●凍てついた時間

1

 ──少女がギルの前に現れた。その少女はキッドと言う……。

「サラを探すの?」
 マールのその言葉を背中に受けた魔王ジャキは不安定になりつつあるゲートを通った。ラヴォスを倒すという、彼の目的のひとつは達成された。おかげで彼の立場は魔王から一転、世界を救った英雄である。しかしそんな賛美も栄光も彼には必要なかった。力がほしいだけだったのだ。
 
 クロノたちと別れてからどれくらいの月日が経ったのだろう。それすらもジャキにはわからなかった。あれから、ジャキは姉の手がかりを求めてさまざまな場所を渡り歩いたが、決定的な手がかりはつかめずにいる。
 そんなとき、時の最果てに偶然落ち込んだ彼は、時の賢者ハッシュから、「サラ王女は王国歴千年あたりの時間軸にいる」という情報を耳にした。それを聞きつけたジャキは、早速最果てのゲートから王国歴千年の時代へ飛ぼうとする。
「ジャキ王子……気をつけなされ。そして必ずサラを助けてくれ」
 ハッシュの年老いた手がしっかりとジャキの手を握りしめる。
「サラを助けたいと思っているのは王子だけではない。あのツンツン頭の兄ちゃんたちだっておなじことじゃ。もちろんこの私も。ラヴォスを倒したときのように、それぞれの時代に散らばる王子の仲間の力も借り、我らのサラ王女を助け出すのだ」
 フン、とジャキは笑うが、彼のそんな性格をハッシュはよく知っていた。
「俺の力だけで十分だ」
「十分ならもうとっくに見つけ出しているはずだがの」
 痛いところをつかれたジャキはきびすを返した。
「元気でな」
 と、ハッシュにつぶやく。素直ではない亡国の王子をハッシュは笑顔で見送った。

 ジャキが訪れた時代では、すでにガルディア王国は滅亡していた。最後の王は、あのあとマールと結婚したクロノだったらしい。マールは亡くなり、クロノの行方も不明になっていた。軍事大国にまで成長したパレポリの侵略だという。
 ジャキはルッカのもとを訪ねた。見ると、ルッカは身よりのない孤児たちを引き取って孤児院を開いていた。忙しそうにしていたルッカは突然のなつかしい客人に表情を変える。
「ジャキじゃない! あらあら、なつかしいわねー。ほら、そこに座って座って。今お茶いれてくるから。ほらほらどいて、お客さんよ」
 ルッカに群がっていた子どもたちはささっと自分の部屋に戻っていった。
 研究はやめたのかと、茶をいれるルッカの背に聞くと、
「そんなわけないじゃない。天才発明家ルッカさまはまだまだ健在よ」
 と明るく笑った。そんな彼女の姿がすこし痛々しく見える。
「あんたが来るなんて珍しいじゃない。最近はどうなの? サラさんは見つかった?」
 ジャキの向かいの椅子に腰かけ、茶を勧めた。ルッカの問いに、ジャキは首を横に振って否定する。
「ガルディアがあんなことになっていようとはな」
「そうね。でもきっと、マールは死んじゃったけどクロノはどこかで隠れてるんじゃないかな、って思ってるところもあるの。今はパレポリから逃れるために身を隠しているけど、そのうちほとぼりが冷めたらひょっこり顔を出さないかなってね。ほら、あんただってそうでしょ。会えないと思ってたのに突然訪ねてきて。あんたが来たのも何かのおふれかなと思うのよ」
「非科学的な話だな。おまえらしくもない」
「ときに人は非科学的になるのよ」
 そう言うルッカの表情にいつもとはちがう色が見えてジャキは口を閉じた。親友がふたり行方不明になってしまったのだ、それでも彼女も希望を捨てずにいる。サラを探す自分とおなじように。
 その後もジャキはたびたびルッカの家に顔を出した。彼に取ってもルッカはこの時代ではただひとりの知人なのであった。
 ラヴォスを倒したからといって、自分に取って何かが変わったわけがない。そう思っていたジャキであったが、復讐の対象を討ち取ったことで、ジャキの心の中のどす黒い憎悪は次第におさまっていくのを感じていた。ルッカと話すうち、平和というものが幸せなのだということを、これまで常に戦禍で生きて来たジャキは生まれて初めて実感するのだった。

