エデンの東

蓬莱学園卒業生の現状

 蓬莱学園の卒業生はかなりの数にのぼる。生徒総数に比して留年者がべらぼうに多いのは事実だが、もともとの数がけた違いなのだ。とくに授業正常化計画が実施されてからは、毎年コンスタントに万単位の卒業生を輩出しているという。

 にもかかわらず、いわゆる学閥が成立していないことも蓬莱学園に特有の現象であろう。その理由として2点挙げられる。

1,日本国内にとどまる人材が少ない。

2,蓬莱学園卒業という経歴を公にしない人材が大多数を占める。

 理由1に関しては、才能を買われて海外へ招かれるケースと、身の危険を避けるために逃亡するケースとがあるようだ。
 理由2も、おもに「身の危険」および「周囲との無用な軋轢」を避けるため、というケースがほとんどとみられる。
 では「身の危険」とはなにか。
 具体的には国家権力による干渉である。
 筆者が在学した90年は動乱の年で、学園と日本国との隠微な関係が明らかにされた。その関係は、しかし暴かれた後も消滅したわけではなく、ある種の宿痾の病原体のようにじっと身を潜め、じわじわと力をたくわえつつある。日本国政府とその権力を握る人々にとって、蓬莱学園、および宇津帆島は、いまなお魅力ある(そして危険な)宝物なのだ。卒業生のかなりの部分は、卒業後数ヶ月以内に、公安(学園ではなく、日本国の)警察の手の者から接触を受けるという。勧誘か恫喝のいずれかであり、選択権は限りなくわずかだ。その結果、身を隠したり、あらためて復学したりする者の数は、統計こそないが相当数になるとおぼしい。むろん、卒業生に興味を示すのは日本国だけではないし、そもそも新入学生のうちどれほどの割合がなんらかの「目的」を持っているかは不明である。
 ようするに、蓬莱学園の卒業生は、九五年のあのテロ事件以来あらゆる基本的権利を剥奪された感のある某教団の構成員と、ほぼ同じ扱いを覚悟しなければならないのだ。かれらと我々が異なるのは、ただ1点、我々の個々が実際にきわめて有用性を持ち合わせた猛毒であるという事実だろう。某教団が「社会のコンセンサスを国家権力にとって有利な方向へ導くための有効なみせしめ」として利用されているのとは違って、我々はより多様であり、より御しがたく、それだけに価値も高い。だからこそマスメディアの表舞台へかつぎ出されることもなければ叩かれることもない。いまのところは、だ。
 蓬莱学園に一度でも籍を置いた者にとってもっとも安全な場所は、ほかならぬ学内である。世界でもっとも危険なあの場所は、まさにそれゆえに、うかつに手を触れることの能わぬ聖域として機能する。そのことは多くの生徒が意識している。だからこそ誰もが留年を繰り返し、楽園にとどまろうとするのだろう。
 それでもあえて卒業しようとする者は数多い。
 なぜなのか。
 理由は人それぞれだろう。とくに近年は「個性を伸ばす」というキーワードを誤解して入学した生徒が、誤解を誤解のまま確信に変えて、胸を張って卒業してゆくケースもままあるという。かれらの未来よ洋々たれと願わずにはいられない。けれど、もう少し世の中の判った生徒なら、卒業に至るまでにはさまざまな葛藤があったはずだ。
 筆者自身の考えについて述べるなら、やはり、90年動乱を経験したことに尽きるだろう。筆者はファラオ・ゲームを見た。そして、それと同じことが、日本で行われていることも知っている。であれば、座視できはしない。おそらくは数多くの卒業生が、筆者と同じように、なにかを変えるべく、あえて楽園を去ったのではないか。
 我々は蓬莱学園で多くを学んだ。学んだことは生かさねばならない。けわしい道だが、それぞれが、それぞれのやり方で戦い続けていくことだろうと信じる。我々に残された時間は、もはやわずかかも知れないが。

(90年度1月期卒業生 己卯組)
山路 良平


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