HP<教育改革国民会議
 HP<広島県の教育を考える広島市民の会>


 友好提携学校 観音MAIL連合 
 セカンド宇品 HP<学級通信宇品> 
 緑さんの<怪
  HP<大州中いいかげんな 


31st教育基礎講座 集団(中)
2008年6月15日(日) 中区民文化C
杉田雄二先生

小田原っ子の約束
約束って、両者の合意でしょ。一方的なものじゃないはず。
おかしいよね。

スカート検査へのスタンス
教師からの一方的なものではなく、
生徒の世論づくり・・・・私より、B子さんの方が短いのに。居残りしてない。
「決まりだから」だけではだめ。
「高校入試は大丈夫かな」

修学旅行の荷物検査。
教師がカバンの中を見る。30年前か。
それは、自分にはできない。同じ意見の教師の存在。
結局、生徒が自分自身でチェックすることに。

びたゴムはもどらない
学期はじめ直前に、転入生。学校のトップに。
いきなりボンタンズボンにはきかえる
「始業式に出られない」と、どう伝えるか。生徒の中で、誰が出られないか選ばせる。
夜に、家庭訪問。暴力によるしつけ。家ではいい子。親に、このことは本人には伝えないということで、ズボンのことを話す。それが子どもに伝わる。
本人からクレームの電話が入る。場所を決めて落ち合う。ショッピングモールに、連中がたまっている。
うどんを食べながら話す。


暴力追放宣言。生徒だけでなく、教師の暴力も無くそう。もし教師が生徒に暴力をふるったら、訴えて良い。

教頭の危機感から、警察連絡。過剰適応により、警察が来てしまう。3人が、パトカーに乗せられて連れて行かれる。
教師がオレたちを売った。全面戦争。掃除用具などを、窓から投げる。教員は、自動車通勤をやめる。
親が間に入ってくれる。生徒と話ができる。

修学旅行に、Sを連れて行かれない。自分の教師生活では、考えられない。親が一緒に行くとしても、ダメ。
修学旅行は、無事に終わる。
打ち上げで、ある教師が「ダメな奴は切り捨てればいい」と。その発言にキレる。退職を決意。次の日は、代休。朝登校して、荷物をまとめる。そのまま退職願いを提出して、失踪する。

靴隠しの対応は、みんなの問題にする。学年集会で呼びかけ、靴隠し追放宣言。5月から10月まで、無くなっていた。効果有り。それが、再び起きる。学年委員会で論議。再度、呼びかけ。

面従腹背


                 
幼稚園から大学までの一貫教育
 (ただし無認可)

 スッゴイヨ〜
   2000年4月開校
 咲  学 

 咲き典>


12月8日といえば、開戦の日。   生涯学習センター
07 広島県生活指導研究会パワーアップ講座
開会式では、南部生研の手品も。
午前中は、実践分析。レポーターは、呉ブナの会
溝部先生が、「Aさんへのひいきとかいう意見がありましたが、
弱者が住みやすい集団が、みんなが住みやすい集団ですよね」と。

午後は、小学校と中学校に別れます。
中学校は、岡山の近藤先生です。
テーマは、学級づくりを楽しく元気に


まずは、中1学級びらき。
この先生なら、うちの子どもを任せていいかなと、思ってもらう。
第1回班編成。くじで決めました。
学級目標
 TーKJ法で。

ポイントウォーク

第2回班編成(5月中旬)
誕生会の企画

一休君・・・・・2日間の連続欠席

あだ名を考える・・・・・・・人権の視点で考える

夏休み親子お涼み会・・・・・・・・おむすびとソーメン、ドッジボール、肝試し

2学期の行事で学年として育つ
体育祭・・・・縦割りで。○○君ダンスで活躍

福祉交流学習(うらしま体験)
お年寄りとの交流会で影絵
皿回し、ダンス
巨大紙芝居

文化祭(11月)

班編成・・・・班長立候補の定着

無理のないとりくみ
プラス思考、ダジャレ、バカにならんとだめ

最後に、次のような発想もときにはと・・・・・
俺がやらなきゃ誰かやる
転んだら転んでおく
明日できることは明日する



  47th広生研大会・・・・・07.07.27(金)〜28日(土) 
記念講演『孤立していた子どもをみんなの中へ』

   講師:細田俊史先生・・・・・全生研全国委員(京都)

 広島も暑いですけど、京都も暑いです。
  11月に、パワーアップ講座で来させてもらいました。
  一発目の学習なんですね。京都は、女性の参加者が少ないんですけど、広島は女性の方が多いので、ドキドキしています。
  先ほどの総会にも参加させてもらいましたが、初参加の方とかわかりにくいということが言われてましたので、できるだけわかりやすく話したいと思います。

 「生きづらさ」 格差・貧困
 1.新自由主義の中で
 2.学校過剰適応
 3.虐待される
 4.学力低下
 5.発達のもつれ
 6.孤立・いじめ
 7.軽度発達障害

 どのクラスにもいる、「孤立している子」
 孤立している子に、居場所をつくってやりたい。

  学級びらき
  子どもが「群れ」ているとき、唯一リードできるのは教師。
  「この先生とだったら、1年間楽しくやっていけそう」と、思ってもらえるか。

  子ども同士の、人間関係のもつれ。
  わからないときは、突っ込まない。
  KINKIでは、「地雷を踏む」「自爆する」とか言いますが。
 人間関係ができてないのに、言うこと聞くわけがない。よっぽどコワイかだ。
  最近は、女子に孤立している子が多い気がする。

 孤立し、バラバラな子ども達を「つなぐ」
  班づくりは、くじ引きでしている。はみ出しっ子を、出したくないので。そして、多様な出会いを求めて。
  班づくりは、班をつくることではない。班で協力して、何かをつくりだすこと。

  課題を抱えた子どもへの関わり方を、身をもって示す。

<学級内クラブ>の提案
 1.3人以上でつくる。
 2.学級に報告する。
 3.「入れて」と言われたら、断ってはいけない。
 4.かけもちO.K.
 5.勝手に抜けるのは、ダメ!
 6.廃止も、学級に報告する。