「ねえ、ちょっと気になることがあるのよ」
 ある日、ルッカは訪ねて来たジャキに言う。
「キッドのことなんだけど、あ、私が前に拾った孤児の女の子なんだけどね。その子、マールとおんなじペンダントを持っていたのよ」
「マールと? では……」
「サラさんのペンダントもマールとおなじだったわよね」
 そのルッカの言葉にジャキはうつむき、頭を抱えこんだ。ルッカは彼にさらに言葉を続ける。
「キッドは、サラさん、もしくはマールと何か関係があるんじゃないかと思うのよ。どちらにしろ、私たちがなんとかしなきゃならない人たちよ」
「そのキッドと言う娘に会えないか」
「あの子、人見知りが激しいから知らない人には絶対会わないのよね。一応呼んでみるけど」
 ルッカはキッドを呼びに行った。その間、ジャキはひさしぶりに手がかりを得たよろこびに打ち震えていた。もし、キッドと言う少女が彼女の居場所を知っていれば……。この長かった旅も終わることができる。
 やがてルッカが戻って来たが、やはりキッドは嫌がったようだった。首を振って残念そうな表情をしている。ジャキは一瞬気落ちしたが、そうそう事がうまくはいくまいと思い直す。手がかりがつかめただけでも幸運なのだ。
「あきらめずに顔を出してあげれば、あの子もいつか信用してくれるわよ」
「そうだな」

 その後もたびたびキッドのもとを訪れたが、結果はなしのつぶてであった。だがここであきらめるジャキではなかった。ここまで捜し当てて来たのだ。
 その問題とは別に、ジャキには気にかかることがあった。ルッカの持っている石を執拗に狙う男がいるというのだ。彼女の持つ石と言うのは、かつてクロノをよみがえらせた、クロノ・トリガーこと時の卵のことだった。男はなぜかそれを渡せと再三要求しているらしい。ルッカはもちろん渡すつもりはない。だが、強がっているのか、自分は平気だと言う。
「いつかその男は強行策に出るんじゃないのか。そうなったら、おまえはここの孤児たちを守れるのか」
 ジャキの鋭い意見にルッカは考え込む。そうしたいのはやまやまだ、という表情だ。
「──うん、そうだね、わかった。住み慣れたトルースを離れるのはつらいけど、みんなのためだものね。近いうちに引っ越すわ」
「そのときは俺も手伝ってやる。女と子どもだけでは危険だろう」
「あら、元魔王がずいぶんとおやさしいこと」
 ルッカがそう言うとジャキはフン、と一笑に付した。照れ隠しのつもりなのか彼は去っていってしまう。その後ろ姿にルッカは満足そうにほほえんだ。

 数日後、ジャキがルッカの孤児院を訪れると、そこは火事で焼け落ちて跡形もなかった。近所の住民に聞くと、夜中に突然火の手が上がり、何者かにルッカがさらわれていったと言う。ジャキは絶句したが、これがルッカが言っていた男の仕業だということは明らかだった。子どもたちの何人かは逃げおおせたらしいが、何人かはそのまま家に残っていたという。
 唯一姉の手がかりを持っていたキッドの行方もわからなくなってしまった。ジャキがかつて冒険した仲間たちは皆彼の前から姿を消した。ひっそりと、ジャキは犠牲になった子どもたちへの墓標を作り、花を添えた。

