T.M.R. LIVE REVOLUTION '05-vertical infinity- 2005.04.10 名古屋センチュリーホール 2日目 ネタバレ無しレポ あまり覚えてないんだよねぇ…。 とにかく、今日の歌は素晴らしいと感じた事だけは覚えてる。 後半はレポじゃなくて私の思った事なので、何ならとばして下さい。 ☆ 昨日があんなボロボロな状態で、今日は大丈夫なのか。 固唾を飲んで開始を待った。 そして歌い出して。驚いた。 昨日の今日で、ここまで回復するものなのか! アタマ三曲、ものすごい気迫だった。声がバシバシぶち当たってきた。 かみつかんばかりの勢いで歌ってる。 完璧にカッコイイ! 今日、このライブに来て、こんな気迫のこもった歌を聴けて本当に良かったと思った。 歌い出しの声が、ギュッと圧縮された高密度の気迫の塊みたいになって打ち出されてる感じがした。その一声だけで打ち抜かれる。 後半の何かの曲で、体をくの字に折って下を向いたまま、 「飛ばすっ! 名古屋ァッ!」 と叫んだ。飛ばせ、じゃない。初めて聞いた。 こちらを見もせずに、凄みのある気迫に満ちた声で叫んだ。 煽るというより、魂の叫びだったのか。 とても聞き取れないような早口で煽る。 「3階も人ごとではありません。2階3階!(以下聞き取れず)」 ライブ中に何か言われても聞き取れない事が多いけど、 これほど早口で気持ちが突っ走ってるようなのは初めてだ。 ある曲で、歌い出し、シャツをぐいっとまくり上げた。 途中で脱ぎ捨てて上半身裸に! さらにパンツをぐいっと下げた! おおおおっ、ももももしかして後ろが半ケツ状態ぽい? 何であんなに下がってるんだぁっ! プリンしたオシリのふくらみが顔を出してるぞおっ! 魅惑の尻エクボも見えたような気がするっ! ひょおおおおおっ! 猛烈に胸を叩いていた。 もっと伝えてくれと言うように。 今日は座り込んでしまったりせず、最後まで気迫に満ちた歌いっぷりだった。 ほっとした。 ってね、このままの雰囲気で終われればよかったんだけどね…。 アンコール。やはり揃わないけど、昨日よりはずっといい。 しかし必死さの見えない人が、結構多いんだよな…。 西川君が出てきた。よかった、昨日みたいにフラフラじゃない。 でも、笑顔はない。 ここから先は、特に記憶が薄いです。覚えておこうなんて余裕は無かった。 本当に、意訳だと思っておいて下さい。 「やってる側の熱にあてられて、おとなしくなってるような気がするんですが。 いつもの名古屋と違う」 「こういう事を言うと、とかく『機嫌が悪い』とか『へそが曲がってる』とか、 紆余曲折、おもしろおかしく言われたりするけど、そういう事じゃない。」 うん、そうだよね。厳しい態度を取ると、 すぐに『今日は機嫌が悪かった』とかよく言われてたね。 そんな次元の問題じゃないのに。 「お客さんののご機嫌を取っていればいいとは思わない。 来て下さった皆さんにとっても、自分にとっても、 ここは神聖なところだと思うから、 嘘はつけない。ほどほどですますことはできない。」 (もとめられているのでなければやる意味はないとかいう意味のことを言って) 「本編で十分気持ちは伝えられていると思う。今日はこれで終わります。 本当にありがとうございました!」 深く礼をして、ステージから去ってしまった。 必死にターボコールしたけど、見回すと、 こんな状態でもおざなりなコールをしてる人たちが目につく。 それでも西川君は戻ってくれた。でも厳しい顔。 そして、ぽつりと「言わざるべきか……言うべきか」ともらした。 「うーん……えーー…うーん……うーん……うーん……」 長い長い長い時間迷っていた。 こんなMCあり得ないと思った。 観客が息を詰めて見守る中、しんとした会場に、 西川君の「うーん…」と悩む声だけが延々響き続ける。 客席から 「話して!」「言ってくれなきゃわからないよ!」と叫びがあがる。 マイクをどかして声が入らないようにして、まだうーんと悩んでいた。 そして 「やはり、やめます」 と言った。 迷いに迷い、思いあぐねた末の、苦悩が伝わってくる言い方だった。 私はこの時、「やめます」とは、 『今日のライブでこれ以上歌うのはやめます』 という意味に受け取った。