* HPには、これが載せられる限界でしょうか。
 写真は、基調提案についてグループ討議する参加者。


基調提案『つながりを深めるための 対話・討論・討議の指導を!
T.子どもたちはどんな世界を生きているのか
 1.つながりが断ち切られている子どもと親

 2.社会的な背景と教職員の置かれている現実

 3.子どもたちにとって必要な実践は何か


 U.つながりを深める実践
 1.つながりを深めるとは

 2.実践から学ぶ
  (1)聞き取る関係を周りに広げる

  (2)つながりを深める討論・討議

 V.父母・地域との共同が教育をひらく〜終わりに代えて


  <新自由主義>・・・・市場に競争を持ち込む。強いものが
 勝ち組となる。格差社会につながる。

 小学校では、女子を中心に人間関係に疲れている。
 「私たち、親友よね」と言うが、<親友ごっこ>をしているのでは。
 小学校の低学年から、これは言ってはいけないこととか、気にしながら生活している。直球を投げてしまう女子が、浮いてしまう。自分も女子なのに、
「何で女子は、こんなことくらいでいちいち腹立てんといけんのんかねえ」

装っている自分。
「僕自身が、24才までカッコウをつけていました。いろんな人との会話や交流の中で、格好付けている自分はかっこ悪いということに、やっと気がつきました」


 なぜ、自分をさらけ出せないのか。自信が持てない。そのことで、何か言われることが恐い。そんなに簡単には、解決しない。
 子ども達の身体的発議を、受け止める。子ども達をつなげる作業に、地道に取り組む。

 子ども達が装っていると言うが、大人だってつながってないんじゃないのか。まず、大人が自分をさらけ出し、他とつながらなくては。

 <起案><決済>の実動している学校も少なくない。<主幹>や<副校長>の存在。その分だけ、教職員数は減らされる。そういう中で、教職員がどうつながるのか。私は、自分の意見に対して反対意見を言ってもらうのが快感。
 僕も若い頃、職員会議でやりこめられそうになったことがあって、そのとき先輩の先生が、「今の意見に賛成です」とか、助けてくれた。すごくうれしかった。




 学力とは何か 第8回 重視される公民教育、総合学習
────────────────────────────────

 日本の子供たちの学力を高めるにはどうしたらいいのか。昨年末、OECD「生徒
の学習到達度調査」(PISA2003)、国際教育到達度評価学会(IEA)の国
際数学・理科教育調査(TIMSS2003)の結果が公表され、日本の子供たちの
学力が低下していることが明らかになった。PISAでは、フィンランドが学力トッ
プを維持し、北欧の国々も学力が高い。違いは何なのか。フィンランドの教育に詳し
い中嶋博・早稲田大学名誉教授に聞いた。

 中嶋教授は「人が世界を理解する時、国語だけで理解しているわけでもないし、数
学だけで分かるわけでもない。いろんな知識や経験を混ぜ合わせて理解を深めてい
く」と説明、「教科を横断してやることが『総合』」と述べた。あるフィンランドの
総合制の実験校では、金曜日は完全に自由に使えるようにして、教科や時限は取り除
かれている。「これが総合制の大きな柱で。教科の枠にとらわれないで、教え、学ぶ
ことができるようにしている」と中嶋教授は強調する。

★詳報は教育サイトへ
http://www.mainichi.co.jp/r/edumail051118_1.htm
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全国教研<長野>・・・・04.1.10.〜13
 司会者が今年で任期満了の5年目。山口・青森・高知・岐阜ときて、そして長野。
 <平和と国際連帯>の会場は、労働会館です。
  速報<まほろば>によると、初日の参加者は2400人。
 さて、わたくしいきなりトップの司会者です。最初の柱は、[子どもと共に考えたイラク戦争、ラ致問題]です。


1月11日
 今回初めて、高校生がレポートをするということで、うれしい限りです。しかも2本です。彼らは午後から特別分科会へ参加するため、発表を最初にもってきました。
 ひとつのレポは、1年7組が文化祭で劇をしたんです。なんと、11名の高校生が長野まで来ています。ハンバーガーショップで、アメリカ人とイラク人と日本人が同席して、討論を繰り広げるという中身です。実際にクラスでディベートをしたのを元にして、シナリオをつくったそうです。
 もう1本は、高校生3名。タワーポイントを使っての報告。すごい時代になったなあ。
 今年は昨年よりレポートも増えて30本。小:5本、中:6本、高校:16本、養護:2本、その他:1本。時間との闘い。うれしい悲鳴。平和の場合、分散会というわけにもいかないでしょう。やるしかない。1本15分以内。ビデオとか使っても、15分以内。予想通り午前の予定のものが午後にくい込みました。
 
 「ふるさとは 近くにありて 創るもの」(開会行事での小学生の発表より)
 特別アピール<イラクへの自衛隊派兵に反対します>も出ましたね。「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンが、これほど現実をおびてきて。
 札幌大通公園では、派兵反対のデモとかあれば、自衛隊は雪まつりの作業から撤退すると。
 中学生が感想で
「反対デモは意味がないという人もいるけど、ベトナム戦争でもアメリカの中でも反対運動があったりして、政府を動かしたと聞いている。もっと参加者とか増やしていけば、大きな力になっていくのでは」
と述べている。
 元気の出るレポートがたくさんある。茨城の高校では、90周年の記念行事で<ネパールに学校を建てよう>と呼びかけ、地域や他の組織と協力しながら、3年がかりで実現している。
 イラクの高校生とインターネットで交流した高校生もいる。
 とりくみも、多種多様だし、グローバルだ。
 きめ細かくて、しかも大胆で、多面的で、系統的。


1月12日
  長野市の花は、リンゴの花です。歩道のタイルに出てました。
 さて、全国教研3日目。分科会は2日目です。
 昨日やり残した討論とまとめを。
 共同研究者の渡辺賢二先生より
「戦争認識・歴史認識より、人間認識を。戦争はいやだ! で終わるのではなく、どう平和をつくりだすか。そういう言い方をされた先生がおられましたね。・・・・・80年代、<加害>の教育に力を注いだ時期がありました。それはそれで、一定の成果を納めたと思います。今、もう一度<被害>について考えたい。戦争は、一
般市民を被害者にしてしまうんですよね。それから、体験を聞くとりくみが、限界に来ています。これからは、物や命をどう扱うかということが重要になってきます。すでにいろんな団体が、いろんな使い方をしています。だから、こちらが先に主導権をとらないと危険です。民主社会の主人公をどう育てるか。生きる力と言っても
いいでしょう」

討論の柱4<生き方を探る総合学習>
 共同研究者の佐藤広美先生の発言の中で・・・「癒しのナショナリズム。人と人とをつなぐ実践。学校を非学校化するとりくみ」
「教師は子どもの姿が、どこまで見えているか? 実践が打ち上げ花火になっていないか? 長野の高校では、18年間<アジアフ>・・・アジアアフリカ難民支援運動にとりくんでいる。最近では、マリに救援物資を送っている。  
 この実践のすごいのは、全校生徒が地域に出てお願いをして物資を集めていることです。そして、どちらかというと自己肯定感の持てない生徒がこりくみの中で自信をつけていく。学校の評価も上がっていく。しかし、どうしてマリなんでしょうか。マリの国の課題は、物資で本当に解決するのか。
 鹿島の高校のネパールに学校を建てるとりくみは、生徒たちが学校というものをどう見ているのかという点で興味深い。学校に否定的な思いを持っているのではないか。その子たちも、学校を建てる運動に参加している。
 福島の教員の平和ツアーは、子どもの姿は見えなかったが、同僚性という点では評価したい」  さて、教室の中にある戦争へのとりくみはどれだけあっただろうか?
    