2

 ルッカの孤児院が襲撃されてから一年、ジャキは仮面をつけ「ギル」という偽名を用い、賞金稼ぎをして生計を立てていた。その一方で、ルッカを狙っていた男のことも独自で調べあげ、その名をつかんでいた。その男はヤマネコという猫科の亜人であった。どうやら、相当の資産家であるようだ。その金はほうぼうの大陸の小国をつぶして得たものだという、よからぬ噂もささやかれている。ジャキはけして正義の味方を気取りたいわけではなかったが、せめてルッカやキッドたちの仇は取ってやろうという思いはあった。

 名も知らぬ平凡な街に着いたジャキは、とりあえず酒場で一服することにした。すると、街の者たちはひそひそと共通の話題を話し合っている。聞き耳を立ててみると、それは「ラジカル・ドリーマー」という盗賊のことだということがわかった。ラジカル・ドリーマーといえば前にも耳にしたことのある名前だった。最近台頭してきたのだろう、とジャキはあまり気には止めなかった。ただ、その賞金首の値段は気になるところではあったが。
 翌日、品物の買い出しにと、ジャキはグッズマーケットを訪れた。店の主人は先客と話し込んでいる。先客はまだ十を過ぎたばかりであろう少女であった。ピンク色のワンピースに身を包み、蜂蜜色の髪をおさげでまとめている。
「おじさん、次来るときは入れといてよ、ハイパーほしにく!」
「やれやれ、キッドちゃんにはかなわないな」
 店の主人が口にした「キッド」という名前を聞きジャキは目の色を変えた。横を通っていくネコのような少女の後ろ姿をぼうぜんと見つめている。
 お客さん、何か買うのかいと主人に聞かれ、我に返ると電光石火の勢いで先ほどの少女の後を追った。少女に追い付いたジャキは、彼女に声をかけた。少女は怪訝そうな表情でジャキを見上げる。
「何の用?」
 少女は警戒心をあらわにし、しかめた顔を向けた。
「話がある」
「悪いけど、知らない人についてくとダメだって言われてるの。誘拐でもされたらことだもの。じゃ、わたし、急いでるから」
 そう言ってそそくさと少女は去っていってしまう。ひとり残されたジャキは、ぼうぜんと立ち尽くしていた。
 ルッカはキッドがサラの娘か何かだと思っていたようだったが、ジャキの瞳に映った少女は姉のサラ・ジールその人であった。ジャキは懐に忍ばせていた忘れ形見のアミュレットをきつく握りしめる。

 なぜ姉上はあのような姿に? 姉上は、俺のことがわからないのか? ジール王国のことも、皆忘れてしまったのだろうか。
 そんなはずがなかった。あれは彼女が転生した姿なのだ。どんなに生まれ変わろうとも、輝かしい栄光のジール王国のことを忘れるわけがないとジャキは信じていた。何にせよ、あのまま彼女を放っておくわけにはいかなかった。ルッカの孤児院の生き残りでもあるのだし、なんとしてでも彼女を守らねばならない。ずっと探していた人を見つけ出せたのだから。

