Prologue

They shall grow not old, as we that are left grow old.
Age shall not weary them, nor the years condemn.
At the going down of the sun and in the morning,
We will remember them.

(Laurence Binyon)

 ロバート・E・リー将軍ら南部連合将星の破竹の進撃を合州国軍は押しとどめることができなかった。戦争を継続し、犠牲を一切厭わない激しい消耗戦に持ち込めば、人口でも生産力でも勝る合州国に勝利がもたらされたかもしれないが、政治的求心力の要である大統領エイブラハム・リンカーンを失ったばかりの北軍に、その意志は失われていた。北部の政財界は損害の少ないうちに手打ちをした方が得策だと判断し、その結果、1864年に停戦条約が発効。アメリカ合州国は3つに分断されることになる。
 すなわち、商工業を中心とし保護貿易を推進する北部「アメリカ合州国(United states of America)」、プランテーション農業を基軸とし自由貿易を国是とする南部「アメリカ連合国(Confederate states of America)」、そしてこの南北アメリカの戦争から距離を置き、戦争終結間際に分離した西部「カルフォルニア連邦(Federal Republic of California」である。
 それから70年の歳月が経過した。その間にも世界は大きく動いていた。英国のアラスカ買収、プチャーチンによる日本開国、日清・日露戦争、世界大戦、ロシアにおける革命の挫折……。
 だが、こうした動きにアメリカ諸国が積極的に関与することは無かった。アメリカ三国による緩やかな緊張状態が続く中では、それだけの余力がなかったのである。15年前に終結した世界大戦に於いても結局、わずかな旅団を派遣するだけに終わっている。
 しかし、この参戦は合州国に思わぬ余禄をもたらした。
 世界大戦終結後、スカパフローの軍港に残された多数のドイツ戦艦群の何隻かが戦利品としてアメリカ合州国に与えられたのだ。
 これはフランスやイタリアの海軍力が増強することを嫌ったイギリスが、現状ではイギリスの脅威とはなり得ないアメリカ合州国へ重点的に分配し、欧州から新大陸へ厄介払いを謀った結果だった。しかもそれだけではなく、この分配を認めさせたイギリスは、さらに伝統的な外交手腕をいかんなく発揮、平行して戦後の軍縮で余剰となった自国の前弩級戦艦群をアメリカ連合国へ低額譲渡したのである。
 こうしてイギリスは新大陸での発言力を強化すると共にパワーバランスの維持に努め、一方、長く孤立した大陸国家であったアメリカ合州国、そしてアメリカ連合国は、本格的に外洋へと展開する力という、思いも寄らぬ賜物を与えられることとなった。
 その後、合州国は譲渡された戦艦群に改装を重ねて運用し続け、連合国は諸々の海軍協定で保有枠から外れた旧型戦艦群を譲渡され、不完全ながらも世代交代を実施していく。あと10年、いや、あと5年の歳月を与えられていれば、彼らの海軍再編計画は完了していたはずだ。
 しかし1935年7月。北米大陸に大きな転機が訪れようとしていた。連合側による北部侵入が始まったのである……。

ゲームのあらまし

 これは架空戦記をベースにしたPlay by E−mail(以下PBM)です。
 参加者はプレイヤーとなり、自分のキャラクター(以下PC)の行動(以下アクション)をメールにて指定。それを処理担当者(以下マスター)が判定、処理した上で結果をリアクションとしてメールまたはインターネット上の文章として公開。それを参考に、また次のアクションをかけるというサイクルを、約2ヶ月のペースで繰り返していきます。

 時代は1935年、舞台は架空の歴史線上の北米大陸。参加者は、この改変された世界にを送り込むことになります。
 シナリオは大きく「戦争」と「冒険」を予定しています。
 戦争シナリオでは政治家・軍人・スパイ・企業家・芸人などが多方面から「戦争」に関わりますが、その中の戦闘パートにおいてはかつての「L&S」に類似した簡易の戦闘処理システムを走らせ、PCは軍の将軍や提督となって戦争を指揮したり、前線で部下を率いて戦ったりすることになりますので、専用の軍事アクションで参加することになります。
 冒険シナリオで軍や政府とは関係なく、もっぱら身近で起きている不思議な事件に巻き込まれたりすることになりますが、まったく無関係でいられるとは限りません。