柱5<豊かな平和の文化の創造と自主活動>
柱6<教師・市民の良心と平和教育の創造>
 いよいよ、広島の横山先生の登場です。昨年岐阜で発表した「ねがい」の曲が、兵庫の先生の耳にとまり、アイアーンという世界的な教員の研究会の日本での大会のテーマ曲になるわけです。そして、25言語を越える翻訳がなされます。その、お礼参りですね。

 本日も、高校生の発表がありました。昨日の2本と合わせて5本。ただ、なぜ高校生に報告させるのか。文章に書いて教員が発表してもいいじゃないか。そこのところをはっきりさせないと、何でも高校生に発表させとけばいいじゃない、ということにもなりかねない。今の高校生はここまできてますよ、ということを知らせたかったのか。
 手作りカンカラ三線の演奏もありました。

 共同研究者の先生
「生徒が予想以上に変わった。そういう報告がたくさんありました。平和教育は、人間づくり、学校づくりですよね」


 
1月13日
 教育研究全国集会も、いよいよ4日目(最終日)です。分科会3日目。
 レポは昨日までに全部終わってますから、本日は、総括討論のみ。柱を3本立てました。
(1) 高校生の教研参加と教室の子どもたち
(2) 戦争認識と人間認識
(3) 憲法・教育基本法の学習をどうつくるか。
 分科会参加者は、昨日の半分くらいで、40名ほどでしょうか。そりゃあ、今日は学校やってますからね。北海道と青森は、まだ冬休みらしいですが。参加者は、ピークで110名くらいまでいってたそうです。


 共同研究者の先生より、問題提起。
 「命」については、国の方もよく考えている。犠牲と言えばいいのでしょうか。
 盛り上がりたがっている人たちがいます。プチナショナリズムと言われたり。例えば、サッカーの国際大会。顔に日の丸のペインティング。有名人が君が代を歌う。
 長野大町北高校のマリへ物資を送る取り組みは、地域にも出て意味のあるとりくみだが、なぜマリなのか。へたをすれば、国が戦争するぞと言えば、すぐになびいてしまわないか。

 <平和>という感覚を発見したのは、日本人じゃないか。

***********************************
 「高校生の教研への参加」について考えることは、実践が否定されるものではありません。子どもの見えない実践は、意味がありません。じゃあ、この場に高校生が来る意味は何でしょうか?
 生のものをみる。感動があります。直接声が聞けます。教師も子どもたちも、エネルギーが蓄えられます。元気が出ます。ここに来ること自体が、実践なのかもしれません。保護者や高校生などが参加することは前提として、むしろその上でどう教研を組み立てていくのか、そういう段階にきているのでしょう。あと、高校生や保
護者などが参加できる特別分科会を設置することは、たいへん意味があると思われます。
 
 14:48、長野駅を離れました。
 17:46名古屋到着予定。(実は6分遅れで、新幹線への乗り換えがヒヤヒヤ)
 少し時間があったので、終了後信州そばを食べて、県庁へ行ってみました。会場のすぐそば。例の康夫ちゃんのガラス張りの県知事室を見てきました。田中知事は、病休中とか。4日間で、行ったのはここだけ。よく勉強しました。
 おみやげも買いましたよ。




2003.1.11日(土)〜14日(火) 
 全国教研<岐阜>
 全体会はなくなりましたが、司会者・レポーター・研究者を中心にした<教育を語る会>は、岐阜ではなく、名古屋の教育センター(名鉄の神宮前の南)で開催。

〔せこへい〕が、東京と広島に続いて、京都に3月に建立されます。カンパいたしました。
右の写真は、3分の1模型です。折り鶴と折り亀が付いてます。

北海道の稚内のレポートに「稚内子育て平和都市宣言」をみつけました・・・・・・・・
 
日本最北端の国際都市・稚内は、戦争のない世界
平和と美しい自然、かおり高い文化を永遠に願う
ふるさとでありたい。
ふるさとの次代を担う子どもたちのすこやかな成長と
平和なまちづくりを進めることは、すべての大人の責任である。
この願いをこめたふるさとづくりは、わたくしたち市民の責任である。
わたくしたち稚内市民は、市民ぐるみの子育てと平和を求める運動の
責任と義務を自覚し、市民一人ひとりのたゆまぬ努力を誓って、ここに
「子育て平和都市」を宣言する。


 2002年6月2日(日)
 教育基礎講座 記念講演
 那須正幹(児童文学者)・・・・基町高校の先輩


 会場の東区民文化センターは450名の聴衆で、
熱気ムンムン。
(教科別・問題別を合わせて、全参加者は737名)

 NHK教育テレビでお馴染みの「ズッコケ3人組」の、
舞台は、己斐の街。
 お姉さまを、つい最近ガンで亡くされている。このお姉さま
から、今の自分は随分と影響を受けている。彼女の方が、
文才があったという。姉は8月6日は疎開していて、家族で
ただ一人被爆していない。自分が生き残ったということが、
彼女に原爆を題材にしたものを、たくさん書かせたのかも
しれない。


 自分は被爆者だが、原爆とは関係ない話でデビューした。
 大野充子さん(第1県女)とかは、書いていた。彼女も、
たまたまその日はお休みしていて、生き残った。

 あるとき、柳井のいぬいとみこさんに呼ばれて、
「那須君、あなたも被爆者なんだから、そろそろ
原爆に関係したものを書いたらどう。ズッコケもいいけど」
 帰りの列車の中で考えた。
 私は、佐々木サダコさんと同学年。
 自分は、己斐小→庚午中→基町高校。
 直接会ったことはないが、関係は深い。 
 高校のときに、サダコさんの同級生もいた。
(あまりそういう話は聞いていないが)
 RCCの、浅井万里子(同級生)が、何人か集めて
くれた。でも、出る話は、建立運動の裏の話。

