PBMプレイヤー列伝 |
神話への回帰 |
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■戦記、始まる 卒業後、関西の流通関係に就職していた、大学の後輩の峰川くんから電話がかかってきたのは、春の夜のことでした。 「まなせさん、今月のTACTICS、読みました?」 僕が否と答えると、彼はそのゲーム雑誌の広告記事を全文読み上げんばかりについて喋りまくりました。それは『ネットゲーム'88』という怪しげなゲームの紹介で、テーブルトークRPGっぽいのですが、ボックスを購入したりするのではないらしい。ライブRPGの臨場感と、ゲームブックの手軽さと、テーブルトークRPGの興奮を!…ということなのだが……。 「…それって、むちゃくちゃインチキっぽくない?」 「なにいってるんですか! 門倉さんですよ、有坂さんですよ、小泉さんですよ!? これだけのメンバーに騙されるなら、騙されましょう!」 なにか知らんが、凄いメンツらしい(当時の一線級のデザイナーでありライターであった)。言われてみれば聞き覚えもあったのですが、自分だけ騙されるのはイヤなので、雑誌を買ってきて広告を確認すると、そのまま岐阜・瑞浪と愛知県・幸田町に電話しました。大学の先輩の小出氏と同級生のオダさんを巻き込むためです。 赤信号 みんなで渡れば こわくない |
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■東海三誌 こうしてゲームは開始し、プレイヤーレベルの情報交換も始めましたが、「88」の最初のリアクションでそんなものではとても追いつかないことが判明しました。2人や3人の情報をつき合わせた程度では、何も分からないのです。そこで僕と小出氏は、それぞれに情報誌(同人誌)を作成することにしました。 けれど、その方向性はまったく別のものとなりました。とにかく情報を集め、まとめ、分析し、それを少しでも早く伝えようとする僕の『すとれい☆きゃっつ』に対し、小出氏の『ほしのたね』はキャラクター・ロール中心であり、あくまでゲーム内でのロールであるSF作家としてのミニコミ誌だったのです。執筆者の近況報告として、不思議な事件に関わったことが言及されることはありますが、メインはあくまで自作の小説であり、書評であり、新企画用ゲーム世界の設定作業でったのです。 そしてここにもう1誌が加わります。『野尻ジャーナル』です。 『野尻ジャーナル』はゲーム初期からオフィシャル誌『朝朝ジャーナル』に広告が掲載されており、その情報量から一時はゲーム内アイテムだと思われる程の逸品でした。この編纂者である野尻抱介さんと僕らが出会ったのは、名古屋市内で開催されたSFコンベンション「ダイナコン」の席上でのこと。当時のダイナコンの参加者は100人程度であり、開会式で自己紹介するのが慣例でした。 「えー、野尻です。ご存じない方が多いでしょうが、ネットゲーム'88というゲームで『野尻ジャーナル』という同人誌をやってます」 その言葉を聞くや、小出氏が動いた。 「野尻さん、小出ですっ! 『ほしのたね』の!!」 気を逃さず声をかけ、巧みに話を協力方向に持って行く…。さすがは編集屋。 こうして僕、小出、野尻の3誌がそろい、以後、互いに連絡を取り合いながら「88」に参加していくことになるのでした。 |
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■ゴッドハントとゴッドバンド 「88」のあらすじをごくごく簡単に言ってしまうと、「根の国の死女王たるイザナミの復活を画策する鱗在衆という集団と、それを阻止するための壮闘衆という集団があったが、死女王の目覚めを前にどちらも裏切りやら計算ミスによって壊滅状態になってしまう。壮闘衆の指導者であった光海は最後の力で、きわめて薄いながらも壮闘衆の血を引く者たちに復活を阻止するよう呼びかけ、できる限りの情報を夢を通じて送ろうとした。一方、鱗在衆頭目の紫嵐は、(クトゥルフ神話みたいな)怪物の血を引く者たちの覚醒を促すと共に、光海和尚が送ろうとしていた紙片の一部を奪い去り手下に与えた。事件の全貌すら解らないまま、プレイヤーたちは「人間側/ゴッドハント」あるいは「怪物側/ゴットバンド」、封印の3つの鍵、瞑府へ通じる死穴の位置などを求め、争う」というもの……って全然簡単じゃないし、ストーリーらしいストーリーも伝えられていませんね。 基本のシナリオは、死女王の復活を阻止することですが、全貌がつかめないままのスタートですから、みんなオフィシャル誌『朝朝ジャーナル』に掲載されているあらゆる情報、事件の記事からコラム、一行広告、連載小説にいたるまで手当たり次第に食らいついていきます。もはや読者投稿欄のメッセージがプレイヤーのものかNPCのものかすら定かではなくなります。 富士樹海の集団自殺、大学教授の謀殺、寺院全焼と住職殺害、九州に出現した百鬼夜行…。集団自殺を取材中に失踪したリポーターが発見されたと聞くと飛んでいき、大学教授の娘がいると聞けば追いかけ、「Dの書」とかいう予言書が競売にかけられると知れば手に入れようと謎のインド人と張り合い、怪しい新興宗教団体には片っ端から探りをいれ、ますます怪しさが爆発。そして謎の人物たちと出会うことになります。尾上舞。住職の弟、紫嵐。予言者、枕返マリ。陀厳宗の教祖、マサ小泉。水晶道場の導師クリストファー大沢。謎のインド人、ダーマ・ユダーマ。行方不明のレポーター、香坂ゆかり。警視庁猟奇犯罪課の吉沢警部。いずれも敵か味方か…。またその過程で少しずつ信頼できると思える仲間と知り合っていきます。 |