To the way of the rolling stone

 1929年10月、ロンドン市場を皮切りに発生した株価の大暴落は、パリ、上海、東京、ニューヨークと世界中に波及した。これに協調して対処しようと、1933年6月にはロンドン経済会議が開催されたが、各国の利害が対立し、なんら実を結ばないまま閉幕した。第一次大戦後続いていた国際協調路線の崩壊であった。
 イギリス、フランス、スペイン、日本など海外に植民地を持つ資本主義国はブロック経済を推進してダメージの軽減を試みることができたが、そうでない国々は別の手段を模索するしかなかった。
 アメリカ合州国のルーズヴェルト大統領は「救済」「復興」「改革」を旗印にニューディール政策を実施。公共投資を推進すると共に農業調整法や全国産業復興法を制定して経済の再建を図るが、財源は縮小する一方であり、軍事予算がその大きなあおりを食らうことになった。
 アメリカはもともと巨大な国家であり、(労働力を含めて)資源も豊かではあったが、西のカルフォルニア連邦、南のアメリカ連合を警戒するため、相当数の常備軍を維持しなくてはならず、それが国家経済にとっては大きな足枷となっていた。そのため、ルーズヴェルト大統領はあえて軍事予算を抑制した。もちろん、現状では完全なる善隣外交への転換は夢物語であり自殺行為ではあったが、戦車や航空機といった新兵器の数を揃えたり新型戦艦を竣工させることは相手を刺激するだけであり、現状維持で十分と判断したのである。それよりは、その予算を電源開発や交通網整備にかけた方が経済の活性化につながる。GNPの40%縮小、企業収益の50%低下、失業率30%という、この数年の数字はそれをやむなしとさせるものだった。
 また、その一方で、大統領は北アメリカ諸国、すなわち合州国、連合国、カリフォルニア、カナダ、メキシコによる北米会議を提唱し、サンフランシスコでの開催にこぎ着けた。国境線、関税、軍縮など懸案事項となっていた問題の多くに決着をつけられれば、軍事予算をさらに経済活性化のために投入できる。決着がつかなくても、会議を続けている間はこれ以上の関係悪化は避けられるのではないかという、淡い期待もいくらかは抱いていたはずだ。
 一方、アメリカ南部、すなわちアメリカ連合国の方は、ルーズヴェルト大統領ほど楽観的にはなれなかった。それは基本的に彼らが「豊かな農業国」だったからだ。
 欧州大戦後、急速に進展した機械化の波は連合国にも及んでおり、綿花の摘み取りなどは相変わらずの手作業頼りではあったが、それ以外については農業の機械化によって生産性が大幅に向上していた。それが恐慌によってデッドストックとなった。生産された作物が、そのまま野積みされ、腐るに任されたのだ。
 綿花についても同様であり、こちらについてはさらに条件が悪くなっていた。1890年代にドイツで開発された化学繊維の製造技術は戦後世界に広まった。しかし、その最先端技術を誇っているのがイギリスのメーカーであるうちは良かった。イギリスは友邦であり、また品質や価格の面からまだ天然物に及ばなかったからだ。だが、1934年にアメリカ合州国のデリーウェル社が発表した人工絹は違った。天然の綿花や絹と渡り合える品質だった。今はまだ高価格ではあるけれど、北部の工業力によって瞬く間に有力な競争相手となることは確実だと、何人かは既に見抜いていた。そして彼らはデリーウェル社が南北戦争中、火薬メーカーとして北軍に納入していたことも指摘した。人工絹は彼らにとっての火薬である、少なくとも我々にとっては同じことだと。
 それは直接のきっかけではなかったかも知れない。しかし完全に無視できるほど些細でもなかった。同様の出来事は他に幾つもあった。どれも1つ1つは些細な出来事だったはずだ。経済不況にあえぐ今の時期でさえなければ。
