嫁さんが健康雑誌を読んでいて、「見てみて、これ面白いよ」と教えてくれたのが、料理のレシピで「アスパラガスのビスマルク風」でした。アスパラガスにチーズをたっぷりふりかけてオーブンで焼き、それに半熟目玉焼きを添えて食べる料理です。でもイタリア料理なのに「なぜか『ビスマルク風』という」とのこと。理由は不明。でもイタリアンでビスマルク風☆
インターネットの日本語サイトでざっと検索してみても、由来は不明……となると調べたくなっちゃいますね。昔だったら、古書店やら図書館を探し求め、人を訪ね、と大取材になりますが、それが机の上だけで済むのがインターネット万歳!!
まず、よく似た料理を探します。
もうちょっと調べてみると、ハムエッグを乗せたピザを「ビスマルク」というんです。「鉄血宰相ビスマルクがハムエッグを好きだったかららしいよ」という話で、まあ、1889年にイタリア国王ウンベルト1世とマルガリータ女王がナポリを訪問した際、国旗の3色に見立ててトマトの赤とモッツァレラの白とバジルの緑で飾ったピザを作ったのが始まり……というのと似てますな。
これで半熟目玉焼きとの関連は見つかりました。
次はアスパラガスです。海外サイトでぱっと検索してみると、アスパラの有名な産地にシュロッベンハウゼン(Schrobenhausen)という町があり、そこがミュンヘン近郊なんですね。お、ちょっと近づいてきました。そこで今度はシュロッベンハウゼンの町について調べてみます。
そうすると、この町出身でフランツ・フォン・レンバッハ侯爵という肖像画家を見つけました。この人の代表作の1つが「ビスマルク」の肖像だったのですね。う〜ん、なんと40分ほどでアスパラガスと半熟目玉焼きとビスマルクが結びつきました。ついでに言うなら、アスパラガスは3月18日の誕生花で、花言葉は「もっと活用して」。そして同じく1890年の3月18日に鉄血宰相ビスマルクが皇帝と意見対立して辞任させられているんですが……。
まだまだ道のりは半ば。あとは、誰が「アスパラガスと半熟目玉焼きとチーズの料理」にビスマルクと名付けたかです。これも調べていけば分かりそうです。だって、ピザ・マルガリータの発明者がラファエル・エスポジトって分かっているんです。ビスマルク風だって、どこかのシェフか店か本か、どこかに原点があるはずです。ということで、とりあえず情報募集してみたりして。
学生時代の思い出
◎スポイル食品
大学の頃はコンビニエンスストアでバイトをしていました。
23時の閉店まで仕事をして、売れ残って廃棄する弁当や総菜をもらって帰るのが日課みたいなものでした。Kaz1くんなんか、それを待って下宿の窓から僕が通らないか見ていたそうですが、そんな話は後になって初めて聞きました。
ともあれ、弁当をもって帰りますが、3つ持って帰って自分1人なら3食分になりますが、下宿は溜まり場になっているので5人くらいはいつもいますから足りません。そういうときはお雑炊です。
弁当のご飯を土鍋で煮込み、煮物の野菜や刺身を刻んで鍋に放り込む。冷蔵庫の中に、卵や葱があれば完璧です。おかずは味が濃いめだし、五目飯やごま塩もありますから、味付けはほとんど必要ありません。ただし見た目はむちゃくちゃ悪い。ありゃあ、豚の餌ですね。しかもカロリーたっぷり。バイト終わって帰宅してから作るから、食べるのは夜中の1時すぎ。
わたし、大学入ったときは175センチの55キロだったんです。卒業するときは身長そのままで75キロになってました。何が原因かは考えるまでもありません。
◎餅は餅屋?
「餅は餅屋」…そんなことわざをご存じですか?
ぼくは学生時代、年末は米屋でバイトしていました。米の配達もありましたが、2本柱は「店頭売り」と「餅つき」。
店頭売りは、デパートやスーパーの催事場で、鏡餅や蒲鉾などを売る仕事。普段は1つ150円程度のカマボコも、歳の暮れになると500円800円の混ぜもののない高級品ばかりになります。1合ものから1升ものまでの鏡餅と、カマボコやカズノコやチクワやハンペンを朝から晩まで声を嗄らして売りさばきます。
合い言葉は「縁起物」。
「お客さん、田作りいかがっすか? 縁起物ですよ」
「縁起物だよ、カズノコはいかが?」
「チクワも買わなくちゃ、縁起物なんだから!」
で、ときどきお客さんのツッコミが入る。
「……チクワって縁起物?」
すかさず慌てず、チクワを望遠鏡のように覗いて見せる。
「ほら、“見通しが明るい”!」(注:嘘です)
これはこれで1日立ちっぱなしで喉はガラガラ。かなりしんどい仕事ではあるけれど、「餅つき」よりはマシな仕事。
餅つきとなると、朝は5時くらいに出勤し、ボイラーに火をいれ、蒸気があがってきたらモチ米を蒸し始めます。蒸し上がったら、蒸籠(せいろ)の中のモチ米を機械の中に放り込むと、ウネウネとこね合わされ、太い蛇口から練りハミガキ粉のようにニュルリと出てきます。このままでも餅ですが、これだけだとコシがないので(家庭用餅つき機だと少し柔らかすぎるでしょ?)、電動餅つき機の登場! 石臼の上にモーターで引き上げられた杵がガッコンガッコン落ちて来るという、まあ水車風車の代わりに電気モーターを使ったやつで4〜5回ついたら、突き上がり☆ 本当は10回くらいやるのが理想だけれど、そんなことをしている暇がなくなるので、最後の頃には2回突いたら完成してしまうことも。1回でも突いてあれば「杵つき」になりますから…。
ついた餅は鏡餅とのし餅に適当に振り分けます。そこらへんはボイラーから突きまでを掌握する工場長と、鏡餅担当班長と、のし餅職人の駆け引きです。予定表の出荷個数と配送トラックの時間から逆算し、とにかく数をそろえるのが最優先。不良品でもとりあえず出荷して時間を稼ぎ、返品されてくる間に個数をそろえる荒技ぶり。
で、何が辛いかというと、どこも辛い。
10キロ単位の米洗いを夜明けから夜更けまでひたすら続けるのも辛い。冬のさなかに長靴はいて足下を水でバシャバシャさせながら、米とぐ水は冷たいし、といだ米を寝かせておくポリボケツを動かしていくのも重いし、十分に水をすった米を秤で計って蒸籠に載せていくのも中腰作業ですごく辛い。ここまでが1人の作業。
それでボイラー係になると、今度は熱い。吹き出る蒸気を浴びながら、軍手を3枚重ねで米を蒸して、練って、突いて、鏡餅に回せばそこで終わりだし、のし餅だと作業の間で自分が伸ばします。ここまでが1人の作業。
鏡餅はつきあがったモチを、機械ではかって、丸めてこねて、大きいものは型に入れ、小さいものはそのまま並べて自然乾燥。この作業は普通の餅つきの手で返す作業をそのまま掌の上でやっている感じ。この作業は広い部屋で、同じくバイトの若い女の子やおばさんたちと和気藹々と楽しく……といくはずが、とにかく餅は熱いうちに打て! 冷めてしまったらお仕舞いと、湯気たつモチを素手でこねます。張りつきます。火傷してもはがれません。1週間も続けると掌が一回り大きくなります。モチがついたまま固まったか、火傷で火ぶくれしているかは不明。
作業のピークは29日。たいていの人は鏡餅なんか土壇場まで買いません。かといって31日に用意しては一夜飾りといって縁起が良くない。同じく29日に買っては“苦餅”で良ろしくない。というわけで、30日が勝負時。というわけで、その2日前くらいから増産体制に入ります。作業終了が深夜2時。次の日は早朝4時開始。……って、大規模な工場ではありませんから、シフトなんてありません。同じ人間の一人芝居です。夜道を家に帰り、風呂入ってソファで30分仮眠したら出勤。若くないとできません。
それだけやって、時給560円。食事が店屋物のカツ丼というのと、1日3本のリポビタンDの支給だけが楽しみでしたねえ…。
……という話を嫁さんにしたら基本的な疑問が。
「ねえ、どーして餅を米屋が作って売るの? 餅は餅屋でしょ? 米屋の仕事じゃないわ!」
「餅屋って、本当にあるの?」
「あたりまえじゃない。でなかったら、どこで餅や赤飯を買うというのよ!」
「…米屋」
※最近は、手作りの餅を見ることそのものが無くなりました。たいてい切り餅がプラスチックの型に収まったやつじゃありませんか?