(本当は、「話すのはやめる」という意味だったけど) そして、そうなっても仕方ないと思った。 むしろやめた方がいいかもしれないとすら思った。 今日の客席、声は結構出ていたと思うけど、 一階を見回すと、あちこちに動かない集団がいた。 のってる人たちでも、振る腕はまばらだったり。 アンコールも手拍子だけで声を出さなかったり。 こういう事が、名古屋に限らず、最近とても多いと思う。 自分を削って、命がけで向かってくれる西川君に、 応えられてはいなかったと思う。 私ですら、まばらにしかあがってない腕や、 周囲が飛び跳ねてる中で動かない集団がくぼ地の様に見えるのを見ると、 気持ちが冷えたもの。 西川君は以前と変わらず、本気を見せろと言い続けているのに、 どうしてこう、その気持ちが伝わっていないのか。悔しかった。 もらったエネルギーはちゃんと返さないと、西川君しぼんじゃうよ。 心底求める気持ちを全身で表現してみせなければ、 あれだけのステージをする力なんかわき出させられるはずがない。 それをわからせる為にも、ここらで一度ピシリと教育しなければ、 事態は変わらないのではないか。 だから、あそこで終わりにしてもいいと思った。 でも、そんなレベルではない、重い話が待っていた。 「やめます」 って、もう一回言ったかな? 前の方の席の人が、西川君に何か叫んだ。 西川君、 「はい、何ですか」 と受けた。驚いた。ちゃんと客席の話を聞こうとしている。 「北海道は、今回ライブが無いんです! 途中でやめたりしないで、納得して終わらせて下さい」 そんなような事を、その人は必死で言っていた。 北海道からわざわざいらしたのね。 西川君、「はい、はい」「わかります、わかります」と答えつつ聞いてた。 何か言い出そうとして、同時になったのかな? 「お先にどうぞ」なんて言ったりして。 一通り聞いた後だったか、 「そういう事じゃないんです。とても個人的なことなんですよ」 と言って、まだ迷っていた。 でも会場は、ちゃんと話さなければ通らないような雰囲気になっていた。 西川君が静かに話し出した。 「ファンクラブに、今日のこのライブに来るはずだったファンの方が 亡くなったというメールをいただきました。」 「なんて自分は無力なんだろうと思った」 西川君が話す間にも、会場からいくつもの叫びが飛ぶ。 「そんな事無い!」とか。 誰かが自分の思いを訴え出して、他の人が「うるさいよっ!」と怒鳴る。 重い空気の中で、とにかく西川君の言いたい事を聞こうとした。 「人の苦しみに実際に手をさしのべられるわけでもなく」 「自分の無力さを痛感して、立っていられなくなってしまったのが、昨日でした」 「自分の気持ちは本当に届いているのか」 「自分のやっていることに意味はあるのか」 「みんなの力になれているのか」 「自分の存在に価値はあるのかとまで」 …なんでそこまで思っちゃうんだ。 一人のファンにまでそんなに気を止めてくれるのは嬉しいが、 そこまで思い詰めることはないだろう。 そんなことあるわけないじゃないか。 ボルネオでの経験で、自分が無力だと感じていた矢先のこととはいえ…。 昨日言っていた、「ここに来れなかった人の分も」 という言葉には、こんな意味も込められていたのか。 力になれているのかだって? この人は何を今更言っているのか。 こんなにあなたを思ってるのに、何でわかってくれないんだ、とは思う。 でも、西川君もわかってないわけじゃ無いだろう。 理屈じゃ気持ちを制御できないこともあるんだよね。 “医者だって、すべての人を死から救えるわけじゃない” “直接その人を救えなかったからって、西川君が悩む事はないし、無力なわけではない” “西川君がどれほどみんなの支えになっているか” そういう事は、彼も理屈ではわかってると思う。 わかっていても、気持ちが沈むことを止めることはできないって、 そういうことあるよ。わかるよ。 話を聞きながら、家族を亡くした時の事を思い出していた。 何で助けてあげられなかったんだろうと思ったよ。 自分もできるだけの事はしたと思うし、 周囲にもあなたはよくやったと言われても、 無力感やら後悔はどうしようもなくわいてきた。 でも、私は無意味な存在だったわけじゃない。 何もしてあげられなかったわけじゃない…はずだ。 