SummerLyra












 夜空を振り仰げば、琴座。
 それは儚くなった者を冥界に求めた結末。





「(・・・・この子を入れて5人・・。)」
 彰子はバス停のベンチに座り、意識を失った友人の体を支えていた。
 都会のネオンで周囲は暗く、時刻表の蛍光灯だけがこのベンチを照らしていた。
「・・っ。・・。」
 再びだ。ガツンッと大きなものが暗がりにぶつかる。
 彰子は閉じた目を開いた。
 一体の化け物が明かりの向こうで起き上がった。
 これで3体目だ。
 化け物は彰子を憎々しげに見つめた。
 彰子は手帳の中の呪符と、シルバーペンダントを握り締める。
 彰子が魂を奪われなかったおそらくの理由。
 化け物に化け物が近づき何かを囁き合う。そして恐ろしい形相で、ガンガンと明かりを叩き出した。
 恐怖で、彰子が屈服するように。
「(・・・大丈夫。)」
 守ってくれる。助けてくれる。
 もう昌浩達はこの件で動いているのだ。
 唐突に開くこの亜空間に二組の双子が魂を奪われた。まだ死んではいない。病院にいて魂を取り戻せば生き返る。
 昌浩は3日前からこの件で奔走していた。
 夏休みも後半。
 彰子が何か出来るわけじゃない・・だから予定通り、塾の夏期講習に来ていた。
 いつ入るとも知れない仕事のため昌浩は塾とは無縁なのだが・・・彰子は友達が通い始めたので、試しに行ってみることにしたのだ。
 まさか巻き込まれるとは思わなかった。
 というよりここから発生するとは思わなかった。
「(お手てつないで、夜道、を行けば。)」
 手をつないだ友人が口ずさんだ替え歌だ。
 チェーンメールで回っているらしい。

 それが、黄泉路を開いた。


 昌浩が塾通いして潜入捜査・・の方が効率がよかったかもしれない。



 魂を奪われた友人を抱えて彰子はバスを降りた。あのままいたらバスごと黄泉路に引き込まれたかもしれないからだ。
 彰子は夜道を黄泉路に結び付けられる。そのくらい判断できる程度の知識と当代一の霊視能力がある。
 そして案の定、闇が現れ、化け物が這い出てきた。
 化け物は彰子が生きていることをうらやんだ。そして追いかけてきた。
 彰子は逃げた。いくら黄泉路の中でもここは街中だ。どこかに影響を受けない場所がきっとある。
 鳥居とかお地蔵さんとか。友人を背負い目を凝らして彰子は走った。
「・・・・。」
 ヒートアイランドのじっとりとした空気に、彰子はカーディガンを脱いだ。冷房の効くバスや塾内のために着ていたのだが、外はフレンチスリーブでちょうどいいくらいだった。
 服を彰子は友人側じゃない隣に置いて、目が合ったので笑う。
 この場に導いてくれた夜目の利くカラスはクゥ・・と低く喉を鳴らした。
 なんとなく気にかけてくれているように感じた。
「大丈夫よ。なれっこだから。それにここが安全なのもわかるわ。」
 彰子はこの不思議なカラスに話しかけた。
 さあっと舞い降りて彰子の周りを飛び、先導した。彰子は迷わずついていった。
 カラスは怪訝そうにした。
 物の怪をアテにする人間というのは、物の怪からしてみれば珍獣だろう。
「・・・・。」
 珍獣でかまわなかった。現に安全で。
 時刻表の上には地蔵尊停留所とあった。それが根拠だ。言霊の加護を受けている。
 彰子は前方の化け物達を見つめた。
 この明かりの届く半径2mが境界線。