■24時間戦えますか? 『ネットゲーム'88』は異色の作品でした。それ以前にも以後にも、似たものが何もないのです。 その特色はなによりもライブRPGの要素が強かったこと。 他のPBMにおいては、リアクションを受け取り、読み、アクションを考え、提出した後は、次のリアクションが到着するまではオフとなるはずです。極端な話、15分でリアを読み、15分でアクションを書きなぐれば、残りの1ヶ月(マイナス30分)は、そのPBMとまったく無関係に暮らせます。 でも「88」においては、次のリアクションが到着するまでの時間は、まだ見ぬリアを持っているプレイヤーを探し、古事記・日本書紀・風土記・延喜式など、まだ読んでいない書物を読むための猶予期間にすぎません。つまりゲーム終了までの24時間365日どっぷり「88」に浸かっていられるということ。それは最初の広告にうたってありましたし、それくらいでないと瞬く間に置いていかれるということが、すぐにプレイヤーにも分かりました。 また全編がライブRPGでした。プレイヤーに与えられる焼けこげメモや論文の断片などの手がかりは現物が与えられましたし、キーパースンとなる女性NPCには役者を配し、オフィシャル・イベントは記者会見などの形をとったライブ劇でした。現実の図書館の書物からもゲームのヒントは手に入り、図書館技能を持ったPCより、司書資格をもったプレイヤーの方が尊敬された時代でした。 こういう状況で24時間365日ゲームに浸かっていると、良きにせよ悪しきにせよ影響は大きいのです。PBMマスターになった者、会社を興した者、雑誌編集者になった者、ゲームライターになった者…。どうでしょう。普通の大学のサークルなどで、工学部や医学部に行っていたはずの者が、次々に“業界人”になっていくというのは、普通にありえるのでしょうか? たとえゲームのサークルとしても、比率が高すぎる気がするのです。1年で10年分くらい、場数を踏んでしまった感じです。 |
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■デマゴーグ 「あなたの人生=PBMの物語」というライブRPGの主旨からいえば、リアクションのコピーが出回ることは原則として認められません。だってリアクションとは「本人の記憶」なのですから、それを正確に他人に伝えることは不可能なはずです。まして人間側と怪物側、どちらかの勝利は片方の破滅と明確にされていますから、伝える方にしても正確に伝えることは滅多にありません。伏せ字・転記ミスは当たり前。敵サイドの撹乱を狙ったダミー情報など茶飯事。 ついには人間側の大手サークル虹色教団が「気をつけよう らしい だそうだ ということだ」のキャンペーンを張りましたし、野尻さんは「敵が1日に1000のガセネタを流すなら、私は1日に1500の真実を報道しよう」と豪語したけれど、大半のプレイヤーにとっては1日に2500の真偽入り交じった情報に翻弄されることだけだったのです。 特にキャラクター…といってもほぼブレイヤーと同義ですが…その能力アップは非常に難しいものでした。しかも多少上がったところで「人間が自分の体調を数値で把握できるわけがない」というコンセプトのシステムですから、身体や精神の状態も「健康だよ」「安定してるよ」くらいしか判らないのです。となると、目に見える形のアイテム「武器」とか「呪文」を手に入れたくなります。まして、相手は神話の怪物(それもクトゥルフ系)ですから、呪文が欲しいじゃありませんか。 その呪文を手に入れるために、オフィシャルから明確に提示された手段は「論文をつなぎ合わせ、呪文に関する部分を完成させたなら、その呪文が使えるようになる」というものだけ。そりゃあ、論文の断片収集はたいへんな苦労になりました。一時期の交流欄が「あなたの断片1個を別の断片2個と交換します」なんて広告で埋まったくらい。それでもシナリオの鍵となる最後の呪文なんか、とうとう最後まで存在すら知られなかったくらいの難行でした。 当然のようにニセ断片も出回ります。まったくのニセモノから、正しいものの1字だけ入れ替えたようなものまでさまざま。僕も1つ作りました。作って1人にだけ「これはたぶんニセモノでしょう」と付記して送りましたが、1ヶ月後に別の人から「たぶんホンモノ」として戻ってきたのでした。とほほ。 |
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■人間ワーパー 「88」は全貌がなかなかつかめないゲームでした。けれども、仲間を集めないことには情報としても戦力としても、なんにもできないことは明白。そこで東海3誌が生まれたわけですし、他にも各地にさまざまなサークル、プレイヤー集団が誕生しました。 さらに人間ワーパーと呼ばれる人種が多数生まれました。他のプレイヤーと直接会うために、掛け値なしに日本中のプライベに出席して回る連中がぞろぞろいたのです。なにせ、“たった1人だけに与えられる情報”というものが普通にあり、それが全体を左右しかねないことが幾らでもあったのに、インターネットは無かったのです。かなりのプレイヤーが情報を得るために高速バスを乗り継ぎ、青春18キップを使いまくり、西へ東へと奔走しました。 こうした必要から生まれた新人類の筆頭がHPL研の<人間ワープ>若月さんでした(当時はこう呼んでいた)。「こんにちは。HPL研の若月です」の挨拶だけで各地のイベントを渡り歩き、各イベントを情報でつなぐメッセンジャーとなった人です。1年後にはワープ失敗でロストしてしまうという運命が待っているのですが、当時は誰も知るよしもありません。 東海3誌の面々も、そこまでではないけれど、かなり東西を飛びまわったものです。移動手段はもっぱら自家用車。ドライバーが3人いれば高速バスよりは安く、青春18キップよりは早く着くのです。 |
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■虹色教団とHPL研 「88」は徒党を組む必然性のあるゲームでした。しかし単に戦力をそろえるだけ、情報を集めるだけでは、きちんとしたアクションはかけられず、まともなリアクションは得られなかったのです。 後に当時の状況を揶揄して、 1)とりあえず重武装して、組織を作る。目的は組織ができてから考える。 2)とりあえず重武装して、女性NPCの親衛隊を作って萌える。 3)とりあえず重武装して、神社仏閣に火をつける。 4)とりあえず重武装して、閉じている扉があったらかたっぱしから開ける。 …などと言われましたが、そう言われても仕方がない状態だったのです(今でも1番はよくありますね)。僕だって「豆まき会で金属バットの乱闘」とか「凧揚げをして丸焦げ」とかくだらないことを幾らでもしました。 特に終盤は、もう「なにやってんのか分からないから適当に暴れてやる」グループやら「最後の決戦をやってるらしい連中を見物に行ってやろう」などと信長なら斬り捨ててしまうようなグループやらが、どんどん出てきます。でも、とにかくそうでもしないと、やることが見つからない人たちも多かったのです。 そんな中で、着実にアクションを成功させ、プライベート・イベントを成功させていたのが虹色教団でした。横浜を拠点とする虹色教団は、人間側プレイヤーをまとめあげ、着実にゲームを人間勝利に導いていったのです。 ただ問題は名前が怪しすぎることでした。まだオウム事件は起こっていませんが、各地のプレイヤーに虹色教団名義で届く連絡は、プレイヤーと家族の間に無用の摩擦を起こしましたし、この名前ではイベント会場を借りる事も出来なかったようです。 こうして生まれたダミー・サークルがHPL研だったと僕は聞いています。会場を借りるために役所に提出した文書には、「アメリカの文学者、H・P・ラブクラフト氏とその著作について研究し、語り合うことが目的」と書かれていたそうです。 この虹色教団を中核とするプレイヤーの多くは、同人PBMのマスターを経由し、商業PBMのマスターになったりならなかったりしたあげく、“そっちの方面の業界人”と化していくのです……。 |
