『あなたと私の太陽』

 双方の戦力の膠着から、バーンから申し渡された一時停戦で、地上と魔王軍との戦いはひとまずの終わりを見た。生き残った一握りの魔物たちは大魔王とともに魔界に戻り、人間たちは再び平和を取り戻したのだった。

I

 それはあまりに突然の出来事だった。レオナが女王となって統治するパプニカ王国に、ある男がやって来た。
「この度親衛隊長となりました、バルバスと申します」
 と当然のように側近たちにもてなされたのは、大魔王バーンその人だった。鬼眼を布で覆ってはいるが、その姿は忘れもしない。

 平和だったパプニカ宮殿に、苛立ちの足音がこだまする。バルバスと名乗る大魔王との謁見のため、レオナは怒りに任せて自らの執務室の扉を開いた。
「一体ここに何しに来たの? 魔界に戻ったんじゃないの?」
 レオナの第一声は当然ながら怒りに満ちていた。世界を苦しめた張本人である大魔王バーンを、簡単に自分の国に侵入させてしまったことが女王としてゆるせなかった。そしてあれほど世界を破壊しておきながらのこの横柄な態度が、レオナの怒りの炎に油を注いだ。
「そう怒りめされるな、レオナ姫。今の余は人間にどうこうしようというつもりはない。ただ……やり残したことをしに来たまでのことだ」
「何よ、それ」
「そなたを余の元に迎えるということだ」
 しれっと言うバーンに、レオナはしばし硬直していた。
「あなた……本気で言ってるの? ただの冗談でしょ?」
「余は冗談は言わん」
 バーンの目に偽りはない。しかし、あの状況では、明らかに自分のサディスティックな支配欲やダイへの絶望の顕示からレオナを自分のものにすると宣言したとしか思えない。それなのに、なぜこの男はまだ自分に固執するのかが、レオナにはわからなかった。
「そなたの近くまで行くのに少々苦労したぞ。姫の親衛隊と名乗る連中を皆ひねりあげてやらねばならんかった」
 バーンの言うことには、レオナと最も近くにいられるであろうレオナの親衛隊を志願し、その入隊テストを受けたが、レオナと会うにはさらに隊長とならなければならないということで、回りの者たちの信頼も得なければならなかったらしい。そこは多くの者の先陣に立つ大魔王ゆえに、人間を手なづけるのは簡単だった。角と尖った耳から魔族であると知られているが、はからずも勇者一行にクロコダインやチウ、ラーハルトなどといった異種族がいたためにそれを理由とした差別は受けなかった。元々「異種族を差別しない」というのは女王レオナ自身の方針であり、パプニカの律である。そのために大魔王がやすやすとレオナの親衛隊長になろうとは、誰も予測はしなかったが。
「そうよね……よく考えたらバーンの姿を知ってるのってあたしたちだけだもんね……、でも!」
 バンと勢いよくレオナは執務机を叩いた。数枚飛んだ書類は、レオナの目には映っていないようだった。バーンは律義に書類を拾う。
「こーんな悪のオーラ全開の目つき悪い男を見て、誰かひとりくらい怪しいって気付かなかったの!? 悪の総大将よ!? 誰かあたしに報告しなさいよ!」
 すっかりいきり立っているレオナだが、かつてパプニカで初めてヒュンケルを見て、別段怪しいとは思わなかった過去は忘れていた。
「ひょっとしたら、洗脳とかしたんじゃないでしょうね」
「余はそういう狡い真似は好かん。正式に試験を経て姫の護衛となったのだ。書類を確認してみるといい」
「……もういいわ。わかったわよ。あなたが本当に何もしてこないんなら、あたしも何も言わないわ。好きなようにしなさい。はい、下がって」
 だがバーンは動かない。
「パプニカの女王の命令よ。部下なら従いなさい」
「……では失礼するが、また宵にでも参るぞ」
 堂々巡りである。

 あの男のことだから、寝込みを襲って……とか、近付いた瞬間に……とか、色々考えられる。大体ああいう男は女をなんとも思っていないのだ。自分の玩具のひとつだとしか思っていない。妾を何人もはべらせて、いい気になって……バカみたい。あんなヤツ。
 レオナは今晩は眠らない覚悟でシルバーフェザーとゴールドフェザーを大量に抱えていた。「あの男」とは当然、大魔王バーンである。──今はレオナ親衛隊長らしいが……。
 扉がノックされる。気配でも、それが誰だかわかる。
「レオナ姫? 食事の時間だと……」
「いいわよそんなのっ! あんたの顔なんて見たくないわっ!」
 扉にゴールドフェザーが突き刺さった。だが当然そんなもので大魔王を止められるわけはないと知っている。扉が、遠慮がちに開く。
「食事は摂らぬのか?」
 ちらりと顔をのぞかせてバーンが尋ねる。
「あんたといっしょに食べるくらいなら野宿でもしたほうがマシだわ」
「……皆には姫は体調がすぐれぬと伝えておく。食事はあとで持って来るゆえ、腹を空かしたら食べるといい」
 語気鋭いレオナとは対照的に、バーンはおとなしく去って行った。あまりのおとなしさにしばらく拍子抜けしていたレオナだが、ああいう風におとなしくなったと見せかけて本心では何を企んでいるかわからない、とかぶりを振った。