 晴明の携帯電話が鳴った。その着信はメールで、六合からだ。
 いつもより慣れた手つきで晴明は携帯を確認する。
 彼は今、離魂の術を行使し、往年の姿を取っていた。
「様にはなっているがな。」
 白虎はあきれまじりの感想をもらした。
 言われた若々しいかつてのご当人は息子のジャケットを颯爽と着て、飄々としている。
 晴明と白虎は御茶ノ水の雑踏の中にいた。
 突如現れた亜空間・黄泉路は、夜の雑居ビル群を飲み込んでいく。
 布陣は、連絡手段を持つ者達を中心に分けた。
 晴明・白虎(風)。
 昌浩・太陰(風)。
 青龍(携帯)
 勾陣。
 騰蛇。
 陣が細かいのは原因を探りながらも、外に出ようとする化け物を片端から潰さなければならないためだ。
 特に騰蛇と勾陣は単独で化け物狩りの任に当たっている。
 原因をなんとかしなければ際限が無いのはわかっているが、飛び出した化け物をそのままにすれば別の事件が起きてしまう。
「風音と無事合流したようだ。これから原因を探ってくれる。」
 やれやれ一安心といった風情で呟き、メールで了解とだけ送り返す。
 3日前に彼女が知らせてきた。黄泉路の気配がすると。
 黄泉路とは・・黄泉比良坂ともいうが、黄泉へと通じる空間のことである。黄泉とは死者の世界である。根の国とも冥界ともいう。
 ただ黄泉路と黄泉の境界には現在、出雲の神・大国主命の封印が施されて通じていない。地上を欲せんとする神とよみがえりを願う死者達の軍勢を阻むためだ。
 だから人は川を渡って、『天に昇る』か、『地に堕ちる』か、の冥府の裁きを受ける。
 それでも黄泉路は黄泉の気をまとった陰湿な路だ。化け物や亡者が住み着き、地上の無害な妖や魂を有害なものに変える。
「彼女も六合に遠慮せんと・・、もう少しこき使わないと仲など続かんぞ。」
 晴明は携帯を眺めながらぼやいた。
 警告をした彼女は確証が得られるまで単独で調べていた。六合は忙しいから・・わずらわせたくなかった。
 六合は激昂は絶対にしないが、かなり怒っていた。
「・・・・。」
 そう、動いているのは自分達だけではなかった。
 一つは先ほどの出雲の大神の娘、風音。
 そしておそらくは冥府の役人が出てくるだろう。
「死ぬ前にあまり会いたくないものだ・・。」
 いつ迎えが来てもおかしくない歳になっているのだから、と、なかなかお迎えが来ない晴明は溜息をついた。
「・・。」
 晴明は歩みを止めた。
 首筋に冷たいものが通り過ぎる。思考とは別に、胸騒ぎがする。
 顔を上げた先は水道橋。
 そこには今、昌浩が行っている。
「昌浩・・。」
 晴明は瞠目した。
 昌浩がこの黄泉路に入っていった。
 その直感が晴明の思考を覆い尽くしていく。・・・だが中に入ればどうなるか知らない孫ではない。
「晴明?。」
 白虎は主を訝る。
 そこに太陰の風が吹いた。それだけで晴明には直感が事実であることがわかった。
 太陰の意思を封じた風は白虎に伝えた。白虎は息を呑む。
「晴明・・昌浩が黄泉路に入った・・。」
「・・・。」
 既に晴明は『知っている』と思われた。
 だが、もう一つの事実は・・。
「彰子嬢が中にいるようだ。」
「っ・・なんだと。」
 彰子嬢は塾の夏の講習に行っているはずだった。
 どこに通うかは知らない。ただこの近くには進学塾がたくさんある。
「・・・・っ。」
 では、昌浩は間違いなく彰子を取り戻しに行ったのだ。
「勇ましいな。」
 たいして感動していない声が背後から聞こえた。
 来た。やはり。
 晴明は振り返った。
 長身の男が立っている。黒のタートルネックにジーンズという軽い装いはネオンばかりの風景の影のようだ。
 だが見るものに与える威圧感は健在だ。
 その手を広げると水晶玉があった。
「・・・っ。」
 水晶は輝き、晴明は左方を仰ぎ見やった。光は黄泉路をまるごと飲み込んだ。
「開いた黄泉への瘴穴。閉じさせてもらう。出雲の娘は何故、行使しない。」
 その時だ。再び六合から着信があった。今度は電話だ。
「・・・そうか・・わかった。」
 主従とはいえ、あの子にとっては家族だ。偵察に放ってあの亜空間が生じ、戻らないという。
 あの鴉は黄泉の瘴気に飲まれることは無い。が、命をかけて黄泉を閉ざす術を持っている。
 ぱたんと二つ折りに携帯を閉じ、白虎に放った。
「白虎。閉じ込め切れなかった化け物を全て退治するよう神将達に連絡せよ。原因は昌浩がつきとめるだろう、とも。」
 白虎は頷く。
「それからわかっておろうがあの中に神に連なるものは入ってはならない。入れば、即刻私が引導を渡してくれる。」
「・・・」
 神の血を贄にし出雲の大神の結界は破れる。黄泉の軍勢をよみがえらせてはならない。
 晴明は黒衣の男に向き直る。
「・・・・私への迎えなら、いつでも応じますぞ。篁殿。」
 冥府の官吏より先に晴明は軽口を叩く。
 小野篁はうっすらと笑う。
「おまえのように歳が行き過ぎた者に迎えなんてやるか。勝手に来るんだな。」







