ルイヴィルの空気は、今日もねっとりと肌にまとわりついた。
アメリカ南部独特の湿気と温度。このようなけだるさの中で過ごしているアメリカ連合国の連中が、あくせくしたがらぬのも無理はない。
食事の手を止め、
ヨアヒム・シュバルツバルト少将はふとそう思った。
小さくあごを左右させ、彼は自らの考えを否定する。
けだるさをもたらしたのは、南部の空気だけではない。
連合軍のみならず、英軍や日本軍までも含めた連日の調整。その合間を縫うようにしての作戦準備。不慣れな地理を学びつつそれらをこなす激務が、確実に彼を疲労させていた。
「もうよろしいのですか?」
まだ幼さを残す声が彼に問いかける。黒人従兵のフライデーだ。
無論、フライデーというのは本名ではない。ドイツ人であるシュバルツバルト少将らにはいささか発音しにくかったため、誰が言うともなくついたあだ名だった。
まだ食べる、と言いかけてシュバルツバルト少将は食卓を眺めた。
甘辛いリブのバーベキュー。ナマズのフライ。ピッチャーにたっぷりとたたえられたアイスティー。いかにも南部流のディナーだ。
しかしそれらの魅力的な香りも、疲れ切った彼の食欲をそそることはできなかった。
目で問いかけるフライデーに、彼は右手を小さく振って答えた。
たしかに、自分はいささか疲れすぎている。
皿を下げるフライデーの赤茶けた掌を眺めながら、彼はそう感じた。
彼が率いる第88戦車集団がこの新大陸に着いて、どれぐらいたったろうか。
豊かに香るモクレンの下、催された歓迎の宴。堂々たる円柱を背に、おだやかに微笑みかけてくる大柄なサザン・ベル(南部美人)たち。なにもかも、遠い夢だったようにすら思える。それほどまでに彼は疲れ切っていた。
だが、それがなにほどのことか。
胸の中で、彼は自らを叱咤する。
彼の指示に基づき、これから多くの者たちが戦いに赴く。第88戦車集団のみではない。南軍……アメリカ連合国軍は言うに及ばず、もったいぶった英国人たちや小柄な日本人たちも、彼とともに北へと向かう手はずとなっている。
目指すは果てしなく広がる中西部の平原。そこでは少なからぬ将兵らが、疲労困憊どころか命までも失うであろう。
ならば、それらの犠牲が無駄に終わらぬよう努めるのが将星たる自分の義務だ。
立ち上がり、彼は食卓を後にする。
その脳裏はすでに、検討すべき作戦上の課題によって埋め尽くされていた。
★
開戦が遠くなかろうとは、北軍……アメリカ合州国軍も予想していた。ファイエットビルから、南軍がピッツバーグ目指して侵攻してくるだろうとも。
しかし開戦劈頭における南軍の動きは、彼らの予想よりもはるかに素早かった。少なくとも、合州国第23、および第25歩兵師団首脳が考えていたよりは。

青ざめた伝令兵の顔を横目で見ながら、
ダグラス・ウッドペッカー少佐はそのように理解した。
合州国第3河川艦戦隊砲艦、<セントルイス>。ウッドペッカー少佐はその艦長であり、戦隊司令も兼務している。
彼ら第3河川艦戦隊は今、伝令からの情報に基づきミズーリ川を遡上しつつあった。
戦隊は河川用砲艦4隻で編成されている。それらはいずれも、揚子江用の砲艦と比べると武装は強力だ。それぞれが、7.6cm単装両用砲2基と12.7mm機関銃8丁を備えている。だが、その程度でしかないのも事実だ。
「敵は3個師団と思われます。ピッツバーグの守備隊は簡単に後退を強いられました。はたして、こんな砲艦で有効な打撃を与えられるでしょうか」
伝令は震える声で、何度目かの疑問を呈する。混乱の中、第23歩兵師団から送られてきた若い兵士だ。いや、むしろ幼いと表現すべきか。
おそらく、ちょっとしたパニックに陥っているのだろう。状況を問いただしても無意味だと判断したウッドペッカー少佐は、目端の利く水兵を呼ぶ。わずかな目配せのみで、水兵は伝令を連れて行った。