 1934年12月14日。アトランタ出身の18歳の尼僧がワシントンを訪問中に有色人種に暴行され殺害されたと南部の新聞は報じた。実際には47歳の女性が路上でひったくりに遭い、パスポートと財布を失っただけだったが、それが記事となることはなかった。
 翌年2月28日。連合国船籍の貨客船メイン号が北軍の航空機の標的とされ沈没したと、やはり南部の新聞の幾つかが報じた。これも実際には、沿岸警備隊によって臨検された貨物船メイン号が密輸船と判明し、積み荷は押収され、船舶も拿捕され港まで曳航されたというのが真相である。
 これらの真相を政府は掌握しており、議会での答弁では冷静にそう指摘したが、一般大衆までには伝わっていなかった。しかし少なくとも状況的に、南部側にはいつ開戦しても不思議はないという空気ができていたのだ。それは外交ルートや諜報機関を通じて合州国政府にも伝えられていた。「南軍の侵攻近し」という空気は、南部連合のガーナー政権よりルーズヴェルト政権の方に濃かったといえる。
 発端はアメリカ連合内での共同演習だった。欧州大戦で既に次代を担う新兵器として認識されるようになった航空機であり戦車ではあったが、単なる偵察気球や馬の代わりに留まらないと認識する3国が共同演習の実施を決定したのである。
 もともとアメリカ連合の有力な同盟者であった大英帝国は、堂々と軍を派遣した。第12植民地師団と第42独立戦車大隊。統括するのは、ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー……有能であり、戦車の運用に関しては第一人者でありながら、変わり者との風評が定着した陸軍少将である。
 最初の6人。6月にハンブルクを出港し、北米の大地に足を踏み入れたドイツ人観光客の一団を南部人はそう呼んだ。
 まだ国家として軍隊を海外に送り込むことを躊躇したドイツは、兵士たちに休暇による一時離隊の許可証を与えると、そのままプリマス行きの客船に押し込めたのだ。6人の後には60人が続き、やがて600人、6000人となった。
 最初の6人は一カ所の名勝旧跡に立ち寄ることもなく、彼らに2週間先行して送り込まれていたBf109の受領書にサインすると、続けて差し出された義勇軍への応募書類に署名した。彼らはそのままアメリカ連合軍の一戦闘中隊として、クラフト・エバーハルト中尉を指揮官に飛行を開始し、港ではさらにHe51の荷揚げが始まっていた。他の者たちについても同様だった。
 そしてハインツ・グデーリアンが北米大陸に足を踏み入れた。正式なドイツ軍人として、北米に足を踏み入れたのは、この時点ではまだグデーリアン将軍とその幕僚のみであり、彼らは軍事顧問団として、たまたまドイツ人ばかりで編制されていた義勇軍部隊の運用について技術的に指導することになった。
 兵士の習熟度について訊ねる将軍に対し、幕僚の1人が既に連合国内で生産されていたI号戦車A型による訓練がおこなわれていることを告げた。将軍は戦車を中心とする機械化部隊の集中運用による機動戦術を提唱し、その研究を続けていた。しかしベルサイユ体制下では戦車の開発1つ、国内でおこなうことはできなかったのだ。今は既に国内でも同じ設計図に基づいて戦車の生産が開始されているが、実際の開発がおこなわれた連合国ほどの数は揃っていなかった。
 彼らは「頼んであった品物を取りに来ただけ」なのだ。もちろん、ついでに試し打ちくらいはする。