「わしらあ、あんなもん作ろうとおもうとったんじゃないんで墓が三次の方じゃというんで、すぐに参れるよう、近くに墓を作ろうと思っただけ。そのまま書いても売れんじゃろう。那須がおもしろく書いてくれてええよ」
 結局私は、彼らの立場で真実を書いた。

 福音館で、鳥観図の絵本を出していた。
 これで、原爆のことが表現できるのではないか。しかし編集者は乗り気ではない。でも、画家や編集長はやってもいいと。
 6年かけて、完成した。その乗り気でなかった編集者が、1年間広島に住み着いたりもした。地図になかった道も見つけた。
 おかげさまで、今では英訳のものまで出ている。
 今、「お好み焼物語」を考えている。
 先日、みっちゃんへ行ってきた。社長は、1950年に、
新天地で屋台を始めた。請うご期待。


 そろそろ本題のズッコケの、話をしましょう。
 最初に、真面目な物も書いていることを言っておきた
かっただけ。どうも、ズッコケの那須というイメージが強い。
別に、私がズッコケているわけではない。
 「ズッコケ」は、最初いいイメージではなかった。よくある
でしょ、まあマンガでも読まないよりましか。こんな本でも
読んでくれればいいか。
ある図書館は、害があるということか、置いてくれなかった。
「置いてくれない方が、子どもが買ってくれるさ」と、いな
おっていた。
 今日こうして先生方の前で話ができるなんて。
 実は、文部省から呼ばれたりもする。文部科学省も読書に
力を入れている。それで、
「背中に旗があると、話ができない」
そういうと、見事に
「先日の話は無かったことにしてくれ」と。

 最新刊は、オンブズマンがテーマ。3人組が、情報公開を
要求する。私のすんでる柳井では、年齢制限はない。
近日発売です。


 
子どもたちから、手紙が来たりする。
 どうも、自分たちができないことを、ズッコケ3人組が代わりに
やってくれる。ファンタジー。癒し系。ハリーポッターより、希少
価値。非現実の世界かもしれない。それだけ、子ども達の世界は
厳しいのか。
 うちの子も、中学生の子は今、お手紙を書いている。それ
だけで、夜10時くらいになる。学校でしっかり話してきたろうに。

 今、子どもたちの人生相談のようなことをしている。本日の
委員長のご挨拶で、
「未来は明るい」
というようなことがありましたが、本当にそうでしょうか。確かに、
私が子どものときは、明日は今日よりすばらしいと思えた。でも、
今の子どもたちはどうなんでしょうか。

 オウム真理教は、いろんな商売に手を出しているが、児童書
には手を出していない。児童書が売れないことを知っていたのか。
 そうじゃなくて、ハルマゲドンとか世紀末を訴える宗教だから。
未来が語れないでしょ。子どもというのは、未来がないといけない。

 「ズッコケ」は、子どもたちに元気を与えているんですね。
 いろんな人が言います。「ズッコケ」を書いている人と、原爆の
本を書いている人と同じだとは思わなかった。
 でもね、平和な世界じゃないと、「ズッコケ」も活躍できないんです。



2001年
  平和と人権の21世紀に
 (中国新聞は、『共生の世紀』と書いてました)

27日(日) 「学力」

「学力」問題学習会  第2分散会の報告

 第2分散会は、理数系の先生方が多いグループでした。 最初に、午前中の講師の先生の提案についての感想を出してもらいました。いつの間にか討論になっていましたが。「人材育成」と「つめこみ教え込み学習」の捕らえ方について、議論となりました。
 要約すれば、講師の先生の話の中に出てきた、詰め込み教え込み学習への批判は、今文部省の言ってることと同じではないか。詰め込み教え込み学習は、悪なのか? 教え込まないといけないこともある。ドリルを繰り返す内容もある。現場のことが理解されていないのではないかという意見です。
 それに対して、次のような発言がありました。・・・・・ 講師の先生が言われるのは、むしろ今のカリキュラムそのものが詰め込み主義であることの問題ではないでしょうか。「九九(かけ算)」が小学2年生の短い期間で済まされる。「姉」という漢字が、「女」や「市」よりも先に出てくる。そういう、子どもたちのことより、都合が優先される今の教育課程へ対する提案だったと思うのですが。だから、学習の方法論とは、区別した方がいいのではと。
 だいたい、「詰め込み」「生きる力」「総合学習」など、もともと民間教育団体が先に使っていたもの。それを、文部省などがうまく言い換えて使い始める。そういうことに、しっかり目を向けていく姿勢が、私たちには必要なのではないでしょうかとも。
  また、「人間を育てる」ということが、「人材育成」(企業がのぞむ人材)と敵対関係にあるように使われているが、組合活動においても「人材育成」は行われており、相反するものではなく、むしろ分けられないものである、との意見がありました。 もちろん、今回使われている「人材育成」は、企業がのぞむ人材育成であることは、確認しておかなければいけませんが。

 最後に、今回の会の位置付けが、いま一つわかりにくかったことが出されました。これについては、これから「学力」についてみんなで考えていこうという、スタートの会と考えて、むしろこれからいろんな機会に話し合いを続けて、できれば具体的にカリキュラムづくりをしてほしいとの要望も出されました。 これだけまとまって「学力」について話し合うことはなかなか無く、また小中高校の交流の場としてもよかったと思います。 



1月27日(土) 
集団づくりを基礎から<第2版学習>   
   「第2版徹底解説」・・・・安佐生研主催
 会場は、定員の20名を越えて、熱気ムンムン。知ってるつもり。いや、知らずに実践していることの不安。 「第2版」が出版(1971年)されたあとから、生まれた人もいる。現在、35刷とかに。ちなみに、がんすの持っているのは、初版本である。数年前に、「新版」が出たが、「第3版」とは言っていない。
 T・F・Yさんの3名が、ローテーションで全6講座。
 学習会は、午前10時にスタート。(午後5時まであるのだ) 「班・核・討議づくり」 <よりあい的段階><前期的段階(1期)><前期(2期)><前期(3期)><後期的段階>・・・・構造図