「さて、状況は彼から説明があったとおりだ。それ以外はなにもわからん。上はよほど混乱しているとみえる」
狭い露天艦橋に、ウッドペッカー少佐の声が響く。
部下らの注意が十分集まったことを確認すると、彼はあえてゆっくりと言葉を続けた。
「おそらく南軍は、ポートアーサーなどの港湾に配置していた連中をかき集めたのだろう。いったんそれぞれの港に集結させ、そこから船舶と鉄道を使ってファイエットビルまで北上してきたに違いない」
「それにしても、この作戦スピードは異常ではありませんか?」
「うむ、たしかに速すぎる」
ウッドペッカー少佐は無精ひげまみれの頬に笑みを浮かべ、部下の問いに答える。
「だからこそ、我々にもチャンスはある」
彼は自らの演技力に感謝した。
★
南軍は3個歩兵師団をもってピッツバーグを抜き、そのままカンザスシティへと迫りつつある。部隊は第33、第38、第39歩兵師団で、いずれも港湾などの守備に分散配置されていた部隊だった。
虎の子の機械化部隊の大半はルイヴィルへと集中され、北上しつつある。
同時に、ハンチントンとファイエットビルからも攻勢を進めていた。これらは、敵部隊を拘束して機械化部隊の進撃を助けるのを主目的としている。
そしてこれまでのところ、南軍の狙いは十分以上に果たされていた。ここカンザスシティもまた、例外ではない。
北軍はこの戦線に、合州国第23および第25歩兵師団を振り当てていた。対する南軍は3個師団。だが、南軍が優勢なのは数に勝るゆえではない。彼らは無理とすら感じられるほどの強行軍により、戦いのイニシアティブを北軍から奪い取っていた。
結果、北軍は陣地構築も不十分なまま南軍との対峙を強いられている。
そのような窮地に駆けつけたのが、ウッドペッカー少佐率いる合州国第3河川艦戦隊だった。
「単縦陣を維持。各艦は旗艦に追随して射撃せよ」
露天艦橋に、ウッドペッカー少佐の声が太く響く。双眼鏡ごしに、彼は南軍兵士らとおぼしき影を見た。トラックや馬車は少数だ。自らの読みがあたったことに、彼は小さく安堵の息をもらした。
「砲術長、車両を中心に狙え。5kmに入ったら射撃開始」
<セントルイス>の甲板を慌ただしく兵士らが動き、2門の7.6cm両用砲が火を噴いた。やや遅れて、後続する砲艦も攻撃を開始する。
砲戦は一方的だった。カンザスシティに迫りつつあった南軍には、砲兵戦力が不足していたのだ。
シュバルツバルト少将は奇襲効果と進撃スピードを優先した。それ故に、南軍は初戦において戦いのイニシアティブを得たのだ。
だがその副作用として、推進が遅れたものも少なくなかった。兵糧、そして重火器などである。
カンザスシティ前面の南軍はこの時、迫撃砲と少数の7.5cm歩兵砲しか展開していなかった。しかもそれらでは、機動する艦艇への射撃は困難である。
ウッドペッカー少佐は南軍の進撃スピードから、正面部隊の推進を優先させているものと推察していた。確信できるだけの根拠はなかったが、賭けるべきだと彼は考えたのだ。
南軍は機銃や37mm対戦車砲などで対抗を試みていたが、合州国第3河川艦戦隊は完全にこれをアウトレンジしていた。大打撃とは言い難いが、南軍に無視できぬ損害を与えつつある。
ウッドペッカー少佐が再度の反転・攻撃を指示せんとしたその時、一人の水兵が高く叫んだ。
彼が指さす方向に双眼鏡を向け、ウッドペッカー少佐は舌打ちした。南軍の戦闘機編隊だ。おそらく、ドイツ製のHe51だろう。9時方向に回り込むと、編隊は思い切りよく降下してくる。
「対空戦闘っ。各艦、回避運動」
轟音とともに迫る南軍の編隊に、M2重機関銃が牙をむく。だが曳光弾がかすめても、それらの戦闘機は回避することなくまっすぐに接近してきた。
水面を、そして砲艦の甲板を機銃弾が穿つ。甲板のチーク材がはじけ飛び、耳をふさぎたくなるような金属音とともに煙突に大穴があく。