 表だって正規軍を送り込むことに躊躇したのは、日本軍も同様だった。しかし、カルフォルニア連邦との関係を考慮した陸軍は戦車を必要数だけ北米に送り込めなかったため、試験の意味合いから大きく迂回して陸揚げした1個大隊分の戦車以外は、連合の戦車を借り入れる形で装備を調えた。しかし、それはそれで意味があることだと、山下少将は割り切っていた。残念ながら日本の工業技術は後れている。むしろ自国の技術と比較検討する良い機会が与えられたのだ。
 こうした状況がアメリカ合州国を刺激した。可能性は低いとしながらも、南部連合、ドイツ、イギリス、日本という多国籍軍による北部侵攻を想定し動員をかけたアメリカ合州国を、被害妄想と非難することは誰にもできないだろう。世界の大国のうち3カ国がわざわざ北米まで来て、合同演習という事態がそれまでの常識から判断して異常だった。
 ここでさらに不幸なことは、南部連合自身が「アメリカ連合国はアメリカ合州国に対して軍事的に不利である」ということを、きちんと認識していたことである。そのため、軍は軍事的劣勢を解決するために、「序盤での奇襲攻撃」をドクトリンとして採用していた。4カ国による軍事演習を警戒した合州国の動員により、連合国軍が「あらかじめ定められていた手続きに従い」動員を発令。そしてその直後、ホットスプリングスで事件が起こった。
 7月4日未明。アーカンソー州ホットスプリングス近郊で夜間戦闘訓練をしていた第15歩兵師団所属の一小隊において兵士1名の行方不明が発生。直前に銃声がしたことから、これを北側の奇襲攻撃と判断し、そのため国境付近での北側の警備隊との間に不慮の銃撃戦が勃発。瞬く間に戦火は拡大した。
 引き絞られた矢は、放たれる以外になかったのだ。
 この報告を受けたガーナー大統領は事態を追認。「無様な戦いだ。だが幸いなことに手札は揃っている。せめてきれいに終わらせる努力をせねば」と語ったという。短期間で電撃的な勝利を納め、それによって停戦条約を結ばせる。それがガーナー大統領の考える落としどころではあったが、それが楽観的であることも認識していた。
 北アメリカ諸国、すなわち合州国、連合国、カリフォルニア、カナダ、メキシコによる北米会議はいまだ何の成果もあげてはいなかった。迷走して、いまだスタート地点にたどり着いていないというのが正確かもしれない。国境線、関税、軍縮と課題の多さに対して妥協点はあまりに少ない。
「ホテル暮らしには飽き飽きしたよ。そろそろノースベイあたりに物件を探す頃合いかもしれんな」
 南部連合の外交団長を務めるコーデル・ハルが冗談めかしていうが、実際、このサンフランシスコ会議が始まってから今までに進展があったといえば、「このような会議の場を設けることは必要である」の一点だけだった。それも日欧の列強がオブザーバー参加して、無言の圧力をかけての結果だ。
「国際会議というものは、踊れど進まぬものですよ」
 秘書官の言葉にハルは頭を振って否定した。
「その舞踏会すら無いじゃないか!」
「ダンスはお好きですか?」
「したこともないな」
 ハルはにやりと笑うと、再び書類を取り上げた。だが幾らも目を通すことはできなかった。慌ただしくノックをすると、続きの間から黒い背広の男が入ってきたのだ。
「審判のラッパが吹き鳴らされました」
「なんてこった! いつだ!?」
 男は黙ってメモを差し出した。
 北米で戦争始まる。この報を聞いて、もっとも困惑したのは実際のところ、合州国・連合双方の海軍だったかも知れない。
 近代海軍の創設・維持にはもっとも必要な「予算」を陸軍、そして空軍にかじられ続けた両国の海軍は、ようやく苦心惨憺の末、「艦船の近代化プログラム」の緒に就いたばかりだったからだ。