◎ゼミ旅行の中華料理、わはは
学生時代のこと。ゼミ旅行の帰り道、何とはなしに中華料理が食べたいという話になりました。そこで一行12人は手近な駅の手近な中華料理店に入ったのですが、そこはあくまで中華料理屋でありラーメン屋ではなかったのです。
ちょっと高級そうな店構え。一行は2つの丸テーブルに別れます。調子の良い上級生グループは教授から離れて仲間だけでさっさと奥のテーブルに陣取り、僕ら下級生グループは教授を囲んで入り口近くに。そこでさっとメニューを開きますと、1皿1000円、2000円と本格的な中華のメニューが並んでいます。定食やランチもありません。それこそ200円の餃子に400円のラーメンくらいを考えていた人間がびびるくらいのラインナップ。なかなか決まらない学生に教授がしびれを切らしました。
「このテーブルはおまえが采配せよ」
「御意」
…というわけで、なぜか僕に白羽の矢が刺さりました(きっと1人嬉しそうにメニューを眺めていたせいでしょう)。自分の分だけを決めろといえば迷いますが、そこは中華料理ですから、すべて決めさせてもらえるなら楽勝です。高級ったって都心の名店じゃありません。値段が高いというのは量が多いの同義語ですから、いろいろ頼んでみんなで取り分ける原則に従えばよいのです。そこで玉子スープ、春巻、蟹チャーハン、チンジャオロースと適当にいろいろ1皿づつ注文しました。スープなんか中華の大ドンブリで出てきますから、1人前を分けるだけで十分あります。いろいろ少しづつつまんでみんな満足。それでも清算してみれば、せいぜい1200円くらいに納まっています。
ところが隣のテーブルは壮絶なことになっていました。誰も中華料理のセオリーを知らなかったようなのです。とにかく1品が高い。でも食べなくてはいけないから、いちばん安い餃子を頼み、あとはスープとライス……と町のラーメン屋の感覚で人数分頼んでいたのです。全員が…。
チャーハン・サイズの山盛りライスに、ドンブリいっぱいのスープに、ちょろんと餃子。それが×6。教授と後輩があれこれ食べながらワイワイやっている横で、ひたすら白飯を詰め込むだけの先輩方。
「差入れしてやるが良い」
「御意」
勅命が下り、残り物をささとまとめて隣のテーブルに運び、なんとかおかずができたのでした。それで1人あたりの予算が変わらなかったのは悲惨な話です。ゼミで何を勉強したとか、どこへ行ったとかいう記憶は何一つ残っていませんが、その光景、丸テーブルにずらりと並ぶ白飯とスープの山だけはいつまでもいつまでも脳裏に焼き付いて離れなかったのです。なあに、済んでしまえば良い思い出。しかも我が身のことじゃない。
みんな世慣れぬ貧乏学生だったんですね。考えてみれば、たまに王将で唐揚げ定食を食うのが贅沢だったもんなあ…。
◎ゼミ合宿のカレーライス、とほほ
ゼミ合宿で軽井沢のペンションに泊まったことがありました。可愛らしいパステルカラーのペンションでした。
本当は近くに教授の別荘があるため、かつては合宿もそこで行っていたのですが、ちょっと上の先輩方が合宿したときに酔って騒いで狼藉の限りを働いたため、立ち入り禁止となってしまったのです。どんな騒ぎだったかはしりませんが、噂によれば便器と浴槽の区別がつかなくなるような騒ぎだったとか…。
それはともかく、可愛らしいペンションでした。僕なんかパステルブルーの屋根裏部屋だったものね。ロマンチックな宿ベスト10に入りそうな…。そんな可愛らしい宿の食事ときたら……近くにラーメン屋やハンバーガースタンドが無いのが許せないくらい。
特に忘れられないのがお昼のカレーライス。鱒(ます)のカレーでした。しかも檄甘です。僕に死ねというのでしょうか? なにをどうしたら、こんな味になるのか不思議なくらい。小麦粉にミルクを入れて黄色く色をつけた後で砂糖を放り込むとこんな味でしょうか。それが尾頭付きですから、大骨小骨がザックザクです。これ以下の食事はボーイスカウトのキャンプでねじりパンを作って食べたときだけです。
またそれを給仕してくれるのが、いかにも脱サラしてペンションを開きましたというような、髭のおじさん。それはとても親切に「お代わりはいかがですか? まだたくさんありますよ☆」と勧めてくれるのですが、誰もお代わりどころかまともに食べきった者はほとんどいません。そのあまりに可哀想な光景に、思わずお代わりしてしまった僕はバカです。
◎猿酒
夏の暑い日に、車の中に飲みかけのミルクティーのペットボトルを2日間放置しちゃいました。それで3日目の朝、一口飲んだらヨーグルトの味がしました。ちょっと拙いですね。
こんなことは、学生時代に飲みかけのレモンティーのペットボトルを夏休みに2週間放置していて、レモンティーソーダに成ったとき以来です。
本に出てくる食べ物
◎駆逐艦キーリング
グルメ小説、至高の料理が登場する小説は多々ありますが、僕がいちばん“読んでいて腹が減った”本が『駆逐艦キーリング』です。
『駆逐艦キーリング』は帆船小説の巨匠セシル・スコット・フォレスターの書いた、数少ない第二次大戦もの。数隻の駆逐艦に護衛された輸送船団が、アメリカからイギリスに向かう途中の50時間ばかりを描いた作品です。
襲いかかるUボートの群。不調なレーダー。残り少ない爆雷。闇の中、炎上し沈んでいく輸送船。クラウス艦長はひたすらブリッジで護衛艦隊の指揮をとり続けます。不眠不休。トイレに行く暇もない。そして夜明け。つかの間の静寂。そこに運ばれてくるトレイ。おおいをはずすと、ハムエッグにトースト、ジャム、ポテト、そしてたっぷりのコーヒー。この前食事をとったのは10何時間前だったか。コートに黄身がたれるのもかまわずハムをつまみ上げ一口、コーヒーはブラックで。ポテトはスプーンで口に運ぶという描写があるから、マッシュドポテトなんでしょう。
そこまでの分刻み秒刻みの戦闘描写が迫真なだけに、緊張の糸がとぎれた瞬間の食事描写に引き込まれてしまいます。それにやけにこだわるコーヒー。ブラックかミルクをいれるかなんて、この状況で気にしなくても…。
食事の描写が多いとか、食事がテーマの本は幾らでもあります。ただレック・スタウトも魯山人も美食すぎて、あるいは料理の名前だけ並べられても私らにはイメージが伝わらないんですよね。これでもか、こんなに凄い工夫をした料理なんだ!…って言われてもねえ…。絵や音、匂いが無いとなると、究極の一皿より、ストーリーの中に盛り込まれたあたりまえの食事の方が惹かれます。
◎アルテミス・ファウルと鯨
欧米の心優しい人々は、鯨の仲間を食べる習慣を嫌悪します。映画版『スタートレック4』なんて、捕鯨の結果、鯨が絶滅してしまった未来で、鯨に会いに地球に異星文明がやって来て、鯨がいないものだから大騒ぎ(=大災厄)になる話だったりします。『スターシップと俳句』も似たような話か…。
僕は鯨肉ってのはあんまり好きじゃありません。子供の頃の学校給食はもちろん、大人になってから食べた刺身やベーコンやステーキにしてもさほど美味しいとは思わなかったものです。とはいえ、捕鯨禁止を唱える声には安易に賛成したくはありません。だって、こんなに鯨が少なくなってしまったのも、元はといえば鯨油欲しさに後先考えずに殺しまくった欧米人のせいだし、ペリーが日本に開国を迫ったのも捕鯨船の基地が欲しかったから。海の神さまからの捧げものとして肉から髭まで大事に使い尽くした日本人やイヌイットのせいじゃないもの。日本人が自分の判断でやめるならいいけれど、欧米諸国にいわれて止めるってのは説教強盗や火事場泥棒に頭を下げるみたいな気がしてイヤというのが正直な気持ちかな、かな。
最近では『アルテミス・ファウル』という児童文学があります。通称“悪のハリー・ポッター”とか“二代目・八頭大”とか言われています。ロシアにタンカーでコーラを密輸しようとしてロシア・マフィアのミサイル攻撃をくらい、コーラもろとも当主が行方不明になって、家運が傾いている国際的犯罪シンジゲートの幼き当主の物語。この悪の天才少年が、一攫千金を狙い、妖精を捕まえ身代金でシンジゲートを建て直そうとする話ですが、ここにちらりと登場するのが捕鯨船。主人公も妖精も何故か捕鯨船を嫌悪します。鯨を殺して油を取る船だから…。イギリスではまだ油が目的で捕鯨しているのかい!? そりゃ、そんな捕鯨はやめるしかないわなあ☆
なんか欧米人が鯨を話に取り上げると、途端に十字軍的愛護精神があふれてしまうのが興ざめ。これが日本人が書くと、「未来になって鯨とのコミュニケーションが成立してしまい、『おまえ、俺たちの仲間を食ったろう!』と長く人間と鯨の間が気まずくなってしまったこともあるけれど、それもすべて歴史だから仕方がないよな…」といかにも日本人的な展開になるんだな……。
◎盗賊団の料理人
江戸川乱歩の少年探偵シリーズを読み始めた小学生の長男。最初の数冊で大きな共通項に気がつきました。
「犯人、みんな二十面相だ」
まあ、ほとんどそうですね。
「しょっちゅうコックに何かさせようとして失敗してる」
それは気がつきませんでしたね。確かに盗賊の一味にはたいていコックがいますね。見張りとか運転手とかはたいてい“手下”の中の誰かが務めているのに、料理をするのはたいてい“コック”なんです。おむすび握ったりしてる、悪の料理人。
西部劇の世界でも、牛を追って長い旅をするカウボーイたちよりも、彼らの世話をするコックの給料の方がかなり良かったそうです。別格なんですね。
でもコックは、けっこう頻繁に探偵と入れ替わっていたりします。
ということは、二十面相は料理ができないけれど、明智探偵は料理ができるということなんでしょうか。
愛知・知多のローカルな話
◎日間賀島と篠島
愛知県知多半島の先端には2つの島があります。
蛸の島・日間賀島と、そこから船で10分ほどの河豚の島・篠島です。河豚の島・蛸の島とかいってますが、どちらも河豚や蛸はもちろん、伊勢海老や蝦蛄や鯛が水揚げされるのは同じです。
名古屋から公共交通機関を使って90分ほどで到達できる風光明媚な島で、新鮮な魚介類が楽しめ、春先は潮干狩り、夏は海水浴。釣りはオールシーズン楽しめる…というところ。
しかし河豚で売り出したのは、せいぜいこの10年。それまでは河豚なんて、地元ではほとんど消費せず、大阪や下関方面に出荷していたそうです。それこそ下関経由で「下関の河豚」ブランドで売られることもあったとか。そんな島が「河豚と蛸」で観光客を誘致するようになった陰には、やはり何人もの仕掛け人があったそうです。
そのうちの1人は食材卸のWさん。厳しい人でなんでもズバズバいう人でしたが、人の意見はちゃんと聞くし、頼まれたことは確実にこなす人柄でした。そのWさんが、15年ほど前に島の連中を引きずるように大阪や下関に連れ出し、各地の河豚料理を体験させたのです。
「あんたらとこの河豚が、こんなに安く美味く、いろんな形で大勢の人を喜ばせとるんだぞ」
島の人たちは、それまで小降りのものを干物にするくらいしか知りませんでした。河豚料理といえば1人前何万円もするようなものを高級店で出すものと思いこんでいましたから、それこそ目からウロコがポロポロこぼれ落ちたそうです。それがきっかけか、島でも河豚を売り出そうとする動きが起こり、料理人を育成したり広告宣伝に力を入れるようになったのです(それはそれで別の人がいろいろ頑張ったとか)。
自分たちの価値が自分では判らないことがよくあります。それを見いだすのに、第三者の率直で素朴な意見が助けになることもままあるようです。
Wさんが亡くなってもう10年くらいになります。
◎タコづくし
日間賀島。行って来ました、タコの島。
森博嗣の小説『すべてがFになる』では大企業のコンピュータ研究部門だけが置かれた孤島でしたが、本物は立派な観光地でタコと伊勢エビと河豚が名産。もっとも昔はエビは伊勢へ、河豚は下関に移出していて、地元で食べることはあまり無かったといいます。まあ、どのみちフグは冬の魚。8月になって早々、ポスタル有志は海路日間賀島へと渡ったのでした(高速船で15分)。
予算は最低ランクの5000円。それでも普段の食事とは桁違いですし、ここらへんならフランス料理のコースが食べられる値段です。はたして、値段に見合っているでしょうか?