回避運動を指揮しつつ、ウッドペッカー少佐は地上の南軍へと目をやった。いくつかの煙と火炎が立ち上る中、南軍は整然と後退しているようだ。敗走、という様子ではない。航空隊が砲艦を制圧した機をつかみ、敵は体制を立て直したのだろう。
南軍の航空隊には急降下爆撃機は含まれていないようだから、戦隊の損害はさしたるものにはなるまい。しかし、掌中にあったチャンスはこれで失われる。
歯がみしつつ、彼は上空を乱舞する戦闘機の群れをにらんだ。
★
合州国第3河川艦戦隊の砲撃により、南軍はカンザスシティ攻略を一時中断せざるを得なかった。そして一方、彼ら第3河川艦戦隊は南軍航空隊の襲撃により、それ以上の戦果拡大を為し得なかった。
痛み分け、である。
南軍の窮地を救ったのは、意外にも女子独立航空戦隊だった。
彼女ら航空戦隊を率いていたのは、「空飛ぶサザン・ベル」として名高い南部の女傑、
ジャクリーン・コクラン中佐である。
女子独立航空戦隊はこうして初陣を飾り、保守的な南部将校らの鼻をあかした。
★
「手ひどくやられたもんだな」
手早くまとめられた被害報告に目をとおし、ウッドペッカー少佐は頭を掻いた。ふけが散り、士官らが顔をしかめる。だがそれも、彼の気を引かなかった。
彼が立つ露天艦橋からも、戦隊の損害はそれなりに見て取れる。
幸い、機関や推進器を損傷した艦はない。だが、対空機銃や居住区への損害には無視できないものがあった。また、負傷した兵員も少なくない。
しかしそれでもなお、彼は闘志を失っていなかった。後退などする気は毛頭ない。むしろ逆に、セントルイス方面へと下りつつある。セントルイスで交戦中の守備隊と合流し、南軍に一泡吹かせるつもりなのだ。
傷ついた戦隊でどのように戦うべきか。メモを睨んでうなる彼の耳朶を、水兵の声が打った。
「11時の方向、街道上……友軍ですっ」
他の水兵から双眼鏡を奪いとり、彼は素早く焦点をあわせる。同時に、彼は絶句した。そこには、敗北の色も明らかな友軍将兵らが多数、カンザスシティ方向へと歩む姿があったのだ。
★
彼が目にした部隊は、カンザスシティへと逃れる合州国軍第18歩兵師団である。そして、その後ろには第3および第9歩兵師団も続いていた。
そう、この時すでにセントルイスは南軍の手に落ちていたのだ。
彼はいったん南下を取りやめ、友軍の負傷兵や物資をカンザスシティまで輸送することとした。わずか16ktの河川砲艦だったが、それでも馬車やトラックとは比較にならないほどの輸送効率を発揮できるからだ。
幾度も繰り返しカンザスシティまでの後退に携わる中で、彼は北軍が深刻な状況に陥りつつあることを理解した。
南軍は機械化部隊を集中し、ルイヴィルからニューオルバニへと攻め込んだらしい。守備に当たっていた合州国第11歩兵師団のみではとうてい敵わず、シンシナティへと後退した。損害は少なかったが、同時に南軍の拘束もできなかったようだ。
南軍は機械化部隊の機動力を活かし、そのままインディアナポリスの第19歩兵師団へと襲いかかった。彼らは第11歩兵師団との合流を図ろうとしていたが、それすら阻まれるほど、南軍の動きは素早かったようだ。
結局第19歩兵師団もまた、損害を受けてデートンへの後退を余儀なくされていた。
つまりすでに、インディアナポリスまでが陥落していたのだ。ミズーリからイリノイ、インディアナへと広がる平原を、南軍はあたかも電光のように駆け抜けたらしい。
「幸か不幸か、セントルイスから後退した部隊のおかげでカンザスシティの兵力は倍加しています。まずはこちらの防衛に協力してはどうでしょうか」
意見具申する士官らの声に、ウッドペッカー少佐はかぶりを振った。
「攻撃に対応するばかりでは、いつまでたってもイニシアティブを取り戻せない」
「では、どのように?」
広げられた地図の一点を指さし、彼は答える。
