朝日新聞朝刊 2004年7月21日(水)

小さな詩(うた)、大きな力
                           増田修治著(柏艪舎、1260円)

 「私はお兄ちゃんと / よくケンカをします。/ そしてお兄ちゃんはよく / 「お前なんか / 生まれてこなければ良かったんだ!」 / というちょーむかつく言葉を言います。/ だから / 私は言い返します。/ でもやっぱりイヤなので、/ だれか私のお兄ちゃんを / もらってください。」──増田修治著『小さな詩、大きな力』(柏艪舎)所収の小学3年生の詩
 この本の著者は、子どもたちがつくる詩を通じて、児童と教師や保護者とのコミュニケーション作りを進めている埼玉県の小学校の先生。ユーモアあふれる子どもたちの詩を読んでいると、世の中は悪くなるばかりではないと、ほっとする。しかし、著者の以下の言葉は、子どもたちの状況が深刻になっていることを示している。
               
 「日本の社会は、現在大きな転換期にあります。強者の論理のみが強調される中、弱者の論理が切り捨てられようとしていると思うのです。その影響をまともに受けているのが、学校教育ではないでしょうか。現在の学校教育は、子どもたちにより良く生きる方法として、何よりも“競争に勝ち抜くこと”を教えていますが、競争の下では、非常に多くの敗北者が生み出され、自分に対する無力感が植えつけられるシステムができあがっているのです。それは、“力の論理の信奉者”を生み出すという皮肉な結果をもたらしています」(同著)

 こういう現場の声を聞くと、「教育基本法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている」(平沼赳夫・前経産相)といった「分析」がいかに的はずれであるかがよくわかる。

 小さな詩が大きな力になることを映画の世界で実現させてきたのは、岩波ホールで世界の名画を取り上げるエキプ・ド・シネマの運動を続けてきた高野悦子さんだろう。高野悦子編『エキプ・ド・シネマの三十年』(講談社)は、その編者の思いを添えて、30年目を迎えた運動の全上映記録をまとめている。
 「大樹のうた」(サタジット・レイ監督)、「そして誰もいなくなった」(ルネ・クレール監督)、「家族の肖像」(ルキノ・ヴィスコンティ監督)、「曽根崎心中」(栗崎碧監督)、「聖週間」(アンジェイ・ワイダ監督)……。名画を語るときに、この本が辞書や手引き代わりになるのはたしかだ。

 ヨーロッパ人の心のふるさとであるギリシャ文明は、北方から来たインド=ヨーロッパ語を話す人々が基盤になったという「アーリア・モデル」が通説となっているが、その基盤のなかにも、エジプトなどからの非インド=ヨーロッパ語的な要素が入っている。「黒いアテナ」である。

 M・バナール著・金井和子訳『黒いアテナ(上)』(藤原書店)は、そんな刺激的な問題提起を考古学的な資料や神話・伝承などからていねいに検証している。これまでの常識に挑戦するバナールの主張は、大きな論争を巻き起こしたというから、この本も大きな力となった小さな詩である。夏休みにじっくりと書籍を読もうという人におすすめしたい。

 「9人のこびと」と揶揄されていた米民主党の大統領候補者のなかから、保守とリベラルに分裂した「ふたつのアメリカ」を統合する人物として選ばれたのがケリー上院議員である。小さな訴えが大きな力となるかどうか、越智道雄著『ジョン・F・ケリー』(宝島社)は、秋の大統領選で再選を狙うブッシュ大統領を追い落とすかもしれないケリー氏の半生を追いながら、その人柄や政策を教えてくれる。

 イラク問題でブッシュ大統領が国民の信頼を失っている割には、ケリー氏の人気が高くなっていない、というミステリーがある。その理由のひとつは、ケリー氏とユダヤとの血のつながりだと、ささやかれている。この本を読んで、その血縁の部分がよくわかった。このほかベトナム戦争の英雄から反戦運動への変身など、ケリー氏のドラマの内幕に迫っている好著だ。

    高成田 享(たかなりた・とおる)
 岡山市生まれ。1971年に朝日新聞へ入社、経済部員、アメリカ総局長などを経て、論説委員。ニュースステーションのコメンテーターの経験もある。著書に『ディズニーランドの経済学』(共著、朝日新聞社)、『アメリカの風』(厚有出版)など。帰宅の電車が読書の時間で、ときに自分の駅を乗り過ごす。