いたのか、彰子が昌浩の顔を見る。昌浩は空を見上げたままだ。

「……今年も、花火大会。あるんだって」
「うん」

 そういえば、安倍家に来る途中に見かけた、と彰子は思い出す。
 物心つく前から通いなれた、安倍家への道。
 数年前に見た、花火大会のポスター。あのポスターと、同じ場所。あれを、昌浩も見たのだろうか。

 花火。空に咲く花。華やかな夏の風物詩。

――昌浩は、何を、言おうとしているのだろう。
 見つめる昌浩は、夜空を見上げたまま。その視線の先に、何を見ているのだろう。

 昌浩が、彰子を見た。穏やかな笑みを、のせている。

「一緒に、見に行こう。今年も、一緒に」

 心のどこかで、待っていた言葉。
 彰子は、ゆっくりと微笑んだ。












「………何で俺はこんなところにいるんだ」

 人々の喧騒が耳に響く中、物の怪は昌浩の腕の中でポツリと呟いた。
 物の怪を腕の中に仕舞いこんだ昌浩のそれは、絶対に逃がすものかという彼の意思表示らしく、物の怪をがっちりとホールドして放さない。
 他の人間には見えない物の怪の存在をカモフラージュするためか、昌浩の鞄と一緒に抱えられているので、少し痛い。
 物の怪は頭上の昌浩の顔を見上げて、

「……おい、晴明の孫」
「孫言うな」

 腕の中から発せられた禁句に、昌浩は眉を顰めて切り返したが、その目は人の行き交う通りを一心に見ていた。
 彰子との待ち合わせは、ここなのだ。

「……何で俺もここにいなくちゃならないんだ」
「花火見るため」
「だからなんで」
「もっくんも見ようよ、花火」
「俺は花火なんぞ腐るほど見たんだが」
「へえ、そうなんだ、すごいねぇ」

 ……聞いちゃいない。
 息をついて、物の怪はとりあえず諦める。視線を動かして、昌浩の左の手首にある時計を見た。
 待ち合わせの時間まで、あと約10分。
 彰子は一応お嬢様なので、行きは家の者に送られてくるだろう。そして多分、車だ。
 これから見に行く花火大会は結構規模の大きいもので、そのため当日は人で混雑する。車で待ち合わせの場所へ来る事は出来ないだろう。

「もっくんは、花火嫌い?」
「別に嫌いじゃないが、腐るほど見たって言うのは嘘じゃないな」
「なら、いいだろ? …彰子も、もっくんがいたら喜ぶと、思うし」

 最後の言葉は、小さかった。彼の腕の中にいる物の怪だからこそ聞こえた、小さな声だった。

 ああ、やはり。
 物の怪はもう一つ、息をついた。
 薄々感づいてはいたのだが、小さな呟きを耳にした今となっては、昌浩の気持ちが明確な形になって、物の怪の心にすとんと落ちた。

 今年の、花火大会。今年からは、保護者はつかない。
 今年も行く、と聞いた彼女の父の道長が、どういった反応を示したかは判らないが、結果として保護者無しの花火見物を許された。
 ……そう、保護者無し。
 なのに何故ここにいるのだろうか。居る訳は記憶を少し遡れば、経緯は容易に思い出せる。



 東の空が暗がりはじめ、東と西の間を、後もう少しで黄昏が包もうとするだろう時間帯。
 どたばたと、慌ただしく出かける準備をする昌浩の騒音を背後に聞きながら、物の怪は西の空の向こうへ向かおうとする太陽を見ていた。
 何か夕陽に思うところがあったわけではなく、空を見たら日が沈みかけていたから、そのまま空を見ていただけだったのだが。
 背後の昌浩の部屋の中では、部屋の主が何をそんなに慌てているのか、部屋の中をあっちに行ったりこっちに行ったり、綺麗とはいえない部屋の中を汚くしていく。だがその慌ただしさもそのうちに消えて、物の怪は家を出るために玄関へ向かったのかと思った。
 思った次の瞬間、廊下を走る地響きのような音と共に、物の怪は連れ去られていた。