昼には少し早くついたので、近くの海岸で海水浴。子供はボートではしゃぎ、大人たちは浜辺でかき氷を堪能。さっとシャワーを浴びてから部屋に入ると、塩から系など酒のサカナタイプの付きだしがひとそろいと刺身は既に並んでいます。さっそく大人はビール、子供はジュースで乾杯です。刺身の舟盛りは鳥貝に鯛にヒラメに鰹。
タコはどーした!?と思う間もなく、本日のメインのタコの刺身とタコ飯の登場。どうしても、魚屋やスーパーで買うと煮ダコばかりになってしまいますが、生のタコを薄〜く切って食べるのはなかなかの美味。吸盤部分はちょっと取っつきが悪いけど、コリコリしていけます。そしてタコ飯。薄く味付けしたご飯の上にタコブツがごろり。はぐはぐ。ほこほこ。
タコを主で…とお願いしてありましたが、それでもエビとかカニとかは出てくるんですね。茹でたり、焼いたり。それから煮魚。ちゃんと美味しく料理してありましたが、個人的には、これは余分。その分、タコ刺を増やして欲しかった。けっこう量があるんで、食べているうちに、腹八分くらいにはなってしまいます。
そこに真打ち登場。タコの丸茹でと茶碗蒸し。丸ごと1匹のタコに、「男手があと4人は欲しい」と呻く黒鬼。
「ウエニョ、鋏じゃ!」
「へへ〜い」
郷里に帰れば“怖い先輩”のウエニョも、ここでは“したっぱ2号”にすぎません。はさみ片手にちょきちょきとタコの足を切り刻み、食べやすい大きさに切り分けていきます。
「頭もじゃ」
「それはちょっと気合いがいるんですよお」
「切れい!」
ちょきちょきちょき
薄い塩味がついているので、そのままホコホコといただけますが、刺身醤油に浸してもOKかと。次第にお腹が苦しくなりつつも、「これでご飯があったらねえ」「でもタコ飯出たよ」「それに今更お腹に入らないよ」などと言い合っていると、今更のご飯とお吸い物の到着です。来ますか、今更? するとタコ飯はご飯の数に入ってませんか?
そしてデザートの果物。
さすがに茹でタコが半分かた残ってしまいます。やってきた仲居さんに「折り詰めもらえる?」と聞くと、「食中毒が怖いから…」との応え。
これでねえ、8000円コースになると、タコしゃぶも付くんですって。興味ありますねえ。でも、8000円行くなら、もう少し上乗せして河豚にチャレンジしてみませんか?……。
◎食の境界線
諸説はありますが、箱根の関より東が“関東”、鈴華の関より西が“関西”。その真ん中が“中京”とか“中部”とか呼ばれます。その中京地方の中心が名古屋であり、愛知県です。実際、食べ物の東西境界線も、だいたい愛知県内にあることが多いようです。
たとえば、うなぎの関西風と関東風の境界線は岡崎あたり。みそ汁の赤だしと白だしの境界線は県外、静岡の舞阪あたりみたいです。
一方、“肉じゃが”では、豚肉を使うのが関西、牛肉を使うのが関東。その境界が愛知県豊橋市で、市内の家庭や飲食店では豚肉の肉じゃがを作っていたり、牛肉の肉じゃがを作っていたり、牛豚合い挽き肉のミンチを使っているそうな。ところが名古屋市郊外の鳴海あたりでは、かしわ肉(鶏肉)を使っているとか。
確かに、鶏肉の肉じゃがを食べたことはありますが、あれは「他の肉がないから鶏肉で間に合わせた」と思っていたのですが、違っていたんですね?
◎がんばれ知多半島
愛知県・知多半島は、かつては繊維産業で栄えた土地。他にも常滑焼き、鋳物などが盛んで……って、ねえ? 繊維、鋳物、窯業ったら、ここ30年で一気に斜陽してしまった産業ですわ。海水浴などの観光も盛んでしたが、埋め立てられ汚れてしまった海では遠来の客は呼べません。海の家にしても、最近の海水浴客は浜茶屋を利用するよりコンビニで弁当を買い込んだり、スーパーで食材を買い込んで浜辺でバーベキューというのが主流で売上は激減。海水浴のときくらい、浜茶屋で具の少ないラーメンを食え!と思うんですけどね。
もちろん、隣接する三河地区には世界に羽ばたくト○タやデン○ーなどの本社以下関連企業が林立し、その下請け工場が……まあ、デフレですから……。だいたいト○タなんかの決算の「売上は大幅低下だが、利益は前年比×%増加!」なんて記事を見ていると泣けてきます。そんなコスト削減の画期的な方法がそうそう発明されるわけではありませんから、売上が減って利益が増えているということは、下請けが絞られているというだけのこと。乾いた雑巾をさらに絞るとはよく言ったものです。
そんな良いとこなしに見える知多半島ですが、ある大学教授にいわせると「21世紀に世界を動かす起爆剤となりうる土地」なんだそうです。妄想でもハッタリでもなく、統計的に根拠がある話。半島全域で生産される農産品、水産品、工業製品などの種類や生産量は、たとえば一村一品運動を展開している大分県などを遙かに凌駕しているんだそうです。確かに山あり海あり、農業あり漁業あり工業あり。水揚げされる河豚や海老は下関や伊勢へ移出され、生産される日本酒は灘へ移出されています。これだけ何でもできている土地がなんで衰退か!? あとは住んでいる人間の意識と発想次第…なんて話を聞いていて、僕が何を思い出したかというとポリアンナ物語の「良かった探し」。どんなに辛くて苦しいときでも、楽しいこと、良かったことを探して明るく生きましょう!ってやつね。
良かった探しといえば日本経済もそう。どん底の不景気、GDPがマイナス成長といいますが、これは自分の周りの感覚で感じたり、前年比で比較するからの感想。
日本のGDPはアメリカに次いで世界2位。アジアでは1位。人口割りにしたらアメリカと互角です。子供の頃は1年で身長が10センチ伸びても大人になったら全然伸びなくなった…というのと同じで、世界の富の1/4を抱え込んでいて、さらに成長しようと思う方がおこがましいというものです。
結局は、経済システムそのものが「成長し続けることを前提に構築」されており、その結果、動脈硬化を起こしているんですね。血液はたっぷりあるけど、身体の末端まで流れていかないということです。まず体質改善からです。
◎浜茶屋
本当に、海の家も最近は経営が厳しいようです。
愛知県知多半島の内海海岸には、もう30余年というもの、夏には訪れていますが、いろいろ様変わりは激しいです。
プラス面でいうと海が綺麗になりました。一頃は緑色の沼かと思うような状態のときもありましたし、波間にコンドームが漂っているのを見た日には泣けてきました。それが地元の努力もあってか、年毎に浜辺のゴミも減り、水も奇麗になり、今年は海面下80pくらいのところを泳ぐ魚の群が見られるようになりました。
マイナス面としては、浜辺が寂しくなりました。昔は(ということは30年くらい前のことですね☆)夜になっても、露天や屋台が建ち並び、輪投げ、射的、釣り堀、お化け屋敷、スマートボールに和弓と子供も遊べる場所がいくらでもありました。今の海岸通はコンクリートと鉄骨で作られた浜茶屋と立派な旅館ホテルが建ち並んでいますが、浜茶屋は夕方6時には店じまいしてしまいますから、夜になると海岸で傍若無人に花火遊びする若者の姿以外はほとんど見られません。ぽつんぽつんと営業しているソフトクリーム屋やら売店の間を歩きながら「なんにもねーな」と語り合う泊まり客の落胆した姿が印象的です。
だいたい20年くらい前に役所が浜茶屋を鉄骨製の常設施設として建設し、それを貸すようにしたのが契機でしょう。それで家賃が一夏120万円といいますから、そこらの香具師の出る幕はありません。それでもお客の財布が緩いうちはいいのですが、ゴムボートやパラソルも地元のホームセンターで安く買い、弁当は途中のコンビニで…と渋くなってくるとその家賃が払うのも苦しくなってきます。かくして、最近では空き店舗となった浜茶屋もちらほら…。
◎浜の焼肉屋
そんな内海海岸の浜茶屋通りに、今年は焼肉屋がオープンしました。
名古屋のセントラルパーク近くに本店があるそうで、「絶品」とか「至高の一品」とまではいきませんが、けっこう安くそこそこのものが食べられます。肉を焼くのは七輪ですが、これこそ普段なら臭いが服に付くのが気になって二の足を踏みますが、水着姿なら平気。カルビ・ハラミ・ホルモン・焼き野菜が2〜3人前にビールが1杯ついたセットが1800円ですから、これを焼きながら、ソフトドリンクをフリードリンク250円で楽しみ、そのまままた海へ…。カルビ丼もありますが、これも肉がたっぷり入って500円。隣の浜茶屋ではシラタキの多い牛丼が650円ですぜ。
ところがガラガラなんですね。近くの旅館の女将さんは「気の毒なくらいで、昼くらいは食べに行ってあげようかとも思うんだけれど、それこそこうもお客がいないといつの肉だか判らない気がして…」と。行きましょうよ。牛肉だから平気ですって。
お客に焼肉は高い…っていうイメージがあるのか、わざわざ海まで来て焼肉なんかという気になるのか。お店の宣伝広告がへたなのかもしれません。そうですねえ、個人的にはこれで「大アサリをこの七輪で焼けたら文句なし」なんですが。もうちょっと海ならではのアイデアが欲しいかも。
頑張って来夏も来てね………。
※やっぱりダメでした。翌年は空き家になってました……。
◎あさり
フグとタコでお馴染みの日間賀島ですが、実はアサリでも有名らしい。
らしい…というのは、島の人が「なんか“日間賀島”はブランドらしいよ」というから、そうなのかも。市場でキロ400円の相場の時に、日間賀産は450円の価格だったといいますから、それなりの評価はあるんでしょう。でも、仕入れに行って、その値段を見てきた島の人は最後に笑いながら言いました。
「でも、そのとき、日間賀島のアサリって、まだ解禁になってなかったんだよねえ」
◎真実のベトコンラーメン
ニンニクたっぷりのベトコン・ラーメン。今では全国区になりつつありますが、その大元は名古屋。また、ベトナム戦争のベトコンではなく、ホームページの記事などによると「ベスト・コンディション・ラーメン」の略ということだったのですが……、実はもともとはベトナム戦争の方だったらしいのですね。そういう話が新聞のインタビュー記事になっていました。
賄いをメニューを加えたときに、のりでベトコンの名をつけたものの、あとでベトナム・コン・サン(ベトナム共産主義者)の蔑称と判って取り繕った……という話だとか。発祥の店の告白ということですが、もうベトコンそのものが死語となっていますから明るみに出てきたんでしょうね。
◎年とったせいかもしんない…
名古屋のど真ん中に観覧車付きのビルが建設中ですが、そこにもラーメン博物館だかラーメン街道みたいなものができるのだとか。ラーメン人気はいまだに根強いものがあります。焼きそば街道とかうどん博物館ってないもんねえ?(でもカレーとか餃子はあるか……) でも、ラーメンって他人に勧めるのも難しいし、勧められてもアタリとは限りません。比較的安くて、みんなが気軽にあちこち食べ歩いているだけに、個人の好みの差が大きいのですね。
職場の隣の接骨院の先生は、ラーメン好きだけどコッテリ系を推薦するタイプ。ぼくの場合は、ガイドブックでいうと「こってり<−−>あっさり」のメーターを「あっさり」に振り切ったくらいがツボなのですね。だから隣の先生が「ちょっと、あそこはあっさり過ぎるなあ……」に口を濁すくらいのところに行くとちょうど良いのですね。まあ、好きずきというやつです。
インターネットのラーメンサイトの掲示板を見ても千差万別。ただ、掲示板や投票板を見ていると、人間の器が小さすぎる人が目に付きます。自分の好み以外を誉めていると「味の分からないバカ」みたいな言い方をする人……いますよねえ。
自分の主張を持ってアピールするのは大事だけれど、それを他人に押しつけ、従わない人間を排斥しようとするのはファシズムですよ。自分としては、背脂チャッチャのコッテリ系は敵ですけどね。
◎モノには限度がある
そんなあっさりラーメン派でも「これは薄すぎ!」と悲鳴をあげるラーメンがありました。
1軒は名古屋市内の某大ホール前の居酒屋で、昼は定食メニューというお店。研修会の日のお昼に立ち寄り、ラーメンを頼んだら、すごく健康に良さそうな品が登場しました。味は……わかりません。味があるのかないのかわかりません! 確かに色は醤油の色なんです。でも、味がしません。出汁の香りもしません。なんというか、醤油をお湯で薄めたような?
