『望郷の星』

1

 アセリア歴4202年、ミッドガルズによる軟禁からかろうじて逃れたウィノナは、あてもなくさまよい歩いていた。
 ウィノナがやってきたのは精霊の森だった。無意識にダオスを求めてやってきたのかもしれないとウィノナは自嘲する。生きているはずのないダオスを求める愚かさに、自分をおとしめずにはいられなかった。
 ダオスは倒されたのだ。聞きたくもないその報は、ウィノナの耳にも入らざるを得なかった。ダオスを殺した「勇者」を追い、ダオスの仇を取ることを考えなかったわけではないが、勇者の所在は誰も知らないのだ。彗星のように突然現れ、そして去って行った勇者を追うことのむなしさに、そしてダオスを失った虚脱感で、ウィノナは生きる気力すら、無くしかけていた。
 死んだリアやダオス、奇術団の仇も討てず、ただ漫然と命をのさばらせているだけの自分に嫌気がさしていた。
 ──ここで死んだらダオスにも会えるかなあ……? 歩き続ける気力もなく、その場にウィノナは倒れこんでしまう。

***

「だれ……?」
 ひとりの女性ががウィノナの夢に現れた。その顔は穏やかで美しく、まるで女神のように神々しかった。
「わたくしはカリオンと申します。デリス・カーラーンの盟主ダオスさまの第一王妃です」
 ダオスの妻は慈母のような表情でウィノナを見つめている。ダオスの妻……?
 ダオスの心にはずっとある女性が棲んでいた。それが、このカリオンなのだとウィノナは理解した。
「ウィノナさん、ダオスさまを愛してくれて、どうもありがとう。ダオスさまもお喜びになっています」
 なぜダオスの妻である彼女がそんなことを言うのかわからなかった。彼女に嫉妬というものはないのか。逆に彼女に嫉妬していた自分が愚かに思えて来るのだった。
「ご……ごめんなさい。アタシ、カリオンさんのこと、悔しかった。ダオスの心にはずっとカリオンさんがいて……アタシじゃかなわないから。なのに、カリオンさんがそんなんじゃ、アタシ……」

***

「ウィノナ……」
 意識の隅からの、聞こえるはずのない声に耳を疑う。起き上がって森の中を見渡すと、ウィノナはいるはずのないダオスの姿を認めた。
 これは幽霊か、幻影か、それともいつもの夢なのか、区別のつかぬウィノナは、ダオスに近づくことができない。ユグドラシルの幹から立ち上がったダオスは、いつもの笑顔でウィノナを見つめた。
「ホントのダオスなの……? 生きてるンだよね? 本物なんだよね……?」
「本物さ。キミに会うために、戻って来た」
 とても穏やかな口調に、ウィノナはうれしさのあまり、みっともない表情で涙を流した。とてもこんな顔をダオスには見せられないと思い、ついうつむいてしまう。
「せっかくの再会なのだ、元気な顔を見せてくれないか、ウィノナ。そうでなければ私も未来から来た甲斐がない」
 ダオスがうつむくウィノナの手を取る。その手の感触は生きた人間のそれとおなじだ。ダオスは本当に生きている。夢でも亡霊でもない。
「未来から来たの?」
「ああ。未来から過去への転移は危険が伴うが、キミにだいじな話があるため、やむを得なかった」
「話って、アタシに?」
「そうだ。長い旅が終わった。私の求める『大いなる実り』を手に入れることができ、我が故郷もようやく救われた。私はもうすぐ故郷へ帰るつもりにしている。もしキミがよければ、ともに我が母星──デリス・カーラーンに来てもらいたいのだ」
 ダオスの突然の提案に、ウィノナは面食らった。彼女の戸惑いを見たのか、ダオスもウィノナが落ち着けるようにゆっくり語る。
「もちろん、これは強制などではない。あくまでキミがよければ、の話だ。ゆっくり考えてほしい」
 突拍子のないダオスの発言に、内心ウィノナはダオスを恨んでいた。突然いなくなったと思ったら突然現れて、「ともに来てくれ」だとは。ダオスはいつも突然に自分の前に現れ、唐突にものを言う。しかし、恨めしいほどにダオスがいとおしいのも、ウィノナに取ってまた事実であった。
 ウィノナにはダオスの申し出を断る理由はない。ウィノナは奇術団の仲間たちも先のハーメル崩壊の際失っていたし、ミッドガルズに追われる身である。もし本当にダオスのそばで暮らせるのならば、今までの責め苦も忘れることができるかもしれなかった。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、荒っぽくこする。
「じゃァ、リアたちに、お別れ言わなきゃね」