* 集団づくりは、集団づくりをやめるために取り組まれる。(いつまでも、「ベル着点検」をしているようなクラスはだめ。もう一度、「自主管理」の必要性を確認)
* 問題の無いクラスなんて、ありゃしない。
* 集団とは、力である。
* 集団づくりは、民主的集団を築きだす営みの中で、子どもの民主的人格を形成すること。
* 教師は、子どもたちに集団を変更していく自由を保障する。
* 子どもたちの必要=要求を先取りしつつ、さまざまな方法で子どもたちに提示する。
* 集団を民主的に発展させるような具体的行動 を提起し、それに子どもを結集させる。
* 指導は本来、集団の外側のものである。
* 管理は本来、集団自身のものである。
* 「集団の要素」・・・目的がある。リーダーがいる。集団成員間に、矛盾がある。
* 班は、集団を教える道具である。




 2001年1月 11日(木)〜14日(日) 全国教研(IN 青森)
 青森市および弘前市

「課題提起(案)」(「基調」とは言わないんですね) 
<子どものいのち輝け、憲法・教育基本法の花ひらく21世紀を、参加と共同の力で>

@ 昨今の「教育基本法改悪」の動き。
@ 「新しい教科書をつくる会」の動きが激しくなっている。
@ <平和と人権の21世紀>は、だまっていてやってくるものではない。そう考えたとき、この全国集会が、21世紀の教育を構想するのに、大きな意味をもってくる。
@ 子どもの声に耳を傾けよう・・・・今年も子どもの作文が入っているぞ。今年は、高校生、17才の作文。・・・・「早く大人になりたい子どもで、まだ子どもでいたい大人。  少年たちも、自分を見つめていた。震える心に、劣等感をまとって・・・。  だれにも自分の存在を認めてもらえず、だれにも必要とされない 。  凶器を手にしたとき、傷つけたい、殺したいと思うのは、不思議なことなのだろうか。  それは自分を壊すこと。究極の自己嫌悪、自己愛である。殺してやりたいのは、ほかならぬ自分自身。
@ 昨年の山口では、高校生とかも参加して、特別集会も。大変な反響だった。今、子どもたちは、未来に展望が持てないでいる。それは、日本社会のゆきづまり。・・・・<学級崩壊検討 委員会>

@ 「分数のできない大学生」・・・・・「教育課程づくり」は「学校づくり」・・・・「総合的な学習」の位置づけ。
@ <メディアリテラシー>・・・「リテラシー」とは、本来「読み書きの能力」・・・・ ・・テレビなどから流される暴力や商品化された<性>にかかわる映像や情報による、子どもたちへの悪影響。
@ 平和と非暴力の文化の創造へ


***************************************
<記念全体会>・・・山田洋次(聞き手:三上満)

  件名 : 1/11全国教研開会行事   2001年1月11日

 青森の除雪は、行政も13億円(前年より、3億円増)かけて、海水とかも使ってとりくんでいるが、雪を全く無くすることはできない。 やっぱ、こけてけがする人いるんだわ〜。 小刻みに歩くこと。慌てないこと。 一応、家にある靴の中で、一番靴底のゴッツイの、はいてきたんだわ〜。(「わたしの青空」の津軽弁が、生で聞けるんだわ〜) あんぶないから、タクシーで行くべー。

 1/11(木)午後3時30分 全国教研開会行事<青森文化会館> ホールは、満杯。 
 アトラクションで、津軽三味線。竹山の孫弟子で、竹春という女性が演奏。津軽じょんがら節も、聞いたべ〜。 もちろん、ねぶたのはねともやったよ。客席からも、飛び入りで。楽しかった。
   

 それから、山田洋次監督のお話。「学校W」を撮りおえて。聞き手は、三上満さん。
 映画の中に出てくる「浪人の詩」は、滋賀県の少女の詩。
 草原のど真ん中の一本道を  あてもなく浪人が歩いている
 ほとんどの奴が馬に乗っても  浪人は歩いて草原を突っ切る
 早く着くことなんか目的じゃないんだ  雲より遅くて充分さ
 この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ
 葉っぱに残る朝霧  流れる雲
 小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない
 だから浪人は立ち止まる  そしてまた歩き始める 
 
 
あの、縄文杉を見に行った少年は、実在のモデルがあった。
 そして、ベースに「スタンドバイミー」があった。「たった3日間の旅だったけど、何だかこの町が小さく見えた」というセリフを、そのまま使わせてもらったそうな。
 子どもは、叱られる権利がある。 「家出しなさい」なんて、大人から言えませんよね。もう、アイコンタクトの世界でしょ」
 ずっと、反省し続けている。「今度の反省もよかったな」と言えるぐらいの、ゆとりを持った大人でいられるか。
 渥美さんから聞いた話なんだけど、小学生の頃、学校に両親とも盲目の子がいて、みんなでいじめていた。ある日、彼がどんな風に食事をしているのか、見に行くことになった。彼は、両親の皿にはんぺんを入れてやりながら、自分ももくもくと食べている。それから、だれもいじめたりしなくなった。
 丹波(バイカルのテツ)は、少年にとっては他人だから、好きなことが言える。
 少年が前田吟に文句を言いますよね。あれは、私自身の反省なんです。
寅さんは、ひろしパパと違って、満男が何でも相談できる存在。学校でも、そういう先生が必要なんじゃないでしょうか。
 午前様が、寅さんを「町内の余剰人員」というが、そういう人が大切にされないとね。世の中に、いらない人はいない。映画の世界でも、リストラが始まってね。真面目な人だけで映画つくっても、つまんない映画しかできませんよね。

 女子生徒が「私たちが希望を持てる大人が、たくさん増えてほしい」と、三上満さんに。 「学校W」では、そんな大人がたくさんいた。そういう人って、別にスーパースターじゃなくていいんですよね。自分の存在を認めてくれるっていうか。 「学校U」で、新米の永瀬先生が、ベテランの西田先生より、人気があったりする。
 卒業式の答辞を、二つ用意していて、本音の方を読んだ岡山の高校生がいた。
「僕たちは、クズじゃない。クズ扱いされるから、クズになる」
それって、「学校X」でつくりたいなあ。想像力をかきたてられる。
 ラ ストシーンは、父親が息子の部屋に入って、息子に椅子をすすめられた。父親は、かまえていた気持ちが、スッと力が抜ける。「内の子も、ちゃんと育っているじゃないか」と、安心する。父と母と息子が同じ方向を見ている。
 久しぶりに学校へ行く少年。仲のいい妹が、「おにいちゃん、少し大きくなったみたい」と言う。 教室に入ると、担任が「久しぶりに出席でもとるか」という。担任も、実はどう対応しようかと緊張していた。

