日本中がドラゴン・フィーバーに沸き返った1974年。
わが町小樽もフィーバーだったはずだが、
高島小学校の3年生の間ではそれほどのムーブメントは起こっていなかった。
学年でブルース・リーのファンである事をカミングアウトしていたのは僅かに2名のみ。
当時の高島小は1学年が4クラス。
しかし我等の1学年下が「丙午」だった事からか
1965年の高島、赤岩地方はちょっとしたベビーブームだったのだ。
非常に稀な事だと思うけれど、1年生の途中で「1年5組」が新設された。
クラスが別だった仲良しのノンちゃん達と同じクラスになれるチャンスだったので
5組に選抜編入される事を切望したが叶わなかった。
逆にクラスの親しい友達が5組に流出してしまった・・・
脱線してしまった。
まぁ兎に角、普通の学年よりも豊富な人材がいたであろうに
リーのファンである事をカミングアウトしていたのは2名だけだった。
つまり自分と「4丁目に住む先生の息子」だ。
彼はリー・ファンなら誰もが羨む名字だった。
つまり「加藤」だ。
そいつとともに非常に楽しい「10代突入前の1年」を満喫していた1974年の暮れ、
2学期の最後の日(「怪鳥音への道 -6-」の9日前)の事。
あゆみ(通信簿の事だ)をもらった「帰りの会」の終わり頃、
突然席を立った加藤はこう言った。
「おれ、転校するから」
誰もが驚いた。
なにせ誰一人、事前に知っていた者が無かったからだ。
そんな衝撃的な出来事があったものの、
間近に公開を控えた『ドラゴンへの道』の事を考えていると
その年はあっと言う間に暮れて、1975年が破竹の勢いでやってきた。
(ここでもう一度、『怪鳥音への道 -6-』を読んで1975年の正月の記憶を甦らせて欲しい)
『ブルース・リー讃歌』をはじめとして『〜への道』に関する状況は
混沌としていた。
ワーナー配給の『燃えよ〜』のサントラ盤はワーナーから、
東宝東和配給の『〜危機一発』『〜怒りの鉄拳』は東宝からの発売で、
これまでの3作は配給元とレコード会社がちゃんとリンクしていたわけだが、
ご承知の通り『〜への道』は東映が配給する事になり、
東宝は「せめてレコードで儲けなければ」とばかりに
怒濤のリリース攻勢をかけたのだ。
年末に「歌入りのシングル」(ブルース・リーの絶叫入り)
と「インストのシングル」(絶叫ヌンチャク音入り)
の2枚が発売になるのだけれど、これが驚くべき事態を内包していた。
『怒りの鉄拳』のレコードではちゃんとブルース・リーの絶叫が収録されていたのに、
今回は両盤ともに「ニセモノ」の絶叫だったのだ。
(よく見てみたら後者のジャケットには「サントラ」の表記が無いのは当然として、
「誰の」絶叫なのかが書かれていない。確信犯か?)
「歌入りシングル」は聴き慣れたマイク・レメディオスの歌声が
なんだか甲高く、曲の後半ではそれが更に顕著になるのだ
(それでもローカル局の洋楽ランキング番組ではベスト10に顔を出してはいた)。
インナーの解説の右下には
「『ドラゴンへの道』オリジナル・サントラ盤
30cmステレオLP/YX-7010/\2,500」
と書かれている(「発売中」とも「発売予定」とも書かれていない)が、
実はこのレコード番号で発売される事になるのは・・・
年が明けて1975年の正月にレコード店頭を賑わしたのは
『ブルース・リー讃歌』なわけだが、こいつのレコード番号がなんと「YX-7010」。
サントラ盤に予定されていた番号なのだ!
『〜讃歌』は諸々の事情で制作が遅れていたサントラ盤の穴を埋めつつ
グリコ(1粒で2度美味しい)な儲けを目論んで企画された急場しのぎだったのだろう。
この後、満を持してレコード番号「YX-7011」の『サントラLP』が
(「インストのシングル」のジャケットに流用された、香港製映画ポスターを付録に)
発売になった。
過半数のトラックは『〜讃歌』と重複するものの、
重複するトラックも編集が違っていたりする。
何よりも、先に発売されていたレコードの「歌入り」には
「誰か(風間健?)の」絶叫が収録されていたのだが
これが遂にブルース・リーの「華麗にして激烈 !! 」な絶叫・怪鳥音に
差し替えられていたのだから溜飲を下した、
いや、
「最初からこっちを出せ!」だ。
その後、もう1枚のシングルが発売される。
タイトルが「ドラゴンへの道 VOL.2」だから凄い。
「以前発売したシングルの内の1枚はサントラじゃなかったから、
数には入っていませんよ」って事だな。
ちゃんとジャケットに
「ブルース・リーの絶叫入りサウンドトラック盤」って書いてあるし
(実際に本物の「絶叫」が収録されている。つまり3枚中唯一)。
ちなみに、当時自分が入手したのは、
「歌入りのシングル」『〜讃歌』『サントラLP』で、
他の2枚のシングルは「アルバムに収録されているのだろう」とタカをくくっていた。
3学期が始まって学校に行くと、やっぱり教室に加藤の姿は無かった。
転校なんて嘘だろうと思いたかったけど、現実は厳しいものだ。
冬の寒さのせいもあって寂しい日々を送っていたところに
電話が掛かってきた。加藤からだ。
遊びに来い、と。
実は、彼が転校したのはとなりの小学校で、
引っ越し先は我が家から徒歩30分程度のところだったのだ。
ブルース・リーの本やレコードを持って彼の家に行った。
元々、加藤は渋いものが好きで
ウルトラマンAが大人気の頃にゴジラ派を標榜、
レインボーマンで1番好きな化身はダッシュ6だった。
そんな彼のブルース・リー・コレクションも独特だった。
小3でロードショウ別冊を数冊持っていたし、
「〜への道」関連のレコードで持っていたのは
歴史から抹殺されたかのような「インストのシングル」だった。
流石、加藤は違うなぁ。
カバー・バージョンなんてラジオでは流れないから
それを聴いた事が無かった。
彼の部屋(の隣のお姉さんの部屋だったかな?)で
それを聴かせてもらって驚いた。
「〜への道/タイトルバック」と言えば複数名の男性の男らしい
「ウッッッッ!!!!」が子供心にもかっこ良く思える名曲だが、
レコードから流れるそれは1名の国籍不明な男が「うぅ?」と
まるで鳩尾に一発入れられてもんどりうったような声、
方向を指示せんとばかりに「あっちゃ」を連呼する謎の絶叫......
躍動感を微塵も感じない演奏も含めて、
「全てが別の解釈によるその作品」は、恐ろしい程に心にクサビを打ち付けた。
『ブルース・リー讃歌』は迷宮へのほんの入り口に過ぎなかった。
『〜への道のインストのシングル』こそが本当の意味での踏み絵だった。
これを「違う」と思いつつ「別の何か」として認めてしまったその時から
新たな「A WARRIOR'S JOURNEY」が始まってしまったのではないか。
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