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『老後の資金がありません!』['21] | |||||
監督 前田哲 | |||||
公開当時、予告編を観て食指が動かなくなったのは題材のせいもあったかもしれない。妻が原作小説を図書館で借りて来て読んでいるのを見掛けて、そういえば、映画化作品があったはずとNetflixにあったら教えてやろうと覗いてみたら、丁度あったので教えてやったついでに観てみたところ、思いのほか面白かった。 草笛光子、天海祐希、流石だなぁと改めて感心した。いかにものうえに、少々どころか、かなり出来過ぎた話なのだが、コメディなのだから、むしろこうでなければと思わされた。 序盤での篤子(天海祐希)の義父(綾田俊樹)の今わの際の言葉「ぼた餅三っつは喰えない」はギャグではなかったことが効いてくるラストが良かった。必要な老後資金、二千万円どころか四千万円と不安を煽りたてるメディアに対し、資金以上に必要なのは、価値観の転換と知恵ではないかと投げ掛ける本作は、四千万円など到底及びもつかない僕にも、嫌味がなくて気に入った。芳乃(草笛光子)には及ばぬまでも、僕もかなり「我がままに生きてきた自覚」はあるので、あまりカネはなくとも勝ちだと言えるのかもしれない。奇しくも午前中に遊びに来た孫娘と興じた人生ゲームで、大逆転勝利を収めたばかりだった。観終えて、けっこう面白かったよと妻に報告に行ったら、既に視聴中だった。 映画化作品を観た勢いで、そのまま妻が借りて来ていた垣谷美雨による原作小説『老後の資金がありません』<中央公論新社>を読んだ。妻は、小説のほうが好みだと言っていたが、僕は断然映画化作品だ。映画化作品よりもコメディ色が薄いけれども、深刻な話になりがちなものを軽やかに、ある種のユーモアを湛えて綴っていたから、むろん小説も悪くはないのだが、そのエッセンスを原作以上に鮮やかなエピソードに変え、歴然とコメディに仕立て上げている斉藤ひろしの脚本に感心しきりだった。 2015年初版の原作において篤子の夫である章が五十七歳となれば、1958年生まれとなるわけでまさに僕と同い年だ。その後藤章と違って当時の僕は、千二百万円もの預金はなかった。ただ家に限らずローンの残債などなかったし、子供が三人とも独立して既に家庭も子供も持っていた。まだ、2019年の金融庁金融審議会の「市場ワーキング・グループ」の報告書で「老後の三十年間で約二千万円が不足する」と発表されて騒ぎになる以前のことで、あまり具体的な金額想定などしておらず、年金定期便によって予想される年金額と家計支出とのバランスを検討すべく、夫婦二人の生活費の実額把握を試み始めた頃だ。 映画化作品では、荻原博子演じる経済評論家が四千万円と煽っていたが、本書では「老後の資金は最低六千万円は必要です。美容院で読んだ雑誌にはそう書かれていた。 このままでは老後が心配だ。」(P65)となっていた。当時、それを知っていたら、後藤篤子のようにかなり焦っていたのかもしれない。 それはともかく、原作小説で六千万となっていたものを四千万としているように、原作のエッセンスを汲み取ったうえで、かなりの潤色を加えて映画化していることがよく判った。原作では見栄には触れても明示してはいない「資金以上に必要なのは、価値観の転換と知恵ではないか」との投げ掛けをし、老後資金問題以上に結婚観や夫婦関係、経済観念における「普通」の違いといったことについて縷々描いている原作部分を大幅に割愛して、やや味の悪さのあった娘の夫のDV疑惑ネタなどを外し、コメディとしてスマートに仕立てていた。 映画化作品で印象に残った台詞「ぼた餅三っつは喰えない」も「人生、我がままに生きたほうが勝ちよ」も原作小説には出て来なかったし、章の職探しの難儀や交通整理員での就労、そしてシェアハウスの話も生前葬も出て来なかった。天馬とのエピソードも映画化作品のほうが膨らませていた。妻に原作のほうが面白かった理由は?と訊ねると、女性の視点からのディーテイル描写が原作小説のほうが豊かで共感できたかららしい。なるほど、と思った。それはそうだ。原作小説の『老後の資金がありません』と映画化作品の『老後の資金がありません!』は、「!」の有無以上に違う作品だった。 | |||||
by ヤマ '24. 9.28. Netflix配信動画 | |||||
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