 ラスシ−ンをどうしようかと考えていたとき、手紙をもらった。
「不登校の子が学校に行けるようになってよかったね、というような他の作品でもよくあるものにしないで」
という内容の。悩みました。 夜間中学の松崎先生にも相談しました。
「少年の第2の冒険って考えたらどうですか」
これなら、学校に行けるかなって思えるようなラストシーン。


 今年の正月映画を見ても、明るい映画が1本もない。今、「釣りばか日誌」のシナリオを書いてるんですが、楽しい映画をつくりたい。


 <花歳時2>


 11月12日(日) 県教研IN倉橋
『学校に安全と安心を 子どもたちに人間らしい育ちを』

 
 午後の記念講演では、元家庭裁判所調査官正木信二郎さんが、『揺れる子どもの心と対話する−今私たちにできることは何か−』という演題で話されました。
 今、マスコミを中心に「少年犯罪が増えている」と言うけれど、本当は増えちゃあいないんです。何か、意図が感じられて恐いのですが。
 ただ、昔と違ってきたなと思うことはあります。一つは集団でひとりの子を攻撃するとき、手を出す順番があとになる子ほど、やることの度合いがきつくなっているんですね。「もうやめよう」と言えない。関連して、<ケラチョ狩り>と言われている、汚いものやダメなものは排除していいという考え方。
 それから、<17才問題>とか言われますが、一見普通に見える子が、大変な事件を起こして、そのあとそのことの認識が弱い。自分がどんな大変なことをしたのか分かっていない。
 
 また、いわゆるいい子と言われる子が問題行動をしたとき、すぐに謝るのだが、また同じことを繰り返してしまう。親も、同じような感じがする。    
 でもね、17才で完全な人間なんて、いると思いますか。20才くらいでほとんどの子が立ち直っていきます。それまで無事過ごせたら、運が良かったんですよ。




第1回広生研連続講座    2000年9月9日
「広生研 連続講座」4回連続 定員60人の60番目は藤井先生でした。このあと来た人は、帰ってもらうのかな?

第1回(9/9)・・・野口美代子(兵庫生研) ものすごくパワフル! <東区民文化C 3階大広間> 母は、家父長制が嫌いだった。それは祖母(母の母)が苦労したのを見て育ったから。でも、威張っていた祖父も、祖母を頼りにしていた。そして、娘である母のことも、頼りにしていた。 そんな母が、忙しい仕事の中で、ローマ字とか教えてくれた。民主的な家庭に育ったと思う。

 よく自分が教師になったと思う。自分で、努力の人だと思う。ピアノも弾けなかった。泳げなかった。「人間は、努力すれば必ず変わるーーー批判し合い、励まし合える仲間がいれば」 占いで自分の方針を決める(組合の青年部長もそれでなった)ような、そんな非科学的な教師だった。だから、全生研との出会いはビックリの連続。何でこんなえげつないことするねん。・・・・そうか、こうやって子どもたちにわからせるのか。 班づくりは、友達づくり。 もめごとがあったら、それh、話し合って、民主的にもめごとを解決する筋道を教えるチャンス。 右も左もわからない・・・・。あるとき、「あんたアカか」と言われて、アカって、よく何でも喋るからだろうなあ、と思った。黙って、何を考えているのかわからない人が、クロ。ボーっとしている人がシロ。そんなふうに、本気で思っていた。

 「未熟でも、不器用でも、教師の精一杯の真剣な姿を、子どもたちはわかってくれる」 もしできることなら、新採1年目をやりなおしたい。でも、子どもたちは「先生がよく遊んでくれた」とか、「いつも笑顔を浮かべていた」とか、文集に書いてくれた。一番苦しいときに、一番成長する。みじめさを乗り越えると、人間は強くなる。
 教師が、あの子がいなければいいのにとか、少しでも思ったら、子どもたちにすぐ反映する。 仲のよいクラスにしたかったら、クラスで一番弱い子を、うんと大切にしてごらん。
 誕生日会のとりくみは、好き。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子どもは、批判されて育つと人を責めることを学ぶ
子どもは、憎しみの中で育つと人と争うことを学ぶ
子どもは、恐怖の中で育つとオドオドした小心者になる
子どもは、馬鹿にされて育つと自分を表現できなくなる
子どもは、励まされて育つと自信を持つようになる
子どもは、ほめられて育つと人に感謝するようになる
子どもは、存在を認められて育つと自分が好きになる
子どもは、静かな落ち着きの中で育つと、
               平和な心を持つようになる
<ドロシー・L・ノルテ>
 


【広島県生活指導研究会】
 _【広生研ホームページ】



 23rd教育基礎講座 問題別「集団づくり(中学校)」・・・・・32名の参加
安島 文男<埼玉県与野中> 「子どもと教師の新しいスタンス」
 レジメが、スタンツになっていました。安島先生からの原稿が、そうなっていたんだよね。まあ、がんすが間違ったことにしておきましょう。
 「ぼくは文学青年だから・・・・」と言って、笑わせてくださいます。「和田さんが若い人に話してくれと言われたんですが、若い人はどこに・・・・」 元気の出る話が苦手でして・・・。暗く暗く考えちゃうんですよね。明るい人がうらやましい。
 そう言われながら、実践はすごい。見通し、組み立て、そして機転。相手のペースにはまらない。「今の教師はあまりにも無防備に、生徒の真正面に立ちすぎてないか。そして、バーンアウトしている。心配だ」と安島氏。
 「荒れる中学生をどうするか」という本に、長岡茂の名前で書いておられる。−−−−何でもありの状況。 生徒会アピール。クラスアピール。(読んでもらわんと、わからんか。)  「対話というよりか、ディクティションと言うようにしている」 授業をしていたら、上半身裸で、片手に缶コーヒー。片手にタバコ。気づかないふりはできない。生徒も教師がどう対応するか見ている。 安島氏は、生徒たちに語る。「今、先生としてほっとくわけにはいかないのはわかってんだけど、もし君が先生だったらどうする」教師の思いを、生徒にも共有させる。「そうか、何か言える人はいないのか。じゃあ先生行ってくるから」 このあと安島氏は、その缶コーヒーを飲んでしまい、タバコもすわせてもらうよと言って、捨ててしまう。そして、「君いい肌してるじゃないか」で、しめ。