 しかし、心意気とは裏腹に空腹はやって来る。午後三時の茶の時間に食べた菓子以来、レオナは何も口にしていない。今はもう午後十一時にもなる。さすがに心身くたびれ果てていた。このまま疲れにまかせて寝てしまおう、と思ったが、バーンの侵入を考えてぱっと気を引き締めた。
 いいレオナ、ここで寝たら負けよ! あの男にいいように遊ばれてしまうのが関の山よ! そう自分に言い聞かせる。
 すると、また遠慮がちなノックが響いた。来た。
「レオナ姫……。いつまでそうして意地を張っている? さぞや空腹であろうに」
 バーンは半ば同情するような眼差しでレオナを見た。その手にはレオナに用意された夕食のトレイが載っている。
「当然よ! でも食べませんからね。怪しい薬とか入ってるかもしれないんですもの」
 とレオナが真剣な眼差しで言うと、バーンは声を上げて笑った。
「言ったであろう、余は狡い真似は好かんと。真に手に入れたいものは練りに練った上で確実に手に入れる。そんな狡い手段で手に入れたとしても、一時限りの喜びに過ぎん。そなたもそんな方法で余のものになるのは満足ではあるまい?」
「……自分のものって言うけどね、あなたなんか魔界でさんざん女遊びしてきたクチでしょう? さぞいい思いしてるんでしょうから、わざわざそのひとりになるなんてのはごめんだわ」
「それはちがうぞ、レオナ姫。余が生涯で愛した女性は、ただひとりだ」
 そう言ってレオナをじっと見つめる。
「……それが、あたし?」
「高貴な生まれの者のみが持つ尊厳、誇り。何者にも怯まぬ精神の強靭さ。そして、この余に傷を負わせた功績」
 ひらひらと人差し指を動かす。それはかつてバーンパレスでの戦いで、レオナが浴びせた一太刀のことを示している。
「そなたのような女性には余ですら会うたことがない。戦う術もわからぬのに余に真っ向から挑もうなどと言う少女になどな」
「……あたしのコト、バカにしてるの?」
「いやいや、余は姫の勇気を誉め讃えておるのだ。魂の力は『正義』……だったかな?」
「そうよ。あなたみたいな悪をゆるさない正義」
 早くバーンに帰ってもらいたいと思いながら、何気なくこぼす。
「……正義。それは己が信じる正しい道理のこと。正義のものさしは人間、竜、魔族、どの神が決めるのであろう?」
 思いも寄らぬバーンからの問いに、レオナは一瞬言葉を詰まらせる。
「それは、どんな生き物であろうと尊厳が守られるべきことを言うんでしょう?」
 そこまで言ってはっとする。どんな生き物でも。どんな生き物でも当然与えられるべき生命の慈しみたる太陽を、竜や魔族は受けずに育った。その事実は、必ずしもレオナの言うような「平等」ではないのかもしれなかった。
「……わからないわ。さっきはあたしは、人間のものさしで考えていた。でも本当はもっと広い視野で見なければいけないのよね」
「レオナ姫。そなたの力は『正義』。もしかしたらそれは、天地魔界三界における『正義』を司るのかもしれん」
 挑戦的なバーンの眼差しに、レオナは目に見えぬ真実味を感じた。
「余は『魔界』を司る神と近い位置にある。そして姫はアバンに選ばれし『正義』の魂の持ち主──余とそなたが和解するとき、これぞ地上と魔界の道がつながるとき。一人の血も流すことなくな……」
「あなたとあたしがいっしょになれば、魔界も地上も平和になるってこと?」
「余は先の戦いで気付いたのだ。無闇に刺激すれば死に物狂いで抵抗する人間もいる。いかに非力な人間とはいえ、最期には思いもよらぬ反撃を見せる……。そして戦いの中、余はそなたに太陽を見出したのだ……我が魔界に降り注ぐ太陽となる女性。天地魔界三界における平等をもたらす存在だと見出した」
 バーンはひどく真剣な眼差しで語る。その言葉に、嘘偽りがあろうはずがなかった。レオナはその眼差しに、先ほどまでの疑念が薄らいでいくのを感じた。
「ゆえに余はそなたの力がほしい。我が魔界に太陽をもたらすために」
「それが……あなたがあたしのところに来た本当の理由……?」
「そうだ。本当はもう少ししてから話すつもりでいたが、あまりにも姫が意固地なのでな。繰り返すが余は狡い真似は好かん。姫が心配するような事態には及ぶまいよ」
「……約束できるの?」
「無論だ。大魔王の約束は絶対だ。だから……もう食事を摂るといい。何も入ってはおらぬ」
 声をかけるバーンが、ひどくやさしげで、レオナにはあの恐ろしかった大魔王バーンとおなじ男だとは思えなかった。
 レオナは観念し、食事を摂ることにした。それを見守るバーンの顔には穏やかなほほえみが浮かんでいた。