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■大阪百鬼夜行の会 虹色教団の話をしたなら、大百会に触れないわけにはいきません。東の虹色教団、西の大阪百鬼夜行の会と並び称されたプレイヤーの拠点なのですから。ただ、こちらも人聞きが悪いので大百会と略されることが多かったようです。 こちらにも小出氏たちと何度も参加しましたが、けっこう東京・横浜のプライベで見知った顔があった……というより、大百会で知り合った人が実は横浜とか四国の人で驚いた…というのが正確ですね。あの頃は誰もがあたりまえのように東京−大阪を青春18キップや高速バスで往復してたのです。 ただ、東西のイベントに顔を出して感じたのは、同じゲームへのアプローチの違いでした。横浜のイベントがどれも陣営対立を意識して情報統制していたのに対し、大阪のイベントは誰も同じゲームに参加している仲間という立場からフリーな雰囲気でした。そのため終盤になると、「重要な情報を少数だけで独占しているケチな東京」と「重要な情報を敵方に垂れ流す大阪」という図式ができてしまい、プレイヤー間もギスギスするようになってしまいました(実際に大百会のスタッフの半数は怪物側だったとも聞いています)。 敵方に情報をもらすから関西勢には内緒で話が進む。関西勢は話に乗り遅れて面白くないから、状況をちゃかして楽しもうとする。関東勢はそれが面白くないからますます秘密主義になる……悪循環ですね。 「実はこのくたばりかけているNPC、この世の罪を償うために炎で浄化される定めというんですねえ。それがお望みなら、みんなで富士山頂まで担ぎ上げて火口に放り込んでやりましょう☆」 自分たちの頑張ったアクションの結果をこういう風に茶化されたら怒りますわねえ。ゲームに真面目に取り組んでいればいるほど。2陣営の二律背反的対立のゲームゆえの反目でした。 ただ、ここで培った人脈が次の「蓬莱」で活きてきましたし、ゲームが対立形式でないなら、こういう運営がベストになります。また、この大百会のメンバーが中心となってAISが設立されるのですから、個人的にはすごくお世話になったプライベです。 |
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■栄枯盛衰 今ではPBMの世界で“有名人”なんてものが出ることは稀になりました。競争の要素が排除される傾向なのに加え、参加プレイヤーが細かいシナリオに分散してしまったので、どこかで大活躍して世界を救ったところで、大半のプレイヤーは知らないまんまになってしまうからです。ローリスク・ローリターンの世界ですね。 でも「88」とか「蓬莱」あたりですと、全プレイヤーが1つのシナリオ世界を共有しているシステムですから、何か目立つ活躍する人はすぐにみんなから注目されてしまいますし、オフィシャルも競争をあおるため、あるいはシナリオをプレイヤーに主導させるために意図的に有名人を作り出そうとしています。ただ「88」と「蓬莱」では、基本的に大きな違いがありました。「蓬莱」では有名人といえばリアクションで活躍したキャラクターのことでしたが、「88」で有名人というのはプレイヤーのことだったのです。 「蓬莱」の有名人といえば、たとえば武装SS司令官・鷹月あやこを救った秋山礼一だったり、旧図書館の秘密を解き八仙となった中島春菜や神の啓示を受けたアブラハム(中略)カダフィーだったりします。 でも「88」では、虹色教団を結成し、熱心にユニークなハガキを投稿したり同人誌を作成した王舞吾人や、日本全国のプライベを渡り歩いた若月さんが、そう呼ばれていました。マスターによれば、プレイヤーの一部から「有名人ばかり贔屓にするな」というクレームが来たそうですが、なんのことはない。彼らが本当にリアクション上で活躍できたのは、本当に最後の最後だけでした。プレイヤーのイメージが常に先行していたのです。 逆に初期に当たりをとり、リアクションで活躍した人は、いつの間にか消えていたり、その他脇役になっていたりします。序盤で活躍し、マスターからも怪物側のリーダーと見なされていた大角童子も、終盤には“大物ぶっているケチな悪役”に成り下がっていたりしますが、それはそれで楽しそうでした……。 |
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■<T-note>推参 『増刊●年サン●ー』という雑誌に87年10月から90年11月にかけて連載されていた『女子中学生ノート』にいうショートギャグのマンガに、怪しいメッセージが読み取れるようになったのは、88年の秋のことでした。尾上舞がどうの、ティンダロスの猟犬がこーのという殴り書きが、マンガの舞台となる学校の掲示板などに散見されるようになりました。そのため、編集部に怪しげなファンレターが届くようになり気味悪がられていたそうです。 このマンガの作者を寺島英樹、通称“寺島センセ”といいました。そして、もう1人、寺島の友人の岡村亮、こちらは通称“オカちゃん”。この2人が主宰していた『T-note』は、88年から90年にかけてのPBM同人を語る上で外すわけにはいかない存在です。少なくとも、この「小●館の編集部に届く謎の黒こげメモ」という1点だけでも忘れてはいけないはず。 この『T-note』は、もともとは「88」の情報紙としてスタートしましたが、彼らはその路線をすぐにあっさりと放棄してしまいます。 「いや、どーせ、情報量では『野尻ジャーナル』にはかないません。速報性では『すとれい☆きゃっつ』にかないません」 確かに表に出てくる情報の9割は確実にフォローする『野尻ジャーナル』と、隔週で発行される『すとれい☆きゃっつ』に太刀打ちするのは難しいでしょう。それでどうしたかというと、彼らは『T-note』を演芸娯楽雑誌にしてしまったのです。