 化け物の屍が彼の踏み跡に重なる。
「恐ロシイ。」
「怖イ。」
  一緒に。
  みんなで。
  一人は淋しい、辛い。
  分かち合おう。群れよう。繋がっていよう。
  だから、
「オテテ、ツナイデ。」
  つながないと仲間はずれだ
 化け物達は自分達を狩る気配に焦っていた。
 捕らえた霊魂達に囁かせる。
 霊魂達が誘う。彰子には聞こえていた。
「・・・・。」
 嫌だとは言わない。
「そうね。」
 そして肯定する。
 彰子は手を差し出した。
「お手てつないで。」
 ついと、彰子から差し出した。
「私と一緒に。」
 こちら側
 此岸に。
 友人の手が重ねられる。
 そして4人の子達の手も。

  見えるの?

 霊魂達は首をかしげた。
「本当にそれだけだけど、見える。」
 見てもらえただけで嬉しいこともある。
 彰子は光の中に引き込んだ。
 友人の魂は体に戻る。
 すうすうと規則正しい呼吸が聞こえてきた。
「(良かった。無事だ・・。)」
 どこも欠けていない。
 それもわかる。私には見える。



 魂を脆弱な小娘に奪われた事態に周囲が震撼した。
「儚クナイ者ダ。」
「儚クナイ生キテイル。コノ者。」
「生キテ、コノ地デ輝イテイル。」
「デハ、鬼ガ出デテクル。」
 化け物が一斉に引いていく。
 彰子は聞いたことのない鳴動に瞠目した。振り返る。
 闇の向こうから何か近づいてくる。
 化け物達とは比べ物にならないほど大きい。
 これは危険だと、気配を感じた肌が警鐘する。
 ベンチを伝いカラスが彰子の肩に飛び移った。
「・・・もっくんみたいね。」
 なんとなくそう思ったので呟いた。
 そうして心を軽くしていなければ、押しつぶされてしまいそうだった。
「・・・・。」
 鳴動は囁き声。
 その輝きを嫌悪する。
 その輝きをこれ以上ないくらい汚くしてしまおう。
 そのために嬲る。
 輝きが鈍くなっていくのは快感だった。
 鬼は、うっそりと、微笑んだ。
「あれを、屍鬼、という。」
 カラスが呟いた。
 しゃべった・・ということより、彰子は、あれ・・どこかで聞いたことある声だ、と思った。
 どこだろう。
 屍鬼は彰子をなめるように見た。思うところがあるのかすぐに襲わない。何か考えているようだった。
 彰子は微動だにせず、眼前の鬼に視線をすえていた。

 おまえは誰だ。

 屍鬼は記憶を共有する。
 穢れない魂、
 比類なき霊力、
 よく似たものを覚えている。
 ただその身はおぞましい呪いによって穢れ、
 そうとは知らず、贄にせんとして滅びたものもいた。、
 それは、誰だったか。
 誰だったか。

 おまえは誰だ。



「それをおまえが知る必要はない。」
 昌浩は真言を唱えきったあとだった。印を結び、術域は完成していた。
「天神地祇 辞別けては産土大神 神集巖退妖神々」
 屍鬼は目を剥いた。
 目の前の娘に気を取られ、黄泉から力が通ってこないのに気づかなかった。この黄泉路は既に封じられている。
 その封じには冥官の力を感じた。
 屍鬼は憤激で吠えた。
 だが封じはあまりにも強固で、悲憤へと変わる。
「困々々 至道神勅 急々如塞 道塞 結塞縛 不通不起」
 抵抗するまもなく神の力によって捕縛されていく。
「縛々々律令・・・・・万魔拱服――――!」
 数珠を絡めた刀印を、昌浩は振り下ろす。
 屍鬼は胴を真っ二つにした。
 そして刀印からは更なる無数の白い刃が飛散する。
 その輝きに飲まれて、屍鬼は散じた。



