トリブスの数・結語
トリブスの数・結語

学生:高校の世界史で、古代ローマのトリブスとは、部族を指す言葉から、住民の行政,財政,軍事の構成単位となる地区やその地区の民会(トリブス会)を指す言葉に変遷したと習ったような気がします。ルソーは、第4篇第4章でローマの民会を取り上げ、このトリブスに言及しています。このトリブスについて、非常に細かい点なのですが、ちょっと気になる点がありました。
これら四つの都会地区に、セルヴィウスは別に十五の地区を加えた。それらは田園地区と呼ばれたが、それは、十五の区域に分けられた農村の住民からなっていたからである。その後、さらに同数の新しい田園地区がつくられた。それで、ローマ人民は、けっきょく三十五の地区に分けられ、この数は共和政の終わりまで変わらなかった。(第4篇第4章、171頁:p.355)
 数が合わないんです。
4(これら四つの都会地区)+15(別に十五の地区を加えた)+15(さらに同数の新しい田園地区)=34
でも、ルソーは「けっきょく三十五の地区」と言っています。一つ足りません。すみません、本当に細かい話で。
教師:ローマ史の専門家ではないのですが、35という最終合計は正しいみたいです。ローマ市外のトリブスがもう一つ加わって最終的に35になったようで、ルソーはその最後の一つに言及しなかった、ということだと思います。 学生:ありがとうございます。あと一つだけ、お願いします。『社会契約論』のいちばん最後の章に関してです。結論として、次のように述べられています。
政治的権利の真の諸原理を設定し、この基礎の上に国家を築こうと努めたあとに、残されているのは、国家をその対外的諸関係によって固めることであろう。それは、万民法、すなわち、交易、戦争と征服の権利、国際公法、同盟、交渉、条約、等を含む。しかし、これらすべては、近視眼の私にっては、あまりに広大な新しい対象である。私は、もっと身近なことに、いつも眼をそそいでいるべきであったかもしれない。(第4篇第9章、213頁:p.356)
結論という感じがしないのですが。
教師:Conclusion という章のタイトルが「結論」と訳されているので、そういう印象になるのだと思います。『社会契約論』の議論全体の総括とか最終結論ということではなく、締めの言葉=結語ぐらいの意味で受け取っておけばよいと思います。
学生:もう一つの質問で、私の質問も締めになります。『社会契約論』では、国際法や国際関係は論じられず、ジュネーブ国制という国内的な身近なことに集中していたと思うのですが、「私は、もっと身近なことに、いつも眼をそそいでいるべきであったかもしれない」とルソーは言っています。
教師:原文は、 j'aurais dû la fixer toujours plus près de moi. となっています。私のフランス語文法の知識はかなりあやふやなのですが、これは条件法過去という文型だと思います。英語だと仮定法過去完了に相当するもので、過去に関する反実仮想を表わしています。実際はそうじゃなかったけど、仮にそうだったらこうだっただろう、ということですね。
 たしかに、ルソーは『社会契約論』では、身近で切実なジュネーブの国内問題に集中していましたから、その点に集中しておけばよかったという反実仮想は成立しません。おそらく、ここでのルソーの視線は、『社会契約論』ではなくて、その前に書かれていた『政治制度論』に向いていたのだと思います。どこまで詰めて書かれていたのかは、原稿を破棄してしまったとルソーが言っている以上、確認のしようもありませんが、ある程度は対外関係についてもあれこれと書いていたのでしょう。そういうところにもそれなりの注力を以前にしたけれども、しなくてもよかったのではないか。「近視眼の私」としては、国内問題に集中した『社会契約論』を書いたことでよしとすべきであろう――そんなことをルソーは言いたかったのだと思います。細かい点ですが、訳書の訳注とはちょっと違った理解を私はしていたので、紹介してみました。
 ただ、一言付け足しておけば、もし、国際関係や国際法を正面から論じるということになると、その場合は、一国内での社会契約で国際的な約束や法の遵守を説明し正当化することができなくなるわけで、国内での各市民の権利や自由は、国際的な場ではデ・ファクトなものにすぎなくなります。そういう難問が待ち構えていることには、留意する必要があるでしょう。【補注:この難問をルソーがはっきり意識していたことは、土地所有権が外国に対しては先占権でしかないという言明に示されています。(第1篇第9章、36頁: p.210)
学生:ありがとうございました。