それと同じ事を、西川君だってわかっているだろうに。 …それでも、そう思っても、苦しい気持ちは消せるもんじゃないんだけどね。 これ以上言われなくてもわかってはいるなら、 わかってと言い続けても救うことはできないだろう。 なぜわかってくれないんだと責めたり訴えたりするのも違う。 西川君が自分で気持ちを上向かせてくれるのを待つしかない。 無力なのは私達の方だ。 何もしてあげられないのが、つらかった。 それとも本当にはわかっていないのかな。 どれだけ自分が愛され必要とされているのか。 私達の気持ちは、まだ届いていないの? そう思うのもつらかった。 また一方で、 「ショーじゃないよな、これ」 とも思っていた。TMRのエンタテイメントでは、明らかに無い。 それでも自分の気持ちを話してくれるのは、嬉しくはある。 自分の弱さをさらけ出してくれる西川君が愛しい。 ここにいる人たちを、本当に仲間だと思ってくれてるんだろうなあ。 ファンクラブイベントと思ってないか? 長く語った後、アンコール1曲目に入る前、 「進む意志を持ち続けることが、やるものの責任なのかもと思う。だからこそ、この曲を」 と言っていた。と思う。 とにかく「責任」とか「義務」とか言っていた。 西川君が歌い出しても、ノリノリになんてなれなかった。 でも、ちゃんと西川君に気持ちを見せないと。こんな時だからこそ。 出たがらない声を無理矢理出し、動かない腕を無理矢理振った。 すごい負荷だった。 昨日の西川君がどんなに消耗したか、少しわかった気がした。 体と気持ちが違う方を向いていたら、そりゃ消耗するよ。 ダブルアンコール、私の前の席の人達は この期に及んでまともにやろうとしていなかった。 ラストの曲で、西川君は何度も顔を腕でぬぐっていた。 多分泣いていたのだろう。 声には現れていなかったけど。 歌い終わって、西川君は、まっすぐ立ちながらも、 腕を頭に巻き付けるようにして 頭を抱えて無言で立っていた。 乱れてあふれようとする想いを押しとどめているように見えた。 最後の挨拶。 「当たり前の言葉ですが、だからこそ気持ちを込めて。また会おうぜっ!」 本当に、また会いたい。生きてまた会えることのありがたさよ。 ☆ 終演後、あちこちに座り込む人達の様子は、死屍累々といった風情だった。 アンケートを書かなきゃいけないと思うけど、どう書いていいのかわからない。 ライブ帰りに階段を上るとき、こんなに足が重いのって初めてだった。 重い。重すぎる。 まさかスタッフも、ボルネオ行きがこんな結果を生もうとは、思ってもいなかったに違いない。 後から、あんなことをわざわざ言ったのは、無くなった方への手向けのつもりも あったのかもしれないと思った。 帰り道、とても怖くなった。 これって、今までにない深刻な危機的状況なんじゃないか。 今まで、西川君はどんなに体調が悪いときでも、 それを乗り越えてものすごい歌声で私を圧倒してくれた。 昨日は、それが無かった。 西川君は、本当に意志の力だけであれだけのことをしていたんだな。 強固な意志の力の支えがないと、昨日みたいな事になっちゃうんだ…。 どんな困難もがむしゃらな気力でのりこえて来た人が、 その気力を失ってしまったら、どうなってしまうのか。 休みで気を抜くと風邪を引くと言ってた人だもの、病気を呼ぶよ。 この先のツアーがたまらなく心配になった。 そんな状態であんな消耗するライブなど、続けられるわけがない。 命が危ないよ。 続けられたとしても、どんなに辛いロードになることか。 こわれちゃうよ。 お願いだから、休んで欲しい。多分、忙しすぎるんだよ。 体が弱ると、気持ちも弱る。 テレビの占いでもいわれてたじゃん、無理のツケが来るって。コレのことかもよ。 とにかく休んでほしい。頼むから。 西川君がいなくなったら、自分の人生も崩れてしまう人がどれだけいるか、 お願いだからわかって欲しい。 ライブ後、次の大宮は絶対に盛り上がるから、西川君を支えてあげられるという話が出た。 でも、はたと気がついた。 本当は、それは今しなければいけない事だったのではないか。 西川君はボルネオで無力感を感じて、亡くなったファンのことで打ちのめされていた。 