もしかしたら、すごく繊細な味の絶品だったかもしれませんし、自分の体調が悪くて味覚が死んでいたのかもしれません。それでも再度確かめに行く勇気はありません……。
もう1軒は豊橋市郊外の中華料理店。上質の鶏を丸ごとじっくり煮込んだスープの塩ラーメンとのふれこみ。風味はすごく良いんだけれど、塩気が全然物足りません。そこで、一緒に頼んだ唐揚げについていた塩をひとつまみこっそりいれると、これが見事にベストマッチ☆ 絶品の塩ラーメンの誕生です。
「ここのラーメン、美味しいけど塩気が足りないから、一緒に唐揚げを頼むのがコツなんだよ」
「それ、美味しいっていうの?」
とかツッこまれながらも、次に行ったときは、最初から確信犯で唐揚げとセットで頼んでみたら……出てきたラーメンの塩加減は完璧!……じゃあ、最初の時はなんだったの???
ホテルで食事
◎和食バイキング
(あまり経験豊富といえないものの)今まであちこち旅した中で、朝食付のホテルの朝食でもっとも寂しかったのが、北海道・定山渓。バイキング☆と聞いて行ったら、ご飯と海苔と佃煮と生卵と漬け物食べ放題……ってシクシク。空っぽの大皿はハムで15分待ち………ってシクシクシク。つまりは、安旅行の和朝食を個別に配膳する手間を惜しんだだけのものでした。これは日本SF大会エゾコン2のときだったけれど、このときは夕食も量が少なくトホホでしたなあ。今だったら、もう少し金回りが良くなっているから、物足りなければ勝手に近所で食べ歩くんですが。
日本の旅館の朝食は、昔はご飯にみそ汁に生卵に干物に塩から…くらいが定番だったのに、ここ15年くらい火を使った料理が増えましたね(単に行く旅館のクラスが変わったのかしら)。今は、朝から湯豆腐とか、ほうば味噌とかついてくるもんねえ。干物だって、ちゃんと小さなコンロであぶるもの…。
さてさて今度は日本のビジネスホテル。ボイルドソーセージやゆで卵のついてくる平均的な朝食バイキングはそれなりに満足。せめて1000円程度だったら大満足なのに、1500円位になっちゃうよね。
まあ、日本の旅館やホテルでも、格安ツアーやイベント絡みでなく、ちゃんとした旅行でいけば、それなりに美味しくたっぷりいただけるようです。ただ、朝はもともと食欲ない上に、おじさんの団体で行くと、朝からビールでうんざりしちゃいます。
◎台湾紀行
仕事の関係で2泊3日の海外旅行に行ってきました。同業者団体の懇親と研修目的(経費上は100%交際費)でしたが、個人的な目的は胡宮博物院。いやあ、なんでも取材旅行になるもんだ。来年は上海がいいな…。
さて、僕なんか平気なんですが、台湾の料理は「味付けが濃い」とか「油がきつい」とか他の人はけっこう不満たらたらでした。あげくの果てに「やっぱりいろんな食材や調味料を使いこなしている分だけ日本の方が…」とか「普通のラーメンが喰いたい」って、たかが3日くらい、その土地のものを楽しみなさいよ。ねえ? まあ、油は日本のように菜種油なんかじゃなく、大豆油が主流ですから、同じ料理でも日本とはかなり違います。香草とかニンニクなんかもふんだんに使うんで、そういう香りの違いについていけない人は辛いのかしらね。
まあ、メンバーにも基本的に2種類ありまして、「風景」を楽しむ人と「人」を楽しむ人。つまりカナディアン・ロッキーの景観に心打たれる人もいれば、プノンペンの市場で怪しげな行商人とぼったくりあいするのが楽しいという人もいる。まあ、性分ですね。これは完全に別れるみたいで、後者の人は、こういう味付けが平気みたい。
ただ台湾は日本の統治が60年続いてますから、日本の風習や食習慣もかなり色濃く残っています。街のコンビニエンスストアを覗けば、肉まんあんまん、おでん、焼きうどん、おにぎり、そうめん、かっぱえびせん、ベビースターラーメン等々と日本とほとんど同じ。もちろんメインはポケモン。若い人たちはみんな子供のお土産にポケモン・グッズを買い集めていました。
「考えてもみなよ。キーホルダーやボールベンなんか買って帰っても子供は喜びゃしないよ。今でも人気のポケモン、それも日本じゃ手に入らないアイテムなら大受け間違いなし。それに安くて軽い!」
台湾まで来て、コンビニでポケモン・グッズの大人買い! 日本じゃ売ってないタイプのお菓子やグッズもあって帰国後の評判も上々。僕もビデオを1本買って帰国。テレビシリーズの北京語版広東語字幕だけれど、日本円にして900円弱。これでCDショップに寄れてたらなあ…。
食事全般は中華料理。油と香辛料の関係で匂いは独特。特に珍しくも不味くもありませんが、涙流すほど美味くもなかったというのは事実。まあ、ツアー旅行だしね。ただ、かのゲゲボツアー旅行記にもあるように、ホテルの朝食は日本とは段違いでしたね。
台湾のホテルの朝食はリッチ。値段の相場は同じくらいだった韓国よりリッチ。沖縄の5割り増しリッチ。国内ホテルの2倍リッチ☆リッチッチ…って、わたしゃリッチハイカー教授かい。
そもそもトーストやパンの類で5種類くらいあって、それにシリアル(コーンフレークとか)もそれくらい選べて、お粥があって、白いご飯とみそ汁があって、麺類(ビーフン含む)も4種類から選んで具をチョイスして調理してもらい、オムレツも目の前で10種類くらいの具を選んで焼いてもらう。目玉焼きは焼き方指定もあり(指定はサニーサイドアップね)。とうぜん、ハムやソーセージやサラダなんかも選び放題、牛・豚・鶏・魚料理も一通りはあるという極楽。朝から、そんなに食べて良いのか? ただ疑問は、ホテルが変わっても、なぜか2日ともスイカジュースが定番だったこと。コーヒーと紅茶とお茶とミルクとスイカジュース…なぜ?
◎ホテルの食材
最近はシティホテルとビジネスホテルの中間的なホテルが増えてきました。1泊朝食付で5500円程度の料金というものです。
なんでこういう値段設定にできるかというと、「ビジネスホテルに付加価値を足す」のではなく「シティホテルからムダを省く」ことで可能にしているんですね。フロント前のロビーは狭くします。荘厳な雰囲気は無くなりますがエアコンの稼働量が小さくなります。寝間着は各階ごとにまとめて用意し、希望者が自分で持っていくようにします。バスルームの石鹸やシャンプーは1つ1つ用意するのではなく、タンクのボトルから液状石鹸を供給するようにします。名古屋の某ホテルでは、使いかけの石鹸やシャンプーのチューブを処理せずに済むようになったら年間で2トン、ゴミの処分量が減ったとか。
こういうホテルは宴会場やレストランもホテル内には用意しないことがほとんどです。地域との共存共栄。宴会や食事をしたいお客さんには近所のお店を紹介し、ホテルは焼きたてのパンを中心にした朝食を提供するだけにします。そうすると、どうなるかというと、ホテル内にレストランを1軒かかえていると、その全メニューに対応するために毎日用意しておかないといけない食材は調味料も含め約3000種。ところが朝食だけに専念すると7種類で済むのだとか。
あれこれどうでもいいサービスの数ばかり増え結果的に高い料金を背負い込むことになるくらいなら、サービスの範囲を限定し、その中でサービスが充実し価格が安くなるならけっこうなことです。1泊5000円でいいよなと思う、今日この頃です。
調味料の話
◎トウガラシ
近くのうどん屋のテーブルに備え付けの香辛料が、七味から一味に変わりました。
別に七味でも一味でもいいのだけれど、ふと昔読んだ小説を思い出しました。舞台は戦後の闇市。主人公は、うどん屋に一味を卸すことを思いつきます。七味は香りはいいけれど、あれこれ入っている分だけ一味ほど辛くありません。ですから、辛いのが好きな人はどんどん入れます。当然、チリも積もれば山となります。たかが七味の一振りと莫迦にすることなかれ。だから安さ第一、儲け優先の店では一味を使います。しかし、そこで主人公はとびっきり辛い唐辛子を見つけてくるのです。同じ量でも辛ければ辛いほど消費量が減る理屈です。同じ一味なら辛い方が売れる理屈。かくして主人公はまとまった軍資金を手に入れます…。
そういう話を思い出し、「ああ、経費削減しているなあ」と思ったら、もう閉店だそうです。結構好きな店ではあったんですけどね。
◎看板の偽り
そもそもトウガラシは「唐の辛子」というくせに、中南米が原産地。インカでは2000年前から栽培されていたというのに、アジアに伝来したのはずっと後世で、日本にポルトガル人宣教師が持ち込んだのが最初ということのようです。
それが朝鮮半島に渡ったのは、やっと秀吉の朝鮮役でのこと。トウガラシを、何故か兵士が朝鮮半島にまで運んでいったのが始まりなんだとか。そのため当初は朝鮮人を殺すための毒草という俗信が流布し定着してしまったため、唐辛子が半島で普通に使われるようになったのは実は19世紀末になってからです。
◎白醤油
「はくじょうゆ」とか「しろしょうゆ」と呼びます。
我が家の台所では「たまり醤油」や「濃口醤油」あるいは「減塩醤油」と共に調味料置き場の一角を占めていますし、どこの店でも普通に置いてある調味料です。それに料亭でも使うと聞いていましたから全国区かと思いきや、これもローカル食品なんだとか。関東地方のメーカーでも製造しているところはありますが、もともとは愛知県三河地方の碧南市の特産品なんですね。全国区どころか、思いっきりローカルじゃないですか。
白醤油というだけに色はほんのり琥珀色ですから、茶碗蒸しや煮物に使っても全体の色目を壊しません。それに香りも良いので、料亭などで使われることも多いようです。我が家でも吸い物やうどんに使ったりします。
酒
◎ビール
昨年の豪雨で町全体が湿っぽくなり、梅雨ともなるとナメクジが心配されましたが、あれはゴキブリと違って退治は簡単。夜、庭にコップ1杯のビールを置いておけば、朝にはナメクジがわさっと群がって溺れ死にしてます。これをしばらく続ければ、ナメクジのナの字も見えなくなります。不思議ですねえ。何か誘因物質が出てるんでしょうか?