 その上「手駒は少ない、そして我々は艦船という名の銃を指呼の間でつきつけあっていたのだ」と、のちに合州国の海軍高官が自伝に書いたように、彼ら海軍の主たる根拠地は北米東岸にあり、そして近接していた。そう、航空機による索敵が有効なものとなっていた当時、「艦隊を出撃させる」という決断は、そのまま「主力による艦隊決戦」と化してしまう可能性が高かったのだ。
 だからといって、国外への輸出、稀少鉱物の輸入などを行わないわけにはいかない。合州国に至っては、産業の生命線とも言うべき石油を、ロシアからの輸入に頼らなければならない有様だ。双方共に「船団護衛」を放棄する、という選択肢を選ぶという贅沢は許されなかったのである。さらに連合海軍においては、「艦隊を艦隊でもって牽制することによりシーレーンを確保する」のか、それとも逆に「潜水艦を増産して敵のシーレーンを破壊すべき」なのか、いまだ海軍の基本方針が確立していない有様だったのである……。
 2つのアメリカの間に火花が散ったとき、3番目のアメリカは局外中立を宣言した。ただ、サンフランシスコにおいて平和的紛争解決の場を提供しようとは呼びかけ、同時に国境の警備軍を警戒態勢に移行した。それはカナダも同様であった。この国境紛争が北米大戦になることは誰も望んでいなかったのだ。
 一方、かねてより合州国との関係を強化していたロシア帝国は開戦前から軍事顧問団の派遣を予定していたが、開戦と同時にいち早く合州国支持を打ち出し、軍事顧問団の派遣スケジュールの繰り上げを決定した。フランスもこれに追随し、早急な武器貸与を約した。
 では先進諸外国のうち、この紛争の事実上の当事者になっていた(火付け役となった)イギリス、ドイツ、日本はどう動いたのだろうか。
 イギリスにとって幸いなことに、北米に派遣されていたのは二線級の師団であり、まだ真価を認められていない戦車部隊であった。さらなる支援をして泥沼にはまりこむ気は毛ほども無かったが、既に送り込んだ部隊を存分に働かせたところで政治外交的に失うものは多くなく、逆にそれ以上のものが得られるだろうと判断した。つまり、張ったチップが無くなるまでは遊ぶということだ。
 ドイツにとっては、ベルサイユ条約後再建した軍の実力を計り、戦車や航空機といった新兵器の効果を確認し、国益を拡大する好機だった。
 なんら躊躇うことのないイギリスとドイツに対して、立場がやや不安定だったのが日本である。日本は本来、カルフォルニア連邦を第一の友邦としており、今回の軍事演習においても日英同盟の絡みと戦車戦術を追求したい陸軍上層部による後押しがあっての(連邦にさんざん気を遣っての)参加である。必要以上にアメリカ連合を後押しすることはカルフォルニア連邦との同盟関係にヒビが入りかねない。政府としてはできることなら即時撤退したいというのが本音であった。しかし、なんら戦果をあげずに撤退もできない。誰よりも戦争の早期終結を願っていたのは、日本政府であったかもしれない。
 連合軍が合州国領への進攻を開始すると、愛国心に燃える若者たちは各地の徴兵事務所に駆けつけた。
 その中で、特に目を惹いたのが、飛行資格を持つ女性たちであった。陸は無理だろう。海も無理かも知れない。しかし、大空なら自分たちでも戦うことができると考えたのだ。最初の2週間での応募者は約7500人。しかし当然のことながら、合州国政府は最初は少女たちに門前払いをくわせていた。
 だが開戦後1ヶ月が経過し、単なる短期の国境紛争で終わらないことが明白になり、また機甲部隊を中核とした連合軍の侵攻の速さと、初戦で空軍が受けた被害が明らかになると、むしろ積極的に女性兵士を受け入れるようになった。男性パイロットの反感も強かったものの、志願者15000人の中から1240名が選抜され、開戦後3ヶ月で航空機の前線への空輸などを担当する補助航空部隊となり、さらに一部は実戦部隊として前線に配備されることになった……。