前半は寺島の連載マンガを掲載し、後半は情報分析を口実にした寺島センセとオカちゃん、そしてスブリくんやらジュンコさんらが入り乱れる、かけ合い漫才を延々と続けたのです。 この『T-note』も、やがてプライベート・イベントを主催するようになります。しかし彼らは「情報交換のため」などという野暮はいいませんでした。 「大阪で安くて美味いもん食べて、パーッと遊びましょ」 さすが食い倒れと吉本新喜劇のふるさと、関西が拠点のサークルです。平成元年12月には1泊2日で『フグ食わしてくりゃー』プライベ、平成2年7月には2泊3日で『ザ・リゲイン』プライベを開催。全国から集まったPBMプレイヤーたちがスッポン鍋とゲームを堪能。その半年後の翌年1月にも、海鮮火鍋とスッポンで大阪の街を食い歩く『炎の友情』プライベがありました。 またお宿も怪しさ爆発でした。『T-note』が常宿としたのは、安さだけで決定した某RホテルK店。他のビジネスホテルやかんぽの宿を使うこともありましたが、ここを使ったイベントでのエピソードには枚挙にいとまがありません。増築に増築を重ね、まさに都会のダンジョンと化した建物。単に複雑で広い宿なら他にもありますが、下見に行ったら右翼の団体と遭遇したとか、鉄の非常扉をくぐらないと部屋にたどり着けないとか、障子を開けるとコンクリートの外壁があるけれどそこもまだ室内とか、廊下の床板にボーリングのピンマークが刻まれていたとか、大浴場への案内板に従っていたら外に出てしまったとか、夜になるとフロントは日本語の通じないスタッフしかいなくなるとか、そんなところは他に知りません。 難波やミナミで美味しいものを食べた後は、その怪しいホテルでカードゲームや闇はりせんをしたり、紙芝居の上演をしたり。紙芝居ですよ! 『悪 まばらい』ですよ!? なに考えてんでしょーか? もちろん、マスターを呼んでの懇談もやりました。というか、できて間もないホビーデータのマスターと遊演体のマスターが初めて顔を合わせたのが、このRホテルK店だったんですね。歴史的な会談ですよ。そのとき、遊演体から来ていた川鍋マスターは、ホビーデータの話を聞き、「ちゃんとした考えの人たちで安心しました。まだこれからの新しいジャンルですから、いい加減な業者の参入で荒らされたくはないですからね」と語っていたものです。 |
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■名古屋のプライベのこと 東京や大阪では比較的早期から集会や会合がおこなわれていましたが、名古屋で開催されたのは12月4日の野尻ジャーナル主宰のものが最初。場所は名古屋テレビ塔下のふきっさらし。天気はいいけれど木枯らしピューピューの日曜日。公園広場で15人ほどが輪になって、情報交換したり、今までの重要情報を使ったクイズをしたり。 まだ最初のうちは、あまり公共の集会場を借りるという発想はなかったんです。何人集まるかも分からないどころか、誰か来るのかすら見当つかなかったんですから。人数にあわせて適当に喫茶店に入るとか、誰かの実家で事務所の会議室を借りたりしてました。で、集まると1人づつ「何をしようとして、結果としてどうなったか」の報告会。集まったのが5人でも100人でも同じです。たいてい、全員が別々のリアだったりしますし、リアクションに表示されるのは不完全な結果だけですからね。 それから、ライブ色の強いPBMですから、プレイヤーもそれなりになりきります。医者のPCだったら、白衣くらいは用意してましたよね。そして、リアクションが届いていないときの言い訳は「まだ記憶が戻っていないので…」がお約束。 |
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■みんな秘密が好き 「88」でのお約束は「リアクションやキャラ・データをそのまま他人に見せてはいけません」。ライブ性を重視するゆえなのですが、中盤以後はそんなことも言ってられなくなります。情報交換が忙しくなり、何かに書き写したりまとめ直すより、そのままコピーして郵送した方が速い!ということになるからです。今ならインターネットがあるから、もっと楽なんですが、当時はまあ、そういうことで、自宅にFAXがあればハイテク。ワープロを持っていれば専門家扱いでした。 そういうわけで、2陣営に分かれての対立も終盤になると、誰が怪物で誰が人間かはだいたい確定してしまいました。本当は怪物側にとっては、正体を隠すのが何より重要なはずなのですが、序盤の中核プレイヤーである大角童子の口が軽く、主要な怪物側プレイヤーの正体があっという間にバレてしまったのです。正確には、陣営ごとに別内容だった天香具山の怪物側リアクションが漏れてしまったのですね。あの人望厚かった大宮パパも、深海神父も怪物だったなんて! それでも、敵味方の対立がチャラになるはずもなく、人間側は情報に引き締めに躍起になり、怪物側は新たな手駒や潜伏方法の確保に奔走し、プレイヤー同士は仲良くしながらも牽制したり、まことしやかな嘘をつきあうようになったのです。 そんな状況で、最後まで正体を隠し通したのはシモムラさん。最終決戦の白宮岬にたどり着いた唯一の怪物側キャラクター。最後の善悪NPC対決は、基本的に“その場に駆けつけることのできたキャラクター”の多い方が勝つという判定だったということで、人間側の負けはなくなったのです。 ただ僕は前後関係から、シモムラさんを怪しいと思っていたのですが、野尻さんも小出さんも、「シモムラさんなら大丈夫」と絶対の信頼を置いていて意見が通りません。挙げ句の果てに、今まで自分のリアクションを決して他人に見せない僕の方に怪物疑惑が起きる始末。違うっていうのに! 人間なんだってば!! それから10年後。伊東での88同窓会の席上で、やっぱり僕は小出氏に詰め寄られたのです。 「だから、おまえ本当は怪物なんだよな? もうそろそろ白状してもいいだろ」 違うっていうのに! 人間なんだってば!! ええい、この秘密は墓場まで持って行ってやる! |