それはともかく、バーベキューやキャンプで飲みかけのビールを野天に放置しておいたなら、翌日はかならず捨てること。意地汚くならないこと☆
◎イッキ呑み
新入学シーズンになるとあちこちでおこなわれ、時として死者すら出るビールのイッキ呑みですが、もともと飲酒の歴史がイッキ呑みの歴史でした。
たとえば古代ローマやギリシャでも2.3リットルの大杯というのは一般的で、プラトンの『饗宴』にも描写されていますし、マケドニアのアレクサンドロス大王は部下の将軍と呑み比べをし、13リットルを呑んだが相手も19リットル半呑んだので負けてしまったという話が伝わっています。しかし、この場合の「酒」とはワインの水割りのこと。貯蔵用のガラス瓶が無く、ワイン樽で保管しているので、水分が揮発し濃縮ワインみたいになってしまうんで、水割りは当たり前のことだったのです。逆に水で割らない生酒をそのペースで呑めば身体を壊すのは当然のこと。大王がインド遠征で生酒で大酒呑み大会をしたときには、掛け値なしに死屍累々だったとか…。
さてビールのイッキ呑みを習慣として確立したのは、やはりドイツ。ほかにビールを愛飲する国はいくらでもあるのに、なぜか「ドイツといえばビール」といわれるようになってしまったのには、それなりの理由があったのです。
ビールがドイツで一般に呑まれるようになったのは、意外に遅く16世紀に醸造法が完成し、安定した質のビールが製造されるようになってから。それが庶民階級から貴族階級にまで広まったのは、やっと18世紀のことです。しかし、出足が遅かった分、呑み方も凄まじかったようです。当時のドイツにおいては乾杯で呑むビールはすべてイッキ呑みであるべしという風習だったのです。
ジョッキの縁ぎりぎりまで注ぎ、それを一気に飲み干すとジョッキをひっくり返して空であることを証明するのがドイツ流。献杯の酒を残すのは、時には決闘騒ぎになるほど無礼なこととされたため、貴族の子弟などはイッキ呑みの練習に明け暮れ、下戸の男性は社交界にデビューできなかったということです。それに比べれば、日本の大学生のイッキ呑みなどかわいいものかもしれません(ただし女性の場合は代打ありとのこと)。
◎日本酒の“日本”?
今、日本のあちこちで小さな酒蔵がパタパタ倒れています。
ちょっと前まで、グルメマンガなどでは「有名清酒メーカーの酒も大半は小さな蔵元から買い集めた酒で水増ししたもので…」などと言われていましたが、最近では違います。そうした有名ブランドの酒蔵に桶ごと酒を卸していたメーカーが潰れていくのです。
別に大手メーカーが心を入れ替えて自社製品だけで出荷するようになったとか、日本酒の消費量が減ったとかいうわけではありません。海外生産に移行しただけなんです。
アメリカで大量に仕込み、コメ加工製品として輸入し、それに日本製の原酒を混ぜて、メイド・イン・JAPANの完成です。最終加工地が国内なら、日本製で通用するんですよね。そのおかげで売上が無くなった下請けメーカーのかなりの部分が消えてしまいました。
ところが欧州へ行きますと、流通している日本酒の90%はメイド・イン・KOREAになるんだそうです。
こちらは別に日本のメーカーが進出して現地生産……というわけではありません。韓国は日本と同じコメの国ですし、周囲の状況が状況ですから備蓄米もちゃんとあります。そして昔は韓国の人も放出された備蓄米を食べていましたが、最近は豊かになり、舌も肥え、古々米など食べなくなってしまったものですから、資本家が植民地時代に建築されたまま(頑丈すぎて壊しきれないまま)放置されていた酒蔵を買収し、仕事の無くなった日本の職人を連れてきて生産しているのだとか……。
◎錬金術とリキュール
酒税法によれば「酒類と糖類その他の物品を原料とした酒類でエキス分が2度以上のもの」とされています。もちろん、ここからはウィスキーとかみりんとか発泡酒などが除かれるわけですが、カンパリや梅酒ばかりでなく、お屠蘇もこの定義だとリキュールなのですね。
漢の時代に華佗が万病の薬としてお屠蘇を発明したように、西洋では錬金術師たちが生命力回復のための霊薬として考え出したものだとか。それが15世紀には修道院の技となり、ベネディクト修道院などで製造されるようになるのですから、錬金術師(魔術師)から修道僧へ橋渡しされる過程にどんなエピソードがあったのか、気になるところです。
ところで、調べついでに目に止まったこと。EUでのアルコール飲料の定義は「アルコール度数15度以上のもの」(Reglement(CEE)n゜1576/89)なのだとか。アルコール度数が5度や10度なんてものは酒じゃないという言い切りがステキです。…というより、日本の酒税法がまず税金を取ることにあり、文化としての酒を守ろうという気がサラサラないだけなのですが。
紅茶でチャチャチャ
◎紅茶の旅
英国といえば紅茶。でも王室御用達のお茶といっても英国産であるはずはありません。原産国は当然スリランカかインド、中国ですよね。お茶を輸入しすぎて銀の国外流出が過大となり、慌ててお茶の代価にアヘンを輸出。麻薬の輸入を禁止した中国に英国が戦争ふっかけたというのがアヘン戦争。歴史の授業ではさらりと流しますが、ひどい話ですね。それも茶が英国で栽培できなかったためなのですが…。
で、中国は今でも紅茶の生産は多いそうですが、水の質が紅茶にあわず、しかも脂っこい中国の食事には中国茶の方があうので、中国では「作るだけ」のようです。スリランカあたりになると、英国統治が長かったので、紅茶の習慣もけっこう根付いているようですが…。
さて紅茶もお茶ですから、日本茶と同様、摘みたて、煎れたてが美味しいそうなのですが、輸出されて英国でブレンドされて…となるため、いくら名店の品でも新茶は無理な相談です。それでも名古屋あたりでも英国屋あたりの紅茶専門店に行くと、「スリランカ、××農場の一番摘み」とか銘打って売っていますから、紅茶屋のブランドにこだわらないならチャンスがないわけじゃありません。
◎茶器
紅茶でも緑茶でも、茶器にいちばん良いのは陶器だと聞いた事があります。銀だのガラスだなんだのというのは、良い陶器ができなかった西洋の代用品。茶の風味を楽しもうと思ったら、陶器なんだそうです。
それで最近重宝しているのが、台湾旅行で買った茶器セット…の受け皿。台湾のお茶の入れ方っていうのは、急須や湯飲みの上からガンガン熱湯を何度もかけて温め、茶のうまみを最大限に引き出すんですが、これは中国茶に限らず、普通の緑茶や紅茶でも通用するんですよね。これをやると、茶のうまみが1ランクは上がります。
やっぱ、お湯と葉をケチっちゃダメですね。安物のティーパックでも、カップ1杯にティーパックを2つくらい使い、飲む前に蓋をしてしっかり蒸らしてやるとかなり美味しくなると思うのですが、どうでしょう?
◎聞いてはいけない
今や紅茶もいろいろな種類のものがあちらこちらで売られていますが、基本的には2種類です。つまり「葉そのものについている香りを楽しむもの」と「葉に匂いを付けて楽しむもの」です。後者の代表がアールグレイであり、こうした香茶の価格の違いは元のお茶葉の質の違いではなく、使用する香料の価格の差なんだそうです。そうやって聞くと、ありがたみは大分と減りますね。
ありがたみが減るといえば、茶葉は天然自然のものですから、摘み取り作業の過程で小石や虫が混在するのは避けられません。そして輸入される茶葉では、その除去作業はきわめて大雑把。特にティーパックだとさらに大雑把になるんだとか。向こうの人は、最後に漉すんだから関係ないというのです。
「ティーパックなんてのはね、お試し品と思わなくちゃダメだよ」
ですから国内ユーザー向けには、国内でさらにラインに流してバグ取りが必要になるのだと、ある紅茶の輸入販売店の親父が言ってました。そして、そういう二度手間をしても利益が出るのは、茶葉そのものが安いから。
ある大手の紅茶販売店では、原価は5%で、それを店には55%で卸すそうです。100g650円の紅茶なら、仕入値は30円くらい。それにバグ取りとかパッケージやカタログで工夫をするのが付加価値なんですね。
わが家の味
◎レトルトカレー
水無しで作るカレーがあります。
玉葱やトマトの水分、それに少しの牛乳だけで、ひたすらことことと煮込み続けて作るものです。野菜をたっぷり使って3日間くらい煮込みます。そこまで時間をかけると、後は市販のカレールーだけでも、そこらのレストランくらいの味にはなります。
ところがですねえ、それだけ手間暇かけても、子供は「ポケモンカレー」とか「デジモンカレー」の方が好きなんですね。
「わーい、わーい☆ カレーだ、カレーだ☆」
…なんて、親のカレーには目もくれず、レトルトパックをもってはしゃぎ回る姿を見ると、微笑ましいと見守るべきなのか、いい加減にしろと怒るべきなのか悩んでしまいますね。いや、オマケとかじゃなくて、味もレトルトの方が好きらしいです。
◎近所の主婦と
我が家ではカレーライスといえば何日か前から煮詰めてつくる、時間のかかる料理なのですが、世間一般では手軽につくる手間のかからない料理のようです。
母の会とかで自宅に料理を持ち寄って食事会をしたときに、あたりまえのカレーが意外に好評だったんです。別に特別な材料とか調理法を使っているわけではありません。タマネギを炒め、トマトを加え、ニンジンをすり下ろし、肉を放り込み、チーズを加え、ひたすらトロ火で焦がさないように煮込むだけ。できれば3日くらい。そうすると、市販のカレールーを入れる前でもシチューやボルシチみたいな匂いです。
そうかあ、みんな普通に30分で作っちゃうんだ……。
◎ブタ汁の中身
ブタ汁なんて、レトルトでも売っているくらいでメジャーな料理と思っていましたが、それだけに家庭差が激しいようでした。それはたとえばカレーなら入れるのはジャガイモ、タマネギ、ニンジン、肉があたりまえで、フキやキャベツをいれるのはちょっと変わっている……というような共通認識がないって感じ。なら味噌汁に豚肉が入っていれば、他はどんな野菜を入れても良いかというと、また逆に各家庭でこだわりがあるらしいのですね。
なんで、そんなものを作るはめになったかは省きますが、先日、ブタ汁を200人分ほど作ることになりました。そこで15軒ほどの主婦が集まったのですが、厨房で大もめ。
入れることが確定しているもの。豚肉とニンジン。これだけ。他は家庭によって常識が違うので、あとのキャベツ、サトイモ、白菜、ジャガイモ、シイタケ、ゴボウ、油揚げ、糸コンニャク、コンニャク、ナメタケ、エノキ、ネギらについては「なんで、それをいれるの!?」「なんで、それをいれないの!?」と大騒ぎ。我が家ではタマネギをいれて少し甘みを出すのが常識ですが、これが「甘くなるから」と既に100個ほど買ってあるのに却下され、みんなで分け合って持ち帰ることになっててしまいました。
何いれます……?