Der Kleine Grenzverkehr

 1杯のコーヒーから<トム>が消えた。
「幽霊にしてやられたな……」
「不運だっただけですよ」
「主路線が不通になったことに違いはない。<鴎>と<燕>もやられた」
 メジャース大尉の言葉に眉間にしわを寄せて応えながら、ゴールドマン局長は神経質にペンでデスクを叩く。
 アメリカ合州国と南部連合の関係が良好というなら大嘘だ。どちらも航空機や潜水艦を使って互いの陣営に工作員を送り込みあい、年に何回かは工作員の投入や回収をめぐって国境線や領海内での小競り合いが発生していた。それでも好きこのんで騒ぎを大きくしたがる者は多くはない。それが自分の責任になるとあればなおさらだ。
 偵察中に敵の捕虜となってしまった合州国軍人あるいは政治思想犯の北側への脱出に、OSIすなわち戦略情報局が直接関与しないのはそうした理由によるものだった。全く関与しないわけではない。それはそれで任務放棄でしかない。
 そこでOSIは逃走ルートとして反政府組織を利用し、合州国側にも受け入れ組織としてボランティア(義勇部隊)を用意した。その総称が「地下鉄道」であり、南部連合内に<トム><ディック><ハリー>の3ルート、合州国側に<鴎><燕><雷鳥>の3グループを用意した。
 これまでは、このアウトソーシングがうまくいっていた。それはOSIのバックアップが巧みだったことにより機密の保持が成功していたためでもあるし、万が一に活動が露見して官憲に追われても(馬鹿馬鹿しいことに)南部連合は州権第一主義であったために、州境を超えてしまうと捜索網に大きな穴が開いてしまうのである。
 だが、この半年ほどで状況は一変した。
 水面下で南部連合組織の改編が行われたらしく、摘発が強化され、脱出作戦が相次いで失敗した。そしてついに主ルートである<トム>が壊滅し、それに気づくのが遅れた<鴎><燕>までが殲滅させられてしまったのである。
「<ハリー>と<ディック>はしばらく眠らせましょう。こちらも<雷鳥>は温存しないと……」
「痛いな。3ヶ月で復旧できるか?」
 メジャーズは考え込みながらコーヒーを一口すすった。
「できれば1年」
「半年だ」
「では、ワグナーも使います」
 ゴールドマンが軽く頷いたのを確認するとメジャーズは立ち上がった。とはいえ、どちらもこの作業が容易に行くとは思えなかった。人を失い、資材を失い、それでも再建しなければならない。果たしてどれほどの資金を投入せねばならないのか想像もつかなかった。
 ほぼ同じ時期。ちょっとだけ別の場所にて。
 1杯のコーヒーから得たものは大きかった。
「よくやってくれた」
「幸運だっただけですよ」
「地下鉄道を壊滅状態に追い込んだことは間違いない。北のやつらもさぞ悔しがっているだろう」
 しかし地下組織壊滅の功労者をねぎらう大佐……コードネーム、ホワイトの顔に笑みはないし、それは大尉、スカーレットにしても同じだった。これは第一歩に過ぎない。
 アメリカ合州国とアメリカ連合の関係が良好というなら大嘘だ。どちらも航空機や潜水艦を使って互いの陣営に工作員を送り込みあい、年に何回かは工作員の投入や回収をめぐって国境線や領海内での小競り合いが発生していた。
 これまでは、敵のスパイや反逆者が北の機関に奪還され連れ去られるケースが幾度となく在った。それは連合情報局CIAや警察組織の無能を意味してはいなかった。連合政府は州権第一主義であることを求められるために、州境を超えてしまうと捜索網に大きな穴が開いてしまうのである。
 だが、この1年ほどで状況は一変した。<スペクトラム>、全米規模の秘密警察機構が活動を開始したのだ。敵への内通者を発見し、泳がせ、脱出しようとするスパイや反政府活動家もろとも一網打尽にしていく。先月はついに合州国側の出先機関まで壊滅させている。
「敵も組織の建て直しを謀ってくるだろう。この時期だ。せめて3ヶ月は押さえ込みたい」
 スカーレット大尉は考え込みながらコーヒーを一口すすった。
「お望みなら1年でも」
「そこまでは望まない。だが、3ヶ月は蟻の子1匹逃がすわけにはいかないし、ハロー1つも伝えさせてはならない」
「では、エンゼルも使います」
 ホワイト大佐が軽く頷いたのを確認するとスカーレット大尉は立ち上がった。とはいえ、
どちらも楽観視はしていなかった。これは相手のあるゲームなのだ。