 こんな安島先生も、教師になってすぐに集団づくりに出会っているわけではない。しんどいなかで、本を読みあさる。 そこで出会うのが、大西忠治。自分とは違う教師がいる。なぜこの状況で、笑えるのだろうか。しんどい状況のなかで、子どもたちに投げかけ、話し合わせている。   「17才」の問題は分析はできないが、そういうことをすぐにとりあげ、生徒に書かせる。
「ナイフを持って来る子ほど、本当は弱い子だと思う」

「きれる子ほど、冷静なんだよ」
 全生研が、班をつくって、わざと問題を健在化させるのはなんのためか。 竹内常一氏の「自分くずし」「自分つくり」は、読んでおかないといけない。 17才の彼らの行為は、自殺行為では? 自分くずしができない子。だから、集団づくりが重要になってくるのでは・・・・。

 
  お便りはこちらへ
    E-MAIL <matui-f@hicat.ne.jp>




 『こんながっこうだ ったらいいな』
  <東京 小学校1年 M・N>

わたしは がっこう だいすき べんきょうも だいすき
せんせいも やさしいから だいすき

でも こんな がっこうだったら もっとたのしくなると おもいます
こくごと さんすうは たのしいから いつもあると いいな
べんきょうが わからない こも いなくて
はっぴょうは まいにち 十かい できると いいな
ランドセルが もっと かるいと いいな
だって くるとき かたが いたくなっちゃうの
きゅうしょくは すごく すごく すごく おいしいと うれしいな
がっこうで ひるねが できたら いいな
だって つかれて ねむくなっちゃうことが あるから
といれが きれいで おしゃれで くさくないといれが いいな
そうすれば あんしんして といれに いけるから


おともだちを いっぱい つくりたいな
おともだちと けんかをしても すぐになかよく できといいな
きらいな ひとも すぐに なかよく できて
みんなで こころを あわせて
ゲームを たのしく したいな
おにいさんや おねえさんとも いっぱい おともだちに なりたいな
なかやすみや ひるやすみが すごく すごく ながいと いいな
そうすれば 一ねんせいから 六ねんせいまで
みんなと おともだちに なれるかもしれない

わたし もっと もっと がっこうをたのしくしたいな


2000年1月 27日(木)〜30日(日) 全国教研(IN 山口)
 『子どもに学ぶよろこびと確かな学力を   学校に自由と真実を
     いのちとくらし育む地域を  ーーーー共同の力でーーーー』

  30の分科会、527のレポート。
  「父母・教職員・子どもがつくる分科会」もある。
 今回の論点として、学級崩壊の広がりや、登校拒否・不登校の増加など、困難な状況の中にある子どもたちの発達の可能性をよみとり、「回復」の過程に着目しながら発達保障と打開の視点の確立をめざします。
 子どもたちの『学びの逃避』の問題が指摘されています。基礎学力の保障を、どう考えるのか。「改訂学習指導要領」「教育改革」「総合的な学習」等々。これらが、子どもたちにどういう力を付けていけるのか。
 本次教研では、子どもの目線からの教育のあり方を交流します。憲法・教育基本法・子どもの権利条約の視点から、教育の今と未来を考えます。

 
HP<全教>へGO!
  
 開会行事は、山口市民会館。新しくなった、ザビエル記念聖堂のそば。たくさんの警備人に守られて。(日程やテーマなどは、HP<歳時記>で確認を)
 記念講演は、黒田清さん。「○マル社会を目指す」ーー21世紀の生き方と教え方ーー 69才になられたそうです。・・・・黒田清さん2000年7月ご逝去 合掌
 50点の人はだめで、100点の人がいいと決めつけてないか。車椅子に乗っている人と、それを押している人、押してる側は、つい何かしてあげてるとか思ってしまう。 戦争中に、障害を持った人は、随分差別されました。 縦社会は駄目。横社会も、はしっこがある。だから、○じゃないとだめなんです。 
*********************************************  1月28日(金) 分科会初日 「平和と国際連帯の教育」の分科会会場は、山口県セミナーパーク。ここに、7つの分科会が入ってます。
  午前中は、私学のS先生が司会です。がんすは、マイクと視聴覚担当。 午前の柱は、「いま子どもたちは」ーー今日の日本と世界の現実のなかでーー 森田俊男は言います。「21世紀を考えると言いながら、20世紀を語っているだけではないか」「心がけ。権威主義。教条的。ではだめでしょう。子どもたちの意見をどうとりあげ、交流するか」 
**********************************************

 全国教研「平和と国際連帯」分科会の報告は
   
 HP<咲き和館>へ

人間だから わたしの生命も心もたった一つ
かけがえのないものとして大切にされる
あなたも人間だから
わたしはあなたを大切にする・・・・
人間だから わたしはわたしを高めていける
真実を求め ゆたかな心を育てる
わたしは人間だから 夢にむかってともに歩く
<北海道T中 生徒たちによる「憲章」>


 全国教研で知り合った・・・・
   <滋賀の西村さんのHP>



『変わる幼稚園教育』 『自由保育を修正』
・・・・幼稚園教育要領の改定<中国新聞、99.12.12>

 「自由な遊び」を尊重するあまりに、放任に流れる弊害が指摘されていた「自由保育」の現状を修正し、幼児の主体的な遊びに適切にかかわり、支援する教師の積極的な役割を明確にした点と、『道徳性の芽生えを培う』と初めて明記したことが大きな特色。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 広島県・市教委や市私立幼稚園協会も(99年)11月までに説明会や研修を終えている。10年ぶりの改定の核心部分は「自由に遊ばせておけばいい」というのでは駄目ということ。県教委のF指導主事は「教師は子どもの知的な興味、関心を呼び起こし、意欲を高めるために適切な環境を整えることが求められ、教師の積極的な支援、かかわりが重視される」という。市教委のZ指導主事は、「教師主導の前要領と子ども主体を強調した現要領の両方の良さを生かす試み」と受け止めている。これまで「幼児の主体的な遊びを中心とした教育」をめざした自由保育には、「放任になるのではないか」との見方があった。
 例えば、小学校の「1年生の学級崩壊」とのつながりである。1年生の「話が聞けない」「集団生活ができない」などの未発達の原因が、自由保育を誤解した現場の放任にあると、自由保育の見直しを求める声も上がっていた。