 それから一週間、二週間と月日は流れたが、バーンがレオナに対して手出しをするということは全くなかった。前よりは安心するようにはなったものの、いまだレオナの不安は拭えない。まだバーンという人物をよく理解してはいないのだ。しかし、あの夜に語った、レオナを太陽だと言ったときのあの眼差しは、まるで少年のようでレオナはひどく戸惑っていた。
 レオナが見てきた、冷酷で非道で威圧的なバーン。だがそんな彼の意外な一面を見てしまった。一体どれが本当のバーンなのだろう。
 自分は、バーンを、どう思っているのだろう。

 そんな最中、突然バーンが倒れたとの報が入る。彼の自室に運ばれたバーンを、レオナは心配そうに見やる。──心配なんて、する必要ないんだけど。こんな男に……。そんな思いを隠すかのように、わざと冷たく声をかけた。
「一体どうしたっていうの? 天下の大魔王さまともあろう方が」
「凍れる時間の秘法の副作用……というものだな」
 こぼすバーンの言葉は弱々しくいつもの圧倒的な覇気がない。本当に体調が思わしくないのだ。
「我が目的のために幾千年、老いたら秘法で数百年ごとに生命力を維持し続けた。だが、自然の摂理にあまりにも反したやり方で生き延びたせいか、まれに──ごくまれにな、こうして体力が衰えることがあるのだ。今の余は起き上がることもままならぬ。何、何日か経てば元に戻る」
「そんなにして……何がしたかったの? 魔界に太陽を浴びさせるためだけ? それだけのために自分も死ぬような真似をするなんて……」
「それが、余の務めならば……な」
 やはり、バーンは、形はどうあれ「神」かもしれないと思うレオナだった。
「そなたは余の小さな太陽だ……。その光は美しく力強く、心地よい。魔界の者たちにもそれを見せてやりたい……」
 そう言うとバーンは目を閉じた。レオナにはまるで死期を悟ったかのように見え、慌ててバーンに縋る。
「待ちなさい! 死んじゃダメよ! まだあなたには、言いたいことがたくさんあるんだから! ひとりで勝手に向こうになんて行くんじゃないわよ……」
 悲痛なレオナの叫びを聞いて、バーンは口の端をゆるやかに持ち上げる。
「姫……。聞こえておる。余に言いたいこととやら、ぜひお聞かせ願おうか」
「バカ……ちょっとだけ心配したじゃない……」
 そっとバーンの指がレオナの目元の涙を拭った。

***

 バーンがレオナの元に来てから一年が経った。回りの者からは「最近姫はバルバス殿と仲がおよろしいですね」とよく言われるようになっていた。バルバスとはパプニカに来て以来使っているバーンの偽名である。バダックなどは大はしゃぎでレオナを歓迎するが、レオナの心中は複雑だった。たしかにバーンは公約通りレオナに対して何かを行う、ということはなかった。そしてレオナ自身、バーンを悪くは思っていない自分に戸惑いを覚えていた。
 ダメよ、ダイくんとはどうするの……? あたしはダイくんが……でも、バーンのことも……。……わからない。あたしはどちらが好きなのか。
 レオナの脳裏にバーンの言葉がよみがえる。『余とそなたが和解するとき、これぞ地上と魔界の道がつながるとき』。彼の言うことが真実かどうかはわからない。しかし、もしそれが事実だとしたら、地上と魔界の戦いを避けることができる。地上の者が地上の平等を唱えるのが当然であるように、魔界の者が平等を唱えるのもまた当然の道理。魔界にも『平等』をもたらすことが、『正義』の使命を持ったレオナの成すべきことなのかもしれない。

「やっと、答えを決めたわ、バーン……」
 背の高いバーンを見上げ、その腕を取る。
「あたしはパプニカの、そして地上の代表として、魔界の代表であるあなたとの永遠の契りを誓います」
「レオナ姫……応えてくれたか……。余の、この想いに……」
 片手でレオナを持ち上げ、もう片方はレオナの頬をすべる。くちびるが触れ、互いの至福のときが訪れるまで時間はかからなかった。

fanficトップへもどる