 それから数日、キッドと言う少女のことを気にかけつつも、ジャキは打倒ヤマネコを進めていた。メディーナ地方にいるヤマネコの関係者の屋敷の位置を突き止め、そこに潜入する算段を整えた。ヤマネコの行方は現在不明であるが、関係者ならば詳しく知っているはずだろう。それができずとも、関係者はそこそこの金持ちであったから、一週間分の食糧に換算できる物品くらいは持ち出せると踏んだ。
 ジャキは夜になるのを待って館に潜入することにした。その間、キッドのことが頭をもたげてくるのを止めることはできなかった。
 ヤマネコの関係者の邸宅の様子をうかがうと、ひっそり静まり返っている。侵入しようとすると、突如人々の叫び声が館に響く。ジャキは一瞬ひるんだが、ちょうど同業者の先客がいたらしいことを知った。火事場ドロボウにはもってこいとばかりにジャキは、闇をすべるように中へ侵入する。
「ラジカル・ドリーマーだ!」
 という叫び声で、先客が噂に名高いラジカル・ドリーマーだということを知った。ジャキは少し興味を持ったが、すぐに消えた。目的を早々に済ませ、帰ろうとすると、おなじようにラジカル・ドリーマーも帰るようだった。ネコのようにしなやかな動きの、ちいさな影がジャキの視界に入ってくる。その影は、グッズマーケットで出会ったキッドであった。目の色を変えジャキはキッドを追う。彼女を今見失ってはならない。今日の予定を変更してでも。ヤマネコの居場所を聞くことなどいつでもできることだ。
 ジャキに追われていたキッドは突如足を止め、ジャキに向き合った。その顔は闇夜に覆われていたが、魔族であるジャキにはよく見ることができた。サラよりも幼い顔つきだ。
「てめえ、どういうつもりだ? しつこくついて来やがって。あ、こないだ会った野郎か。まさかおまえも盗人だったとはな」
 前回会ったときとは全くちがう、荒々しい口調にジャキはすこし驚愕したが、平静を装う。
「ラジカル・ドリーマーがこんな小娘だとはな。驚いたな」
「うるせえよ、今てめえに構ってるヒマはねえんだ。あばよ」
「おまえに話がある。来てくれないか」
「この間もおなじこと言ってたな。いくらオレがかわいいからってこんなとこまでナンパかよ?」
 キッドとは裏腹に、ジャキの表情は真剣そのものだった。その顔を見てキッドにもかすかな表情の変化があった。
「どちらにせよ、こんなところでゆっくり雑談と言うわけにはいかんだろう。俺もおまえも盗賊だからな」
「けっ、じゃあオレについて来いよ。来れるもんならな」
 言うや否や、キッドがネコのように夜の闇を疾走する。ジャキはキッドのあとを追った。追手の出す光が追い付く前に、ジャキとキッドは深い闇の中へ消える。メディーナ北の遺跡がある森に行けば、地形を利用して隠れることができるだろうとふたりは考えていた。加えてジャキは人間としての魂と引き換えに闇をも見渡せる千里眼を備えていた。
「なかなかやるじゃねえか」
 追手の手の届かない場所へ着いたキッドは、追って現れたジャキへ言う。息を乱してはいない。
 キッドはジャキが見たところ、やっと十を過ぎたかといった年ころのようだった。服装もみすぼらしく、髪も乱雑に結んだだけである。以前グッズマーケットで見たような、平凡ではあるが可憐な姿とはかけ離れていた。
「なるほどな。おまえは立場を使い分けているのか。昼間は平凡な街の少女、夜はラジカル・ドリーマー」
「ふん、オレの正体を知ってしまっちゃあ生かしてはおけねえな。悪いがここで口封じと行こうか」
 やや芝居がかった口調だった。
「まあ待て。俺はおまえを叩き出そうとは思わん。ところでだ、さっきの話の続きだ」
 ジャキはまず腰を下ろした。キッドにも腰を下ろすよう勧める。
「俺はある理由からヤマネコ大君の命を狙っている。聞けば、おまえもヤマネコに仇を持っているようだな」
「ああ」
「──それはルッカ・アシュティアの孤児院のことだろう?」
 そう言うとキッドの表情がみるみる変わる。
「おまえ……それも知ってたのか」
 本当のところジャキは「ラジカル・ドリーマーのキッド」の情報はほとんど得てはいなかったが、「ルッカの孤児院にいたキッド」ならば、ヤマネコを狙うのはその理由だろうと踏んでの発言だった。
「ルッカとは古い知り合いでな。昔はあいつの研究やらにいろいろとつき合わされたこともある。おまえにも会おうとしたが、結局会ってくれなかったな」
「ルッカ姉ちゃんのこと……知ってるんだ」
 キッドは瞳をうるませ、今までとはちがう年相応の表情を浮かべた。おそらくキッドの中にいるであろうもうひとりの少女……ジャキの姉のような。
「じゃあ、おまえもルッカ姉ちゃんの仇を?」
「最初はそう思っていた。ルッカにはなむけのひとつでも贈ってやろうと思っていたが……目的がひとつ増えた」
 ジャキはキッドを見つめる。姉を捜すという積年の目的は、たった今達成したのだった。しかし、同時に新たに目的が増えた。なんの理由からかはわからないが、この時代に転生した姉を守り通すこと。それがジャキの新たな目的となった。今は彼女は自身の正体に気づいてはいないが、いつか必ず自らと立ち向かわなければならないときがくるだろう。そのとき、ジャキはサラを助けてやらねばならない。サラを支えられるのはジャキしかいないのだから。
「目的ってのはなんだ?」
「いずれ、時が訪れたら……」
 曖昧な言い方をするジャキをキッドは怪訝そうに見つめる。
「でも、おまえがルッカ姉ちゃんのことを知ってるなんてな。それに、オレがラジカル・ドリーマーだってことも知られちまった。まあ、おまえ、信用はできそうなヤツだな」
「俺をか? 俺にそんなことをいうヤツも珍しい」
「ははっ、たしかにそんな仮面なんかつけてんだもんな」
 と言ってジャキがしていた仮面を指す。仮面は、自らの正体と言うよりも、自らの過去を隠すためにつけていた。
「でも、不思議なんだよな。おまえとははじめて会うような気がしないっつーか……何年も前から知ってるような気がするんだ。前に会ったこと、なかったんだよな?」
「そうだな。会ったかも知れんし、そうでないかも知れんな」
 答えるジャキの胸中は複雑であった。今のキッドに真実を伝えることはできなかった。もし言ったとしてもそれが彼女に届くことはないだろう。彼女の真実は彼女自身が向き合わなければいけない。いくら弟とはいえジャキがどうこう言えることではなかった。ジャキにできるのは、姉が自ら真実を知るまで見守り続けることだけだった。
『ボクは男だから、姉上を守るんだ……』
 幼少のみぎりに誓った約束を守らなければいけない。何年たったのかわからないその約束が、今ようやく守れるのだった。
「おまえ、オレといっしょに行かねえか? ヤマネコをぶっ倒すっていう目的もおなじだしよ、ま、何かと便利なんじゃねえかな」
「悪くないな。俺の名は──」
 ジャキは一瞬つかえた。自分の名を彼女に伝えていいものなのか。キッドに彼女の正体を告げられないように、自分の本当の名を告げることもジャキにはできなかった。
「俺はギルだ」
「オレはキッド。『ラジカル・ドリーマー』のキッド。……そうだな、おまえもラジカル・ドリーマーに入るんなら改名しよう。これからは『ラジカル・ドリーマー』改め『ラジカル・ドリーマーズ』だ! いいだろ?」
 安心できると踏んだ相手には心をゆるす。キッドの屈託のない笑みを見つつ、その甘さがキッドの命取りとなりかねないことをジャキは見抜いていた。

