千葉県八千代市の梨歴史
〜梨作り(なしづくり)のはじまり〜









今から約90年前(大正の時代)、千葉県八千代市村上あたりでは
田も少なく麦と芋を作りながら暮らしていました。
しかし、それらはどれも朝早くから夜遅くまで作業は絶え間なく続き、
それでも生活は苦しいものでした。
その頃、現在の千葉県八千代市の梨を特産物として成長を遂げるににあたった原点でもある主、
宮崎B(みやざききよし)と宮崎規矩治(みやざききくじ)は、生活を良くする為には、
梨作りを成功することだと考えました。
宮崎Bは、千葉県市川市・松戸市等で梨の栽培を行っている事を知り、
宮崎Bと宮崎規矩治の二人は、栽培方法を見学しに
自転車で数時間の距離を往復していました。
その後、埼玉県や千葉県の佐倉市等から『長十郎(ちょうじゅうろう)』
の苗木や、他梨の苗木を数百本買い芋畑に植えて育て始めました。
梨栽培の初期は、栽培方法や害虫駆除等も上手くいかず生産量、
労働時間ともに苦しい時期が続きました。
しかし、宮崎Bと宮崎規矩治は諦めず、惜し気もなく市川市・松戸市
に通う事により、剪定(せんてい)・消毒(害虫駆除)等といった技術を
学び、その成果をあげてきました。
徐々に生産量も伸び、昭和13年に初めて『阿蘇梨』として出荷するこ
とができ、次第に八千代市村上に梨作りの良さが広まり、梨作りを考え
る農家や実際に栽培に着手する農家が増えてきました。
宮崎Bと宮崎規矩治の二人は、梨作りを創めた農家・創めようとする
農家に技術指導を行い、千葉県八千代市『阿蘇梨』の生産量は止ま
ることを知らず、次第に生産量は先行して栽培を行っていた市川市、
松戸市と肩を並べるまでに至りました。
千葉県八千代市では、宮崎Bと宮崎規矩治のこのような働きをいつまでも
人々に語り継がれるように、昭和37年、二人の家の近くに『頌徳の碑(しょうとくのひ)』
を立てました。
こうして現代では千葉県八千代市の梨は特産物となり、現在まで約80軒の農家が、梨作りを営んでおります。
そして現代でも他県・他市の梨作りを積極的に見学し、八千代市の梨園同士で梨の品質の向上等に努めております。