「・・無事か・・っ。彰・・っ。」
 言いかけて昌浩はがくっと膝をついた。
 荒い呼吸がその消耗を伝える。
「・・昌浩っ。」
 守ってくれる助けてくれる。
 切ない思いは、だが、飲み込んだ。
 昌浩の背後に忍び寄る。
 屍鬼を恐れて逃げた化け物達だ。
「昌浩!。」
「出て・・くるなっ。彰子!。」
 弾かれるように飛び出そうとして、声に衝かれた。
「でもっ・・・。あ・・。」
 彰子は化け物達の更に後方を見る。
 ・・・そうだ。
 彼を、
 守ってくれるのは。
 助けてくれるのは。
 炎の帯が放たれた。炎は幾重もの蛇となって化け物達に絡みつく。
 焼ける匂いが鼻についた。恐ろしい叫喚をあげて倒れていく。
 一網打尽とはこのことだろう。
 心を改めねば決して消えることのない煉獄の炎。
 不穏に、凶将騰蛇は微笑んだ。
「欲しいと思ったか?。勝てると思ったのか?。」
 この騰蛇が守る昌浩を。
「・・・・。」
 思わない。
 彰子は昌浩の背後に立つ紅蓮を見た。
 その姿は恐ろしく、その性情は非情と言う。
「仕上げるぞ。立てるか?。」
 炎の中で紅蓮は昌浩の腕を取った。
「なん・・とか。」
 荒くなる息を無理やり整えて、昌浩は立ち上がる。
「・・・よし。」
 頷いて紅蓮は昌浩に背を預ける。来た路・後方に火を放った。
 燃え上がる炎の中で、昌浩は神咒を唱えた。
「伊吹戸主神 罪穢れを遠く根国底国に退ける 天の八重雲を吹き放つごとくに 禍つ風を吹き払う 伊吹 伊吹よ この伊吹よ 神の伊吹となれ」
 神の力が昌浩の体を通って奔流する。
 溢れた力は化け物を浄化していく。
 黄泉路を神の力に満たされた路に変えていく。
 彰子は見て取った。見上げてその様を眺め追う。



 昌浩は、カーゴパンツのポケットから符を引き抜いた。彰子のいるバス停に放つ。
「あ・・。」
 結界が強化されたのがわかった。
 昌浩は紅蓮の右腕に支えられて、ここまで歩いてくる。
「昌浩・・。」
「・・彰子・・怪我はない?。」
 自分の方がずたぼろなのにそう言うのだ。
 ・・そういつも。
「平気よ。このカラスがここに連れてきてくれたの。」
「・・。」
 昌浩と紅蓮は闇に視線を向ける。
 暗がりの中で気づかなかった。
 紅蓮は軽く目を見張った。
 それに応えるように、カラスは右翼を大きく開いた。
「・・・・・ここは未だ黄泉路。黄泉路は死者の通り路。生者がどのようにあるべきか、わかっているだろうな。」
 ばさっと羽音が響いた。
「振り返ってはならない。」
 そして飛んでいった。
「あ。」
 彰子は振り仰いだ。
「行っちゃった。御礼したかったのに。」
 カラスに御礼か・・なんだろう。
 昌浩は真剣に考える。彰子の悩みに応えたのは紅蓮だ。
「・・・大丈夫だ。そのうち会えることもあるだろう。」
 紅蓮は飛んでいった方を見た。さすがに自由自在か。案じて向かった先はもちろん出雲の姫の元だろう。
 が、彰子を見捨てないでいたとはなかなかいい奴である。
「そうなの?。わかった。」
 さすがは陰陽師という裏家業。蛇の道は蛇である。案外狭い。それにそれなら私はどこかであのカラスの声を聞いたことがあるのかもしれない。
「それより彰子。そういうことだから。」
 昌浩は気にしたように尋ねる。
「うん。何かで聞いたことあるわ。」
 そして、晴れやかに笑う。
「大丈夫。」
 紅蓮とは逆側の昌浩の右腕に彰子は左腕を絡めた。
「横にいるから。」







