『ゼラズニイ追悼』

○ロジャー・ゼラズニィのこと
 1995年6月14日、ロジャー・ゼラズニィ死去。享年58才。
 アメリカSF界で、主に60年代前半から80年代前半にかけて活躍。日本でも一部に熱狂的なファンを獲得。いわゆる「ニューウェーブ(既成の枠にとらわれず、SFを創作して行こうという運動)」作家陣の一人として注目されたが、単にそれに止まらず、常にエンターテイメントを追求した作家だった。

 ゼラズニィは、語ることの難しい作家である。
 その理由は実に簡単で、彼の作品群に使われているアイディア、テクニックは、今のSF作品にとって当たり前の手法となっているからだ。知らず知らずのうちに、多くのSFやファンタジーが彼の影響を受けている。
 飛行機が空を飛んでいることを疑う人は現代にはいない。誰もがそれを当然の事として受けとめ、語っている。しかしそれが、どうやって飛んでいるかを詳しく説明できる人は多くない、そういう事だ。
 今一つ、アシモフ・クラーク・ハインラインらの大御所らと比べて、彼の魅力を語りにくいのは、彼が徹頭徹尾「文系の」SFを書いたからだろう。「理系の」SFがそのアイディアや発想を評価しやすいのに比べ、「文系の」SFはその思考実験の形が、明確には現れない。それが良質のエンターテイメントとして提供されていれば、尚の事である。
 例えて言えば、彼は空を飛ぶ事を、その大気に乗って駆ける軽やかさや眼下を流れる雲、大地を使ってその感覚を描写した様なものだ。揚力がどうのこうのとか、エンジンの推力はどうやって生まれるか、と言う事ではなしに。
 アイディアの斬新さ、華麗な文体、凝りに凝った構成、洒脱な会話など、彼の作品の詳しい分析は、別にいらないだろうと思う。それが彼の専攻していたジェイムズ時代の演劇から影響を受けてきており、その作品は一つの劇場空間として解釈して行くと、多くの事が明らかに…うんぬん、なんて事は、評論家にでも任せておけばいい。
 彼の作品の面白さなんて、どれか彼の作品を一つ読んでみれば、わかるはずだから。
 日本における「文系」SFの代表者だった山田正紀は、かつて「私はゼラズニィの『光の王』を読んで、デビュー作の『神狩り』を書いた」と語った。ゼラズニィとは、そういうカリスマのある作品を書いた人だった。
 つけ加えておけば、彼の作品は現在でも(当たり前だが)十分に通用する。
 他にも喋ってみたい蛇足は色々とある。ゼラズニィがファーマーと仲が良くて、ファーマーの『リバーワールド・シリーズ』の続きをゼラズニィが書く話あったとか、『真世界シリーズ』が『階層宇宙シリーズ』へのオマージュとしての性格も持っていて、第3巻がジャダウィンやキカハに捧げられているとか、ディレーニィの短編『ただ暗黒』にゼラズニィらしい(?)敵役が出てくるとかetc.etc.…。
 そんな話が、いつか出来ると嬉しい。
(ていとく)


『真世界シリーズ』
 なにーーっ!! ゼラズニイって亡くなってたの!? アンバーシリーズ(真世界シリーズ)どうすんのさ。「光の王」を読み、アンバーシリーズを読んで以来のファンだったのに。その世界がすでに有るものとして語られていく、説明っぼくない文体も好みだったのに。これでハロルド・シェイシリーズとともに新たな「完結しなかった素晴らしい物語」がまた増えてしまった。しょーがないからもう一度「アンバーの九王子」から読み返してみるか…。コーウィンやランダムが活躍するあの世界に浸ってみるのは悪くない。実に悪くない。でも今はちょっともの哀しく感じる。黙祷…。
(篠原 崇)


『12月の鍵』(『伝導の書に捧げる薔薇』収録)
 ある企業の寒冷鉱山惑星用に改造されたジャリー・ダークら猫形態(キャットフォーム)達はノヴァによって住むべき星を失ってしまう。自分たちの資金で買える知的生命体のいない星は彼らには暑すぎ長期の改造のために三千年を眠ることとなる。が、というのが前ふり。
 自分が誰かの神になってしまったら、どういう選択があるかを考えると、あの選択は最良のものですよね。ちょっと悲しいけど。
(むしゅふしゅ)

 彼の短編集『伝導の書に捧げる薔薇』は、SF短編集としてはベスト5には必ず入る傑作集。古本屋で見つけたら買って損なし。
(こーめい)


『光の王』
 ゼラズニイが亡くなったと聞いて、まずこれを読み直そうとしたら1ページ目で
“マンジュシュリー”が出てきて思わずめまいがしたのでした。
(むしゅふしゅ)

 とある植民星。そこでは、入植者達がその技術を用いて肉体を交換して転生し、インド神話になぞらえた社会を営んでいた。しかし、一部の入植者がその技術を独占し、神々を詐称しようとする。それに対抗して立ち上がった一人の男がいた…。
 出てくる個性的な『神々』たち、能力者は一読の価値あり。
(7者のヘトス)


