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幼少より水野信元(家康の伯父)に仕えていたが17歳の時に織田信秀に仕えた。 しかしその後、信元は強く望んで清秀を織田より取り戻している。 やがて家康に招かれ、祖先の旧領大岡の地を安堵される。 後には徳川十六将に名を連ねている。 他家から徳川家臣に入っていながら徳川十六将に入っているのは清秀だけである。 その武勇は広く知られており、水野家家臣だった時には一日七回先鋒に出て戦ったこともあったという。 家康の家臣として織田軍の先方として戦った時のこと。 戦場を眺めていた信長は 「あの先鋒は高木清秀であろう、ならばきっと勝つ。」 と安心して眺めていたという。 あの戦国時代にあってこの人は水野、織田、徳川の三者から信頼を勝ち得ている。 よほど温厚な人格者だったのだろう。 家康より十六歳年上だが八十六歳まで生きたという。 子孫は尾張徳川家に仕えた。 |