 改定のたたき台になった「時代の変化に対応した今後の幼稚園教育の在り方に関する調査研究協力者会議」の最終報告でも、「遊びにどうかかわるのか、教師の役割の基本(中略)について、教師の間で共通理解ができてない面があり、自由に遊ぶのに任せていればいいといった誤解を招いている面もある」と述べている。
 そうしたことへの反省から、教師には精神的安定のよりどころ、遊びのモデル、遊びの共同作業者、共鳴する者、遊びの理解者、援助者ーーなどの役割が求められている。 ポイントになるのは、文字や数量などの知識を獲得する「早期教育」との絡みである。県教委の説明資料は、「幼児期にふさわしい知的発達を促し」ているが、それは「教えるな」とは意味が違う。F主事は言う。「受験などを目的にした押しつけではなく、子どもが生活の中で自然に文字や数字などへの興味、関心を呼び起こすような方法を採っていくべきだ」
 二点目の「道徳性を培うこと」については、県教委は「幼児期にふさわしい道徳性を生活の中で身に付けるような指導を充実する」と指示している。ことの善しあしや人としていけないこと、決まりがあることなどを理解させることに狙いがある。

 初めて「道徳教育」に対応する各園の取り組みは難しそうだ。市教委も「どう培うかは各園の実情を尊重する事になっているが、知識としていいこと、悪いことを与えるのではなく、考える中で道徳性を引き出したい。子どもに自然や社会に触れさせ、地域の人とかかわりを持たせ、感情の体験をさせてほしい」(Z主事)と言う。
 広島市私立幼稚園協会教育研究委員長も「思いやりの心として育てたい。園内の部屋や運動場の遊びだけでなく、地域や社会を体験させることが必要になると思う。園児の目をより外に向け、経験の場を広げる工夫がいる。園外に出る機会が多くなるのではないか」と保育形態の変化を予測している。



 『所沢高校生徒会権利章典』
(前文)
 人間は、人間らしく自由に生きる権利を生まれながらに持っている。
 自由な高校生活を送ることは、所高生の普遍的な願いである。そのために必要な様々な権利がある。過去、所高生は数多くの努力を重ね、自由を手にしてきた。又その課程でいくつかの権利が保障され、その中には、生徒と職員との信頼関係により得たものがある。それら手にしてきた自由を持ち続けるために私たちは自治を確立する必要がある。自治が崩れると言うことはそれらの権利を失うということである。自治が崩れる危険がある場合、できる限りの努力をし、それを防がなければならない。
 ここで『生徒会権利章典』を制定し、自由という権利の価値・意味の認識をする。
1.学校は生徒と教職員によって構成されており、その構成員一人一人の個性は認められ一人一人の主張は尊重される。
2.生活向上のための自治的かつ民主的な活動のための自由は保障される。
3.服装、頭髪を含む表現の自由は保障される。
4.思想の自由は保障される。

 これらの自由は、他人の権利を侵さない範囲において有効であり、又常に責任を伴うものであることを忘れてはならない。ただし、思想の自由は他人の権利を侵害し得ないものであるから、いかなる場合においても保障されるものである。  

  1990年11月22日   生徒会



  *リンク りんく* リンクりんく

 『ザ・教室』HP<ドキュメント!〜教師たちへの応援歌
 明日の学級活動に、役立つ資料が盛りだくさん。しおちゃんマンHP!

【広島県生活指導研究会】
 _【広生研ホームページ】

 愛知教育大学 <折出健二HP>


 広島南部生研が自信を持って
   世に送り出した、 このお二人です・・・・

 
 ≪住野好久HP≫
     教育のことはもちろん、讃岐うどんのウンチクも

  ≪松田己統美(大阪教育大学)HP≫
     
「学校適応過剰の青年」とか、つい読み込んでしまう。
     「己統美の寝室」は、一度はのぞいてみたい。



 『総合的な学習を考える』 
 11月20日、中ブロ例会で「総合学習」について学習しました。
 広大のTさんのレポートで、その歴史について学びました。決して新しいものではない。
 「総合学習」と「総合的な学習」は違うのか?

*****************************************   管理職が『総合的な学習の研修会』へ行ってこいって、しきりに言う。これまでは、できるだけ学校へ居るように言ってたのに。
 また訳の分からないものがでてきたな。何、「横断的な学習」? なんじゃそりゃ。
 あの生活科のさらに発展したものですか? 意欲・関心ですか。 評価はないんですよね。小学3年生の社会科や理科が、指導が難しくなったって。 それよりももっと進んで、「合科」「統合」ですか。具体的な学習活動としては、例えば国際理解・情報・環境・福祉・健康。・・・・・教科なの? 領域なの? わかんないなあ。

 実は、「総合学習」の歴史は古いのです。(フムフム) 「問題解決学習」は、1954年頃。 1968年の学習指導要領では、「現代化」が言われる。  それに対抗するかのように、教育課程の自主編成運動が、1968年頃高まりを見せる。 そして、1970年より「総合学習」が民教連の学者らを中心に提唱されだします。それは、まさに教職員組合の教研活動の中で育っていきます。
 でも、そんなにメジャーじゃないですよねえ? いやあ、知ってる人は知っている。(当たり前) 今も取り組んでいる学校はあるんですよ。(フムフム) それは、私学や、国立の附属とかに限られるが、そりゃあ公立学校の指導要領で縛られた中では、教科を越えた実践なんてできやしない。ウ〜ン、修学旅行とかも、総合学習と言っていいんじゃないですか。(ハイ) じゃあ、特設学活とかも。(はい)
 つまり、民主勢力が、民主社会の担い手を育てるための取り組みだったんですよね。「学ぶ力を生きる力に」、と言ってもいいですか。本当の意味での、「生きる力」を付けること。 そうか、だからあえて今回の提唱では「横断的な学習」とか「総合的な学習」なんて言い換えて出してきたのか。これまでの「総合学習」は、どちらかというと反体制というか、総抵抗というか。それとは違うぞっていいたいんですかね? 考えすぎですか。

 H中のWさんが、
「『総合的な学習』とか言っても、総合でもなんでもない、むしろ学校破壊なんだ。教科を統合すると言うけど、それでアブれる教員が出てくる。つまりは、リストラ。最近、NHKで民間人が母校へ行って授業をする番組があるが、気になる。民間委託。教育が商売になる。具体的な学習活動と言われる、国際理解・情報・環境・福祉・健康などは、全部商売になるものだ。つまり、企業の論理が生きている。新学力観とダブってくる。エリートは一握りいればよい。生きる力と言っても、集団は出てこない。あくまでも、個人の能力でしかない」(なるほど、よく勉強しないとまちがいそう)                                     次回の学習に続 く    

    


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