3

 そうして、ギルとキッドの「ラジカル・ドリーマーズ」としての行動が始まった。とはいえ、その目的は変わらず、ヤマネコに関連する人物から未だ特定できないヤマネコの居場所を聞くことだった。ヤマネコは辺境レジオーナを占拠しつつあるらしかった。ヤマネコの住む館の構造と位置を詳しく聞き出し、ヤマネコの首を取る。それがキッドとギルの共通の目的であった。
 ギルはあれ以来キッドの過去に関しては口を開くことはなかった。あくまでキッドとは相棒として接していた。キッドもおなじである。お互いにあまりベタベタした関係を好まないようで、打ち合わせなど必要最低限の会話をする程度だった。だが、時折ぽつりとキッドはルッカのことを洩らす。ギルもキッドがルッカの話をした際には返答するようにしていた。
「ルッカ姉ちゃんは発明ばかりしてたよ。失敗も多かったけどな」
「よくサイエンスは無敵だ、と言っていたな」
「そうそう! あんときの姉ちゃん、すげー顔するよな」
 ギルとキッドの共通の知り合い、ルッカの話はよく盛り上がる。そんな他愛のない会話をしていると、やがて夜が訪れ、ふたりがラジカル・ドリーマーズとして活動する時間がやってきた。
「そろそろ行くか」
 ふとキッドが言い出し、ふたりはすっと闇に消えていった。