「我々はセントルイスに向かう。ミシシッピー川とオハイオ川の両方に睨みをきかせ、南軍の兵站を混乱させる」
凄みを帯びた笑みを浮かべ、彼は言葉を続けた。
「戦いはこれからだ(I have not yet begun to fight)」
★
コロンバスは強い雨に見舞われていた。
その市街中心近くの学校で、1人の英国人が窓の内から低くたれ込める雲を眺めていた。
大英帝国第12植民地師団を率いる
バンデル・ハーホッフ少佐である。
彼らと第4歩兵師団《クー・クラックス・クラン》を中心とする攻略部隊は、ようやくこのコロンバスから北軍を追い出したところだった。
熱い紅茶をすすり、壁に貼られたままとなっている子供らの絵を眺める。じきにそれらははがされ、部隊指揮に必要な地図などが貼られるはずだ。そう、この学校は現在、彼ら南軍の宿営地として用いられている。
セントルイスなどと比べれば、北軍がこの地に配備した部隊は少ない。
しかし北軍は、第1戦闘機大隊を投入して守備隊を支援させていた。
この長雨がなければあぶないところだったな、とハーホッフ少佐は考える。
地上戦自体はおおむね彼ら南軍が優勢だったが、合州国軍の航空爆撃は予想以上に強力だった。一時は部隊が分断され、各個撃破されるおそれすらあったほどだ。
後退すら検討される中、低気圧がコロンバス周辺を覆う。そして低く広がる雲と雨が、合州国軍第1戦闘機大隊から作戦行動の機会を奪った。
南軍は幸運の女神の前髪を強引につかんだ。出血を顧みずに彼らは攻撃し、どうにかコロンバスを制圧したのだった。
紅茶を口に含み、先の会議での情報を彼は反芻する。
北軍はピッツバーグに部隊を集結しつつあるらしい。
ルイヴィルからニューオルバニ、インディアナポリスへと攻め込んだ南軍機械化部隊の進撃は稲妻を思わせる勢いだったと聞くが、北軍部隊を撃滅できた訳ではない。
デートンやシンシナティには、敵部隊が残っているらしい。しかも後者には、ほぼ無傷の2個師団がいるとの情報もあった。
眉根を曇らせる彼の目に、一枚の絵が映った。立ち並ぶ工場と倉庫、そして行き交う船。おそらく五大湖の一つ、エリー湖を描いたのだろう。ここコロンビアからエリー湖のほとり、トレドまではざっと300km。ロンドンからだとバーミンガムかカーディフあたりと似たような距離だ。
そう、五大湖南岸までは決して遠くない。トレドを落とせば、我々は合州国をまっぷたつに分断できる。
そこまで考えて、彼は再び眉をしかめた。当然、その程度のことは北軍も考えているはずだからだ。
北軍は、自分たちを北上させまい。ことによればピッツバーグやデートン、シンシナティの部隊によって袋だたきに遭うやもしれぬ。
そんな状況を心配している自分に、彼は苦笑した。
「コロンビアおよびカンザスシティに対しても部隊を進め、敵兵力をなるべく多く拘束します」
ジョン・ナンス・ガーナー大統領らを前に、シュバルツバルト少将はそう説明していた。ならば、北軍の大部隊が我らを取り囲むのなら、あのドイツっぽの思惑通りではないか。
少しぬるくなった紅茶を飲みつつ、彼はシュバルツバルト少将の言葉を思い出す。
「基本構想は、かつて北軍が選択したアナコンダ・プランに近いと言えましょう。敵国を東西に分断し、総力戦を不可能とせしめるのです」
「ふむ、それで」
否定とも肯定ともとれる大統領の問いに、少将は黙って指揮棒を地図上で滑らせた。大統領が片眉を上げたのを確認して、少将は言葉を続ける。
「戦略目標はシカゴ。機械化部隊を集中させ、可能な限り短期間でこれを落とします。ミシガン湖およびミシシッピ川以西を合州国から奪います。電撃戦です」
「電撃、ね。作戦名はなにか考えているのかね?」
わずかな沈黙の後、少将は答えた。
「インディアンらの神話に、稲妻を呼ぶ鳥がいるそうですな……たしか、『サンダーバード』と」