◎手作りハンバーグ
最近、ハンバーグの作り方を子供に教え込もうとしています。
牛豚のミンチに鳥の砂肝や豚バラ肉などをみじん切りにしたものを加え、軽く小麦粉。あとは調味料だけ。それをひたすらにこねてこねてこねてこねて……指で引っ張ってもちぎれなくなるくらいまでこねあげると生地は完成。タマネギとかパン粉とかは加えません。その方が肉の歯ごたえが残る気がするし、調理の手順も簡単になるから。
あとは肉汁にウスターソースを加えてソースを作ったり、おろし醤油を用意したりと、あれこれ愉しみます。ハンバーガーにしちゃうのも手です。
安い肉で簡単に出来て美味しいハンバーグってのは、子供の入門料理だと思います。
めでたいもの
◎ごちそう
あなたにとって、“特別のご馳走”って何ですか?
年配の人に聞くと、ある人は「すき焼き」。別の人は「店屋物のラーメン」。なんとなく時代も生活環境もわかってしまいますね。
ぼくの場合は「鶏のもも肉」。先っぽをアルミホイルで巻いて、オーブンでこんがり焼いたのが黒い鉄皿の上に載って出てくると、ご・ち・そ・う…って感じです。
「わたしも鳥の骨付きモモ肉でした!」
「山芋☆ 取れたてをごーーりごりおろして、箸でつまむと皿ごと持ち上がるような…」
「あさくまのステーキだな」
そうですねえ。名古屋あたりだと、初めて食べたステーキは、あさくまという人は多いかも。
◎お屠蘇
正月といえばお屠蘇。「邪鬼を屠り、魂を蘇生させる」という意味があり、正月にこれを飲むと1年間病気をしないといわれてますね(そういういわく由来があるんですよ)。今は暮れに酒屋で酒を買うとサービスにお屠蘇の素がついてきますが、江戸時代には年の瀬に医者のツケを払ったとき、おまけにもらうものだったそうです。
もともとは中国の風習で、『プチ・フラワー』連載の某コミックにも登場している三国時代の魏の名医、華陀の考え出したもの。井戸に吊るした15種の漢方材料を年始の明け方に酒につけ、正月の朝に飲むというものであったようで、「屠蘇散」「白散」「度嶂散(ドショウサン)」の3種類があったそうです。しかし本家の中国ではすっかり廃れてしまい、今でもお屠蘇を飲むのは日本くらいのものだとか。
この風習が日本へ伝わったのは平安時代、嵯峨天皇の時代に蘇明が和唐使として来朝のおり、霊薬「屠蘇・白散」と称して献上したのが始めとされていますが、このときは間もなく廃れてしまいます。しかし、それが徳川秀忠の時代に復活し、やがて庶民にまで広がりました。
ただし、普及する際に扱い易さを優先して、材料を6種類に絞っています。人によっては「薬効が無くなっちまったがね」と言うほどですが、本来の15種類の材料には、強力な下剤であるダイオウや毒薬トリカブトなども混じっていますから、素人が勝手に調合して死んでしまったらお話になりません。普及するには扱い易さが第一ということなんでしょうかね。ガンダムの正面モニターをモノアイにし、大気圏突入能力を削り、ビームサーベルを1本にしてジムを量産するようなものです。
◎屠蘇の効能
上にも書きましたが、お屠蘇は「一年の計は元旦にあり」と正月に薬酒を呑んで1年を健康に過ごそうという主旨のもの。ですから(諸説ありますが)本来のお屠蘇の処方箋は、沈香、丁子、木香、白檀、麝香、龍脳、蘇香油蜜、防風、百求、大黄、桂皮、山椒、桔梗、生姜、附子といった材料を酒に浸し、正式にはそれをさらに祈祷していただくものです。
さて、お屠蘇は本当に健康にいいのでしょうか? 本当に1年健康でいられるのでしょうか?
それは上記の漢方薬としての成分を見れば判ります。確かに沈痛とか鎮咳機能のあるものもありますが、レシピの基本コンセプトは「発熱と下痢をさせる」こと。ダイオウにトリカブトですよ。年の始めの寒い時期。確かに一度「たっぷり汗をかいて胃と腸をからっぽに」すれば風邪もひかないし、身体の調子が良くなるのもあたりまえかもしれませんね。単なる迷信ではなく、それなりに理由のあることなのです。
ゆえにお屠蘇は医者が調合するものなのです。
◎おこしもの
雛祭りのお菓子といえば、雛あられにおこしもの、それに白酒召し上がれ…。
おこしもの…って何ですか?
米粉を練り上げ、鯛や桜の形の型に抜いて食紅などで赤や黄色や緑に色を付け、それを蒸し上げたもの。見た目は“派手なはんぺん”、食べたら“伸びないお餅”ってとこ。もともとは宮中のふるまい菓子でだったそうだけれど、なぜか名古屋近辺でしか知られてないみたい? 名古屋あたりでは節句とか祝い事に(年寄りがいるところでは)作るところもあるようですし、饅頭屋にも出来合いのものが並んでいますし、小さな金物屋では型が売ってます。しかし、なんにせよ今となってはそんなに美味しいものじゃないですね。
◎「ぼた餅」と「おはぎ」
「ぼた餅」も「おはぎ」は同じもの。ぼた餅は「牡丹餅」で牡丹の季節である春に作られるもの、おはぎは「お萩」で萩の季節である秋に作られるもの。これは簡単でわかりやすい。
じゃあ、「おにぎり」と「おむすび」の違いは?
◎泥鰌の地獄鍋
「好き嫌いとご馳走」という話になったことがあります。確かにご馳走かもしれないけれど、自分は嫌いだ!というケースです。
そしたら嫁さんの話で、義母が結婚前の挨拶に旦那さんの実家を訪問したときに、そりゃあ美味しいものをご馳走してあげようということになり、出てきたのが泥鰌鍋だったけれど、そりゃあ大嫌いで困ってしまったということでした。
鍋の中に豆腐と生きたドジョウを入れ、火にかけると熱くなったドジョウは冷たい豆腐の中に頭から突っ込み、豆腐に入ったまま煮えてしまうという「泥鰌地獄」…。
あれ、この料理って、落語やとんち話に出てくる空想料理じゃなかったっけ? 一緒に煮ても、どじょうは豆腐に潜らずそのまま煮えてしまうって話を聞いたことがあるし、嵐山光三郎も書いていたよね……。
で、疑問があれば即座に確認。実家の義母さんに問い合わせてみる。
「あらあ、本当にもぐったわよ。別に美味しいともまた食べたいとも思わなかったけど」
そう言ってホッホと笑う。
火加減だか、泥鰌の活きの良さだか、鍋の形だか、なんかコツがあるんでしょうね。別に食べたいとも思いませんが。
安全の話
◎漬け物
漬け物なんかだと、京都などの名店で売っている物でも浅漬け以外の8割は中国産だと漬け物屋さんが言ってました。純国産にこだわるM社にしても100%は困難なんだとか。
そんな状況の中で、今度から商品表示も原材料の生産地と加工地が明記されるルールになったので、そこらへんが如実に解るかと思います。国産でない場合に何が怖いかというとやはり農薬。生産の段階で無農薬を試みようが、貨物で船積みする際には派手に防虫剤を振りかけますので無意味になってしまいます。虫も食わない…というやつです。
もちろん最低限の安全検査をしている薬ばかりでしょうが、長期間、何世代も蓄積した場合の絶対の保証はありませんよね。だいたい薬害というのは、お役所がOKした薬品で起こっているんですもの。
◎農薬
虫も食わないという話ですが、馬も喰わないという話もありますね。少年サンデー連載中の『じゃぱん』に馬が喰うパンを焼くという話がありましたが、酒蔵が良い米を求めるときの目安は、馬がワラを喰う稲を探せだとか。
ある酒蔵の社長が言いました。
「だいたいねえ、人間でも3年もワラ食って回っていると味が判るようになるんよ。除草剤を使った田圃の稲はねえ、茎を咬むと苦いんだな。使ってないとこは本当に甘い」
あるいは、昔は除草剤を蒔く季節になると田圃に赤い旗が立ちました。近寄るなという意味です。僕も子供の頃に覚えがありますが、最近ではそんな旗をたてなくちゃいけないような薬は蒔きません。
農家の親父さんが昔話に言いました。
「あの薬をよお、他人の田圃の分まで請け負って蒔いてた人がおるけど、そういう人はみんな40代でおっ死んじまったなあ」
そんな米がうまいわけありません。
◎溶けるキュウリ
農薬みたいに危険とは言い切れませんが、美味い不味いでもう1つ。
半分に斬ったキュウリを牛乳瓶に入れ、その中に1/2ほどの水を注いで1週間放置します。有機農法で昔ながらの栽培方法をしているキュウリは1週間経ってもピクルスのようになっているだけですが、化学肥料を使っているものはドロドロに溶けて、ほのかにガソリン臭がするのだとか。
化学肥料は石油製品ということが思い知らされる話です。でも、この話、簡単に確かめられる話なので、夏休みの自由研究にでもやってみたら面白いかも知れません。
とはいえ、スーパーでも安い野菜は不味いだけでなく、すぐ腐ります。実感ですね。そして植物が薬や肥料で味が変わるように、人も動物も食事で変わるんです。
◎地鶏
最近はスーパーでもいろいろな種類の鶏肉が手に入るようになりましたが、比内鶏とか赤鶏とかブランドものがかなり増えました。
一般にブランドものの鶏には大別して2種類あり、名古屋コーチンや東京シャモなどの在来種(またはその交配種)である“地鶏”と、普通のブロイラー種の餌や飼育方法を変えた“銘柄鶏”があります。もともとフライドチキン用、つまり調味料が引き立つ肉質のブロイラーは、早期育成の大量生産で安いが不味い鶏肉という印象があるのですが、ちゃんとしたエサを与え、ゆったりと育てればかなり美味しくなるんだとか。で、そういう育て方をしたのを単にブロイラーといわず「××鶏」とかいうブランドで売り出しているわけです。
本当に、人も動物も食事で変わります。
鶏も餌で肉質が変わるのはもちろんですが、玉子も変わるんだとか。栄養の塊ですからね。餌にパプリカを混ぜた鶏の玉子の黄身は鮮やかなオレンジ色になるそうです。あるいは玉子のアレルギーなんかも“玉子”そのものにアレルギーがあるとは限らないので、餌として自然のままの野菜などを喰わせている鶏の玉子だと平気なケースもあるそうです。
◎農家
ある建築屋の人の言葉を。
「日本の農政って、農業を潰すようにしかできてないでしょ。オレ、農家の出身だから大学出たときに農家を継ぐ選択肢あったけどやめたよ。ギャンブルだもん。ミカンだって暴風で産地直撃した3年前と大きな台風が来なかった昨年で相場が3倍違うんだよ。米だって野菜だって豊作になったら投げ捨てられる運命。どんなに一生懸命作ってもさ。
だいたい農家が特別扱いされてるって非難されることもあるけど、実際、特別扱いだよ。原価計算のときだって人件費はゼロ扱いだし、農機具だってムチャ高い。耕耘機、知ってるか? あんなものが1台500万円だぜ。それが5年で壊れるんだ。1年のうち何日使うかどうかのものに100万払うってことだよな。農協だってメーカーだって、農家を食い物にしてるだけじゃないの」
結局、日本の農家はギャンブルか趣味かボランティアでないとやっていけないのでしょうか?
