『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(A Complete Unknown)['24]
監督 ジェームズ・マンゴールド

 かのライク・ア・ローリング・ストーンの歌詞にある楽曲タイトルの一行前を映画の作品タイトルにしている本作は、まさに「全く無名」の若者が図らずも“フォークの神様”に祭り上げられ、そこから自由を求めて反旗を翻す怒涛の四年間を転がる石のように駆け抜ける姿で描いていた気がする。'61-'65年といえば、僕が三歳から七歳までの四年間だから、同時代を過ごしたとまではとても言えないわけだが、楽曲自体には馴染みがあって、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、ジョーン・バエズのみならず、ジョニー・キャッシュやハンク・ウィリアムスらも含め、聞き覚えのある歌い手ばかりだ。ジェームズ・マンゴールド監督の旧作『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』['05]でジョニー・キャッシュを演じていたホアキン・フェニックスの歌唱も大したものだったが、本作でボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメも、ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロも、自ら歌っていてその歌唱に驚いた。

 ウディ・ガスリーの歌に打ち震え、そういう歌い手になりたかったディランにおいて重要なのは、主義主張やスタイルなどではなく、率直な自身の叫びを人々に届ける力のことであって、人々の求めるものに応えることではなかったのに、聴衆のあまりに大きな期待と欲求に圧し潰されそうになりながら抗う姿が印象深かった。日本でフォークの神様と呼ばれた岡林信康が後に辿った隠遁や変化を想起せずにいられなかった。

 また、自分の表現したいものが「恩を仇で返す」ような形になることでの葛藤がピート・シーガー(エドワード・ノートン)との間で露わになっていた部分では、いま伊藤詩織監督作品『‎ブラック・ボックス・ダイアリーズ』を巡って訴訟が起きている事件のことを思ったりした。後には、ソングライターながらノーベル文学賞まで受賞したボブ・ディランだが、横紙破りの我儘反逆児のように言われ、毀誉褒貶に晒されていた覚えが僕にはある。本作においても、エドワード・ノートンがたゆまぬモラリストぶりを好演していたピート・シーガーの存在が非常に印象深かった。ディランの才能を認めながらも、その傍若無人にも映る行状を許容できずに、妻トシ(初音映莉子)から窘められていたように思う。ジョーン・バエズも歌っている花はどこへ行ったの作者でもあるピートの伴侶が日本人女性だとは知らなかったので、驚いた。

 田舎から出てきた二十歳のボビー・ジマーマン(ティモシー・シャラメ)に寄り添い、様々な刺激と経験を与えていたミューズとも言うべきシルヴィ(エル・ファニング)が、ジョーン・バエズの存在と、それ以上に住む世界の違いというか隔たりに耐えられなくなって去って行く姿がまた印象深かった。いい女優になったものだと前にも何かを観て思ったことがあるが、改めて感じた。

 僕が最も気に入っている場面は、恩あるピートのローカル音楽番組の生放送に穴を開けそうになったボブ・ディランが遅れて駆け付け、代役に居合わせたブルース・シンガーと交わす遣り取りと合奏に至る場面だ。ディランの音楽の才能を目に見える形で窺わせたあと、いつも携帯しているバンジョーを抱えてピートが二人のデュオに加わってくる。ファンとか業界とか関係ないミュージシャン同士のピュアな音楽交流が美しく気持ちのいい素敵な場面だった。僕はギターも弾けないのだが、音楽の核心はここにあるという作り手の想いを感じた。フォークでもロックでもカントリーでもなく、ブルースを持ってきたところが好い。ピートが彼は何でもやれるんだと言い、ブルース・シンガーはそんなわけないだろと小馬鹿にした態度をとるものの、ボブの演奏を聴いて思い直し、合わせて弾くことで応え、ご機嫌の演奏となっていた。そんな二人の合奏を聴いて、じっとしていられなくなるピートがまた好い。おそらく映画における創作エピソードだろうという気がするが、音楽、万歳!がストレートに描かれた好場面だったように思う。
by ヤマ

'25. 3. 8. TOHOシネマズ8



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