学級崩壊 ベテラン教師たちの戸惑い 教師の姿〜教育の現場から
            立て直しの糸口 模索 ユーモア詩などの試みで工夫


 児童が教室内で勝手な行動をして教師の指示に従わず授業が成立しない「学級崩壊」。新任の教師よりも四十歳代の教師の学級を襲うことが多いという。「自分のどこがいけないのか」。教室内で起きる異常事態にベテラン教師たちは戸惑っている。
 「担任として受け入れられていない」
 教師生活二十六年目で初めて味わう屈辱だった。
 県南部の市立小の女性教諭(49)は今年度、自ら進んで学級担任を外れた。前年度に受け持った低学年のクラスで起きた学級崩壊に担任を受け持つ自信がなくなったからだ。
 授業中に教科書を開かない、勝手に立ち歩く。自分の姿を見ると逃げ出す児童もいた。クラスが崩壊していくのを見過ごしていたわけではなかった。暴力をふるったり、授業中に教室を抜け出したりする児童たちに「本当はそんな子じゃないのよね」「お母さんが心配するよ」と話しかけた。「わかったよ」。児童たちはうなずいても同じことを繰り返した。無力感と徒労感だけが残った。
 「どうしたらよいか分からなかったが、何かせずにはいられなかった」。帰宅後、家事をこなして寝るまでのわずかな時間を惜しんで子供の心理を分析したカウンセリングの本などを読みふけった。
 「子供たちを受け入れなくては」。放課後、子供たちと一緒に得意でないサッカーもした。それでも改善の方向へは向かわなかった。「今までの二十六年間はなんだったのだろう」。悔しさばかりが残った。
 今年度、担任を持たずに補助にまわったことで、気持ちも少し落ち着いてきた。来年は担任を持ちたいと思っている。「でもまた起きたら」。不安な思いがふと頭をよぎる。「その時は……」。答えの糸口を探す日々はまだ続いている。













 立ち直りのきっかけを見つけた教師もいる。
 「今日は何も起こりませんようにと教室に入る前に祈る日々でした」
 増田修治教諭(46)は前任校の朝霞第七小学校で、自分の受け持った四年生のクラスで起きた「学級崩壊」の日々を振り返る。「学級崩壊」という言葉が世間に知られるようになり始めたころのことだ。
 授業が始まっても男子児童五、六人が校庭から戻ってこない。探しに行くと校庭の隅で石積みをして遊んでいた。ようやく連れ戻すと女子児童四、五人が教室に置いてあるカセットテープレコーダーで流行歌を鳴らしていた。 注意すれば児童たちから「熱血しちゃって」「なに頑張ってるの」と冷たい言葉と視線が浴びせられた。 児童の間ではけんかも絶えなかった。仲裁に入れば「先生はどっちの味方なの」と迫られた。男子児童が女子児童の腹部をけとばす暴力事件も起きた。「暴力はいけないぞ」。注意しても無視された。教室は児童が三つのグループに分かれ、ばらばらになった。  周囲に相談しようとしても「ベテランなのに」という視線を感じて同僚にも苦しさを打ち明けられなかった。不眠症になった。
 十月、増田教諭は学級崩壊を立て直すささやかな試みを始めた。「ユーモア詩」だった。増田教諭は悩みぬいた末、“荒れる子供たち”には「笑顔」がないことに気づいていた。「おもしろい詩」を書くことを通じて共通の話題を作り、「笑顔」を取り戻せばクラスが変わるかもしれないと考えた。「どんな下らないことでもいいから日々のおもしろいと思ったことを書いてみようよ」。そう呼びかけた。
 効果は徐々に表れた。児童たちは、家でパンツをかぶって踊ったこと、温泉で男風呂と女風呂を間違えて入ってしまったことなど、自分の失敗や笑い話を詩に書いてきた。それらを朝の会や帰りの会で読み上げると、児童たちから楽しげな笑い声が沸き上がった。四月以来、初めての経験だった。「あいつ意外とおもしろいじゃん」。本音をさらけ出す詩の活動を通じて子供たち同士が打ち解けてきた。クラスに「笑顔」が少しずつ戻ってきた。
 「今の子供たちは大人が思うよりずっと肩ひじ張って生きている。子供たちに飾らない自分を出せるような雰囲気を作ってあげられれば学級崩壊解決につながるかも知れない」
 増田教諭が苦しんだ末に見つけた解決の糸口だ。
     (板垣 茂良)

   ■30市町村で61校66学級
           県内 3年で3倍以上
 県教育局生徒指導室によると、二週間から三週間を超えて学級がうまく機能しない「学級崩壊」の状況が続く学級は二〇〇二年度で、県内三十市町村で六十一校六十六学級に上る。統計を取り始めた一九九九年度と比べて三倍以上に急増した。
学級崩壊を立て直した増田教諭は今も「ユーモア詩」を続ける。仲間の素顔が見える内容に児童たちの顔にも笑みが絶えない