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■運命に導かれて 「88」や「蓬莱」の頃に知り合った友人らと昔話をしていると、不思議と話題が共通します。 百戦錬磨で海千山千の競技者が宇宙外交と艦隊戦闘を繰り返すPBM『スターウェブ』。シミュレーション・ゲームのヒストリカルな分析やテーブルトークRPG黎明期にプレイスタイルの啓蒙に力を入れていた『シミュレイター誌』。読者参加企画の先駆けで、中東を戦場とした傭兵による空戦ゲーム『フィクショナル・トルーパーズ』。初期のPBMでアクティブだったプレイヤーの名前は、たいていこれらの雑誌の読者欄やゲームの参加者一覧に見つけることができます。というか、あの頃はみんなが1度は全部に手を出していたんではないかしらん。 古い雑誌を開いてみれば、本当に見知った名前ばかり。でも当時の自分たちは、いずれこれらの人々と巡り会う日が来るとは夢想もしていませんでした。 先日(2003年9月)には自宅に3人のお客を迎えました。そしてうちの夫婦をあわせて、年齢的にも住んでいた場所もばらばらの5人ですが、1人が「あたし、『フィクショナル・トルーパーズ』の同人誌もってるんだ」というと、「ぼくも持ってますよ。北城くんの表紙のですよね?」「それじゃないよ。GOTOさんのやつ。キリーさんのテレカももらったんだ☆」と応答が。 15年以上前の、今はもう無い雑誌の、たった1つの企画の、そのまた同人誌ネタで、どうしてこれだけ盛り上がれるのでしょう? 「なんというか、運命に導かれて、ここに集った!…っていう感じ?」 「ジャンルそのものが狭かっただけよ」 シミュレーションゲームが輸入され、広まり、消えた時代でした。RPGは日本に紹介されつつありましたが、プレイしようと思えば輸入ショップで購入し、辞書片手に翻訳しないといけない時代でした。50万円のパソコンの記憶装置にカセットテープを使っていて、ゲームを楽しむためには自分でプログラムを入力するしかない時代でした。 楽しもうと思えば、自分で工夫・苦労しないと他には何にもない時代だったんですが、こうやって思うと、ゲーム史的には戦中・戦後くらいの格差ですね☆ |
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■パソコン通信のこと 80年代は、パソコン通信がやっと普及してきた時代でした。インターネットとどう違うのかといえば全然違うのですが、簡単にいえば電話回線を使って他人のお家のパソコンにお邪魔をし、そこに書き込みをしたりデータを交換するのですね。だから九州の人間が北海道が拠点のパソコン通信の掲示板を利用しようと思うと、九州−北海道間の電話代がそっくりそのままかかるのです。しかもパソコンもモデムも処理速度が遅いので、時間もむちゃくちゃかかります。恐いですね。 そんな中、PBM用の交流掲示板もぽつりぽつりと出現しました。最初が「FC−BBS〜オンライン教会」、1年程遅れて「KGB−NET」。あとはぞろぞろ。 その中でも「オンライン教会」は「88」から「クレギオン#1」の時期に活動し、特に利用者の交流が活発なことで知られていました。単なるPBMの情報交換に留まらず、現在のPBMのシステム上の問題点と改善案を提示したり、新たなシステムを検討したりと、いわゆる「PBM論」が戦わされていたのです。そこでは既に「世界設定だけを共通にして、個々の狭いシナリオの中でマスターがプレイヤーを相手する」タイプのものが検討されています。プレイヤーの出番を増やしながら、マスターの負担を減らすという方向性の結果だったわけですが、確かその当時は「そんなもの、面白いわけがあるかい!?」と一蹴されていたような気が……。 この掲示板のログをプリントアウトして、パソコン通信の環境にない人にも読んでもらおうと「オンライン教会らくがき帳」という冊子も刊行されていますが、今、読み返しても面白いですね。当時のプレイヤーの右往左往ぶりとか熱気とかがダイレクトに伝わってきますし、野尻さんがいかにもなハードSFとオカルトを組み合わせたネタで、「88」の後日談を書いていたりして、なかなか楽しいです。 また全国の様子が瞬時に判るので、プライベの様子と合わせれば最終リアクションの判りづらさと一部リアのひどさ(「努力など屁のごとき」という主旨の代物)にプレイヤーの不満が高まっていることもつぶさに判ります。そこで王舞さんがプレイヤーの意見として「多数のプレイヤーは断片的な情報だけで、何がどうなって終わったのか、まったく分からず、かなり不満が強いです」と申し入れ、それを受けてマスター側は「ならば最終リアの完全版を参加者全員に配布します」と決定。1ヶ月後に到着したのでした。 |
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■だから、明日のために 平成元年8月18日。愛知県のまなせ宅に虹色教団から時間騎士団や美食クラブまで人怪問わないプレイヤー14名が集まりました。翌日に蒲郡市でおこなわれる日本SF大会に参加するためです。その年は、SF大会に「ネットゲーム'88納会の部屋」を申請し、認められていたのです。 参加はしないものの、このイベントのことを聞きつけた北海道の泊くんが地域限定ビールを送り届けてくれたので、これでにぎやかな宴会となりました。食後は自作の「88」ボードゲームをプレイ。怪物側になった王舞さんの「お許しください、紫嵐さまっ!」発言などで大いに盛り上がりました。みんなロールプレイがすっかり身に沁みきっています。 翌朝はモーニングコールガール嬢の「おはよーございます!!」の声で起床。「88」で知り合ったプレイヤーを訪ねてバイクで列島縦走していた北海道の野口くんは、大会には参加せずに横浜へ出発するというのでお見送り。残りは車4台に分乗して、いざ蒲郡・三谷温泉へ! 企画そのものは深夜からですが、それぞれが持ち寄った各団体の会誌や論文断片などを回し読みしたり、暴露話を繰り広げつつ、ライブRPGや他の企画を見に行ったりしました。 納会は黒鬼桂の司会で始まりました。まずは小出、王舞、大宮らを中心にしたパネルディスカッション。プレイヤーとしてのネットゲームへの取り組み方を中心にしたもの。今ではあまり聞きませんが、当時は「自分たちはPBMに何を求めているのか」「どういうシステムにしたら、どういうプレイをしたら、PBMはもっと面白くなるのか」を機会があるたびに話し合うのが普通でした。ディスカッション後はクイズ大会の予定だったけれども、用意したクイズを出題者が置き忘れ(おれだ、おれ)、急遽ジャンケンによる賞品の分配会となりました。ごめんね。 特筆すべきは途中で乱入してきた“覆面女子レスラー”くのいち紀と、“ほしのたね編集長”小出真紀の対談。くのいち紀さんは毎回朝朝ジャーナル誌上に1頁まるまる使った試合の記事が掲載されていたという、「88」では珍しいキャラクターの有名人なのですが……、 「ええ、毎回、試合結果のリアクションが来ると、最後にかならず次の試合のカードが選択肢でついてきて、それ以外には何も行動できなかったんです! サイドってなんでしょう? 人間側怪物側って、何なんですか!?」 「キャラクターには3つのサイドがあるのです。人間側、怪物側、そしてマスターのおもちゃです」 なんでも、毎回の女子プロレスの試合は、マスターがひそかに手作りでカードゲームを用意しており、マスター同士で試合した結果をまとめていたらしく、最後にはゲームの現物をもらったそうです。 そんなこんなでSF大会における「88」納会は参加者34名を数えて終わり、翌日はそこから車で30分のオダ邸に移動。だだっ広いロフトでゲーム三昧でさらに一昼夜を楽しんだ後、「また来週☆」といって全国に散っていきました。 ネットゲーマーはかくあるべし。 |