Man of the Green Gables

 海底博物館、トレジャーアイランド、どちらの名前であろうと、そこから何かを少しでも期待した者は、その建物を見て愕然とする。「この小屋は何だ?」と。
 埠頭の外れの一角にある、板壁を黄色に塗りたくられた建物は、一見すると廃屋だが、じっくり観察するとスクラップ倉庫に見えた。通りに面した大きなガレージには船の発動機や正体不明のガラクタが無造作に積み上げられ、メガネをかけた頭でっかちの少年がハンマーでなにやらガンガン叩いている。そのガレージの隣にはオレンジ色の窓があり、「海底博物館<トレジャーアイランド>入口はこちら」と手製の看板が下げられている。路地に半歩入ったところに入口があるらしいが、地元の人間でわざわざ料金を払ってまで海底から引き上げられたくず鉄やサルベージ作業の写真を見物する物好きはおらず、たまに不運な観光客が迷い込むくらいだ。
 その博物館の前に、郵便屋の青いワゴンが横付けになった。
「トレーシーさん、手紙だよ」
 その声に窓がさっと開き、金髪の少女が顔を出した。そして今まで何か書き付けていたメモを手早く抽出にしまうと、郵便屋から封筒を受け取った。
「!」
 手紙の差出人を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「アレックス、煙草を頼むよ」
「いつものでいい?」
 郵便屋の言葉に、少女はエプロンのポケットに手紙をそおっとしまうと、後ろの棚から煙草の箱を取り出した。
 トレジャーアイランドははっきりいって、博物館としては左前だ。収入源はもっぱらチケット売り場で販売する煙草やキャンディーバー。それから船のエンジン修理。それでも看板を下ろさないのは、貨物船の船長である夫の留守を守るのだという妻ジェニファーの意地だけだと噂されている。
 郵便屋が立ち去るのを待ちかねたように、アレックスは駆けだし、大声で母親を呼んだ。
「ママ、ママッ!!」
 その声に、何事かと地下倉庫からジョオが顔を出した。決して健康とは言い難いアレックスが、これほど大きな声を出すことは珍しいのだ。
「ディック・パパからの手紙!」
「ほんと!?」
 その言葉にジョオも飛び出し、先を争うように母親の居る台所に飛び込んだ。
 だが、それは吉報ではなかった。
「……帰国が遅れるって」
 テーブルに座って手紙を広げたジェニファーは、覗き込むようにしている娘たちに告げた。
「ああ、もう、がっかり!」
「そんなことを言うものじゃないわ、ジョオ。残念なことには違いないですけどね」
 ジェニファーは、言葉もなくしょげかえっているアレックスにも声をかけた。
「お茶にしましょう。ちょうどクッキーが焼き上がる頃よ」
 ジョオとアレックスはたちまち元気を取り戻し、てきぱきとポットや皿の準備を始めた。
 その老船乗りは酔いどれだった。いつも酒の匂いをぷんぷんとさせ、素面であった試しがない。だから、老人の戯れ言を信用する者はいない。もしかしたら、誰も老人の言葉を信用しないから酒に溺れるようになったのか。まあ、たいした違いではない。
「満月の晩に、沖の岩礁で何が……このトム船長を疑いなさるか?」

■マスターより
 第1回の戦争パートにおいては、7月4日から8月末までの顛末が語られることになりますが、上記の文はあくまで参考です。確実な情報は、陸軍部隊リスト(空軍を含む)と艦艇リストだけと考えて下さい。
 今回の戦闘においては、結果的に南軍が先手を取った形で処理されることになります。全体の戦略は、閣僚や参謀クラスのPCのアクションなどによって設定されればそれを基に、そうしたものがなければ(積極的か消極的か、東を主戦線とするか西か中央か等)PCの動きをもとにNPCも動かしていくことになります。
 ある程度、第一手で以後の動きが決まりそうな戦争パートに対して、プロヴィデンスを中心に話が進む冒険パートはまだ顔見せの段階。エントリーされたPCを参考に、シナリオをPCが活躍させやすいよう手直ししていきますが、それでもシティガイドその他を参考に、ある程度、はったりでも憶測でもいいから先読みしたアクションを歓迎します。
 それでは次回のリアクションでお目にかかりましょう。

※このページのデータはゲーム用の資料であり、掲載されている人物・団体・地名はすべてフィクションです。