『砂の中の扉』
 高所愛好症の青年は、学生でいる限り叔父さんの奨学金がもらえると、永遠の大学生を続けています。落第せず、放校処分にならず、しかも現役学生ではや何年。教授の中にはかつての同級生がいたりする今日この頃。彼をなんとか卒業させてしまおうと指導教授は四苦八苦。そんなとき、彼は思わず地球と異星人との外交問題に巻き込まれてしまったのです。
 古本屋で美本が100円で売られていたので、思わず保護してしまいました。ゼラズニイとしてはユーモア色が強いせいでしょうか、これが好きですね。映像化するのに向いていると思うんだけど…。
(まなせ)


『燃えつきた橋』
 進歩と称して環境破壊を続ける人類。人類を影から操る邪悪な存在。しかし、これに立ち向かう人々もいた。古代の戦士、凶弾に倒れる政治家、テロリスト…。そしてここに1人の自閉症の少年がいた。彼はまた優れた感応力者であった。彼は見知らぬ人々と同調し、彼らの意識や知識をコピーするが自我を持つことはできない。そこで治療のために同調する相手のいない月へと送られるが…。
 ダ・ヴィンチのくだりが好きです。
(成瀬)


『ロードマークス』
 とある道。誰もが走れる訳ではないその道は、無数の可能性を秘めたパラレル・ワールドへ通じる回廊だった! 『真世界』シリーズとはひと味違った華麗な世界達の展開が楽しめます。「少々難解」なんて言われたりもしますが、なあに面白さに浸って読んでいればノー・プロブレム。今度、創元推理文庫で再販される話があるそうなので、出たら読んでね。
 個人的には、ワーゲンに乗って自分の勝った世界を探している、ちょび髭のおっさんが好きです。
(ていとく)

『わが名はレジオン』
 近未来。全ての人間が管理されている社会で、一切の記録を自ら消し去った男がいた。彼は、彼でなくては解決できない事件を引き受ける、私設探偵だった…。
 ミステリとしても読める、SF連作中編集。まあ、本格ではありませんけれど(ハードボイルドに近いかな)。こういうシリーズって、もっと読んでみたかった様な気がする。
 クウェルクェッククータイルクェックって、何の事だかわかります?
(ていとく)

『地獄のハイウェイ』
 アフター・ザ・ホロコースト(核戦争以後)。一台の特殊車両が、ある伝染病のワクチンをのせて、荒廃したアメリカ大陸を突っ走っていた…。
 この作品は実は映画化されていて、そのためか比較的最近まで再販されていたもの。ゼラズニィお得意のオマージュを、西部劇でやったものですが、さすがに一筋縄ではいきません。
 蛇足ながら、本書は『光の王』より後に書かれたものです。
 ううん、百億くらいあったら、ゼラズニィ作品の映画化がやってみたいなあ。
(ていとく)


どくしょかんそおぶん:わが名はコンラッド
1ねん5くみ とおみ・なお


 昨年の大阪プライベの時にていとくさんから「追悼企画用の本です」とこの本を渡されるまで、ゼラズニィの作品なんて触ったことも無かったのでした。これはいい機会だ、と前向きに考えつつも「SFかー、難しさのあまり頭がウニにならへんやろか」と一抹の不安を抱いていました。
 まずは、と文庫裏表紙の紹介文。これが燃える。ここでちょっと紹介してみます。
『コンラッドと名乗るその男の過去は謎に包まれていた。だが、彼こそは数世紀にわたる異星人支配者との戦いの歴史に、いくたびか異なる名でその偉業を刻みつけてきた地球の英雄。そして今、密命を帯びた異星人の到来によって迎える危機を前に、再び不死の人コンラッドは立ちあがるが……。(早川文庫)』
 ここでつい、シリアスなスパイ小説風の冒険活劇だ!と勝手に思いこんだ私には大いに問題があるけれども、でもちょっとばかしこの紹介文はチガウと思うなあ。危機とか密命とか派手な単語のそぐわない、実に叙情的な物語でした。SFというよりもファンタジーですね。話の展開は確かに上記の紹介文の通り、陰謀有り事件有りと読み始めたら止まらないってなものですが、文章が非常に穏やかなのです。始めは、少し回りくどいかな?と思った言い回しも、慣れると味わいがでてくるし。
 そして何よりも、登場人物が何故か明るい。汚染され、荒廃した地球という重い舞台なのに、悲壮感が無いと云うか……うう、上手く云えない。ともかく、非常に特徴のある作家なのは間違いありません。何しろ、「英雄」たる主人公のコンラッドの描写に「醜い」なんて単語が使われているんです。あー、でも不老不死でその上ハンサムなんて奴だと、蹴り入れたくなるかもしんない。
 ま、そんなこんなで、私の初ゼラズニィ体験はなかなか幸せなものでした。



※このページの文章は『ぽすたる☆ている』誌に掲載された記事を抜粋し、編集したものです。