永遠のおとぎ話

ラビリンス 魔王の迷宮 ジャレス×サラ

 昔むかしあるところにゴブリンの王様が部下のゴブリンたちと暮らしていました。豪華な服を着て踊ったり歌ったりするのが好きな、陽気な王様でした。
 ところがゴブリンの王様はわがままで意地が悪く他人のことを考えません。ゴブリンたち妖精の神様は怒って彼にある呪いをかけてしまいました。
 王様がほんとうに愛する女性を見つけ、キスをしたとき王様と彼女は永遠に引き離されてしまうのです。でも王様はそんなことはどこ吹く風です。なぜなら彼はずっとひとりぼっちで過ごしてきたので、そんな女の人が現れるとは夢にも思っていませんでした。部下のゴブリンたちはばかで憎めない連中でしたが、愛の言葉を交わすには醜く未熟すぎました。

 ある日王様は今の暮らしに退屈になり、人間の世界へやってきました。ゴブリンたちとのばか騒ぎもだんだん嫌になってきていました。だから最近は人間の世界を観察するのが習慣になりました。白い羽毛に包まれたフクロウに変身し、きれいな湖のある静かな公園で休んでいると、鈴の鳴るような可憐な声が聞こえてきました。
「数え切れない困難と危険を乗り越えてこのお城へやってきたのは――」

 長い黒髪を高く結い上げた美しい少女が古びた赤い本を手に芝居の練習をしています。意志の強いヘーゼル色の瞳に吸い込まれるように王様は彼女の様子を見守っていました。
 次の日も、その次の日も王様は同じ公園で練習を続ける少女の姿を見ました。初めのうちはゴブリン王国から見守っていましたが、だんだんと彼女を直接見ていたい気持ちが強くなった王様はフクロウに姿を変えて少女の世界へ訪れるようになりました。あくるとき、少女は木の枝の陰にたたずんでいる王様を見つけました。
「あなたもひとりなの?」
 王様は驚きました。王様の姿は魔法の力でたとえフクロウの姿でも普通の人間には見えないようになっているはずなのに、この少女は王様に話しかけてきたのです。いたわるような眼差しでこちらを見て微笑んでいる少女は腕を広げて王様を招き入れました。
 その屈託のない笑顔に王様はひと目で少女のとりこになりました。何かを思いついたような王様はきれいなブロンドの男の人へと姿を変えました。少女は驚いて王様を見つめています。
「あなたはだれ?」
 少女の問いかけに王様はふざけて演劇の観客のひとりだと答えました。少女はくすくす笑います。
「あなたはゴブリンの王ね。自分のお話に興味を持ったんでしょう」
 少女が演じている本にはゴブリンの王が登場するのです。想像力と機知に富んだ少女の答えに王様は今までにない満足を感じました。ゴブリンたちとは決してできないやり方で会話ができることに、知らずしらず彼はにっこりと微笑んでいました。少女は本の内容を話してくれました。勇敢なヒロインと意地悪なゴブリンの王のお話です。子守に疲れたヒロインがつい魔法の言葉を言ってしまい、ゴブリンの王とその部下たちが赤ん坊を連れて行ってしまうのです。
 本の中でのゴブリンの王とヒロインは愛し合っていましたが、最後にヒロインは赤ん坊を助けるため自分の世界へ戻ってしまいます。でも何年か経って、成長したヒロインと人間になったゴブリンの王は結ばれ、永遠の愛を誓って末永く幸せに暮らしました。少女はにこにこ笑ってハッピーエンドを喜びます。
 ほんの少し、王様は本の中の自分に嫉妬しました。ひとりぼっちではなくなった「つくりものの自分」がひどくうらやましく思えました。