 こんな日が来るとは思ってもいなかった。まるで、夢を見ているかのようだ。
 長い旅を終えたダオスは穏やかで、柔和だった。かつてのような、かたくなで張りつめた趣は存在しなかった。
「もう、別れのあいさつはよいのか」
「うん。もういい」
 ハーメルで墓参りを済ませ、ウィノナたちは精霊の森に戻って来ていた。
「この地に抱く未練はないのだな」
「ないよ」
 きっぱりと答えたウィノナだったが、捨てきれぬ思い出はたしかにこの地にあるのだった。
「……私には、キミがまだこの地への思慕を捨てきれぬように見える」
 ダオスは、あたかも心が読めるかのように、いつもウィノナの心を見通して来るのだった。
「そんなわけないじゃん。アタシ、ここでいい思い出なんかないよ。ホントに」
「しばらく考えたほうがいい。私もあまりに唐突に過ぎたな。すまん」
「ダオスが謝ることないよっ。さっさと決められないアタシのほうが悪いンだからさ」
 ふたりはぺこぺこと頭を下げる。そんな様子に、おたがい、顔を見合わせて笑った。こんなに笑ったのはどれくらい前だったのか、ウィノナは覚えていなかった。

 となりにダオスがいるということがどれほど幸福か、ウィノナははかりかねていた。あれほどいっしょにいたいと願っていたダオスとともに暮らせる幸福。それがあまりに幸福すぎて、ウィノナはまたそれを失ってしまうのではないかという恐怖を抱き始めていた。これまでの境遇ゆえか、自分に幸せなどおとずれるわけがない、と思っていたのだった。そして、ダオスが死にゆく未来を映したあの悪夢が消えることはない。

「ダオスの故郷ってさ、どんなとこ?」
 野営の準備をしながらウィノナは尋ねる。ユグドラシルの下で落ちた小枝を集めていたダオスは、突然のウィノナの質問に顔を上げた。
「それは、これから言おうと思っていたところだ」
「あ、そうなの」
「我が故郷、デリス・カーラーンは、緑豊かな美しい地だ。地味(ちみ)豊かで、春季には艶やかなる花々が咲き誇り、我々を魅了する」
 彼の双眸は、ここではない遠い故郷を見つめていた。彼の見つめる先に自分も行けるのかと思うと、胸の昂ぶりを禁じ得なかった。だが異端者の自分が受け入れられるのかと言う不安はある。
「へえ。いいとこじゃん」
「ただ、これだけは覚えておいてほしい。我々とキミとは、寿命が全く異なる。キミが老いたとしても、私は歳をほとんど取っていないはずだ。自分ひとりだけが老いてゆく、そのような言い知れぬ焦りを背負うことになるだろう……。私はもちろん、そんな理由でキミを見放すようなことはしない。だが、キミ自身がそれを拒むのならば、私には強いる権利はない」
 自分だけが老いていき、ダオスにみにくい姿をさらすのか。それを想像すると、ウィノナは悪寒を感じた。
「……別にいいよ。そんなの、まだずーっと先の話だもんね。アタシ、まだピチピチ十代だもん」
 ダオスに不安を与えないがために、明るく笑ってみせる。これは昔からの癖だった。
「そうか」
 ダオスとともに暮らしたいと言う気持ちは何よりも強かった。それは、失う恐怖をも凌駕していた。
 ウィノナの中で、ひとつの決心がついていた。