ボルネオ後初のライブであり、その人が参加するはずだった名古屋こそが、 言葉じゃなくて態度で 「自分は本当に必要とされているんだ」 「自分の気持ちは届いている」 と思わせてあげなければいけなかったんじゃないか。 昨日が最高に気持ちのこもったライブにできていたら、 西川君を救うこともできただろう。 西川君は崖から落ちかけて片手でぶら下がってるようなものだったのかもしれない。 引き上げるチャンスはあったんだ。 その大切なチャンスを、私達はみすみす逃してしまったのではないか。 彼を支えることができず、谷底に落としてしまったのではないか。 昨日今日は、重大な分岐点だったんだ。 悔しくて、申し訳なくて。たまらない。 つい想像してしまう。 昨日も今日も、西川君は、自分の気持ちが本当に みんなに届いているのかという疑念と闘いながら、 魂すべてぶつけて届けようとしてくれたのだろう。 なのに。 必死に必死に手を伸ばし訴えるのに、通じきらない。 伸ばした手は掴まれず、空を切る。 呼んでも呼んでも答は返らず、よりそえない。 どうしても、気持ちが届ききらない。 そんな悲痛な気持ちだったのではないだろうか。 そのつらさはいかばかりだったか。 自分で自分の空想に酔っているのかもしれない。 でも、あまりにリアルに想像できてしまい、胸が痛い。 “生き死には神ならぬ身の人間がどうこうできることではない” “人は決して無力なんかじゃない” “生きる価値の無い人間なんていない” “音楽は大きな力を持っている” こういう事って、昔っから漫画で小説でテレビでゲームで、 繰り返し刷り込まれてきた。 そういうものだと、大抵の人はもう回答の出た問題として、 正論として理解してると思う。 だから、頭ではわかっているはずなんだよ。 自分が実際にそういう場面に直面した時、 辛い気持ちから逃れるために、その正論にすがるのが普通じゃないだろうか。 そうして、前向きに進もうとする。 違う言い方をすれば、痛みから逃げる。 マッサージ師の人に聞いたんだけど、 人は自分に痛いことをするのはとても難しいんだって。 体が無意識に避けたり、手加減しちゃうんだって。 そういうもんだよね。生き物の本能だろうよ。 でも西川君は、与えられた答で自分を納得させることはできないのかな。 痛みから目をそらすこともできず、真正面から向かい合って、 一般常識ではない、自分を心底納得させられる答を出そうと、 苦悩と混沌の中でもがいているのではないか。 つくづく不器用というか、まじめというか、感受性が強すぎるというか…。 それとも、もしかしたら彼は、単に「無力じゃない」と 漠然と納得するだけでは足りず、 その先、無力でないなら自分が音楽で何を実現できるのか、 具体的な答まで求めようとしているのかもしれない。 音楽は、生きていくのに必要不可欠なものではない。 じゃあ音楽があることによって、人々の人生に何をもたらせるのか。 死にゆく人に実際に手をさしのべられないなら、その代わりになるほどの何ができるのか。 そういう具体的な答まで見いだそうと、もがいているのかもしれないと思った。 それができて初めて、また動き出すことができるのではないかと思った。 単なる想像だけど。ただの思いこみだと思うけど。 9日、西川君は「音楽を続けることに意味があるのか」と言っていた。 かつて「『心臓が止まる』と『歌えない』が同じ意味をもつ」とまで言ってた人から、 まさかこんな言葉を聞こうとは、しかもライブ中にとすごく違和感を感じた。 ほんとに存在意義の否定になっちゃうんじゃないの、それ? 「進む意志を持ち続けることが、やるものの責任なのかもと思う」 という言葉から、「意味はある」という答は出てるように感じ、 そこは少し安心した。 だけど、義務や責任で進むって、「進みたい!」という意欲が 湧いてるわけじゃないってことだよね。 そんな「たとえ辛くても」みたいな気持ちでいたら、やっぱり体に毒だよ…。 ほんとにあの人、「音楽したいから音楽する」じゃない人なのね。 受け止めてくれる人との関係性が何より大事な人なんだねえ。 ライブ後にこんな重い気持ちになってしまいはしたが、 つらい気持ちを打ち明けてくれた事は嬉しく、 そんな西川君が、愛しかった。 西川君が正直な気持ちを見せてくれる人だから、 こんな“芸能人”の人と、本当に気持ちがつながってると思えるんだ。 