「やい、ヤマネコの野郎はどこにいる!」
 恐れおののく館の主の首根っこをつかみ、キッドはナイフをちらつかせる。ギルが近くで見張っていた。早くしろ、とギルはキッドにささやいた。
「し、しらない……俺は何も聞かされてないんだ! ヤマネコさまは凍てついた炎を追っかけて……」
「知ってんじゃねえかよ!」
 殴打して主を気絶させた。それを見下ろしたキッドが神妙に言う。
「しかし、ギル。凍てついた炎とはな……」
「知ってるのか」
「ルッカ姉ちゃんが言ってたんだ。姉ちゃんのともだち──姉ちゃんの幼なじみと結婚したっていう人のところにそれを埋めるべきだったって……。でも、その凍てついた炎ってのがなんなのかは知らない。ギルは……姉ちゃんのともだちって誰のことかわかるんだろ?」
 そう問いかけるキッドの瞳はなぜか確信に満ちていて、ギルはすこしだけ戸惑った。
「ああ。……ああ」
 ゆっくりと答えるギルの脳裏に、かつての仲間たちとのつらくもあり、楽しくもあった旅が思い出される。そう思うのはギルに取って不本意だったが。
 凍てついた炎とはいったいなんなのか。その不思議な名前の由来はどこから来ているのか。凍りついた炎……。
「絶対にヤマネコの手に渡すわけにはいかねえ。オレたちが先にそれを手に入れてやる」
 キッドの瞳がぎらぎらと復讐心で輝いた。
「じゃあ、とりあえず引き上げようぜ。こいつはあんまり知らねえみてえだしな」
 というとギルが呼び止めた。キッドがいぶかしむとギルは無表情に告げる。
「俺たちの正体を知られては困る。この館ごと焼き払おう」
 その淡々としたギルの物言いにキッドは眉をしかめた。
「なんでそんなことまでしなきゃいけねえんだ。もう必要な情報は手に入れた。十分じゃねえか」
「正体がバレては今までのように自由に動きまわることもできんぞ。それでもいいのか」
 ギルは姉には手を汚すことをさせたくはなかった。しかし、そのあまり自らを苦しめた、あのときのような思いはもっとさせたくはない。今のキッドは非情になりきれていない。非情にならなければ自分が苦しむということをわかってほしいのだった。彼女自身が幸せになるために。
「だって……関係のないやつらだってこの中にはいたじゃないか。ここでふつうに暮らしてる人だっている。そんな人まで──」
 キッドの言葉が終わらぬ間にギルは手を振りかざす。呪文を唱えるとギルの手から炎が飛び出し、館を包む。
「行くぞ」
 ギルに腕を引っ張られ、キッドは呆然としながらその場を去った。

「俺を非道だと思うか?」
 隠れ家に戻って来たギルは、キッドに不意に問いかけた。
「別に……」
「そう思っても構わん。ただ、自分が生き延びたければ他人の世話をしている余裕はないということを覚えておけ」
「そんなことわかってるよ。それができたら、オレだって……」
 キッドは目に涙をためる。ほんの十二、三の少女が突然保護者を失って、ひとりで追剥をしていたのだ。その地獄のような生活を想像するのは容易ではない。ギルももちろんそれをわかっていたが、自分も幼いときにたったひとりで生き延びて来た経験から出た言葉だった。
「自分のために生きればいいんだろ。それが世界のルールなんだろ。ならオレだって、情けなんかかけない。情けをかけてたら、ルッカ姉ちゃんの仇なんて討てやしないんだ」
「ルッカの仇もそうだが、何よりおまえ自身が呑まれかねない」
「どういう意味だよ、それ」
「よくおまえ自身を見つめるんだな。そうすれば自ずと答えは見えてくるだろう」
「おまえはいつもそういうワケのわかんねえ言い方するな。もっとはっきりものを言えよな」
 ごしごしと荒っぽく涙をこすったキッドは、いつもの調子に戻った。
「さあて、それじゃあ当面の目的は凍てついた炎だな。ヤマネコの野郎にだけは死んでも渡せねえ。まずは情報収集だ! さあギル、明日は忙しいぜ」
 悲しみを押し殺したキッドを見つめ、ギルは万感の思いを抱いていた。悲劇が二度と繰り返さないことを心密かに祈るギルであった。