 ダオスよりも先に目覚めたウィノナは、ぶらぶらと精霊の森を歩いていた。
 この地を離れることに異存はないはずだった。リアもいない、あの奇術団ももうない。
 そのはずなのに、なぜか胸が締めつけられるような気がした。いい思い出なんてない……そう思っていたが、少なくとも奇術団の団員や、父親がわりだった団長と過ごした日々は、ウィノナに取っては忘れがたいものだったのだと気がついた。
「バイバイ……みんな……」
 知らず知らずウィノナは泣いていた。
 ──結局、親父とはケンカしたままだったなあ……。あの世に行ったら、謝らなきゃな……。
「ウィノナ? 起きたのか」
 ダオスが背後から声をかけてくる。ウィノナは、拳を握りしめて告げた。
「ダオス……アタシ、いっしょに行くから……。連れてって、ダオスの故郷に」

2

 ユグドラシルの精霊によって生み出されたまばゆい光に包まれ、ウィノナは上下左右の平衡感覚すら正常に機能しなくなった。ダオスの身体にしがみつき、必死に自分の位置を保とうとする。
「ここ、どこ?」
「今は空間を移動している最中だ。もうすぐ着くぞ」
 ダオスに抱えられ、かろうじて自らの安定を保っている状態が情けなかった。仕方なく目をかたく閉じ、到着を待った。
 次に目を開けたときには、眼下に広がる広大な樹海が視界に入った。空中を飛行するダオスの肩にしがみつき、ウィノナは初めて見る異星の、ダオスの故郷の景色に息を呑む。「大いなる実り」を手に入れたデリス・カーラーンは、ウィノナの知るアセリア以上に緑にあふるる、ダオスの言葉通りに美しい星だった。
「これが、ダオスの故郷……」
「そうだ。気に入ってもらえたかな?」
「うん。とてもきれいで……ダオスに似てる」
 ウィノナの言葉にダオスははにかむような表情を見せたが、すぐにいつもの無表情に戻る。
「マナ減少でデリス・カーラーンは疲弊した。文明も衰退した。私はそれを早急に回復せねばならない」
 地獄のような旅生活のあと、未だ苦行を強いられるダオスをウィノナは見ていられない。もういいのに、ダオスはもう十分働いたんだからもう休んでいてほしいのに。王としての責務も、民の期待も捨てて、ただただダオス自身のためだけに生きてほしいのに。

 ダオスが異星へ旅立ち、そして帰ってくるまでの間にデリス・カーラーンの人口は、ダオスが記憶していたものの半分以下まで減少していた。いくつかの国も滅びを迎え、ダオスの抱える大国へ逃げのびて来た人々も大勢いる。大いなる実りがもたらされたことによってマナの問題は解決されたが、衰えた星や人を癒すには、おなじだけの時間が必要であった。それには有能なダオスの存在は不可欠だったのだ。
 多くの人がダオスを必要としている。だが、ウィノナもまたダオスを必要とするひとりであった。ダオスに取っては、自分も、そんな人々の中のちっぽけな存在なのだろうか。
 彼は、本質的に無私なる王なのだった。そんな彼を独占したいと思う自分がいかに浅慮か、ウィノナは自己嫌悪に陥る。