■ささやかな、うたげ 雄琴温泉は比叡山延暦寺を開いた最澄が開湯したという言い伝えのある、風光明媚な琵琶湖湖畔の温泉地です。 「88」のファイナル・イベントは、この由緒正しき温泉街で開かれました。SF大会が終わって1週間後のこと。これは今まで東京中心のイベント開催だったため、関西方面にも配慮してとのことでしたが、実は雄琴は関西の風俗街としての方が有名だったんですね。おかげで開催地を知られた途端に、学生プレイヤーは周囲の目が冷たくなったり、友人のお母さんが懸命に制止したりと大騒ぎに。 会場は、こぢんまりとした昔ながらの温泉宿でした。社会人はひとまとめにされたようなところがあり、割り当てられた部屋はさしずめ“年寄り部屋”と化してしまいました。まだ年寄りというには若かったけれど、大学生中心の参加者からすれば年寄りの部類に違いはありません。で、年寄りが何をするかというと、とうぜん酒盛り。 さてイベントの方は、まずステージ付きのお座敷に集合し、座ってラジオドラマを聞くことから始まります。ゲームの後日談をテーマにした物語で、世界を舞台に平和活動を繰り広げている王舞天子が、あの事件で結局何も変わらなかったと酒を呑んで嘆くかつての同志や今なお戦いを放棄しない好敵手と再会し、それぞれの想いを確かめつつ、綾瀬沙羅の娘と出会うというもの。活躍し、生き残った者には至福のときですね。ちなみに僕は最終回で死んでますので、カケラも登場しません。 「あ、ウニモグに押しつぶされた人だ」 それは僕です。 「反復横飛びの練習を怠ってました…」 「富士山に向かった時点で死ぬ人は決まってたからな。彼はダイスで1が出たんだ。こりゃどーしようもない。ここで誰が活躍させられるかなと見てみたら、みんな軒並み精神力が低い中、1人だけずば抜けて高いのがいた」 「王舞天子」 「そう。さらに『お兄さんの形見の青ダイヤをもっていく』なんて補足も書かれていたし、こりゃ文句なかったな」 ダイヤは“完全なるもの”の象徴なので、不完全なまま生まれたヒルコに対しては優位に立てるのです。 「…でも、彼女の精神力って、サイドストーリーで上げてたんじゃ……」 「それを言っちゃあ…」 そうなんですね。プレイヤーは誰もが認める有名人であり、サークルはゲーム最大であるのだけれど、キャラクター的にはたいしたことをしてない人なんです。それをいえば、最初から最後まで、キャラクターとして王道で活躍した人はいません。野尻さんや黒鬼くんなんかも、中盤以降、なんとか目立ってたかなあというレベルだったんです。 さておき、ラジオドラマ後はマスターとのQ&A。いろいろ「実はあの人は!」なんて話はあったけれど、今となっては忘却の彼方。そのあと、次回作の発表があり、夕食までちょっと休憩。各部屋で懇親したり入浴したり。それから立食パーティ。 まずプレイヤーの表彰。最優秀キャラクターは「綾瀬沙羅」、最優秀業界誌は「すとれい・きゃっつ」。副賞の「ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード」は嬉しかったですね。 そして宴会。仲居さんたちが「なんの団体ですか?」と終始不思議そうでした。雄琴に来るには若すぎる上、××教団とか××党とか怪しさ爆発ですものね。 宴は宴会がお開きになっても続き、理論より実践ということで、年寄り部屋では「88」後に草の根で始める同人PBMの紹介なんかが行われました。大宮パパはホバータンクによるチーム戦「クラック」の参加者を募り、野尻さんは第一次大戦の空戦をテーマに判定をパソコン処理する「L&S」の処理リストを見せびらかし、深海神父は外交ファンタジー「キングメーカー」の企画を練っていました。それをしながら最終的には朝までに部屋の冷蔵庫のビールを呑みつくし、居合わせた若い連中に「おまえら未成年だから呑まねーだろ! 部屋から持ってこい!!」と大暴れ。それでも記憶はあったから、やっぱり若かったんだよね…。 |
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■NPCの変遷 「88」に参加していない者には意味がないような気もするけれど、NPCの設定の移り変わりについて、オフィシャル情報とプレイヤーの感想をとりまとめて紹介してみましょう。これ以外に蓬莱をのぞけばNPC設定というものについてマスターが語ったという記録はほとんどありませんから、ちょっとした参考にはなるでしょう? 尾上舞(おのうえまい)…鱗在衆によって謀殺された中野教授の養女。義父の死を知り、死女王の復活を阻止するべく戦う。フリーライターとして世界各地を回っていたが、軍人あるいは傭兵としてのキャリアも積んでいたらしく、戦闘のプロフェッショナルであり、米軍との私的なコネクションを持つ。またそれなりの魔術の心得もあるという、知力・体力・魔力に秀でた女性。最後は紫嵐を倒したものの、自らも重傷となり、噴火する富士山に身を投げ、ハヤサスラヒメの伝説を再現して神話を完成させる。 とんでもないスーパーヒロインですね。当初の設定では「ひたむきだが若く、失敗も多い」キャラクターのはずが、プレイヤーの方が「若く失敗も多かった」ため、それを補わせるよう描写しているうちに完璧に近づいてしまったとのこと。 紫嵐(しらん)…舞の実父。一言主であり、鱗在衆の頭目として死女王の復活を画策する。怪物側プレイヤーからは「怪物側には何も説明せずに命令するだけなのに、人間相手にはいろいろ調子に乗ってベラベラしゃべるヤツ」と評判は悪い人。ときどきタクシー運転手の職業別情報に、無賃乗車をする黒い袈裟の坊主が登場するけれど、これは運転手の情報にするネタがなかったため。強くて、傲慢な敵のボスは、さらに「セコイ」というレッテルまで貼られてしまったのです。 ダーマ・ユダーマ。