◎天然自然は体に良い
愛知県某市内にあるラーメン屋は、天然自然にこだわった店です。麺もスープもチャーシューも無農薬・無添加といった良い材料にこだわり、水も天然水を使うという徹底ぶり。
でも、あまり流行っていません。“良い素材”と“客の数”は関係ない…というか“美味い不味い”は別問題なんでしょう。あるいは健康のために、他のことは犠牲にしたのかもしれません。
ロシアだったかの昔話に、娘と塩の話があります。父親が3人の娘に自分をどのくらい愛しているか尋ねました。上の2人は美辞麗句で喜ばせましたが末娘は「塩のように愛しています」と答えたため、そんなものに例えるとはけしからんと家を追い出されてしまいます。ところがその父親が旅の途中で食事をしたときに、塩をまったく使っていないスープを飲まされ、自分の怒りが間違っていたことに気づきます………
身体に良くはないと知りつつも、濃いめの味付けに慣れてしまった人間には、その店のスープは物足りず、その素材の微妙な味加減を理解できず、つい「ああ、黒く濁っている割には味が物足りないなあ」と思ってしまい、小鉢のスープ餃子に卓上塩をひとふり…するつもりが小さじ半分くらいサラサラサラ……あっ、いかん!と慌てながらも味を確かめてみると「ちょっと薄いけど飲めるよ」というレベル。なんだかなあ。
時期をおいて、昼時に3回通い、ラーメンから餃子まで主立ったメニューを確認しての感想は「この店なら流行らなくてもいいや」。これで親父さんの人柄が親しみやすかったら悲しいけれど、どっちかといえば無愛想だし、客の前で従業員を回りくどくネチっこく叱るようなとこだし……。
世界の料理
◎イギリス料理
イギリスの料理に美味いもの無しといいます。大英帝国が7つの海を支配し、世界中に植民地が築けたのも、「不味い保存食に耐えられる舌の持ち主ばかりだった」「うまいものを求めて世界をかけめぐったから」ともいいます。
林望氏は著書『イギリスはおいしい』の中で、それは迷信だといいます。ただ、読んでいると、素材は最高だ、中華料理やフランス料理はうまい。ただ野菜は原型をとどめなくなるまでクタクタに煮込むのが基本で、ソーセージは混ぜものがあって当たり前。
実際どうなのかというと、イギリス料理の本というのはほとんどありません。100冊の料理本に1冊くらい。しかもそれも10冊中9冊は「イギリスのお茶とそれと一緒に食べる軽食」の本だったりします。いや、真面目に探したんだってば。
大ざっぱに言ってしまえば、もともとイギリスの貴族社会はノルマンディー公ウィリアム以来、フランス貴族が支配していたようなもので、宮廷料理といえばフランス料理で定着してしまい、独自の“楽しむための”料理が発展する余地がありませんでした。だから英単語においても、動物の身体の部位については英語だけれど、料理されてしまうとフランス語起源の単語ばかりになってしまいます。
そういう経緯なので、特別な食事としての“イギリス料理”が存在しないのも仕方がないんですね。
◎アメリカ料理
しかし、まだ“フライドフィッシュ”や“プディング”があるイギリス料理はまだ良い方。アメリカ料理は「これこそアメリカ料理!」といえるものはありません。まあ、ステーキ、ハンバーガー、フライドチキン? 大ざっぱで量ばかりというイメージが無きにしもあらず。もともとが清貧で知られるピューリタンを中心に移民が寄せ集まってできた国ですし、国土そのものが広大だから仕方がないのでしょうかね。
ただ、“ハンバーガー”といっても、単にファストフード・チェーンのものばかりを頭に思い浮かべると誤解しかねません。自宅の青々とした広い芝生の上に家族や友人が集まってバーベキューグリルに火を付け、ビールやフルーツパンチを楽しみながら各自が好みの焼き加減にハンバーグを焼き上げる。それをスライスしたオニオンやピーマンと一緒にパンに挟んで楽しむ……ここまでやったものを“アメリカ料理としてのハンバーガー”と理解すべきかもしれません。
しかしハンバーガー以上に、アメリカ人に愛されているのはホットドッグです。アメリカは1年間で200億個のホットドッグを消費しているという統計も出ているくらい(って、どこで調べたんでしょう?)ハンバーガー以上に消費される、アメリカの国民食とも呼ばれるファストフードです。最近ではニューヨークのホットドック大食い選手権に日本人選手が乱入するようになり、ついには上位3位までを日本勢が占めてしまったそうです。そのニュースは日本のTV各局でも報じられましたが、その日本人の胸に輝く見慣れたゼッケンについて言及したマスコミはTV東京以外には無かったようです……。
◎ソーセージの歴史
ソーセージの本場といえばドイツ。その中でもフランクフルト市やウィーン市は我こそが元祖とばかりに主張し、1984年にはフランクフルト市がフランクフルト・ソーセージ誕生500周年記念のイベントを開いたりしています。
とはいえ、“腸詰め肉”そのものの歴史は古く、紀元前1500年のバビロニアにまでさかのぼります。歴史のあるポピュラーな料理だったのです。ただ今のように香辛料をふんだんに使って薫製にしたソーセージが生まれたのはずっと後のことですが、少なくとも1850年代のドイツであったことは確かであり、それがドイツ系移民と共にアメリカへ渡ったことも確かなようです。
さて日本でソーセージといえば、フランクフルトとウィンナー。アメリカではフランクフルターという呼称がメジャーなようですが、特に日本のように小さいのがウィンナー、大きいのがフランクフルトという区別はなく、小さいのはカクテルサイズ、大きければビッグサイズで通用するとか。
もともとドイツ系の職人が郷土の街の名前を商品名にしただけなので、当初はフランクフルトやウィーンばかりではなく、ベルリナーとかチューリンゲナーとかありとあらゆるドイツの都市名が乱舞していましたが、最終的には「フランクフルター」がメジャータイトルとなり、さらに同じくドイツ生まれの猟犬ダックスフンドと形が似ていたことから別名「ダックスフンド・ソーセージ」とも呼ばれるようになります。
このフランクフルターを世に広めた人物として2人の名前が挙げられます。1人めはニューヨークのチャールズ・フェルトマン。もう1人はセントルイスのアントワーヌ・フォイヒトヴァンガーです。
フェルトマンは、ニューヨークのコニー・アイランド(遊園地&海水浴場)で手押し車で商売するパン屋でしたが、単なるパンやミートパイでは食堂の温かい料理には勝てず、かといっていろいろのメニューを用意することもできなかったので、ミルク・ロールにソーセージを挟み、付け合わせとしてザウアークラウトと辛子を添えて売り出しました。これが当たり、フェルトマンはやがてビアガーデンを経営するまでに商売を広げました。これが1871年のこと。
このプロトタイプのホットドッグは1893年にはシカゴ万博で軽食として売り出され、またその人気に注目したセントルイス野球場のオーナー、クリス・アヘが球場でも売り出すことに決め、それがやがて全米へと波及し、野球観戦といえばホットドッグといわれるまでになります。
ホットドッグとして現在の形が登場したのは1904年のセントルイス万博でのこと。ソーセージ売りのアントン・フォイヒトヴァンガーは、お客が熱いソーセージを食べる間に火傷しないように手袋を貸していましたが、それはほとんど戻ってきませんでした。そこで彼はパン屋だった義兄のところに行き、長いソーセージがすっぽり包めるような長いパンを手に入れてきたのです。これで今の世に残るホットドッグの完成です。
さて、このパン付きソーセージが「ホットドッグ」と呼ばれるようになったのは、いつの事だったのでしょうか?