でも、どんなに愛しくても、私達こそ直接抱きしめてあげることなんてできない。 あーあー、西川君さっさと結婚して欲しい! こういう時、ただ抱きしめてくれる人がいたら、全然違うだろうに。 今は言葉で何を言われても、彼がいやされることはないかもしれない。 でも、沈んでいる時、自分を助けたいと思ってくれる人達が いるって思えたら、きっとはい上がる力になると思う。 だから、気持ちを伝えようとすることには、きっと意味があるよね。 本当に西川君無しで生きるなんて、考えられないのに。本当なんだよ。 花道に来た彼は、全開の笑顔だった。 それが少し救い。 明けて月曜のANNで、 西川君は気持ちの区切りがついたような事を言っていた。 よかった。 まさかこんなに早く、そんな言葉を聞けるとは。 本当に元気ならいいんだけど。 追記(4/21の日記より転載) 9、10日の名古屋に参加したある方のレポを読ませてもらって、なるほどと思った。 MCで、こんなことも言ってたそうだ。 「たくさんの気持ちが飽和していて、どう音楽にしていけばいいのか整理できない」 「みなさんにどんなに癒される言葉をもらったとしても、 自分は亡くなった方には何もできないことには変わりがなく…。 ここに居るしか…ないんです…!」 あの日、話を聞きながら思った。 『ファンが亡くなったなんて、今までに何度かあったことだろう。 なのに今回はこんなに打ちのめされているなんて、 よほどボルネオで大きな衝撃を受けて、心が不安定になっていたんだろうか』 でも、それだけじゃないんじゃないか。 その方はレポで、 『西川君はぶつけられた気持ちを自分の中で消化して、 ライブでパワーに変えて放出しているんじゃないか』と言われていた。 ああ、その通りなんだろうと思った。 今回だけが特別なんじゃなくて、 実は西川君は、いつも、本当に、私達一人一人の気持ちを しっかり受け止めてくれてたんじゃないか。 無数のファンの気持ちを、取りこぼしなく、 本当に誰の気持ちも置いていかずに受けとめて、 想いを歌にこめて返してくれていたんじゃないだろうか。 今回は、たまたま消化しきれなかった想いがこぼれてしまったんだろう。 「みなさんにどんなに癒される言葉をもらったとしても…」 と言う事は、西川君は私達が 「無力なんかじゃない。力をもらってるよ」 って言うだろうことはわかってるんだ。 それでも、たった一人、その亡くなった方に何もできないことにはかわりなく、 それが悲しくて仕方なかったんだろうなあ。 一人のファンを、大勢を構成するちっぽけな要素と見るんじゃなくて、 本当に一人一人と向き合おうとしてくれてるんだと思う。 ありがたいけど、胸が痛い。真摯すぎて、痛々しい。 絶対に辛いと思うよ? INVOKEリリースの頃、turbo-webのBBSに書き込んでくれた言葉が忘れられない。 『みんなは正直に意見してくれればいいです その全てを受け止める為に頑張ろうと決めたんですから』 そこまで一人一人の気持ちを受け止めようとしてくれるなんて。 一人の人間がそんなことしたら壊れてしまうと思った。 でも西川くんは、本気でやってくれてるんだ。 なんて大きな覚悟だろう。 私達はなんて幸せ者なんだろう。 あとね、西川君がわざわざあの話をしたのは、 亡くなった方とその身内の方に、自分の気持ちを 伝えたかったからというのも、やっぱりあったと思う。 そういえば、私達がBESTツアーで土岐公演の応援をした時、西川君は 「会場の端から端までみっちりつまってる」 って言ってくれたのよ。 あれは、ちゃんと私達の事わかってるって、 それとなく言ってくれたんだと思ってる。 ファンからのプレゼントでも、時々ANNで語ってくれてたし。 直接答える事はできないけど、西川君はよく、 相手の気持ちを受け取ったって事を知らせてくれようとするから。 そういう理由もあったんじゃないかな。 まあね。西川君の心境がどんなものだったか、 本当の所はどうかなんて、わからないけど。 でも、たった一人のファンにさえ心をよりそわせてくれることは確かにわかった。 色々心配なことはあるけれど、 もう彼はとっくに前進を再開してるみたいだし。 今はまあ、よしとしておこう。 |