──

 デリス・カーラーンに来てから一週間ほど経った。ここでは、他星から来訪したウィノナは異端である。たしかに待遇はよく、皆からもてなしを受け、ダオスの取りなしで彼の宮殿に置いてもらっているが、それだけだ。
 ──これじゃ、前とおなじじゃないか。ミッドガルズにいたころと。
 多忙なダオスには会えない。ウィノナはひとり、この広い宮殿に取り残されている。これでは、以前魔科学の実態を調べるためミッドガルズに潜入したときと全く変わらないではないか。
 環境が変わったからとて、状況が変わるわけではないのだった。どこに行っても自分は無用者なのではないかという暗い考えがよぎる。
 ──何やってンだよ、ダオス……。自分から、人のこと誘っておいてさ……。恨めしいほど愛しい、デリス・カーラーンの王のことを考える。ミッドガルズで、帰ることのないダオスを待つときのような、引き裂かれるような不安が全身に満ちていた。
「ウィノナ、いるか? ダオスだ」
 扉を叩く音とともに、彼の抑揚のない声が聞こえた。ウィノナはすこし意地悪をしてやりたい気分に陥る。
「そんな人知らないっ」
「ウィノナ……。怒っているのか? すまなかったな、ずっとひとりきりにしてしまって。とりあえず、ここを開けてくれないか」
 とまどいを隠せないダオスの声色に、ウィノナはちくっと胸が痛んだ。扉のところへ行くと、向こうにいるダオスに聞こえるようにささやく。
「ダオスが来てくれなくて、さびしかったンだから」
 そんな言葉がためらいもなく口をつくことが不思議だった。そっと扉を開けてダオスを招きいれる。彼は、アセリアにいたころよりもずっと幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「私はひとつだけ、まだキミに告げていなかったことがある。聞いてくれるか」
 ウィノナと向かい合わせに椅子へ腰かけ、ダオスはウィノナの瞳を見つめてくる。ダオスの美しい藍の瞳に見返され、すこしとまどった。
「もったいぶらないで、言ってみてよ」
 ウィノナが促すと、ダオスは決心したようにため息をついた。
「私の家族の話だ……。──私には、将来を誓いあった妻がいた」
 思いがけないダオスの言葉にウィノナは息を呑んだ。ダオスは続ける。
「妻は幼少のみぎりから、私の身辺の世話や警護などを務めていた。私がアセリアへ訪れたのは、『大いなる実り』を探すためだったが、星と星の間を行き来することなど、もちろん容易ではない。加えて、マナの量も少なく、我々に残された最後の力は自らの生命であったのだ。妻は私を異星へ送るために、自ら死を選んだ。多くの術師もその生命を私に預けた……」
 いつものようなポーカー・フェイスで、何ということもないように語ろうとするダオスだったが、その瞳が揺らいでいることをウィノナに隠すことはできなかった。
「私は明日、彼女の墓参りに行こうと思う。長い間ここを空けてしまって、彼女や魔術師たちの墓を拝むこともできなかったからな。ウィノナにもともに来てほしいのだ」
「アタシが? ……どうして?」
 ダオスが何を言いたいのかがわからなかった。カリオンはダオスの妻で、そんな女性の墓参りにどうして自分を連れて行こうか。
「キミのことをカリオンに報告をしたい」
「うん……わかった」
 ウィノナの返事を確認すると、ダオスは忙しいらしく、従者に呼ばれ、せわしなくまた去って行ってしまった。
 ダオスへ抱く思いはたしかだった。ダオスといっしょにいられさえすれば、いかなことでもするだろうと思っていた。しかし、ダオス自身はどうなのかがウィノナにはわからなかった。彼は自分に対してどんな感情を抱いているのだろう。
 ──奥さんがいるんじゃ、かなわないよね……。ダオスに深く愛された、彼の亡き想いびとをウィノナはやっかんだ。自分では彼女を越えることはできない。憂鬱になったウィノナはベッドに倒れこみ不貞寝する。

 その日、夢を見た。結婚式の夢である。花婿はダオスで、花嫁は……自分。普段からは考えられないほどきれいに粧しこまれた自分が、これ以上なく美しい花婿に付き添われて行く。
 なぜこんなときにこんな夢を見るのか。意志に関わらない自分の予知夢に、いまさらながら腹が立った。
「ウィノナさま、ダオスさまがお呼びでございます」
 ダオスの従者が呼びに来た。デリス・カーラーンに来てから、この星の者はウィノナのことを「さま」づけで呼ぶ。王が異星より連れて来た使者なのだから、待遇がよいのは当然だろうが、どうも慣れないのだった。
 不貞寝している間に夜が明けたらしく、ウィノナは普段着のまま眠ったのだと気がついた。着替えてダオスの元へ行くと、彼は儀式のときに着用するらしい仰々しい衣装をまとっていた。
「あ、ダオスの奥さんのお墓参り、今日だったっけ」
「昨日言っただろう。キミも正装に着替えたほうがよいな。今、用意させる」
 ダオスは近くに位置していた側近に命じ、ウィノナに黒い優美なドレスを用意させた。だがウィノナはドレスが苦手だった。
「スカートの丈が長いと、アタシ、ふんづけちゃうンだよね……」
 と、ダオスに無理を言う。彼はちょっと困ったような顔をしたが、すぐにウィノナの要望通りの衣装を持って来させた。
 ダオスはここに来てから変わったような気がする。一国の主なのだから、国を治めていかなければならないのは、しごく当然のことだろう。しかし、それだけウィノナとの距離も遠くなったように思えるのだ。ウィノナが愛しく思っているのは、国王であるダオスではなく、ひとりの男としてのダオスなのだから。せめて自分といるときは、ダオスには笑顔でいてほしい。それがウィノナの願いだった。