4

 それから一年ほど経った。ギルとキッドは「ラジカル・ドリーマーズ」として名を馳せていた。キッドはこれまでのように「市井の少女」を装い、ギルと街でともに行動することはなかった。ギルはギルで同様に、ハンターとしての表向きを装っていた。あくまで「ラジカル・ドリーマーズ」としての行動を取るのはヤマネコがらみのときだけである。ギルが賞金稼ぎとして得た金でふたりは生活している。そして、たまにキッドがどこかの金持ちから盗んでくるものもあった。ふたりの関係は持ちつ持たれつのギブアンドテイクだった。
 また、ギルは独自で凍てついた炎についての情報を調べていた。凍てついた炎はどこかの王国に代々伝えられていた宝石だという。あらゆる傷を癒し、さまざまな奇跡をもたらす神秘の石。その行方は未だ不明である。しかし、ギルにはその石の正体がつかめていた。人々にあらゆる奇跡と力をもたらし、繁栄を与える。そのような幻の夢は、ギルの故郷を亡ぼし母を狂わせた魔性の力ラヴォスのものにほかならない。かつて、ラヴォスは原始のころ「大きな炎」と形容されたが、その石を「凍てついた炎」と呼ぶのも、誰が言ったのか言い得て妙である。
 ルッカが、マールのところにそれを埋めるべきだとキッドに言ったのも、それを知っていてのことだったのだろう。何にせよ、それがあれば争いの源となり、それをめぐって紛争が起こるだろう。ガルディアが滅亡したのもその理由かも知れなかった。ギルは自分を正義漢や英雄だと思ってはいないが、もうラヴォスによって家族や自分の運命をかき回されたくはなかった。
 街を外れ、即席で作ったラジカル・ドリーマーズのちょっとした隠れ家へ戻ったギルだったが、まだキッドの姿がない。どこを歩いているのかと思ったが、やがてキッドが戻ってくる。見知らぬひとりの少年を連れて。
「よう、ただいま」
 気さくにキッドがギルに手をあげる。ギルはキッドと少年をいぶかしんだ。
「なんだ、そいつは」
「こいつはセルジュだ。楽士だったらしいんだが、見込みがあるから連れて来た」
 キッドの不可解な行動にギルも、そしてセルジュ本人も当惑している。
「おい、キッド。こんなシロウトを連れて歩けと言うのか? いくら俺でもフォローしきれんぞ」
「だから、オレが鍛えてやるんだよ。立派な盗賊にな」
「か、勝手に話を進めないでよ! ボクは盗賊なんて……」
 キッドに捕まえられているセルジュが悲愴な声をあげた。
「本人はそう言っているが」
 ギルは無表情にキッドを向く。
「人間、やればできるようになるんだよ。だいたい、生活に刺激がほしいとかなんとかオレに言ったのが悪いんだ。オレさまと会ったのが運のツキだったと思って、あきらめるんだな」
 キッドはセルジュに勝手なことを言っている。セルジュは開いた口がふさがらないと言った顔だ。
「まあ、なんにせよ俺たちがラジカル・ドリーマーズだということを知ってしまったのなら、ただで帰すわけにはいかんな」
 とギルが睨みをきかせた。
「そのセリフ、オレも言ったような気がするぞ」
「そ、そんな。脅迫するのか!」
「キッドではないが、俺たちに関わったのが運のツキということだ」
 セルジュは、この常識の通じないふたりに圧倒され、結局「ラジカル・ドリーマーズ」に入らざるを得なくなった。