 本屋・三省堂の前で勾陣は晴明を見つける。
 既に十二神将のほとんどが集まっていた。
「昌浩は?。」
「まだ戻らんよ。だが厄介なのは消滅させたようだ。」
「・・・・戻るのも大変だろう?。」
 心配なのはそこだった。振り返らないというのは難しいことだからだ。
 手慰みに缶コーヒーのブラックを持ち、ショーウィンドウに寄りかかっている冥官が呟いた。
「藤原が戻れないなんてことはないさ。あの血筋は強欲で排他的だ。我が身を省みるということを覚えたのなら1000年もの権力を手にすることは出来ないさ。」
 ・・・・・・個人的私情が入っている気がする、と思ったが、晴明は冥官を横目に見て溜息をつくだけに留めた。
「『儚げ』など、なんの美辞麗句でもない。」
「・・・・。」
「藤原の娘から見れば十二神将とて儚い者よ。簡単に命に代えてくれる。」
 それは、騰蛇のことを言っているのもあるだろう。
 出動した神将のうち六合と騰蛇がいない。六合は風音の元だ。
「・・・・紅蓮はどこだ?。勾陣。」
 晴明に非難げに見られ、勾陣は肩を竦めて微笑する。
「・・・告げ口になるからやめておく。」
「・・・・・・・・・・。」
 だが、火を見て火を見るより明らかである。
 晴明は神保町界隈を眺めて、また溜息をついた。
 紅蓮の炎が盛大に炊かれている。
「・・・・晴明。」
 勾陣はついと晴明を目で促した。
 昌浩と彰子が並んでくる。騰蛇は女の子を抱えていた。更に昌浩の周りには霊魂達がいる。
 三省堂の前だった。
 昌浩は目を見張る。冥府の官吏がいるからだ。
 缶コーヒーを傾けて余裕綽々としている。
 とりあえず昌浩は勾陣を見上げて尋ねた。
「抜けてる?。」
「私達がいるんだ。もういいぞ。」
 一同はほうっと溜息をついて顔を見合わせた。
 そして、冥官を振り向いた。
「彼らは生霊だ。魂は肉体に返します。」
「人を死神みたいに言うなよ。俺は生霊は管轄外だ。」
「管轄内の時もある気がしますけど・・・。」
「冗談。これ以上仕事を増やされてたまるか。」
 ということは管轄内にすることもできるということだ。
「連れて帰ってきたのはおまえだ。好きにしろ。」
「・・・・。」
 その言葉を受けて晴明はさっと手を振り、霊魂を掃う。
 昌浩の背後にいた4人の魂は一斉に飛び立った。
「太陰、玄武。」
 晴明の傍に瞬時て現れた。
「魂を追って病院まで行ってくれ。」
「承知。」
 玄武が短く応えた。彼らは隠形する。
 続いて晴明は彰子の友人の額に触れる。記憶を差し替えた。
 そして再び二人の神将を呼ぶ。
「天一、朱雀。ご学友を家まで送って差し上げなさい。」
「わかりました。」
 天一は一礼し諾する。そして彰子に向き直った。
「彰子様。彼女の住所はお持ちですか?。」
 尋ねられ、彰子はカバンからアドレス帳を出して見せる。
「承知しました。・・・では。」
 朱雀は友人を抱え上げた。
 彰子はほっと息をつく。彼らなら任せて安心だ。
 朱雀と天一はつかまえたタクシーに友人を連れて乗り込んだ。
 走り去って、彰子は時計を見た。塾の開始時間から既に15分が過ぎていた。
 ちらりと面々を見る。
 みんな無事そうだ。
「昌浩。いいかな。」
「ん?。何?。」
「・・あのね。助けてもらっておいてなんなんだけど、遅刻で済みそうだから、私、塾に行こうと思うの。」
「え・・・ええええ?。」
 昌浩が驚いて目を丸くした。
 黄泉路にはまっていた彼女である。
「今日くらい休んだら?。」
 そういう昌浩に彰子は申し訳なさそうな顔をする。
「初日だし・・時間がなかったり、疲れたらそうしようかと思ったんだけど、疲れてないし、怪我もないし。今だったらバスが遅れたとか言い訳できるし、早く帰って行かなかった理由を言い訳する方がややこしいかもだし。このあと私がすることも無い・・・よね?。黄泉路が発生した理由は黄泉路で話したとおりだから。」
 本当に助けてもらっておいてなんだ、という話である。言いにくい。
「なら送って行こう。」
 苦笑いして白虎が申し出てくれる。
「歩くより早いだろう。」
「ほんと?、ありがとう。白虎。」
「彰子・・・。」
 昌浩はまだ焦れていた。
「昌浩こそ無理しないで。ね。」
 そっと微笑んだ。
 その笑顔は体を気にしてくれている笑顔だった。
 彼女なりにつじつまを合わせようとしてくれているのもわかる。
 『つじつま合わせ』というのは口裏を合わせるだけでなく、休んでしまいたいのを我慢したりというのも入ってくる。
 自分がすることは何も無いことを知る、というのも入ってくる。
 出来ることではなく身を引くことの方が多い行為だ。
 安倍家に深くかかわっている彼女は空気が読めた。
「・・・・・。」
「そういうことだ。すぐ戻る。晴明。」
「わかった。」
 フッと彰子の姿が見えなくなった。
 冥官が飲み干したコーヒーの缶をごみ箱に放った。
 ガンッとストライクに入る。
 突如。
「・・・・・。――。」
 彰子に後ろ髪引かれていた昌浩の襟首を戦慄が引く。
 昌浩は目を見開いた。
 空気が震撼する。
 刹那。
「―――!っ。」
 顕現するや居抜かれた。
 煌く切っ先は冥官の太刀。
 冥官小野篁は、凶将騰蛇との間に割って入った昌浩を薄く笑う。
「・・・・勾陣。紅蓮に私の命を伝えたか?。」
 昌浩は横目に勾陣を見た。彼女は祖父晴明との間に入っていた。そしてその視線が向かう先を追い祖父が構えていることに瞠目する。
「私からは伝えてない。」
 涼しい顔だ。既に黄泉路に入って伝えられなかったか、それともあえて伝えなかったのか。そこからは読み取れない。
 だが勾陣はもろともといった風情だ。
 小野篁が呟いた。
「行き当たりばったりで、目の前のものを手当たりしだい助けることが、全体にとって良いこととは限らない。」
 眼光は鋭く、言っていることも正論なので何も言い返せない。
 でも体を動かす気はなかった。
 切っ先が眼前で閃く。
「藤原の娘に感謝しろよ。あれが死ぬ気なんか毛ほどにもないから全員帰ってこれたのだからな。」
 昌浩の沈黙は肯定だ。。
「・・・凶将よ。次は無いと思え。」
「・・無論だ。」
 神がこの路に入ればどうなることぐらい身をもって知っている。
 最も入ってはならない者であるということもわかっている。
 小野篁は腕を下ろし構えを解いた。
 鞘に戻し、刀は気配を微塵にも残さずに消える。
 晴明もまた構えを解いた。
 篁が不問にしてくれたのだ。晴明は素直に感謝した。
 そうでなければ、篁が切る前に自分が紅蓮に手を下していた。
 勾陣は淡く微笑する
「それほどの路だ。心せよ。」
 凶将二人と末の孫に呟いた。
 神将は頷いた。
「・・・うん。」
 昌浩もまた頷く。そう・・心せよ、とは、入るな、ではないのだ。昌浩はその意味の重さを痛感する。
「・・・・・。」
 祖父と冥官は怒るのだ。
 祖父は祖母が待っているから。
「命を賭けなければ入る資格はない。だが命を賭けて入った者も無事では済まない。それが黄泉路だ。」
「・・・・・。」
 言葉を受け昌浩は冥官をじっと見つめる。
 その不敵の眼差しの向こうにあるものを見ようとする。が、やすやすと見せてはくれない。
 冥官を畏れずに向けられる視線は、篁にとって悪くはなかった。
「用は済んだ。雁首そろえてると、おまえだけチビで目立つぞ。」
「・・・・これから大きくなるんです!。」
 語気を強め、たぶん・・は飲み込んで、それだけは言い返す。
 篁は肩を竦め、ひらりと踵を返した。神保町の雑踏の向こうに消える。
「・・・・・。」
 そう、
 彼もまた冥界に愛しい人を求めた一人。