秘書を募集したかと思うと、プレイヤーの目前で奇書をかっさらっていったり、泊まっていた部屋を血まみれにして行方不明になったりする謎のインド人。実は悪の秘密結社の総統ララーシュタイン博士の手下として、「フリギアの秘宝」の手がかりを探し続けており、その作戦が要所要所で「死女王復活」のイベントと交差したことからプレイヤーを翻弄することになります。彼に関わったプレイヤーは、最終的にはトルコにまで引きずり出され、ジョーンズ教授やガスパー伯爵と共に、ノアの箱船を巡ってダーマや大角童子の一味と戦うことになります(本筋を追っているつもりが、サイドストーリーに…)。 土隔羅雄奈人(どかくらおなと)…有名なゲーム作家。もちろん88マスター、門倉直人のアナグラム。当初はダミー広告に掲載された架空のゲームブック作家の名前にすぎませんでした。そもそもNPCですらなかったのです。それがアクションで「遊演体に忍び込み、朝朝ジャーナルの原稿用の資料を盗み放火する」ことを考えたプレイヤーを、“オナト神ペン”という訳が分からないけどスゴイ拳法でやっつけてしまったことから、キャラがクローズアップされてしまいました。その後、本編で姿を見ることはほとんどありませんでしたが、職業別のミニ情報やジャーナルの小記事を追いかけることによって、彼の活躍を知ることはできました。それを総合すると、悪と戦うために3mのバイクで海を渡り世界を駆けめぐっていたようです。キャラ的には「ジョジョの奇妙な冒険」と「北斗の拳」が混じったような感じになり、最終回ではララーシュタイン総統の野望をくじくべく、吉沢警部とチョモランマの秘密基地に突入。恐竜軍団やナチスの残党と戦っていたようです。どんなときにも歯磨きを忘れない本当の紳士だとか。彼について行けたプレイヤーは幸せだったかも……。 |
■そして巡り来る春 98年春には、「88」の10周年記念の同窓会が開かれました。 「ぽすたる☆ている」のイベントを兼ね、名古屋市の隣、日進町(現・日進市)の宗教公園五色園で合宿をしたのです。ゲストに有坂純マスターと水原静マスターを迎え、当時の参加者にも連絡のつく限り声をかけ、懐かしい顔が集結しました。 とはいえ、当初は「近況報告」「思い出話」「PBMの変遷と展望」等テーマを用意しておこなう予定でしたが、まあ、うやむやのうちに始まり、うやむやのうちに終わってしまいました。終わってしまえば「それもまた幻想」。耳に残るは「女囚〜女囚〜と人馬は進む」の歌声ばかりです。そもそも始まる前の時点で、大宮パパ、小出真紀らのOBプレイヤーに酒が入ってしまい、開始時には「酔っぱらいの群」。部屋から追い出された酔っぱらいとヘビースモーカーの群がベランダに陣取り、花見もかくやの狂乱騒ぎ。 たまりかねた誰かが叫びます。 「ぼ、僕の尊敬していた大宮さんが、ただのヨッパライおやじだったなんて!」 でも宴会は続きます。 とはいうものの、有坂純、水原静ら元マスターを中心に、かろうじて理性を保っていた面々で小さな輪を2つ3つ作っての座談が進められましたし、部屋の隅には当時のリアクションや同人誌の山が積み上げられ、なんとなく雰囲気も出ています。 「紫嵐は人気なかったなあ。もっとステロな悪役にすれば良かったのかもしれないけれど、尾上舞がある種、ステロタイプだったので、そればかりではイヤだという若さもあったしネ。途中で方向転換して若く美形にしていったんだけれど…」 「紫嵐の言動がひどかったんですよ。あの手下さえ眼中にない言動で、怪物側プレイヤーの多くはやる気を失ったり、目的を見失ってしまいました…」 有坂マスターの言葉に黒鬼桂が口を挟むと、びっくりしたようにマスターは眉をあげました。 「ちょっと待ちなよ。君らは悪人をロールしてたんだよ。その悪人の親玉はもっと悪人に決まっている。君らは悪人の親玉に何を期待していたんだい?」 「…そういうものですか……」 「それが不満なら、紫嵐を倒して自分が後がまに座っても良かったんだ」 「そうしたら人間・怪物の共同作戦が見られたかもしれませんね」 王舞さんがそう締めくくり、みんなが「目からウロコが落ちました」と大笑い。続いて、話題は謎の怪人ダーマ・ユダーマに移りました。 「ダーマがあれほど大きな話になるとは思わなかった。いちばんきちんとまとまった話だけれど…」 ダーマというのは、いわゆるプレイヤーを撹乱するための第三勢力キャラです。いかにも何でも知っていて、悪巧みをしているように見せかけ、追いかけるプレイヤーをぐいぐい本筋から引き離していったのです。悪の秘密結社の首領ララーシュタイン教授に仕え、最後はトルコでシャンバラの秘宝をめぐる戦いを引き起こします。 「牛、牛ぃ」 指摘して大声をあげたのは、のーてんき博士だったでしょうか? そもそもダーマに皆が注目したのは、宿泊したホテルが血の海となり、本人が消えてしまった怪事件から。最後に「ヒンズー教徒なのに牛が食べたかったので、ホテルで自分で牛をさばこうとしたのが原因」という真相にたどり着いたプレイヤーが逆上したことといったら……。 「もともとあの程度の人物だったのよ」 有坂マスターはしれっとしたもの。水原マスターは笑っています。 その他にも当時のエピソードや持論を語ってくれます。 「フリーアクションの自由記入欄なんて、これで十分(ハガキの下1/5程度のスペース)。多くても面白ければ読むけれど、判定には影響しない。いかに要点をまとめるか」 「そうそう。それで十分」 水原マスターも僕も頷きます。 「レポート用紙何枚もあっても読まないか、読んで面白かった…でお終い」 「職業を多くして『しまった』と思ったのは、職業別情報を思いつくのに苦労したこと。水原くんが泣きながら書いてた」 「おかげでクレヨン社を知ることができました」 終いにはネタ切れになり、クレヨン社というアーティストの音楽を誉める情報ばかりが目立つようになったのです。 最後を占めたのは、仮面トラッカーと少年仮面トラッカー隊。そういう呼称のトラック乗りとその応援団が正義の戦いを繰り広げていたのですが……。 「少年仮面トラッカー隊って、趣味が株式投資…なにが少年なんだろうね」 「<7人の仮面トラッカー>って、そもそもゲーム中にトラック乗りが7人いない!」 「イグロのおやっさんもいい味出してたけど、実は怪物だった」 「あれは信じられなかった」 実はトラッカーのほとんどが怪物側だったそうですが、彼らは彼らなりに戦いを続けていたのです。死女王がどうのとか、人間が怪物がという世界からは遙かに遠く離れていたのです。これが、プレイヤーが自ら作り上げ、マスターに認めさせたサイドストーリーの最初だったのかもしれません。 |