 セルジュは死に物狂いで盗賊としての腕をみがいた。そうしなければキッドの怒号が飛ぶ。しかし、セルジュに取ってキッドは、初恋の相手とも言えた。キッドとともに行くことを決意したのは、そうした理由も含んでいたのであった。盗賊としての生活は、というよりキッドとの生活は刺激に満ちている。毎日がセルジュには命懸けであった。
 そんなセルジュにギルははじめ当惑したが、セルジュが来たことでキッドが生き生きとしている様子を見てすこし安心をした。セルジュという少年も少々頼りないが、好感の持てる、気が置けない少年であった。そんなこともあってか、いつのまにかセルジュは、ギルとキッドふたりに取っての「仲間」となっていた。

5

 それから数年が経過した。
 ついにキッドたちは仇敵ヤマネコの館への侵入に成功した。だが、ヤマネコと対決した際、セルジュが危機に陥ったことによって、キッドは「サラ」としての自我を取り戻したのだった。凍てついた炎はパレポリ国のものとなり、ヤマネコは再び行方知れずとなった。館は魔導宰相レディ・ヴィラのはからいでパレポリに回収されたらしい。そして、セルジュを巻き込みたくないという思いから、キッドは自らセルジュと別れる決意を固める。
「バイバイ……セルジュ……」

 傷を癒すためにラジカル・ドリーマーズの隠れ家に戻って来たキッドとギルは、おたがい神妙な面持ちだった。キッドの傷は深い。回復するには相当の時間がかかるだろうと思われた。
「これからどうするんだ」
 ギルがたずねると、キッドは、
「今までとおなじ、凍てついた炎とヤマネコを追うさ。あのバアサンも言ってただろ、いつでも取りに来いってな。……ただ、」
 と答える。
「ただ?」
「今は、もう一度オレのふるさとが見たいな……」
 キッドの、サラのふるさとはもう滅びてしまった王国であった。その名残がヤマネコの館の地下にあったのをギルは覚えている。まさか、ヤマネコの館の地下に栄光のジール王国の廃虚があろうとは。
「いや、ムリなことだからいいんだ。忘れてくれ。……ジャキ、今までありがとうな。オレのことずっと見守っててくれたんだな」
 ギルのことを「ジャキ」というその少女は、「サラ」そのものであるようにギルには見えた。
「おまえはもうオレに構うことはないよ。おまえはおまえ自身の道を歩んでくれ」
「まだ、おまえひとりでは頼りないところもある。まだ俺が去るわけにはいかんよ」
「だれに向かって言ってると思うんだ? オレは──」
 キッドはつかえた。悲しげな顔を浮かべて。
「オレは、サラなのかな。それともキッドなのかな……」
「おまえはおまえだ。サラであろうが、キッドであろうが。おまえはおまえとして生きていけばいい。名前など重要でない。少なくとも俺はそんなもの気にはしない」
「うん……ジャキ、ありがとう……」
 あたかも月のような瞳がギルを見つめ、ギルはそれに吸い込まれてしまいそうになる自分に気付く。
「もし、オレたちの故郷がよみがえったら、また、いっしょにヒマラヤン・チンパンジーを飲もうな。せっかく持って来たんだ」
 ヒマラヤン・チンパンジーとは紅茶の銘柄であった。この時代では王侯貴族ですらめったに口にできない貴重な紅茶である。しかしギルとキッド、すなわちジャキとサラには、毎日の紅茶の時間には欠かせなかった。これを飲みながら姉と会話するのが楽しくて仕方がなかったのだ。彼女の口からその紅茶の名が出たことに、ギルは驚いたが、すぐに笑みに変わった。
「いつか、また……」
 そうギルが答えると、ふっと満足したような、大人びた笑みをキッドは返した。

 どちらからともなく、手を差し出した。凍りついた時間が溶け出していく。
「これからも、よろしく」
「よろしく」
(了)

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