 王族は大樹カーラーンの近くに埋葬される。王妃であったカリオンは、城の中庭に位置する大樹カーラーンの裏手に眠っていた。デリス・カーラーンの住民は大樹の信仰思想があり、生物は皆命を落とすとこの大樹の中に還るのだと言われている。ダオスが大いなる実りを持って来て以来、その思想はますます高まっているようだ。
 カーラーンの裏手に位置する王族の墓は地下にあった。薄暗い階段を降りて行った先の部屋には、崩御した王族の像がほうぼうに立てられている。皆どれも威厳に満ち、像とは思えぬほど生きた表情を浮かべていた。するとダオスは、ある女性の像の前で止まった。
 花のかんばせ、という言葉が似合う像だった。繊細で華奢で美しく、どれを取っても自分とはちがう、とウィノナは思い知る。そして、ウィノナは彼女を夢で見ていた。あのときの──ダオスと会った日の夢で、この人はウィノナに礼を言っていた。ダオスを愛してくれてありがとう、と……。
「この人が、ダオスの奥さん?」
 ダオスは無言でうなずいた。カリオンの像に向き直ると、いとおしげにそれをなでる。
「帰って来たぞ、カリオン……」
 亡き妻の像に語りかけるダオスの姿を見ていられないウィノナは、目を背けた。やはり、来るべきではなかったのかも知れないという思いが頭をもたげる。
「カリオン、おまえに紹介したい者がいる。ウィノナ、おいで」
 ダオスに肩をつかまれた。
「おまえを失って私は肺腑をえぐられる思いであった。それを救ってくれたのがこのウィノナだ」
 ウィノナがダオスを見上げると、穏やかにほほえむダオスと目が合った。
「大いなる大地母神よ、デリス・カーラーンのこの地に、ウィノナ・ピックフォードを迎えたまえ……」
 肩口のダオスの手の感触があたたかかった。彼は、色恋はともかくとして、自分をたいせつに想ってくれているようだった。それだけで十分だ、とはいえなかったが、今はそれでいいのかもしれなかった。