――そして、今に至る。

 ようするに、だ。
 昌浩は、彰子と二人っきりになるのが、嫌ではないけれど気恥ずかしいのだ。だから、間に物の怪を入れようとしている。

「………若いなぁ」
「何が?」

 昌浩の問いには答えなかった。返事をあまり期待していなかったらしく、昌浩もそれきり何も言わない。
 そして、鮮やかな浅葱色の衣が、視界に入った。


「こんばんは、昌浩、もっくん。ごめんなさい、私遅れてしまった?」

 黄昏が残る薄闇の中、鮮やかな浅葱色の浴衣を纏った娘が、昌浩と物の怪に向かい微笑んだ。
 走ってきたのか、息が上がっているようだ。白い頬が上気して、桃色に染まっている。

「こんばんは」
「よう、彰子」

 昌浩が立ち上がって、その腕の中の物の怪は自由な右の前足をあげてた。

「行こっか」
「うん」

 夜が近づいてきているのに、浴衣姿の彰子が妙に目に眩しく思えて、昌浩は少し、目を細めた。






 どぉん、と花火が打ちあがっては、夜空で散っていく。
 花火の打ち上げられている場所からは程遠く離れた川原に座り、二人は次から次へと打ち上げられる花火を見上げていた。

「…きれいね」
「…うん、きれいだ」

 赤、青、黄色、緑…様々な色が、ひかり散っていく。
 様々なかたちに、模様に広がって、消えていく。
 ほんの数秒、瞬きすると消えてしまう。

 鮮やかで儚い花火。
 夜空に咲く花。

 昌浩は空を見上げたまま、花火から目を離そうとしない彰子を見た。
 毎年、ずっと隣で見てきた表情。時をおかず花開く、夜空の花を、食い入るように、輝いた、それでいて恍惚とした顔で、見つめている。
 そんな彰子を、毎年、昌浩はこっそりと見ていた。
 視線に気づかれないように、時々ちゃんと花火を見て誤魔化しながら。

 何故花火よりも彰子のほうが気になってしまうのか、花火に顔を輝かせた彰子のほうを見たくなるのか、はっきりとした理由は今でも良く判らない。
 でもいつか、判る日がくるだろうと、思っている。

「…花火って、いつ頃からあるのかなぁ。もっくん、知ってる?」

 昌浩の傍らで丸くなっている物の怪は、眠っているのかそれとも無視しているのか、ぴくりと長い耳が動いた他の反応はない。
 昌浩は物の怪の白い首筋を撫でながら、再び空を見上げた。

 色鮮やかな光の粒子を一斉に散らす、花火。夜空に咲く花。

 最後の花火が打ち上げられるまで、二人はずっと、そうしていた。




















とがきという名の文 

というわけで、昌浩×彰子話現代版でございました。
花火大会です。花火。
……書きはじめたの、確か8月のはじめだったんですが………(今9月)
学校の課題の小説を書かなきゃならんかったのでそっちを書いてたら、こんなに遅くなってしまいました;

設定云々は一応結城先生のを元にしてますが、詳しい事はまだ良く判らないので、気にしないでください…

ではおまけをどうぞ。











 最後の花火が打ちあがって暫くしたあと、昌浩は勢いつけて立ち上がった。

「さ、帰ろうか」

 眠っていたらしい物の怪は、ふわぁあと欠伸をして、ふわりと昌浩の肩に飛び乗った。

「もっくん、暑いってば」
「冬にはいつもひとを襟巻きしてるくせに何を言う」
「今は夏じゃないかっ、物の怪のもっくんだから夏だと暑いのっ」
「なにおうっ、それじゃあお前は、あの人ごみの中をそのまま歩いて、この愛らしい俺様が踏み潰されてもいいって言うのか晴明の孫っ」
「孫言うなっ」
「物の怪言うなっ」

 またいつもの掛け合いをはじめた二人を見上げて、未だに座り込んだままの彰子はくすくすと笑った。
 本当に、この二人は見ていて楽しい。

「っと。――彰子、立てる?」

 聞こえた笑い声に掛け合いを一時中断して、昌浩は彰子に手を差し伸べた。
 差し出された手と昌浩の顔を、少し驚いた顔で交互に見比べた彰子は、次いで嬉しそうに微笑んだ。





2003.9.7