「嵬。」
 その羽音に気づいて、風音は空高く両手を伸ばした。
「姫。」
「良かった。無事で。」
 腕に乗るやすぐに風音は鴉を抱き締めた。
 ぬくもりにほうと安堵の息をつく。
「穿たれた瘴穴は既に浄化されました。姫。事情は後でお話しましょう。・・さあ。」
「・・・待って・・、昌浩や騰蛇は?。藤原の姫は?。」
「・・・・。」
 嵬に促され、風音は顔を上げる。
 尋ねられて嵬は沈黙した。
 あの瘴気の中で無事でいたあの娘。
「(・・・そうか・・藤原の娘だったか。)」
 道理でと思う。
 そんなことは知らなかったが、助けたのは、娘は連れあいも助けようとしていたからだ。
 ・・さまよう魂の灯火。
 無意識とはいえ、安倍はあれを手放さないだろう。
 安倍側の者・六合を見る。
 その時、六合の携帯が鳴る。彼は応じている。
 嵬は風音を再び見上げた。
「・・・無事ですぞ。そのようなこと案ぜずともよいのです。さ・・・。」
 促そうと思って。はた、と硬直する。
「嵬?。」
 あの娘。
「ぬぬぬぬぬ。」
 嵬は憤慨した。
 風音は突然怒り出した嵬に驚く。
「どうしたの?。」
「なんたることか!。誰が誰のようだと!。」
「嵬?。」
 携帯に出ている六合に嵬は再び向き直った。
 六合は携帯に出ながら訝しげに鴉を見返す。
「もっくん・・もっくんとは。あの娘・・っ。十二神将六合。何故そのように思われるのだっ。安倍では何を教えている!。」
 思い出した。思い出すのをやめようとさえ思ったが思い出してしまった。
「おのれっ。」
「・・・・。」
 そんなの知るか・・・と思ったが白虎伝えの晴明からの連絡に出ていたので口に出来なかった。
「・・わかった。俺は戻った方がいいのか?。」
 返答は否で、彼女の気の済むまで付き合っていいということだった。
「そうか。すまない。・・バッテリー?。ああ、少し危ないな。どこかでやっておこう。」
 連絡は絶やさないよう言われて、それで会話は終わった。六合は携帯を折りたたむ。
「・・風音。昌浩達は無事に晴明の元にたどり着いたそうだ。」
 風音と嵬は、はっと顔を上げる。
 そして嵬の羽音が響く。
「さあ。姫。」
「ええ。」
 赤い勾玉が淡く輝きだす。
 澄んだ声で神呪が唱えられた。
 六合はほっと溜息をついた。彼女本来の力を見届ける。
 風音は大神の娘としての力を解放した。
 閃光が勾玉から放たれて、亜空間は滅した。