「お芝居が好きよ。見るのも好きだけど演じるのはもっと好き。色んな人の人生や気持ちを体験できるもの。私の心を落ち着かせて豊かにしてくれるわ」
 王様は少女の夢を叶えてあげたいと強く思いました。王様は誰かの夢を実現させることができました。しかしそれには何かを引き換えにしなければなりません。多くの場合、人々は望まれず産まれた赤ちゃんと引き換えに夢を叶えてもらい、王様は赤ちゃんをゴブリンに変えてしまいます。
 少女を気に入った王様は特別になんの見返りもなく少女に夢を見せてあげることにしました。王様は水晶玉を取り出し、彼女に渡しました。
「こんなすてきなもの受け取れないわ」
 戸惑う少女でしたが、王様の説得と水晶の中に映っている自分の夢を見て心を動かされました。

 お城の豪華な仮面舞踏会。少女はお姫様になり、すてきな男の人と恋に落ちる役を演じます。真っ白い美しいドレスをまとった少女はこの世のどんなものよりも尊く思えました。王様はその相手が自分だったらと考えました。子どもっぽく嫉妬深い王様は少女をひとり占めしたかったのです。
 はじめてやさしい言葉をかけてくれた少女の、かわいらしい笑顔を自分のものだけにしたかったのです。その瞳に映る姿を自分だけにしたかったのです。

 王様も少女も知りませんでした。夢をもたらす魔法は強い力を持っており、みだりに使ってはいけないということを。今まで王様は何かと引き換えにして人々に美しい夢を与えてきましたが、王様は少女に喜んでほしい気持ちだけで夢の魔法を使ってしまいました。妖精の世界の決まりごとを破り、見返りのない愛を知ってしまった王様はその瞬間から神様の呪いを受けてしまっていたのです。
 そしてゴブリンの王からの贈り物を受け取ってしまった少女もまた、同じ運命をたどるでしょう。

***

「彼女を愛している。彼女の夢がほしい。彼女にいつまでもそばにいてほしい。ずっと楽しい話をしていたい、もうひとりじゃない」
 想いは日に日に強くなり、もう彼の制御は効かない。彼女にふさわしい豪華なジャケットをまとって、王は少女とともに踊った。忌まわしい呪いのことすらももう彼の頭にはない。
 少女はそっと彼女だけが知る王の本当の名をつぶやいた。もうその名をいつ呼ばれたのかも思い出せないが、少女の甘い声が自分を呼び、味わったことのない甘美な感覚で彼の世界のすべてが弾け飛んだ。
 花がほころぶように笑う彼女を瞳に焼き付け、まぶたを閉じた王は少女の唇に顔を寄せた。柔らかく甘い感触に震え、この時間が永遠に続けばよいと願いながらそっと瞳を開いた。だが王は愕然とする。
 まばゆい輝きの笑みを浮かべたまま少女は動かなくなっていた。呼吸もしておらず瞳は生きた色を失っている。この世で最も美しい人形として彼の前にただ立っていたのだ。王の身体もまた動かず、顔をそらすことすらできなかった。ハシバミの瞳の中にいる自分の顔は限りない絶望の淵に彩られ、何が起きたのか理解できずに立ち尽くしている。少女の無垢な唇をもはや文字通り二度と味わうことはないのだとやがて知る。
 黄金色の朝も情熱的な夜も訪れない無限の空間。ピアノの美しい旋律が響くたったふたりだけの世界で、彼らはオルゴールの人形のように静止したまま互いを見つめ合っていた。その光景はさながら一点の絵画のようにも見え、王と少女の類まれな美貌も相まって恐ろしいほどに流麗だった。


「ああ、私は幸せだ」
「呪いだって? とんでもない。君と永遠にいっしょにいられる夢が叶った」
「私はずっと他人の夢を見、それを叶えてきたが私自身の夢は叶えられることはなかった」
「恐ろしいほどの孤独から救い出してほしいという夢。それも、君の美しい笑顔を我が物にした上に、だ」
「君はきっとこんな結末は嫌いだろうな。だが、私はハッピーエンドにそれほどこだわりはない」
「君と共にいられるのなら、永遠もほんのわずかな時間だろう、サラ……」
 表情を変えられないがジャレスは微笑んでいた。その瞳は確かに微笑みをたたえながら生涯唯一愛した女性を焼き付けている。

「幸せだよ、サラ」
(おしまい)

2020.9


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