『素人料理の醍醐味』
「こうち食品産業情報」No23['91.冬号]掲載
[発行:高知県食品産業協議会]


 この秋、あたご劇場で『無能の人』が上映されました。ヴェネチア映画祭で国際批評家連盟賞を今年受賞した作品です。日本の映画監督で初めての快挙を俳優の竹中直人氏が第一回監督作品で成し遂げたわけですが、今はあらゆる方面でアマチュアの時代のようです。「食」に関してもプロの料理人よりもアマチュアの料理好きたちのほうがもてはやされているような気がします。上質のものを作り出すには、技術とセンスが共に必要です。そのなかでは一般に、プロが技術主導型、只ならぬアマチュアがセンス主導型と言えそうに思います。それはある意味で当然のことかもしれません。プロには一定のレベルがコンスタントに要求されるのに対し、アマチュアは趣味の延長なのだから、当たり外れを気にすることなく、大胆に臨むことができるからです。また、採算ラインなどというものがアマチュアにはありません。

 この『無能の人』は、そういうアマチュアの強みを遺憾なく発揮した作品です。しかもスタッフに恵まれたために、技術的に観てもアマチュア的な甘さが全く見受けられません。今、日本では俳優や歌手、文筆家たちなどが映画を撮るのが流行っていますが、ヒットしたけれどもスタッフの優秀さだけが目立って作品的にはサッパリだった『稲村ジェーン』(桑田佳祐監督)などとは雲泥の違いで比較になりません。『無能の人』の全体的なトーンは静謐で穏やかですが、ちょうど真冬の寒気のなかでこそたった一本のマッチの炎で暖がとれるように、静かでやや暗い基調だからこそ、ちっとも劇的ではない日常的なユーモアや哀感、寂しさ、家族の暖かさといったものが身に沁みてきます。現代化のもたらす人間性の疎外、孤独、人の誇り、ささやかな夢、生の厳しさといった、言葉にすれば仰々しくなるものを極めて日常的な身体感覚として見事にすくい取っているのです。しかも、それらを日常的な感覚として捉え、観客にも身近な感覚として伝えながらも、その感覚を表現する装置は、どれもちょっと奇妙で不思議なミラクル・ワールドの味わいで楽しませてくれます。それでいて、その奇妙さや不思議さには、どこか身体の奥深いところでの懐かしさが感じられるのです。非常に高い昇華度と絶妙さを保っている装置だと言えます。

 このセンスの良さが国際批評家連盟賞を獲得させたのだと思います。更にそのセンスを、例えばビートたけしが監督した『あの夏、いちばん静かな海』のようにこれ見よがしに、いかにも批評家ウケを狙って撮ったような意図的なものを感じさせないで作品に結晶させたところがとても素敵なのです。この偉大なアマチュア感覚を失わずに竹中氏が映画を撮り続けたら、彼は数多のプロの監督を差し置いて日本を代表する映画作家になることでしょう。

 出演者では、風吹ジュンが絶妙です。偉大なるアマチュアがハマったときの凄さというものをつくづく知らされる気がしました。他の女優では決して表現できない味だと思わされます。彼女を味わうだけでもこの料理は、一度食べてみる値打ちがあります。彼女がこの作品で演技派に転じたなどという声もありますが、恐らくそれは見当違いで、あくまで偉大なるアマチュアの嵌り技だと思います。だからこそ、この料理でなければ味わえないかもしれないのです。監督にしても主演女優にしても、これこそが素人料理の醍醐味だという作品なのです。
by ヤマ

'91.Winter 季刊誌「こうち食品産業情報」No23



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