 亜空間が滅していく。
 陰陽師と神将達はそれを横目に見ながら、まだ残る飛び火した瘴気を片端から始末していた。
 神保町一帯を昌浩に任せることにして騰蛇はバイクを利用してそれよりももっと広範囲を予定することになった。
 パーキングに入る騰蛇を見つけて、勾陣もついていく。
 騰蛇が振り返った。
「おまえな・・・。」
 言ってねめつける。
 勾陣はとりすました顔で受け流し、その横を通り過ぎた。
「・・・。」
 慣れた様子でサイドから同乗者用のヘルメットを取り上げる。
 騰蛇は溜息をついた。
「勾陣・・・・お前まで付き合ってどうする。」
「・・・。」
 バイクに便乗しようとしていることじゃない。
「凶将が二人も欠けるなんて冗談じゃないぞ。」
「・・・欠けはしないさ。再生されるだけだ。」
「・・・・。」
 勾陣の言葉は淡々といつもどおりで。
「怒るなよ。おまえも成り行き、私も成り行きだ。伝えようとした時には黄泉路の中だ。」
「・・・・。」
「私は中に入らなかった。格好悪くて言えなかっただけさ。」
 これでも、自制したのだ。
「・・・・礼も謝罪もしないからな。」
 騰蛇は一睨みする。
「かまわないさ。どこか連れてってくれるんだろう。」
 勾陣は後部シートにもたれて薄く微笑する。
 つまり決定事項である。
「・・・・ったく。」
 騰蛇はフルフェイス仕様のヘルメットを取った。勾陣が持っているのはオープンフェイスで一回り小さい。
 駐輪場のメーターを開錠しながら、ぼやく。
「終いには、なつくぞ。」
「迷惑だからやめてくれ。」
「・・・・・。」
 言うと思った。
 期待されているようで、その実かなり素っ気無い。
 メーターに大いに脱力してしまう騰蛇だった。