◎ホットドッグの秘密
時は少し遡って1901年のある寒い4月のこと、ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地、ポロスタジアムでアイスクリームとソーダ水を売っていたハリー・スティーヴンズは、寒空にアイスクリームを売るのを諦め、余所の球場でも評判になっていたパン付きソーセージに切り替えることにしました。その際に、単に「フランクフルター!」あるいは「ダックスフンド・ソーセージ!」と呼ぶよりは語呂が良くて呼びやすかろうと「レッドホット」という商品名を採用しました。「レッド!ホット!」というわけです。
スタンドで野球観戦していた漫画家テッド・ドーガンは、売り子が「レッド!ホット!ダックスフンド!」と叫びながらホットドッグを売りまくっているのにインスピレーションを得て、パンにダックスフンド犬が挟まっているスポーツ新聞用の風刺マンガを描き上げます。
よほど締め切りが迫っていたのでしょう。そうでなければ、こんなベタベタのネタをよくも使ったものです。しかも彼は「dachshunds」の綴りを思い出せず、単に「HOT-DOG」とコメントをつけてしまいます。そのときはまさか、そんなものが歴史に残るとは思ってもみなかったでしょう。
ただこの風刺マンガそのものが現在残されていないことから、この説にも疑問があり、当時、犬の肉を使っていたから「ホットドッグ」と呼ぶようになったんだという都市伝説もあるほど。ただ、問題のマンガは残っていませんが、スティーヴンスの文章が残っており、そこで「テッドのやつめ、ソーセージに犬肉が使われているなんて当てこすりを新聞に載せやがって」と怒り狂っているそうですから、この話でおおむね間違いでは無いんでしょうか。
◎謎の機動ホットドッグ
知っていればあたりまえのことなんだろうけれど、由来を知らない人は頭を抱えるしかない言葉というものはあります。
その1つが「牛肉と豚肉しか使わないのに(ユダヤ人用は牛肉しか使ってないのに)ソーセージを挟んだパンを“ホットドッグ”と呼ぶのか」なのであるけれど、それについて日本語文献ではらちがあかないので、インターネットで海外のホットドッグ・メーカーの宣伝文や食品コラムを集め、それを和英翻訳ソフトに放り込んでいると、なにやら怪しげな訳語が…。
「外装ホットドッグ」「世界中の子供たちは誰でも外装ホットドッグが好き☆」ときたもんだ。おいおい。
首を傾げながら原文をチェックすると「Armour Hotdogs」。
英和辞典を調べても英英辞典を調べても「Armour」には「装甲」「軍艦」「戦車」「鎧」という意味しかない。まあ、その延長線上で「保護された」という解釈もあるから、それならなんとなく理解できるけど…。むーん。
それでさらに調べていたら「アーマーホットドッグで知られるハーマン・アーマー」という一文を発見。なーんだ、商品名かい。ケンタッキーとかペプシと同じだ。
装甲と火力を強化したホットドッグというのも見てみたかったけどね。
◎大連紀行(1日目)
2004年10月、仕事の関係で大連に行きました。といっても、研修や視察といえるのは最初の半日だけで、あとは観光ですから参加費は交際費です。
飛行機は某C航空。ここしばらく中国へ出張するひとはことごとく「飛行機トラブルで半日遅れた」「代替機も故障して結局1泊した」という話をしていて、あっちの国の航空会社はやばいぞ!……といわれていましたが、例外はないのか、1日目、小牧空港を昼に発つ予定の飛行機は「エンジンのコーショ」で1時間45分遅れで離陸。機中で食べるはずの軽食は、まだ離陸もしないうちに給仕される始末。
機内食は大連の工場で作られたものらしく、あまり日本人向けではありません。メインはウナギの蒲焼きのようなものが2切れ乗ったご飯。他のサイトでも同じ内容のレポートがありましたから、このメニューは定番の固定メニューの模様。付け合わせに梅干しの蜂蜜漬けが配られるのも同じ。食い合わせという言葉はないんですね。
ちょっと食事に不安のある出だしでしたが、夕食は最近流行という「海鮮鍋」。「海鮮火鍋」とは違うということでしたが、日本でも最近は多い個人用の鉄鍋にダシ汁が張ってあり、そこで好きな具材を好きなように煮るというもの。海鮮といっても、生タコ、生牡蠣、蛤、ホタテ、海老、白菜、春菊、牛肉、5種類のキノコ(名称不明)、シラタキとバリエーションは豊か。タレも辛口好みの人用に薬味も用意されていましたが、基本的に日本人なら醤油タレのままでOK。普通に寄せ鍋感覚で食べ、終盤は煮込み饂飩を投入し、さらにご飯と玉子で雑炊を作って締め。「これなら3日間、なんとかやっていけそうな気がする」とは年配の参加者の弁。
大連は日本統治の時代があったし、最近は日系企業も多く進出しているので、食の傾向も似ているのか、日本人向けメニューの開発が進んでいるのかとしきりに論議。
◎大連紀行(2日目)
2日目の昼は「田舎料理」とのことで、水師営会見所前のレストラン。田舎料理といっても普通に美味しい中華。「白いご飯が欲しいよねえ」と言いつつ、紹興酒を飲みまくる。いちばんウケたのは、もやし炒めを柔らかいタコスの皮で包んで辛し味噌をつけて食べるやつ。今のところ、機内食以外にハズレはありませんが、チャーハンはどこも美味しくありません……。
夜は飲茶。過去に台北、上海と行って、「飲茶」と名の付いた食事で美味かった試しがありません(少なくとも団体で連れて行かれる名店では)。案の定、到着するなり矢継ぎ早に出される蒸篭。食べているうちに冷めてしまいます。
「もっと、ゆっくり順番に出してくれ」とクレームをつけたときにはもう蒸し物はお仕舞い。今度はピータン粥、チャーハン、あんかけ焼きそばがパパパッと出て、これでコースあとデザートだけ。チャーハンも米がパラッとしていないし、焼きそばもなんかパリッとしていないし、今ひとつ。「腕の良い料理人はきっと日本や海外に出稼ぎに行ってるんだよ」と推測。
この展開に青くなった添乗員が「追加で麺類を頼みました!」の声に出てきたものは、日本のうどんっぽいもの。美味しいけれどさんざんご飯・麺類が出た後には辛いし、この味は……。
「日清のどん兵衛を作って鉢に移し替えた」
「日清のどん兵衛に実は業務用があって、それを輸出している」
「日清のどん兵衛を食った料理人がその味を手本にしている」
みんなで喧々囂々侃々諤々の大論争が巻き起こりました。
味は好みの差が大きく、過去にも日本人が「不味い」と口を揃えた料理に、現地ガイドや通訳が「こんな美味しい料理」と言ったこともあるので、味についてはともかく……完全に団体客相手のやっつけ仕事だったよねえ。
◎大連紀行(3日目)
3日目はオプション観光。毛沢東記念館とか蝋人形館を観たあと、大連市内で餃子店へ。あ、これは美味しい☆
焼き餃子に、3種類の蒸し餃子に、水餃子に牛肉や野菜の炒め物とかあれこれ。「これだよねえ? こういうのを食べなきゃ中国で点心や飲茶を食べたという気にならないよね!」とみんな満足。華麗なティーサーブにも感嘆しつつホテルへ。
夜は海鮮料理。これが最後の晩餐ということで呑みまくり。料理には「魚が多かったなあ」「刺身があった」くらいで具体的に何を食べたか記憶に残っていないのは、呑みすぎたせいか。
4日目は朝一番の飛行機で帰国。搭乗手続きは警備が厳重で時間がかかったけれど、飛行機は定刻通り☆ 昼には自宅。そのまま家族を連れて近所のステーキハウスへ。
「肉を食いたい! それもこってり味付けしてないやつ!!」
無性に肉が食べたかったですね。あとは普通のラーメンとチャーハン。不思議と食事のたびに出てくるチャーハンはどれもご飯が軟らかめでかたまりが残っています。みんなが評する「いちばん美味しかったチャーハン」は、ホテルの朝食バイキングのチャーハンという結果でした。
味付けは全般に日本人好みでしたし、朝食バイキングでは白米と味噌汁、それに海苔と納豆も置いてありました。うどんもあちこちにありましたから、特に食べたいという気はありませんでしたが(たかだか3日間だし)、無性に肉と生野菜が食べたくて仕方がなかったですねえ……。
普通はあまり食べないもの
◎サンショウウオ戦争
今では保護動物になってしまった上にグロテスクな外見のため、「食べる」ことはあまり考えられないサンショウウオですが、実は珍味なんだとか。珍味ということは「珍しく」「美味しい」…つまり美味しいんです。しかも新鮮な肉は山椒の香りがする、これが山椒魚の名前の由来に違いないと、かの魯山人も言ってました。本当です。
皮が山椒の香りという話もありますが、魯山人は皮を裂いて肉を切り分けているときに匂ったそうです。香りの元が何であれ、珍味だそうです。単なるゲテモノではなく「珍しく、しかも美味い」んだそうです。
食べる気も機会もありませんけど……。
◎ハリネズミとヤマアラシ
日本の防衛指針を語る際によく引き合いに出されるのがハリネズミ。「ハリネズミ防衛論」なんて言葉はよく聞きます。まあ、日本でもアメリカでも「ミサイルを多数装備して専守防衛の体制を整える」という意味で使われているんですけどね。
でも、これ、本当はヤバイんです。ハリネズミはけっこう獰猛で攻撃的なんです。ですから正しい意味で言うと「ハリネズミ防衛論」というのは「ミサイルを多数装備して機会あり次第に敵を攻める」ということになります。アメリカの場合はそれで正解か…。
だから意味に言葉を合わせるなら、似ているけれどおとなしい「ヤマアラシ防衛論」にすべきなんです。ヤマアラシは「アラシ」なんて名前で損してます。ハリネズミは(モグラの仲間ですけど)「ネズミ」という可愛らしい名前で得してます。
ちなみにハリネズミは美味しいそうで、ベトナムでは屋台なんかで売られているそうですが、油断すると似ているヤマアラシの肉をつかまされるとか。ヤマアラシもつくづく気の毒に…。
◎ファーブルと古代ローマの饗宴
生活習慣による好き嫌いだけは克服できそうにありません。それこそ飢餓に見舞われ荒野に放り出され無い限り無理でしょう。特に「虫」はダメですね。ザザムシとかカイコとかハチノコとか。でも虫食そのものは世界的に見れば珍しいものではありません。特に海川がなく魚介が手に入りにくい地方、家畜は労働力や乳製品の供給源であり滅多に殺せないとなると、手頃なタンパク源は虫になります。日本でも山間部はそうですし、アジアなどではかなりの地域で虫食があるんですね。
ヨーロッパでも、飽食の古代ローマ帝国では虫食はおこなわれていました。しかし、歳月とともにその習慣は廃れてしまいます。それをわざわざ文献で調べ、どんなものだったか確かめようとした酔狂な御方がいます。昆虫といえばこの人。偉人アンリ・ファーブルです。もう虫に関しては興味が尽きないから、どんなことでも知りたくてたまりません。
とりあえずイモムシを焼いて食べていたらしい。でも何の幼虫かは判らないので、描写や季節から一生懸命に推測し、それらしい幼虫を森から掘り起こしてきます。またよせばいいのに、近所の人や家族を呼び集め、試食会を開いたりするわけです。
火に投じられたイモムシはピチピチはねて、すぐにこんがり焼けてしまいます。皮はちょっと固い。でも触感はソーセージみたい。中身もなかなかジューシー。脚はあるけど…。
このエピソードを読んで以来、僕はカブトムシやクワガタの幼虫が嫌いになりました。
◎味噌
戦国武将・小西行長の父は小西如清といい、文禄の役の際には日本代表とし北京で講和談判に出席するほど秀吉に徴用された武将ですが、もともとは“みそや弥十郎”という和泉堺の薬種商で、秀吉の播磨討伐の際に功績をあげて侍に取り立てられた人物でした(異説在り)。薬種商、つまり薬屋が何故「みそや」かというと、ここでいう“みそ”とは醸造して作る味噌ではなく、“脳味噌”の方なんですね。
当時は本草学がまだ根付いていませんでしたから、薬といえば草や木を煎じて作った薬より、肝や脳味噌を丸薬に加工した生薬(きぐすり)の方が高級で万病にきく霊薬とされていたわけです。昔話でも竜宮城の乙姫さまの病気の治療に“サルの生き肝”を☆とか出てくるし、レバーを食えば健康にいいとかいうでしょ。
ですから合戦が終わったとなれば、どこからともなく“味噌屋”が這い出してきて、味噌をかき集めて回るという光景が見られたそうです。
そんな光景を、当時の医師、東井玄朔は、著書『延寿院記』に「首実検に供されることになるのは、もっけの首、しころ首と称される大将格のものに限られるが、雑兵の首であっても一個につき幾らという褒美の定めがあった上、唐人のみそ屋が木車をひき、その生首を買い取りに来るため、どんな頭でも持って帰れば恩賞の他に若干の首代も手に入ることになる。その為に欲をかいて何個も腰に付け肩に背負ったあげくに途中でへばり、仲間に自分の首ごと持って行かれるはめになる者もいる。“大欲は無欲に似たり”というが、まさにこのことだろう。」と書き残しています。壮絶ですね。
さて、自らの機転で秀吉の窮地を救った弥十郎の方ですが、こちらは秀吉から褒美として各所に積み上げて在る生首を、そっくり無料で払い下げてもらい、その気前の良さに感激したと伝えられています。めでたし、めでたし。
※このページの文章は『ぽすたる☆ている』誌に掲載された記事を抜粋し、編集したものです。