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■戦記は続く そしてまたまた数ヶ月が経過。今度は関東組からお誘いがかかりました。伊豆の別荘を借りられるんで、久しぶりに集まろうというのです。 僕と小出氏は、小出氏の運転するデリカに乗り込み、一路東を目指しました。場所は伊東温泉。黒鬼くんが便乗していたのかな?? 快調なドライブです。運転は小出氏任せ。「88」時代の関東遠征以来、誰も僕には運転させてくれなくなったのです。なんで? 伊東といえばハトヤ。その新館を横目で見ながら、海辺から山の中へと分け入っていきます。場所が解りにくいので、先に来ていた組からお迎えが出て、その案内で山道へと分け入りました。それはコテージとかバンガローではない、本当の別荘でした。フィリップ・エドワードの得意先が研修用に持っているものといいますが、そこらのペンションは太刀打ちできない造りです。お風呂は……かなり広いです。ガラス張りで裏手の竹林が見渡せます。20人くらいは一度に入れそうですし、サウナもついている上に、源泉からお湯を汲み上げているようです。まずはそこで旅の疲れを癒します。 既に関東勢はほぼ集結し、途中のスーパーで買い込んできた魚を開いて刺身にしたり、焼きそばをつくったりと、晩飯の準備をしていました。間もなく全員がそろって乾杯です。 さすがに10年目となると、いまさら「88」の話は出ません。ただ呑んで騒ぎながら、近況報告をしあったり、ここにいないメンツの消息を尋ねたり、携帯の番号を教えあったりしています。しかしまあ、ゲーム・出版方面の業界人が目立ちます。新しいSF文庫を立ち上げ、その発売前のサンプル一式抱えて来た編集者もいれば、PC用アダルトゲームのシナリオを推敲しているライターもいるし、今度出る架空戦記の新刊を抱えている作家もいます。一時期でも商業PBMに関わったことのある者といったら、ほとんどそうかもしれません。 呑んで食ってカラオケを歌い、またカードゲームをし、そして仮眠して起きてゲームをする…。なんか久しぶりです(他の人は久しぶりかどうか知りませんよ)。 これも10年以上前に、あのPBMに参加しなかったら、会えなかった人たちなのですね。良い作品に巡り会えたと感謝しています。 |
■戦記はまだまだ続く 時は2017年12月。平成にして29年。インターネット上に1つのコンテンツが掲載されました。 電ファミニコゲーマー「ゲームの企画書」第13回として「『蓬莱学園』狂気の1年を語り合う」という対談が掲載されたのです。登場するのは星雲賞受賞作家の新城カズマ、「ドラゴンクエスト・オンライン」のプロデューサー、スクウェア・エニックスの斉藤陽介、そして角川春樹事務所の編集者・中津宗一郎の三氏。この3人の共通項は「蓬莱学園の冒険!」に深く関わっていたことでした……という企画だったのだけれど、その企画のための資料を掘り起こし収集するために当時の人脈をたぐっていくうちに、結局その根っこにあったネットゲーム88人脈がごっそりと引っこ抜かれてしまったのです。 なら、この機会に一度集まって呑もうよ。日本海側に行ってた王舞先生も東京に一時帰省するっていうし……ということで、連絡が周り、2018年2月の最終土曜日に川崎駅前のカラオケボックスに懐かしい面々が集結しました。総勢30余名。自分や家族がインフルエンザに罹患したとか主催イベントが九州で真っ最中!とか欠席の人もいろいろいましたが、それでも30年経って30人。ちょっとしたものです。 マスター陣からは門倉マスターと水原マスターの2名。有坂マスターと小泉マスターは連絡が付いたものの多忙なため欠席。門倉マスターも忙しいけど、一次会にちょっと顔を出せたら行きます……といいつつ、二次会最後までおつきあいいただきました。プレイヤーからは、王舞吾人、大角童子、黒鬼桂、大宮亮以下、人怪問わずわらわらと。 そしたら、ですね。みんな成仏してなかったんですよ。10年目の時は88をネタに集まって呑んで騒いでだったのに、みんなまるで3ヶ月ほど前の話みたいに30年前の話を語り、内緒の話を暴露し、怒り悔しがり、先に死んでいった者たちに「仮面ライダーブラックRX」の唄を鎮魂歌におくり、果ては「なぜ、最後の3ヶ月があんな展開だったのですか!?」とマスターに詰め寄る騒ぎに。サプライズで還暦祝いされてしまった大宮パパは、「自分や黒鬼が暗いものを抱えていたのは知っていたけれど、王舞の怨念は本物だった……」と呆然としてました。 実働参加者は1000人ちょいのゲームでしたが、これに参加し、30年後に連絡が取れてまた集まる人間ってのは、誰も彼もがこのゲームで人生が変わってしまったのです。もっぱらクリエイティブな方面に進路がそれた人が多いのかな。ゲームデザイナーになって、編集者になって、カメラマンになって……今回欠席していた某氏は声優志望の女の子たち相手にオーディションやってたみたいですよ? たかまぁの仕事はゲームセンターというかアミューズメントというかイベントプロデューサーみたいなもの。「つまり、たかまぁ亭なんですよ、やってることは。ただ、会場が旅館から幕張メッセに変わっただけで」と笑ってました。 長らく音信不通だったHPL研の若月さんは、某カードゲームの公式ジャッジをやっていたということで、今は引退したものの最盛期は日本全国から全米まで飛び回っていたのだとか。人間ワーパーは長距離ワープを繰り返していたのです。オフィシャルの予算で。 そういえば、大角童子と話していてびっくりしたのは、シャンバラの一件を知らなかったということ。 「え、おれ、そんなことしてたの?」 飛んで火に入る悪い虫作戦以後、ほとんどプレイしていなく、半NPC化していたようです。あらまあ。 そうして、土曜昼の1時から呑んで呑んで呑みまくって語り明かして……で、まだ成仏しきれていないらしく、1ヶ月経ってもインターネットの片隅でシステムとシナリオとマスタリングの齟齬だとか、あの物語に与えられた影響とその原因とか、今語り直すとしたらどういうものになるのか、延々とはぢけてます。 俺たちのネットゲーム88はこれからだ!……みたいな。 ただ、みんなネットゲームそのものを神聖視しているわけではなく、あのシナリオはおかしくはないか、あのストーリーはありえない、行き当たりばったりのシステムでよくぞあそこまで……と今さらながらの批判と検証の数々が続いているあたりも、やはりネットゲーム88ならではなんでしょう。 以上、銀婚式をついでに祝ってもらった、まなせでした。 |