 授業の休憩時間に天一と朱雀が彰子に事件の事後報告をしに来てくれた。
 黄泉路が発動するのは、メールの内容を『言葉にして』『誰かと手をつないで』こそで、黄泉も無機質なチェーンメールぐらいじゃ開かない、というのが結論だった。
 携帯を持ってるメンバーでチェーンメールが残っていたのが青龍というのは意外だったが・・そのチェーンメールに無害化する呪文を埋め込んで再送したのだそうだ。その方が面白がって広がるだろうということで。
「(・・・青龍、新機種になってたから、そのせいかしら。)」
 彼はあれでいて忙しい。
 父道長について出張もざらである。時には海外もだ。
 この際、天后を伴えば移動が楽なのではないだろうか。
 思考がずれたが、魂を取られたのは双子で、確かに双子というのは仲がよく、手をつなぐという可能性は友人関係より高い。
「(しゃべるカラスに冥府の役人。)」
 いろんな者達に会うものだ、と我ながら感心する。
 小野篁は場合によっては彼らを連れて行くつもりだったようだ。
 彰子はあの小野篁なのねと、頬肘をついた。藤原も京都が本家なので彼女も詳しい。
 長身で大柄で恐そうというのは評判どおりだったが、強面だと思っていた容姿は端麗だった。
「・・・。」
 授業終了のチャイムが鳴った。同時にテスト終了でもあった。
 英単語テストのマークシート回答用紙が集められていく。
 彰子はすぐに立ち上がれず、深々と溜息をついて椅子にもたれた。
「(疲れた・・。)」
 へとへとである。
 だが待ち合わせのことを思い出して、彰子はすぐに背筋をしゃんとした。
 もう黄泉路が開く心配は無いそうだ。それはいい。
 でも迎えに来てくれる。
「・・・・・。」
 昌浩が。
 彰子は思い出して眉をしかめた。
 あのあとからは、黄泉の気が起こった一帯を浄化して回っているそうだった。ただ・・作業が間に合わなかったら二人が来てくれるそうだ。
 聞いた時は、さすがに失笑した。
 休んでほしいから迎えはいい・・と思っても、来なかった場合は仕事をしているのだ。
 周りは賑やかになって、隣の子達が「今日だけで1学期の復習を全部するなんて」と言う。しかも明日からは昼の部もあるのだ。
 最初の30分出れなかったが来れてよかった、と思う。友人は賢いので宿題プリントだけでも大丈夫だろう。
 そう・・・宿題も出ているのだ。復習と予習の。
「・・・頑張ろ。」
 呟いて立ち上がる。昌浩だってちゃんと後片付けをしているのだ。
 彰子は時計を見た。10時。
 テキストをカバンに片付ける。
「・・・。」
 教室には見知った顔ぶれがいくつかあった。その中で同学年の男の子達がこちらを見ながら何事か囁きあっている。今日は一人だから嫌だなと思った。
 ガラス張りの廊下の向こうに、彼の姿が目に映った。
 ほっとして彰子は足早に教室を出る。
 ぱたぱたと手を振った。
 一部の周囲が、え、と目を剥いたが、昌浩は気づかない。
 笑顔になってこっちにくる。
「よかったー、行き違いにならなくて。」
「昌浩もこんな時間までお疲れ様。終わったの?。」
「うん。なんとかね。ギリギリ。」
 廊下は授業の終わった生徒達でごった返し始めたので二人は歩き出した。
「じゃあ、ごはんは?。」
「・・・軽くは済ませたけどね。」
「近くにね。おいしいとんかつ屋さんがあるの。お父さんが言ってた。行かない?。」
「行く。」
 真顔で昌浩は即答した。
「よかった。女同士じゃ入りにくいところみたいだから。」
 彰子は苦笑した。
「食べたら、ミスド行って、後楽園から帰ろ。」
「賛成。」
 昌浩の提案に彰子は挙手して同調する。これは世に言う別腹である。
「あ、昌浩、少し待ってて。友達の分の予定表もらわないといけないの。」
「うん。」
 講師室の前で昌浩を待たせる。中に入って受付の女性に予定表をお願いした。
 手持ち無沙汰で、外の昌浩を振り返る。横顔は廊下の向こうのロビーを睥睨していた。
「・・・・。」
 髪が長くて半袖の軽装で、明らかにこの中で浮いている昌浩である。
 外は暑いので彰子はカーディガンを脱いだ。
 渡された予定表と一緒にカバンに入れて講師室を出る。
 ちょっと背伸びをして、昌浩の耳を、ふっと吹いた。
「おわっ。」
 予想通り飛び上がってくれる。
 彰子はクスクス笑った。
「ホントはもっくんにしたいんだけどね。最近紅蓮だから出来なくて。」
 あの長い耳にね、と嬉々と語る彰子に昌浩はこめかみを押さえた。
 あの騰蛇にである。しかもそう言えば先刻本性を見たばかりである。
「・・・・・。」
 そして自分も、簡単に刃の前に命を立てられる。
 空いたロビーを見て彰子は昌浩に視線を戻す。
「行きましょ。」
 そう言って、変わらずに手を差し出した。






END










フリーだったのを懲りもせず貰ってきましたーっv
うおおお、勢揃い! 素晴らしい!
つたない未森の言葉では多くを語れませぬ、ので言いません(笑)
みなさまこの余韻を楽しんでくださいませ!

壁紙はどうしようかなあ、と
おどろおどろしく鬼火とかのやつにしようかなとか、
考えたけど星空の壁紙で。