──

 城へ戻ったダオスは、ウィノナを呼び止め、話があると告げた。ダオスの部屋へ行くと、彼はいつにも増して真剣なまなざしをぶつけてくる。
 先ほどの墓に眠っている、ダオスの妻だった女性カリオン。ウィノナは、夢に出てきたあの女性のことを思い出した。あまりにも慈悲深いあの女性。
 カリオンは幼少のころからダオスに仕え、ずっと彼と時間を過ごして来たという。彼女のことを知れば知るほど、ウィノナは劣等感が募る一方だった。愛するダオスとデリス・カーラーンのためなら自分の命をなげうつことも顧みない、女神のようなその女性こそ、真にダオスにふさわしいのではないのか。
「……もし、カリオンさんが生きてたら、ダオスはアタシのコト、故郷になんて連れて来てくれなかったンじゃない?」
 心の内に秘めるつもりだったダオスへの疑いを、弾みでウィノナは吐き出してしまう。彼に対しての疑いなどないように装うことが一番いい方法だと思っていたというのに。
「それは、私がキミを見捨てるということか?」
 いつもより強い語調で、そして悲しげに言う。
「だって、カリオンさんがいたらアタシには用はないでしょ? ダオスはさ……」
「カリオンのことは関係ない。たしかに彼女は私の妻であったし、私も彼女を愛している。しかしだからといってキミへの想いが変わるわけではない、ということを覚えておいてほしいのだ。カリオンが生きていたなら、キミのことは第二妻として迎えていただろう」
 デリス・カーラーンは多夫多妻制であり、王族であるダオスならば、なおのこと多くの妻をめとる必要がある。一夫一妻制のアセリアに住むウィノナとしては、カリオンの亡霊にダオスを奪われるのではないかと言う恐怖があった。
「心配だったよ。ダオスはアタシのコトどう思ってくれてるのか、全然言ってくれないンだもん……」
 自らの胸の内を吐露してうつむくウィノナを、ダオスはただじっと見つめている。
「──私がいつまでも自らの心のうちを告げぬせいで、キミを不安にしてしまったこと、とても申しわけなく思っている。すまない。自分の想いを見て見ぬふりをしていた。キミを求めていたのに、また失うことを恐れて……」
 目の前に立つ彼からこのような言葉が紡がれるとは、ウィノナはまさに「夢」にも思っていなかった。
「だから、今、我が想いをはっきりと告げよう。──キミには、ずっと私のそばにいてほしい。ウィノナ……愛している」
 ふわりと、音もなく体を包まれた。ダオスの心の震えが伝わって来る。豪奢で荘厳でありながら繊細な、落とせば割れる瑠璃細工のような……。
 ──そうだよ、ダオスもずっとさびしかったんだよね……。だいじな人を、亡くしたんだから……。そう思うと、自分はなんと浅はかな考えをしていたのだろう、と思い知らされる。
「アタシだって……おなじだよ。ダオスのこと、大好きだよ」
 ダオスと自分はおなじ。たいせつな人を失い、時間を見る、時間を飛べる能力を持つ。そして故郷に帰れなかった。だから互いを守りたいと思う、助けたいと思う……。それは、「愛情」という感情なのだったと、今ウィノナは知った。
「もし、この星がかつての美しさを取り戻し、もう私が手助けしなくてもよいほどに回復したならば、私は王の任を退こうと思う。カーラーンが望める森にでも隠居するよ。そのときは、キミにも来てほしい」
「……うん。絶対だよ。約束破らないでよ。アタシ、ずっと待ってるからね」
 きゅっと背の高い彼の胸元に寄り添う。ダオスはウィノナの反応に少し狼狽していたようだった。そんな彼を見たウィノナは、いとおしさとおかしさでくすくす笑い出す。ダオスもつられて笑みを浮かべた。
「国と城と船と財宝と千人の従者と一万の馬と伝説に残る偉業か……」
 ぽつりとダオスがつぶやいた。それは、かつてウィノナの養父である奇術団の団長が述べた、「ウィノナをもらう条件」であった。
「私はその基準を満たしているのだろうか」
 彼は冗談めかしているのか、それとも本気なのかの判断がつかない。
「まだそんなこと覚えてたの? やだな、もう」
「用意しようと思えば用意できぬこともないな」
「だよね……。もう、ダオスは伝説に残るえらいコトしたンだもんね。親父もきっと、ダオスのコト認めてくれると思うよ。なんてったって王さまなんだもん。ホラ、もっとえらぶってもいいンだよ。『余がダオスなり』とかってさ」
 若い男女の笑い声が響く。あまりに平和で、穏やかすぎる一日が過ぎていく。
 デリス・カーラーンはダオスとその側近たちの手により、徐々にではあるが回復の一途をたどっていた。一度は滅びかけた星だが、大樹カーラーンも生気を取り戻し、かつての平穏な生活が戻りつつあった。

***

 彼女は王国の紋章が刺繍された、この上なく豪奢なドレスをまとっていた。かんばせにはしっとりと薄紅をさしている。彼女はもう少女ではない大人の女性だった。
 端正な花婿へ、可憐な花嫁が伏し目がちに歩み寄る。花婿の長い黄金の髪が、陽光に輝いてたなびいている。花婿は、花嫁にすっと手を差し出した。
「迎えに来たよ……ウィノナ」
 差し出された手を花嫁はしっかりと握る。もう、二度とこの手を離しはすまい。たとえ自分だけが先に遠い世界へ行こうとも。
(了)

●Author's Note

「10thアニバーサリー・ダオスさまハッピーキャンペーン(自分で勝手に企画)」の一環として、『テイルズオブファンダム 旅の終わり(結城聖・著、スーパーダッシュ文庫)』で生じた「ダオスの死なない歴史」軸の幸せなダオスさまとウィノナのお話でした。『旅の終わり』では、アーチェやクレスの介入によってダオスと和解する時間軸が生じます。常々ダオスさまには幸せになってほしかったので、これで胸のつかえが取れた気分です。満足です(笑)。
しかし、「ダオカリ前提ダオウィノ」というのは、果たして受け入れてもらえるのか心配です……(^^;;

2005.10.29

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