わたしの『めもあある美術館』



わたしが小学校でこの『めもあある美術館』の授業を受けたのは5年生だったように思っているのだが、このサイトを始めてから入手した情報を総合すると、東京書籍刊の6年生の教科書に掲載されていたそうなので、やはり6年生だったのかな?
記憶の中では確かに5年の時の暗い木造仮設教室なのに……。6年生だと新築の鉄筋校舎の3階教室だったからまわりの風景はまったく違って見えたはず……。どうも記憶は自分の都合で再編集されるものらしい。

担任の原先生のことはあんまり好きじゃなかった。わたしはむちゃくちゃ生意気でわがままでどうしようもなく傲慢な小学生だったので「原先生は授業がヘタだから好きじゃない」とか思っていたように思う。

もともとは図工の先生ではなかったか? 
特技は筆耕。つまり学校中の公式印刷物のガリ切りをほとんどこの先生がなさるのだ。よく生徒に自習をさせて先生はガリを切っていた。
正月にはみごとな多色刷りのガリ版で年賀状を印刷して生徒全員に出してくださった。これは実家のどこかにまだ残っているはずだが、今となっては貴重品に違いない。
原先生といえば、わたしにガリ版の魅力を教えた人、ということになる。
おかげでのちのちまで、わたしはガリ版に執着し、就職して’80年代になってもガリ版を使っていた。いうなれば謄写版印刷最後の世代に属すことができたわけだ。
今またガリ版はひそかに愛好者が増え、東急ハンズなどには道具も揃っているが、これについてはまたいずれ述べる。

さて、この原先生は『めもあある美術館』について印象的な授業をなさったわけでもなく、さらっと新出漢字と語句の説明をしただけで、内容を深く掘り下げた読解の授業はしなかったように記憶している。
だって《めもあある》などという聞いたこともないコトバがいったい何を意味しているのか、わたしには最後まで、ちんぷんかんぷんだったからだ。
ん? 生意気な小学生だったわたしは先生の話なんて満足に聞いちゃいなかったような気もするけど、まあ、いい。

最初に読んだ時は、たまご色の建物の壁に大きな眼が描いてある美術館というイメージがどうしても消えず……、そう、ルネ・マグリットの絵みたいにね>眼。
《眼も、あ! ある》美術館だと思っていた。

今まで教科書に載るお話はどれもこれも、こころのきれいな善人が主人公で、最後は必ず善なるものが祝福されて終るものだったが、この物語では、いきなり「ぼく」は姉とケンカしたり、母親に叱られたりしている。となりの女の子をいじめたり、困っているおじいさんを助けることもできない。
それだけでもう、とても新鮮な驚きを感じた。
現実の世界から、何の前触れもなく幻想の世界に入りこんでいく語り口もはじめて読んだ。
ラストシーンもHappy endなのか、なんなのか、釈然としない。
いったい何がいいたいのか、わからない。

そうともさ。この時までわたしは物語っていうのは、すべて《教訓》だと信じていたのだ。
たとえば『白雪姫』は虚栄心と嫉妬をいさめ、『人魚姫』は身分違いの恋愛を否定し、『青い鳥』は身近にある幸福を示唆し、てな具合に、だ。

イソップ物語ならいざ知らず。これでは不幸だ。物語の世界をまったく矮小化する狭い読書観に支配されていたわけですな。
よくまあ、本嫌い児童にならなかったもんだ。まるで受験生みたいに主題を読み取る訓練ばかりしていたというのに、だ。

こういうお話があってもいいのだ。親孝行で親切な正しい子どもが主人公じゃないお話を読んでも叱られないんだ。ためになるお話ばかりを読まなくてもいいのだ。
そういうことをわたしは学んだ。

でも、結局《めもあある》の謎は解けないままに、わたしは二十歳になってしまった。

ある日、ふとこたつの上に置いてあるオーデコロンの箱に印刷されている字を見ていた。
当時は化粧を覚えたばかりで、コンパのある晩なんぞは甘い匂いの一つも振りまいてみたかったのだ。

資生堂 オー・デ・コロン・メモワール。

メモワール? めもわーる? めもあある? memoir(仏)? 英語のmemory?

ついに、わかった!

思い出美術館だったのかあああああああ!

これで、すべての謎が解けた。
わたしにはこの《めもあある》がフランス語の「memoir」だと判明したことはものすごく衝撃的で感動的な事件だった。
もし、このコトバの説明を小学校の時に聞かされていたら、こんな感動は到底味わうことはなかっただろう。

わたしは心から原先生にお礼を申し上げたい。授業がヘタだなんてたいへん失礼なことを申しました。謝ります。

そう、授業というものは完璧でなくてもいい。最低限、なにかの種子だけでも蒔くことができたなら、それがいつかはわからないが、どこかで発芽するかもしれないのですよね。

そうと、わかればもう一度読んでみたい。
だがしかし、小学校の教科書はもう手元には残っていなかった。
なんとかしてもう一度あの物語が読みたい。

その後、わたしは教員になって現在にいたるのだが、『めもあある美術館』のことを、授業で話してみたのは東京オリンピックの年に生まれた生徒が高校3年くらいになっていた年だったかな? ’82年かそこらです。
生徒の何人かは、この話をよく覚えていた。そうかそうか、やっぱりね。
ある子が「弟が今、習っているよ」という。すぐに教科書を借りてきてもらって、コピーをとった。

そのコピーを何度も何度も繰り返してコピーして、今もこうしてご希望の方にお渡ししている。
最初はNIFTY−serveの会議室だったから、ネット歴18年の間に、以下のみなさまの方の夢をかなえてさしあげたことになる。

人数
 '98年 4人
 '99年 4人
2000年 10人
2001年 30人
2002年 38人
2003年 22人
2004年 12人
2005年 11人
2006年 30人
2007年 15人
2008年 15人
2009年 13人
2010年 - 人

たったこれだけ? そうです、わずかにこれだけ。
ネット人口を考えると芥子粒よりもさらに小さな数字。いっそテキスト全文をweb上に載せた方が話が早いだろうし、より多くの人に情報提供できる。
でも、勝手にそんなことをしては著作権上、問題がある。

それよりなにより現行の郵便制度をこよなく愛するわたくしとしては、多少面倒でもメールで住所をうかがって、幾人かの郵便屋さんの手をわずらわせて、相手の方のお宅までお届けしたいのだ。

ネットなのに……。
ネットだから……。
かな?




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